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256 汚れてしまった世界の中で


 先手はヴァリンが取った。

 距離も縮め切れていない内から空いている手で胸元に手を突っ込んだヴァリンは、指の間に挟めるだけの魔宝石を挟んで引っ張り出す。

 色も形も様々なそれらを掲げ、剣先を振り抜けば当たるか当たらないかの距離まで詰められたカリオンに向ける。


「『契約行使』!」


 光る宝石の色は赤と黄色。

 自分に向けられた不穏な光にいち早く気付いたカリオンはその場で横に避けた。一枚の布を翻すような動きの横を、火球が直線を描くように飛んでいった。

 火球を躱したカリオンは、靴底が床を滑る音を大きく立てながら、次は逆方向に逃げた。

 先程まで身を置いていた場所に、今度は雷のような光が駆け抜けていく。

 カリオンが体勢を立て直している間に、ヴァリンは距離を開く。今のカリオンの間合いに入る程馬鹿ではない。


「チッ……、ちょこまかと動きやがって……。図体デカい癖に、逃げるのは一丁前に上手いなぁ?」


 ありったけの私財を投入した、魔宝石による洗礼。服の中にまだ幾つも予備はある。

 ヴァリンの手持ちの宝石だけで、どれだけの民が裕福に暮らせただろう。でも今のヴァリンには民の姿は見えていない。

 この動乱に負けてしまえば、その民達だって路頭に迷う。何に換えても負けられない勝負だった。


「この程度も避けられないなら、団長の座に相応しくないからね」


 挑発を挑発で返されたが、ヴァリンには怒りの欠片も湧かない。

 これまで、幼い時から城内で叩かれて来た陰口の方がよっぽど堪えた。そしてそれらに鍛えられて、性格の捻じくれたヴァリンが出来た。

 カリオンが口にする、中途半端な嘲りでは何とも思わない。


「安心した。お前が簡単に倒れてしまえば、お前と最強の座を争ったディルの立場が危ういからな」

「……」

「ディルも不憫になぁ。お前みたいな売国奴が団長やるくらいなら、あいつが団長やってた方が何倍も良かったよ。――そしたらネリッタもソルも、アルギンだって、あんな事にならずに済んだろうな!」


 出て来た名前は、カリオンが隊長職を与って殉死した者達の名だ。

 カリオンが心を痛めて、傷ついて、今の愚行に手を染める事になった原因のひとつ。

 彼等はカリオンを責める訳でも無いのに、その死を今でも悔やんでいる。

 そして同時に、その名前を出してカリオンを嘲る事は、彼にとって一番腹の立つ行為だった。

 向けられた嘲弄が齎す怒りのまま、握った剣を構えてヴァリンの首を狙う。突きの体勢で向かってくるカリオンを、寸での所で避けた。


「っわ、とっ!!」


 殺意は本物だ。

 躱すのがやっとだったヴァリンは身を翻して距離を離す。新しい魔宝石を出している余裕も無い。


「……どうした? そのレイピアは飾りかな」

「抜かせ!!」


 カリオンは返す刃で再びヴァリンを狙う。

 舌打ちと同時に出した細剣で受け流すカリオンの剣は、二撃目だというのに全身に衝撃が響くほど重かった。


「っぐ、……!!」


 これが騎士団長の剣。

 初めて受けた彼の剣戟は、細剣では止めきれない。剣先を逸らして避けるだけで精一杯だ。

 剣が折れなかっただけ有難い。二撃目を避ける手段が残れば生存確率は増える。 

 床を転がりながら出した次の魔宝石は、明るい青色。


「『契約行使』!!」

 

 次の魔宝石は氷の魔法。

 発動と同時にカリオンの足許をめがけて冷気が迸った。全てを凍てつかせる氷が、カリオンの右足と床を繋ぎ止める。

 水晶と見紛うような氷塊に足を掴まれて、カリオンの動きが止まる。ヴァリンの敵意が冷気となって立ち上り、頬にまで触れた。


「……」

「飾りなんて言うな。好きで飾られた訳じゃない。何で俺を馬鹿にする奴等の為に生きていけなんて言われなきゃならなかった。俺が生きていきたいのは、不特定多数の『誰か』の為にじゃなくて」


 次にヴァリンが出したのは、先程のものと同じ黄色の魔宝石。

 対策を講じる時間を与えてはいけない。指先に挟んだそれを構えて、一歩足を引き下げる。


「俺はソルと生きたかった!! なのにお前らはソルが生きて死んだこの国を踏みつけて、あいつの記憶を汚した! あいつが生きていた景色さえお前らが変えるなんて許さない!!」


 ばちり、とヴァリンの指に電気が走る。


「ソルを汚していいのは俺だけだ! もう他の誰も、あいつに触るな!!」


 ヴァリンの感情は純粋な愛情では無かったかも知れない。想いを捧げたい相手が目の前で死んで、六年が経った。

 捧げても返ってこない愛は、六年の間消えなかった。頼んで消えるような想いなら、最初から愛していなかっただろう。

 どれだけ感情が歪んでしまってもヴァリンにとっては、ソルビットに向けたそれが、生まれて初めて異性に向けた愛だった。


「『契約行使』!! 奴の息の根を止めろ!!」


 声を張り上げて魔宝石に命ずると、叫びに呼応するように輝きが強くなった。

 人を殺せるほどの魔力が籠められているのは、魔力を持たないヴァリンだって分かる。これで何回も窮地を救われたし、逆に命の危険を覚えた時もある。

 ヴァリンは、誰の援護も無しにカリオンと対峙している。ずっと、誰かに守って貰ってばかりだった。今は、一人で戦えている事が心細くも誇らしくある。

 宝石の輝きが最大に届くと、その光は音と共にカリオンへ向かって空中を駆けた。


 もしカリオンに勝てたなら、ソルビットは微笑んで褒めてくれるだろうか。

 例え再び逢えるのが、自分が死んだ後の話でも。

 今だって彼女へと抱えた思慕は、カリオンへ向けた殺意と同じくらい鮮やかなままだ。


「……」


 直訳で死を願われたカリオンも、何もせずに死ぬ訳には行かなかった。道を違えたかつての仲間が殺しに来ると言うのなら、全力を以て相手にならなければならない。

 氷で縫い留められた足はまだ動かない。動けないならないなりに、カリオンの頭はよく働いた。

 動かない足は一本だけだ。腕も肩も、まだ動く。

 床を踏み締める、もう一本の足が引いた。逆手に持ち変えた剣を引き寄せる腕が肩の高さに位置付いた。


 渾身の力を込めて、ヴァリンとの間に剣を投げ放つ。床は石造りの筈なのに、剣先を埋めて倒れない。

 同時に最大限まで身を伏せる。ヴァリンが放った雷は、カリオンの剣に阻まれて爆発音を立てた。

 男二人が同時に目を背ける。散る火花と上がる煙は、一瞬だけその場を眩く染めた。


「……は……、っ」


 ヴァリンは目の前で雷が銀の刀身に落ちて火花を立てた状況をすぐには理解出来なかった。

 それまでの運びには問題ないのに、カリオンの咄嗟の処理速度の方が勝っている。


「大丈夫だ、心配しないで良いんだよ。ヴァリン」


 カリオンの声は優しく語り掛ける。


「ソルビットはもう死んでるんだから、誰かが触れて汚せる訳ないじゃないか。……そして君も、すぐにそうなる」


 その声は優しい音色で、何度もヴァリンの古傷を抉り、何度も彼に死ねと繰り返す。

 勝てるとまではいかなくとも、何らかの傷を負わせられると踏んでいたヴァリンは動揺が隠し切れない。

 場数を踏んで来たカリオンは、騎士幹部の中でも未熟なヴァリンが倒せる相手ではなかった。


「っ……黙れ! たった一つの武器すら手放して、動かない足で何が出来るっ!!」


 たった一回防がれただけでは、ヴァリンも諦められない。

 次に出したのは海のように深い青色の宝石。発動の口上を述べると、最初は小粒程度の大きさで現れた水球が膨らんでいく。


「何が出来ると思う?」


 ヴァリンが見誤ったのは、他にもある。

 カリオンが胸元に手を差し入れた時、その手に握られていた物に目を瞠る。

 それは――先程自分が使ったのと同じ、透明で明るい青色。カリオンの小指の爪ほどしかない小さなものだ。

 気付いた時にはもう遅かった。ヴァリンの元から放たれた水球が、カリオンを目指して直線を描きながら向かっている。


「――『魔力、発動』」


 涼やかなカリオンの声が、自分の掌に乗せた魔宝石に命じた。

 ヴァリンの時と同じように迸る冷気は、一瞬にして水球を取り囲んだ。

 水分しかないとはいえ、それが凍てつく速度や規模はカリオンの足を凍らせたヴァリンの魔宝石とは段違いの威力だ。カリオンに向かうはずだった水球は凍らされ、その場にごとりと落ちて、粉々に砕けた。


「……お前……っ!」

「……魔宝石を持ってるのが君だけだなんて思わないで欲しかったな。死ぬまで使わないだろうって思ってたんだけど……まさか君を相手に使うなんてね」


 嘲りの意図が混ざっている言葉を受けて、ヴァリンの焦りが強くなる。

 落ち着け。

 まだ負けた訳じゃない。

 カリオンの手から武器は離れているんだ。あるのはほんの小さな魔法石のみ。

 決めるべき次の一手を魔宝石か、手に握られた細剣かを一瞬迷ったヴァリン。それで選んだのは、先程飾りと貶められた細剣の方だった。

 距離を詰めるために走り出す。剣先はカリオンに狙いを定めながら。


「先に逝ってソルに詫びろ!! あいつが居た世界を汚した罪を償え!!」

「……」


 どんなに捻くれてしまっても、彼は『風』副隊長。王子騎士として受けた教育の中には武術もある。

 彼は決して弱い訳じゃない。その辺りの一般人や、少し腕自慢なだけのならず者達などでは相手にもならない。

 それは慢心でも驕りでもなく、事実だ。

 しかし。


「ごめんね、ヴァリン」


 謝罪はカリオンの口から。


「先に逝くのは、私じゃないよ。――『魔力発動』」


 その言葉には嘲りは滲まなかった。

 軽く掲げた氷魔法の魔宝石。カリオンはそれを、ヴァリンに向けて指で弾いた。

 軽い力で弾かれた魔宝石は、およそ力と不似合いの速度でヴァリンの元へ飛んでいく。

 解放された魔力により一瞬で、自らの姿を氷の槍と変えながら。


「っは、!?」


 核となる小さな宝石に保持されていたとは思えない程の魔力量。

 避けるには距離が近すぎた。

 咄嗟に身を捩っても避けられない程に、カリオンの狙いは正確だった。

 ヴァリンに突き刺さった氷の槍は、左胸を抉るように刺さり、その場に留まった。


「っ、……! ……っ!!」


 声にならない激痛。ごぶっ、と血が口許へせり上がり飛び出た。

 床に転がるヴァリンは細剣を取り落とし、動けない程の痛みに呼吸さえままならない。

 叫ばないのは『風』隊の騎士として教育され続けた賜物。血が音さえ聞こえた。

 氷の槍で貫かれて留まられている割には、傷が熱い。燃えるような熱を感じながらも手を細剣に向かって伸ばした。

 立たなければ、殺される。分かっていても動けない。


「君は自分で思ってるより、もっと強くなれた筈だよ。ディルの側でこの六年間、君はずっとソルビットの事しか考えてなかったんだろう?」


 カリオンの声は聞こえるが、何を言われているか理解出来ない。

 指先からどんどん冷えていくような感覚を覚える。傷だけ熱くて、そこから遠い場所から寒気を感じた。順々に、その寒気が傷に近付いてくる。


「どうせ君は死ぬから、止めは刺さないよ。……もう、手遅れだ」


 声が聞こえているのに、カリオンとの距離すら分からない。

 どうやって床と足を繋ぎ止める氷を解いたのか不明なのに、足音まで聞こえた。

 カリオンが離れていく。

 でももう、ヴァリンに出来る事は無かった。


「っあ、ぐ……、……っぃ、あ……」


 徐々に、何も見えなくなってくる。目が霞んで、視界一杯に黒が広がる。

 死ぬ、のか。

 このまま、何も出来ずに。

 細切れに喘ぐしか出来ないヴァリンの意識が途切れかける、その瞬間。



「ばかヴァリン」



 優しい声の誰かが、手を握った。



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