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 空が夕暮れの色になって来て今にも夕日が山の後ろに全て沈む、となった頃、馬車が止まった。

 何もすることが無く、気付けば微睡んでいたユイルアルトがその時の幌馬車の感覚で目を覚ます。ジャスミンはユイルアルトの肩に頭を乗せて寝ていた。起きる気配が無かったので、その体をゆっくり床に下ろしてやる。

 折しも季節は晩春だ、昼寝程度なら体に毛布を掛けずとも暫くは大丈夫だろう。そしてユイルアルトは、馬車の中を見渡した。


「………」


 ヴァリンは、荷物の中でも一際大きいそれに身を寄せていた。大きい手提げにすっぽりと入り、天辺までを覆われたそれは四角い形をしているように見える。子供なら或いは入るのではないかといった大きさだ。

 その上に片腕を置き、縋り付くような形で頭を乗せている。それはまるで、親しい者の死体に縋って泣く子供のような姿。或いは妻を亡くした夫のような。

 ユイルアルトが起きた事に気付いたヴァリンは、視線だけを向けて来た。その顔には、いつものような余裕ぶった笑みは無い。


「起きたのか」

「……お昼寝にしては長すぎましたけれどね。これからを思うと寝ていた方がいいかと思って」

「そうだな、まだ到着まで時間は掛かる」


 これまで、ユイルアルトとヴァリンは何度か普通に話をしたことがある。大抵はジャスミンを巡っての喧嘩が多いが、それ以外だとやりとりは大人しい。

 その時のヴァリンは、決まって事務的で。お前には興味ない、と言葉以外で言われているような感覚をいつも受けていた。


「それ、中身何なのですか」


 ヴァリンの荷物は多すぎる。彼が王子だと分かれば、それも無理のない事だとは思えるのだが。

 だからと言って、遊びに行くのとは訳が違うのだ。寄りかかっていた荷物の正体がどうしても気になってしまう。―――ルビーから、『荷物にある箱の中身を捨てて欲しい』と頼まれていれば、尚更に。


「これか」


 ヴァリンも、問われて不快そうな顔はしなかった。けれど、その表情は微笑と悲しみを混ぜたような顔で。


「………何て言えば、あいつは許してくれるかな」


 返って来る言葉も、曖昧なものだった。


「あいつ、とは誰の事ですか?」


 探りを入れるような言葉には、ヴァリンの微笑が返る。

 しかしそれは、ユイルアルトを小馬鹿にしたようなものではなかった。


「俺に要らん事を教えて、俺の人生滅茶苦茶にして、俺以外の奴の為に死んだ馬鹿だよ」


 微笑は自嘲のようだった。それまでヴァリンが誰にもしなかったような、優しい手付きでその荷物を撫でる。その時ユイルアルトはふと思い出した。この男はユイルアルトの目の前でジャスミンを口説いている時、その肌に触れる事はしなかった。

 夕暮れのせいで、ヴァリンの顔に影が差している。逢魔が時が見せる憂いているような儚げな表情は、いつものヴァリンではない。

 ヴァリンの顔をまじまじと見ていると、不意に肩が重くなったような気がした。それと同時、幌馬車の後方からフィヴィエルが姿を現す。


「殿下、ジャスミンさん、ユイルアルトさん。この辺りで休憩に致しましょう」

「……お前さ」


 再びヴァリンの呼称を間違えたフィヴィエルに、『殿下』からの冷たい視線が寄越される。同時、フィヴィエルが肩を震わせて立ち竦んだ。


「俺をそうやって呼ぶなって何回言ったら分かるんだよ。そんなにカリオンが怖くないか。あの鳥の巣頭の部下は三歩歩いたら忘れる雛ってか? 仮にも『鳥』所属の騎士なら、城の外での俺の呼称くらい使い分けろ」

「も、申し訳ありません!!」

「………」


 ユイルアルトは、顔を青褪めさせるフィヴィエルの姿を眺めていた。

 騎士、というものはユイルアルトもジャスミンも好きではない。それはかつて故郷を追われた時の話に由来するのだが、その頃の事を思い出したくもなかった。

 酒場で暮らすユイルアルトには、其処にあるだけのものが世界のすべてのような気がしていた。実際、それ以外はどうでも良かった。もう辛い思いをしたくなくて、関わらなければそれで済むと思っていたのに。

 やがて男二人の声に反応してジャスミンが瞳を開く。眠そうな目を擦りながら、現在状況を確認し始めようとするがヴァリンの姿を認めると肩を揺らして驚いていた。


「……お前が全部用意しろ、今日はここで夕食だろう」

「は、はい。その、アールヴァリン様。このまま野営を考えておりますが」

「野営?」


 ヴァリンが立ち上がる。


「お前、馬車で騎士が二人いてのんびり野営だなんて甘ったれた事を言うな」

「で、ですがジャスミンさんとユイルアルトさんの体力が」

「どうせ乗ってるだけだ、やる事ないなら寝かせておけばいい。……食事が終われば出発するぞ、お前が疲れたなら御者は俺がやる」

「そんな!? アールヴァリン様に、そのような事……!!」

「あ?」


 進言しようとしたフィヴィエルの発言を抑え込むように、怒ったようなヴァリンの声が幌馬車の中に響いた。音は幌が吸い込む前に、全員の耳に届いてしまう。


「お前、『あいつら』みたいに俺を見くびるつもりか?」

「そんなつもりは!!」

「じゃあ、撤回しろ。俺は陛下の嫡子ではあるが仕える騎士でもあるんでな。これ以上俺に文句あるってんなら、帰還後のお前の騎士の位が約束できんぞ」


 脅しだ。騎士を相手に脅しが通用するのは、騎士が忠誠を示す先である王族以外に有り得ない。案の定、それを聞いたフィヴィエルは「申し訳ありません、失言でした」と呟いて俯いてしまった。

 彼はまだ若いんだろうな、と思う。でなければ、こんな失言を何度も繰り返す筈も無い。ジャスミンは騎士二人のやり取りを尻目に、ごそごそと食料品の袋を開き始めている。


「……そろそろ、外に出たいです」


 ジャスミンの小声の要求で、騎士二人がそちらを見た。


「気が利かなくて悪いな。フィヴィエル、外は川があるだろうな?」

「はい、水源豊かです。水質も綺麗でした」

「なら、良い」


 ヴァリンは医者二人に振り返り、顎の動きで降りろと指示をした。ジャスミンは手に食料だけを持って先に下りる。ユイルアルトは、ヴァリンが先に下りないものかと待っていたがその腰が浮く事は無かった。


「下りないんですか」


 焦れて、ユイルアルトが問いかける。

 どうしても、ヴァリンが大事そうにしている荷物が気になる。それはルビーに言われたからだという事もあるけれど、彼女からはあそこまで処分を願われながら、ヴァリンが慈しむように接している荷物の正体を知っておきたかった。


「下りない。俺だって準備というものがあるからな、先に行け」

「……そうですか」


 引き下がるしかなかった。立ち上がったユイルアルトが、ジャスミンの後を追って馬車を下りる。重いと感じたのは肩だけではなく、慣れない馬車移動のせいか体全体が重くて痛い。

 夕暮れの昏い外にユイルアルトが出ると、フィヴィエルは既に火を起こしていた。

 周囲は川と林がある、しかし見通しのいい場所。薪に使う枝も落ちていたらしく、フィヴィエルはそれを拾い集めては火にくべている。石で組んだ簡易的な竈もそこに用意されていて、簡単な煮炊きなら出来そうだ。

 火の側に近寄ったユイルアルトは、少し冷えてしまった指の先を火にかざす。


「……この時期でも、夜になると少し冷えますね」


 その火の側で、ジャスミンが食料を広げ始めている。中に入っていたのは保存が利く黒っぽいパンに、薄く切られたチーズが乗っていた。申し訳程度の果物がそのままの形で用意され、冷たい食事の用意が済んでいる。

 ジャスミンは配膳を終えたその後に、川から小鍋に水を汲んで来ていた。竈に乗せ、湯を沸かし始めて。


「だろうと思って、コーヒーでも用意しようと思ってるんだけどどう?」

「賛成です」


 砕いた豆と濾過紙はジャスミンが持って来ていた。酒場のコーヒーよりも荒い手順になるが、無いよりはマシだ。人数分のコーヒーをカップに注ぎ終わる頃に、ヴァリンが漸く幌馬車から下りてきた。

 コーヒーの香りに鼻をひくつかせながら、三人が集まる火の側に寄って来る。


「ここまで来てコーヒーが飲めるなんて思わなかった」

「ジャスミンに感謝してくださいね。あくまでも感謝だけですからね」

「感謝なら誠心誠意体で示させて貰っても構わんが?」

「こ―――」

「このイチモツと脳味噌直結男」


 ユイルアルトが言おうとした言葉が、悪意を更に混ぜ込んで凝縮したような語彙になってすぐ背後から聞こえてきた。あまりの直球発言に舌の上で発言が止まってしまった。

 ルビーの声だった。呆れたような、でもまるで親しい仲に吐く悪態のような優しさが含まれている。

 目の前で急に発言を止めたユイルアルトを、不思議そうな顔でヴァリンが見ていた。


「本当いい加減にして欲しいよね、未だに他の女抱けない癖に口だけは一丁前で。お口だけは上手になったのに行動が伴わないんだもん、ヴァリンが言っても説得力ないっつー話よ」

「っあ、え、あ」

「ってか、言葉選びが下品すぎてそこは減点。あたしが教えたのはもうちょい王族としての気品ある言葉なんだけどさぁ? 誰に感化されての言葉選びなんだろうね、口説く女にそう言うのって最悪。ねぇイルもそう思わない?」

「………おい?」


 ルビーの言葉にユイルアルトが混乱する。これまでのヴァリンがしていた態度の裏が取れているようで、ルビーの言葉とヴァリンの言葉のどちらに反応していいか分からなくなってくる。

 誰に何をどう言っていいか分からなくなったユイルアルトが固まってしまったのを気にして、ヴァリンが訝しんで声を掛けた。


「あれ、もしかしてイルってそう思ってないの? 強引に下品に口説かれるのが好きなんだ?」

「ユイルアルト、どうし―――」

「ちょっと貴女は黙っててください!!!」


 ルビーに対する怒り交じりで叫んだ言葉。

 しかし、すぐにそれは失言だったと気付いた。

 他の面々にはルビーは見えていないのだ。案の定、ジャスミンとフィヴィエルが目の前で顔を青く染めている。ヴァリンに至っては、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で驚いていた。


「……っあ」


 やってしまった。

 ユイルアルトの脳内がその言葉で埋め尽くされる。

 よりにもよってルビーと同時に声を発したのはヴァリンだ。


「……すみません、ちょっと疲れてしまったので川で頭冷やしてきます」


 取り繕うように、頭を下げてその場から逃げた。食事も手を付けていない状態で。

 残った三人は、ユイルアルトの背中を視線で追った。そしてフィヴィエルとジャスミンの視線が偶然重なる。


「……少し、道を急ぎすぎたかも知れません」


 フィヴィエルが自分のせいかも知れないと自らを苛んでいるが、ジャスミンは首を振る。


「フィヴィエルさんのせいじゃないと思います。イルは……」


 川に向かって走って、暗闇に姿が見えなくなったユイルアルトの姿を幻視しながら、どう言ったものかとジャスミンが考える。

 ジャスミンにとって、ユイルアルトは唯一とも言っていい理解者だ。だからといって、その保身を考えた訳では無くて。


「本当に、疲れているんだと思います」


 自分にも打ち明けてくれない事情があるのは知っていた。

 だからジャスミンにしても、そう答えるので精一杯だった。



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