254 終わりへの道連れ
「……ん」
――ほぼ同時期の、王城食堂。
変わらずキタラとディルしかいない場所で、いつ来るかも分からない待ち人を待っていた。
外から聞こえた謎の轟音から三分経っても来ないなら置いていく、と決めてディルは待った。待機時間としてはあまりに短いが、実際それが限界でもあった。
キタラから椅子に座れと言われ、奥に纏めて転がっていた椅子を引っ張り出してきて座り、茶を飲むかと聞かれて固辞し、あと何回無駄な呼吸を繰り返せばいいのかと疑問が頭を覆い尽くそうとする頃。
遠くで聞こえていた筈の轟音が、側に。
食堂のすぐ近くで聞こえる激しい音。その直後、扉が無く解放されている食堂の入口に滑り込むように、三人の姿が現れた。
「っ、ぁあ!! 畜生!!」
足先から滑り込んで中に入って来たのは、動きに合わせて揺らめくくすんだ金の髪を持つ褐色肌のダークエルフ。
そのすぐ後ろを荒事に慣れているように身を少し屈めて走る、長い金糸の髪を束ねた混ざりのエルフの姿。
そして女に手を引かれて無理矢理走らされている、癖の強い茶色の髪の男。
三人には疲労の色が見える。先頭を走って来た男からは煤けた臭いさえ漂っていた。
「分かりにくいですねぇ、ココは!! ふざけんじゃありませんよ!!」
「……無事なようで何よりだ、アクエリア」
開口一番が愚痴だった男は、ディルを見つけるなり吼える。乱れた髪は、普段の彼の姿とは似ても似つかない。
これが彼の正体だ。ディルだって何度か見たことがあって、恋人であるミュゼなら尚更だろう。
食堂に到着するなり、ミュゼに引かれていた手を解いて座り込んで息を整えている男は――さて、どうか。
「衰えたな、フュンフよ」
「……っは、……面目ござい、ません。年は、取りたく、ないもの、ですな」
普段身綺麗にしているフュンフさえ、アクエリアとミュゼの行動に付いていくので精一杯だったらしく髪も服も乱れている。
ミュゼに関しては、自分達の子孫が軟弱だと思っていないからディルの評価は高い。それに比べればフュンフは机仕事を得意としているので、若かった昔よりも体が動かないのは仕方なかった。
「そう言わないでやってよ、マスター。それより、隠れる場所無い!?」
血相を変えながらも声を潜める注意力は残っているらしい。ミュゼは食堂の中を見渡して、地震に因る惨状に顔を顰めた。
キタラは来客を気にも留めず、まだ奥で清掃を続けている。それでもおっつかないのは仕方のない話で。
「追手が居るのかえ?」
「流石に倒しきれないよ!! 急がなきゃ、って思って十人超えてからは数えてないんだからね!!」
「……ふん」
多勢に無勢との言葉があるが、数をものともしないのがアクエリアだ。時間制限がある状態では全員駆逐も叶わなかったようだが。
焦り狼狽えるミュゼを余所に、ディルとフュンフは涼しい顔をしていた。アクエリアは疲労困憊でそれどころではない。
「キタラ」
「はい?」
ディルの声が宮廷料理人を呼んだ。お呼びが掛かると彼は奥からカウンターへ身を乗り出して来る。
そこでやっとフュンフの姿が見えたらしい。弟の同僚にして、自分達より年上な騎士隊長のひとり。
その年上は案の定、若者に囲まれて疲れ切っていた。
「……。ああ、どうされたんですフュンフ様。いつもより倍は老けて見えますよ」
「………いつも一言多いな、貴様は」
「え……、別に。そんなつもりは無いですが、そう聞こえるなんて思ってませんでした。次があれば気を付けます」
二人は仲が良い訳では無い。城仕えの中では寧ろ険悪な部類で、刺々しい空気が二人の間に漂った。
フュンフから目を逸らしたキタラは、次にミュゼへと視線を向ける。いつもはそう大きく見開かれている訳では無いキタラの瞳が、この時ばかりは大きく開いた。
「……ぁ」
「似ている、と、思うか?」
「……。はい」
ディルの質問に、誰と名前を出さずとも頷く。
言われた側のミュゼは相も変わらず不本意な事ばかりを言われ、更に肯定しかされない現状に腹が立つ。ミュゼが何で彼女に似ているか、フュンフとディル以外は知らない。だからこそ、他人の空似で済まされることが苛立っている。
今、怒りを現す訳にはいかない。怒るのだって疲れるのだ。だからミュゼは怒りを別の方法で発散する。
「聞いてた、マスター!? 急がないと駄目なんだってば!! 隠れないと追手が」
「キタラ」
「え? ……ああ、はいはい」
ミュゼの焦りを素知らぬ顔で受け流すディル。そして彼に名を呼ばれたキタラは再度厨房の奥へと引っ込んだ。
自分達の非常時にも、無関係な者は気楽でいいなと憎々し気に背中を見ていたが――。
「っ……!? ま、まさか!?」
「へ?」
厨房の奥から、ガチャンと音がした。
この音の正体に気付いているのは、フュンフとディルの二人だけだ。
アクエリアとミュゼが耳を澄ましていると、大きな風が吹いた時と同じような音が聞こえた。その割に、感じるのは微風のような空気の肌触りだけ。
しかし、その微風は季節に抗うような熱を持っていた。
「は? え? なに?」
動揺したのはミュゼだ。熱さと音が何由来のものなのか分からずに周囲を見渡す。
アクエリアは嫌そうな顔をして、音の波の源へと視線を向けた。
二人の視線が向いたのは、先程通って来た出入り口。
扉が無いのはこの為だったのか、とアクエリアが理解した。
出入り口の上部は天井に沿わず、頂点周辺だけ半円状の曲線を描いている。扉が無い分、城門よりは橋の下を思わせる形だ。
曲線に沿う形で、半円の箇所に等分に魔宝石が配置されていることにその時気付いた。
その魔宝石が、壁に当たらない角度で出入り口を覆うように轟轟と火を噴いている所を見れば嫌でも気付く。
鮮やかな赤色は何者の侵入も拒む。消えなければ誰も入れない代わりに、ディル達も出られない。
「なぁにこれぇ」
抜けた声を吐き出したミュゼは、からくり屋敷のような有様に目を丸くした。物騒な事この上ない仕掛けの下を先程潜り抜けてきたのだ。
一体どういう仕掛けなのだ。城の中の食堂という安全な筈の場所を武装化する理由が分からなかった。
その答えはフュンフが知っている。
「万が一、戦争で城内に攻め入られた時の最後の砦だ。水と食料が用意されているこの食堂で、騎士は最後の一人になっても戦う。……悪足掻きでしかないがな」
「悪足掻きにも程があるでしょうよ。食堂を最後の砦にするような事態になったら、もうこの国は制圧されてるも同然なのに」
「実際、使用された事は無いと聞く。時折、そこの料理人が魔宝石を取り外して肉料理を作る際の火力として使っていた所は見た」
「持ち腐れていても仕方ないでしょ。……本来の用途で使う日が来るなんて思って無かったんだ」
出て来たキタラは、出入り口の炎を見ながら感慨深そうに呟いた。
「俺が責任者であるうちは、使う日は来ないって漠然と思ってた。でも、そんな考えは俺のただの希望でしか無かった。現実はそう思った通りに行かなくて、一生料理作る時にしか使わないと思ってた魔宝石を、俺は今日本来の目的で使った」
料理長が見つめる炎の向こう側で、人が集まって来たようだ。
食堂の状況の異様さに、様子がおかしいと荒げられる声が聞こえる。
向こう側に居るのは、敵となった騎士達だろう。数までは分からないが、二人や三人程度では済むまい。
「さて。俺がこれまで使って来た魔力ですが、残りがどれだけ持つか分かりません。……厨房奥に、専用通路があります。アルセン王家の皆々様に食事を運ぶ時に使う通路です。どうぞそちらへ」
「ああ」
急げ、と言わずに道を教えたキタラ。ディルはそれを聞くなり立ち上がり、厨房の奥へと足を進める。
キタラはもう掃除すら諦めて、ディルがそれまで座っていた椅子に腰を下ろした。はー、と短い溜息を吐いて燃え盛る出入り口を見ている。
そんな料理長を横目で見るだけで、フュンフもディルの後を追った。
「貴方は、どうするんです?」
聞いたのはミュゼだった。
「俺ですか? ……俺は、そうですね。ディル様に脅されて協力せざるを得なかった……とでも言いましょうか? 俺って結構強かなんで、ディル様に責任押し付けるくらい訳ないし。そもそも俺、騎士とは違う方面で権力持ってるから他の奴等も強く出られないし大丈夫」
キタラは、名も知らぬ女の問いに皮肉を以て返す。
宮廷料理人と騎士の力関係まではミュゼも知らなくて、フュンフの背中に視線をやるが先に行く彼は気付かない。
側に居たアクエリアに視線をやると、彼は首を振った。もう行かなければならない、と。
「……私達も、行きます。どうか気をつけて」
「こんな美人さんに心配して貰えるなんて、俺も幸せ者だねぇ。……ああ、いや彼氏さん。怖い顔をしてくれるなよ、他意は無い。……少しばかり名残惜しいが、俺も貴女達に任せるしかないのが無念です」
無言のアクエリアが、ミュゼの手を引いた。その手付きは優しかったが、移動するのに有無を言わさない力で引かれた。
ミュゼは先程掛けた言葉が最後になってしまった。もう一度振り返っても、キタラはミュゼを見ていない。ただ、いつ敵対勢力が入って来てもおかしくない出入り口の炎の揺らめきを見ている。
彼は、実際炎が消えたらどうするのだろう。本当に彼の身の安全は確立しているのか不安になる。しかし、もうその場を去るしか出来なかった。
「なぁ、アクエリア」
「何ですか」
ディルとフュンフの背を追う途中、疑問をぶつけてみた。
「あの料理長? さん、大丈夫かな。騎士にはマスターのせいにするって言ってたけど、それで責任から逃げられると思う?」
「……さぁ。そんなの、その時彼を捕えた騎士次第じゃないんですか」
「本当に責任押し付けるなら、私達がどっちに逃げたかも伝えるよね。急いだほうがいいかな」
「………」
アクエリアはもう返事もしなかった。別に、ミュゼが他の男から美人と言われて不機嫌だった訳じゃない。
ミュゼもアクエリアの違和感には気付いていたが、状況が状況だからと自分に言い聞かせて押し黙る。前を行く二人の後ろに付いていくだけで、今は計り知れない精神力を使う。
アクエリアが黙っていた理由はひとつだけだ。
後から情報を漏らすような男の居る場所を、あのヴァリンが集合場所として指定するだろうか、と。
それをミュゼに伝えてしまえば、今まで縁も所縁もなかったキタラの身を案じて進む足取りが鈍くなるだろうことは分かっていた。