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253 裏切りに満たない行き違い


「なんっ、だよ、お前っ!! 大人しく下がってろよ!!」

「……」


 エンダの恫喝にも眉一つ動かさないスピルリナは、およそエンダを見てるとは言い難かった。

 光でやられてしまった視界は、エンダの姿を捉えられていない。なのに彼に向かって攻撃できているのは、暁の存在があるから。


「スピルリナ」


 笑顔の男は、彼女に向かって。


「二歩分一時の方角にズレました。頭二個分下ですね。首から上に防御態勢取ってます、狙うならもっと下。……ああ、次は左ですよ。当たらなくていい、充分疲れさせて下さいねぇ?」


 彼女に届く声量で、指示を出している。

 暁の側にはまだ目が満足に見えないアールブロウが這って動いていた。彼は人形とは違い生き物なので、異常があっても緩やかに視力は回復している。

 目の前に広がる光景が今まで自分が居た世界よりも少しだけ血生臭くて、第三王子は震えあがった。近くには今まで義母と呼んできた王妃の死体があって、でも階下にはもっと死体が転がっている。その中のどれとも懇意にした記憶は無いが、生きている暁は別だった。


「……あ、暁。僕、僕。怖いよ。暁と一緒に居てもいい?」

「スピルリナ、少し離れましたよ。五歩四時の方角へ。ほら、逃がしたらお仕置きですからね」

「暁。……ねぇ、暁ってば」

「煩いな」


 友人と思っていた男からの、凍るような冷たい声を受けてアールブロウが竦み上がった。

 もとから人との距離感を掴めずにいた男だが、相手の事を数少ない仲の良い存在だと位置づけていたからその震えも大きくなる。

 暁は、いつも閉じているように見える程細い目を開いていた。濁った緑がアールブロウを見据えている。


「こっちだって忙しいんだ。後にしてくれませんかねぇ」

「……あ、ご、ごめん」

「全く。これじゃ、アールヴァリン様を愚鈍って言えないじゃないですか。まぁ、兄弟だから似ていて当たり前ですね。仕方ない」

「――……え?」

「まだあっちの方がマシかも知れませんねぇ。こんなんに粘着されて、アールヴァリン様もお可哀相に」


 アールブロウにとって、長兄でありながら末の妹に玉座を明け渡す事になったヴァリンは馬鹿にする的だった。

 自分が誰かから馬鹿にされているから、自分より劣った存在を見つけた心算になっていた。

 ヴァリンは何を言っても、はいはいと聞き流した。それは弟の劣等感を感じ取って刺激しないようにと思っていたのだが、それで増長した弟の自尊心は紛った方面へと育っていく。

 それを、今。

 親友だと思っていた男が、侮辱した。


「っあ、暁? 暁、今、なんて」

「スピルリナ、三時。……逃げられてますよ! 走れ!!」

「暁っ!!」


 アールブロウがどれだけ声を荒げても、これだけ近くに居ても、もう言葉は届かない。

 オルキデとカリオンも、エンダとスピルリナの攻防に触発されて動き始めた。この場で部外者なのは、アールブロウだけだ。

 暁の側で座ったまま、何に介入する事も出来ない。


「っ……!!」


 怒りに任せて、アールブロウが暁の足に縋った。貧弱な体では、暁の体を揺らすしか出来ない。それでも、必死に追い縋った。


「……はー、邪魔ですよぉ。離れててくれませんか、ブロウ様」

「うるさいっ!! ぼ、僕の事っ……、用事が済んだら要らないって、酷いだろ!! 全部お前に言われたからした事なのに、お前が今更、僕を厄介払いしようったってそうはいかないんだからなっ!!」

「………。ふふっ」


 柔弱で必死な態度を、鼻で笑う暁。


「アルギンにも縋られた事無いのに、貴方に縋られても気持ち悪いだけですねぇ」


 暁の右足先が床から離れる。軽く浮いた靴底が、縋りつくアールブロウの膝を小突いた。


「離してくださいよぉ。ウチ、そんなに気が長くないのは貴方だって知ってるでしょ?」

「っ……離すもんか! 僕を見捨てるつもりならお前にだって思い知らせてやる!!」

「……はーぁ」


 一際大きい、暁の溜息。

 一拍置いて、アールブロウの横っ面に暁の靴の先端がめり込んだ。

 全力ではないとはいえ、男の蹴りが入ったアールブロウの手は離れ、床に沈む。どさりと倒れ込んだ彼の姿に気付いたのはエンダが先だった。


「アールブロウ様!!」


 騎士として教育された体が反応して、思考よりも先に足が走り出す。

 視界の危うい人形に構っているよりも、仕えた王家の第三王子の方が大事だ。

 エンダの優先順位は、命の危機に遭っても変わらなかった。今となっては非戦闘員である丸腰の暁なら、二・三発蹴りを入れれば黙らせられるとも踏んだ。


 けれど。


「っ、……ぅあ、……っ!?」


 アールブロウの元へ向かうエンダの背中に、衝撃が走った。

 痛み、というより熱。燃えるような、と形容できる感覚が背中の一部分に集約されている。

 エンダが視線を少しだけ下に向ければ、今まで無かったような銀色の刃が見えた。

 それは胸を貫いている。背中を付き破った銀色は、エンダの血に塗れて濡れていた。


「……っく、……そ、なん、で」

「………」


 刺したのは――スピルリナだった。

 それまで体術のみでエンダを翻弄していた筈が、ここに来て刃を出した。刀身は騎士が使うものより長くないが、こんな武器を腰に下げていた訳でも無いのに。

 視界は暁の案内も無しには動けないのに、確実に補足されていた。

 エンダが暁に視線を向ける。彼は、やはり笑っていた。


「ウチが居る場所は確定してますからねぇ。それから足音がする直線状を追いかければ、そりゃ刺されますよね」

「………っ、が、……」


 エンダの足が遅い訳では無い。

 それを超える程に、スピルリナが速かった。

 幸い急所は外れているようだった。背中にスピルリナが張り付いている状態で、足を引きずるように歩く。

 この憎たらしい人形師に、一発思い知らせてやりたかったから。

 血が内臓を逆流して、口から吐き出される。それでも、エンダは動くのを止めなかった。


「スピルリナ」


 無慈悲な声が、『娘』を呼ぶ。


「はい、マイマスター」

「やれ」

「はい」


 命令を聞き届けるスピルリナは、躊躇いも無くエンダの背から剣を引き抜いた。

 わざと、同じ軌道を描かないように、更に大きな裂傷を付けるように乱雑に。

 引き抜かれ、先程の傷とは別の場所を貫かれたエンダは、その二撃目で床に倒れた。

 なのにスピルリナは、息の根が止まった後も刺し貫き続ける。無表情の人形の貌が、無残な肉塊を作り続けて。


「っ……エンダ……!!」


 驚愕に顔を歪ませるアールブロウ。

 その死を見届けながらも、表情を歪ませる以外をしないオルキデ。

 相対する相手が一人減った事に安心した暁は、アールブロウの腕を無理矢理掴んで立たせる。


「さて、一人減った事ですしウチらは退場しましょうか? どうも『あの人』の調子が悪いみたいなんで、診察していただけませんかねぇ?」

「やっ……、やだ!! 嫌だ!! お前、人を好き勝手使うのに、僕からの話は聞いてくれないのに!! 僕を助けようとしたエンダまでお前が殺して、それなのになんでお前に協力しなきゃいけないんだよ!!」

「はぁ?」


 声は低く、それでいて、小馬鹿にするように調子よく。


「ウチ、貴方と結んだのは協力関係じゃないですけど?」

「へ、……え……?」

「っていうか……察してくださいよ。貴方みたいな根暗で名ばかりの第三王子、まず王位継承も無理でしたから……つるんでたって殆ど旨味が無いでしょう? 貴方に出来るのは医者の真似事 だ け なんですから、利用して貰ってるだけでも喜んでほしいですねぇ」


 わざと言葉を切りながら、強調して聞かせるのは彼の利用価値。

 友人と、親友だと信じて心を許した相手から突き付けられる本音は、身も心も弱い王子の心を貫いた。


「なん、で」


 何故、と聞いてもきっと答えは同じだろう。でも、聞かずにはいられなかった。

 アールブロウにとって、それだけ存在が大きかった。二人だけの秘密だってあったのに、仲が良いと思っていたのは一方的な話だった。

 尚も言葉で縋るアールブロウに、暁は更に言葉を重ねた。


「ウチが大事なのはアルギンだけだって、ずぅーっと前から貴方も知ってたでしょ?」


 固まってしまった濃紺の髪の王子は目に涙を溜めたまま、親友と信じていた男の嘲笑を見ている。


「本当に、馬鹿なんですから」


 他の誰からの嘲りよりも、一番心が引き裂かれた。




「……あっちは、決着がついたようですね」

「………」


 オルキデの息は上がり、腕や胴に躱しきれなかった傷がついてしまっている。

 プロフェス・ヒュムネの王族としての能力を持ちながら、オルキデは妹であるマゼンタより弱い。マゼンタは次期女王だった者としての能力も持っていたので、オルキデに非は無い。

 でも、そんな彼女ですら今はカリオンに押されている。彼は息ひとつ乱れていない。


「そろそろ、こちらも時間を無駄に使っていられないと思いますが?」

「……時間、なんて。もう……今更、気にしてたって……仕方ないだろう?」

「私はアールリト様をお迎えに行かなければなりませんので。王妃殿下は夭折なさっても、国王に相応しい人物の即位は必要不可欠です。ですから」


 カリオンの剣が光る。僅かに持ち変えられて位置が変わる刀身が光を反射した。


「貴女は、最早邪魔です」

「っ……ふ。ふふっ。ヒューマンの若輩が、よくも偉そうに……!!」

「偉そう? 貴女だって姉である王妃殿下が殺されたというのに、殺した側の勢力に付くのでしょう。私が偉そうだったら貴女は薄情ではないですか?」

「……よく、言う」


 オルキデは既に、足元も危うかった。

 立っているのがやっとな程の体力の消耗と、視界にまだ魔宝石の光が残っているような影がある。

 カリオンは強い。前から分かっていた話でも、対峙してみるとまた感じ方が違う。

 勝てないなんて思いたくなかった。種族としての自負もそうだが、種族も、所属も、性差も、何もかもひっくるめて今のカリオンには負ける訳にはいかなかった。


「姉様は殺されるべくして殺されたんだ。本当はその役目はお前だったかも知れない。肉親の情はあっても、姉様は褒められる事をしていない。そして、そんな姉様に阿るお前らに、どうしても腹が立って仕方がないんだよ」

「……成程、八つ当たりですか。困った人ですね」

「せめて先代が――アルギン様が、生きていてくれたら……少しは、何かが変わったかも知れないのに」

「………」


 カリオンが息を飲んだ。

 この期に及んでも彼女の名前が出て来る。

 いつだって彼女は明るくて、人の記憶から出て行かない。あんな別れ方をしたんだから、皆の心に衝撃と悲しみばかりを残していった。

 ――でも、オルキデは知らない。

 彼女が、本当は生きている事を。


「……オルキデ様」


 今、生きていると伝えても良かった。

 そうすれば彼女は血相を変えるだろう。悲観的な事も言わなくなって、一時休戦になるかも知れない。

 でも立場は変わらないだろう。アルギンを助ける為に、ディルの元へと駆ける筈だ。そうしてまた敵に回る。


「何も、変わりませんよ。もう全てが遅すぎた」


 何も変わらない。

 オルキデをこの場所で討ち取る運命はもう決定づけられている。

 一瞬だけ寂しそうな笑顔を浮かべたオルキデは、小さく頷く。もう、弱音は吐かない。


「そうだな」


 オルキデには、伝えない。

 伝えることすら億劫になって来る。

 何も変わらないなら、何をしたって無駄だ。自分に出来る事は、生き残りを増やす事じゃない。

 だって、もう死んだ者達さえも数えきれなくなって来ているのだから。


 再び剣を構えた。次に動く時が、どちらかの生死が決まる。

 走り出したのは同時。


 決着がついたのは、五秒後。



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