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252 陽動と急襲


 オルキデからの提案に、エンダは動くのを忘れて固まっている。

 いきなりの賭けの提案に、その意図を掴み損ねていた。卓と絵札でも目の前に用意されていたなら、躊躇いは最小限になっていただろうが。

 目の赤いオルキデは、今でも目がちゃんと機能していないのだろうか。たまにエンダを見失ったかのように視点が合わなくなる。


「賭け、……です、か?」

「右か、左か、どちらかに避けろ。私はエンダのどちら側かしか狙わない。もし逃げきれたら、そっちの勝ちだ。私はエンダを殺さない」

「……貴女の腕は二本ある。左右どちらも狙う可能性が無いとは言えないでしょう」

「屁理屈だな。どちらかに避けろ、と言ったのは私の優しさだ。苦しみだって、少ない方が良いだろう? ……私は、お前を苦しめない自信はあるよ」


 華奢な体のオルキデが、屈強な騎士達を束ね隊長職を務めるエンダを前にして殺すというのも不思議な話だ。

 その華奢な体から、文字通り花が咲いていなければ悪い冗談に聞こえるだろう。

 プロフェス・ヒュムネは様々な能力を持っているが、オルキデを含む姉妹の能力は人を害する事に長けている。それを知るのは、先の戦争で彼女達の戦振りを見ている者だ。


「苦しめない、だなんて……。俺はこれまで、どんな美人とも穏便にやってきたつもりですがね? 最期の相手になるのがオルキデ様だなんて思いませんでした」


 精一杯の皮肉を、エンダは最期の言葉と決めた。


「今の私でさえ、美人の範疇に入れてくれるのだな。有難い話だ」


 それが彼女達特有の余裕だと分かっていても、死の足音からエンダは逃げられない。


 右に逃げるか。

 それとも左か。

 エンダが踏み出す一歩で、人生の幕が今すぐ下りるか後から下りるかが決まる。

 オルキデは殺さないと言ったが、カリオン達はそうじゃないだろう。

 彼女が殺さないと分かった瞬間に、きっとカリオンは剣を抜く。


 八方塞がりだ。

 命を弄ばれているような感覚に、エンダの頬を汗が流れる。

 右か。

 左か。

 迷いは、エンダが逃げられるであろう線状から二人揃ってそっと身を下げたカリオンとエイラスにも伝わった。


 その場は、エンダとオルキデのみが介入できる場面だ。

 他の者は、介入どころか背後の置物でしかない筈で。


「行くぞ、エンダ。三、二、……」


 嗜虐の笑みに揺れるオルキデの声が、突然秒を刻み始めた。

 殺されるための心の準備なんて、幾ら騎士隊長とはいえエンダに出来る訳も無い。

 左か。

 右か。

 それだけが脳内で何度も繰り返される。けれど猶予は無い。

 焦る体がどちらをも選びかけて、片方しか選べない事実に絶望する。

 片方だけ。

 エンダに選べるその『片方』は、どちらが正解なのか。

 選べと言われて選び取るそれのどちらが不正解でも、今のエンダに知る由は無い。


「一」


 猶予の最後の一秒を唱えるオルキデの、その足が動いた。

 歩幅を大きく踏み出す彼女は、初めの一歩に掛けた体重そのままの勢いで走る。

 強く、早く、エンダとの距離が詰まる。壇上に至る階段すらものともしない走りを見ているだけでは、楽々とエンダの命は刈り取られてしまうだろう。


「……っ!!」


 右か、左か。或いはそれ自体が罠で、実は両方か。

 エンダは明確な理由も出せない選択肢の中で、咄嗟に右を選ぶ。ぐっと踏み込んだ足はそのまま右側へと駆けた。


「そっちか」


 零、を数える代わりに、漏れたオルキデの言葉。

 その言葉と同時に、オルキデが跳躍した。高く飛んだ訳では無いが、もとからヒューマンと違う身体能力の持ち主だ。エンダの背の高さは余裕で越えている。

 飛び上がる体は、まるで羽を持っているかのようだった。無風の室内にも関わらず、風に乗るかのようにふわりと軽く浮かんだ姿が、この場に居る全員に捉えられる。


「――は、?」


 エンダの声が漏れるのは当然だ。最初から彼女は、右も左も狙っていなかった。

 ただ、その瞳は、高い位置から。


「――!!」


 エイラスとカリオン、二人を見ている。


 オルキデの腕が伸びる。それは先程エンダにしてみせたように、華奢な腕がエイラスに向けて直線を描く。

 ぽ、と音に聞こえる花の反応。彼女の体に咲いた緑色をした蘭の花全てが、ひとつひとつエイラスに向かって首を向けた。


「私は殺すと言ったが」


 オルキデの険しい目付きは、二人の眼前に晒されて。


「誰を殺すかまでは言ってない!!」


 既に準備が出来ていた花達は花弁の奥から、標的に向けて何かを勢いよく、幾つも射出した。

 それは男の拳よりも小さいが、人を殺すには充分な凶器。

 花から射出されたのは、固有能力で凝固した水分だった。絞り出すような勢いで花の中央から噴き出すそれが、カリオンとエイラスに向かう。


「っ、ちぃっ!!」


 舌打ちはカリオンの口から。

 咄嗟に身を屈めて退避できたカリオンは、場数を踏んだ経験で水の弾を避ける事が出来た。

 まさか自分達が狙われる訳が無いと、そう信じていたのは彼女が王妃の妹だったから。

 姉が殺されれば、妹はその仇を取ろうとするのが当たり前だと思っていたからだ。


「――あ」


 カリオンは避けられた。

 しかし、エイラスは。


 肉を抉るような勢いで叩き付ける、自分の握り拳にも満たない大きさをした水の塊の掃射に、防具すら貫通して腹を食い破られるまで動けなかった。

 叩き付ける水は瀑布を思わせ、弾け飛んだ水分が四方に散らばる。

 その水の中に、自分の血肉と思われる赤色をエイラスは見た。


「……っ、は……、? ……っか、はっ」


 何が起こったか、エイラスには理解出来ない程の速度だった。

 その最期さえ、自分の身を穿ったものが何かを理解出来ていなかったかも知れない。こぷりと胸から喉、そして口まで上がって来る血と水が首から胸、そして床を汚す。

 風穴は空かなかったが、内臓を腹から奪われて、エイラスの膝が勝手に床についた。

 倒れ伏すエイラスの瞳は、最早何も見えない。


「……あ」


 ――ミシェサー。


「み、……」


 幼馴染の名前を呼ぼうとしたが、声が出ない。

 呼んでも返事をする彼女は、自分が殺してしまった。

 指先にさえ力が入らない。床に立てた指の爪は、力無くその場に平らになるだけ。


「……、ミ、……」


 最期に、幼馴染の死に顔を思い出す。

 これは彼女に、してやれなかったことが山ほどある自分の最後の仕事なのかとも夢想した。

 無自覚の寂しがり屋で、いつも人肌を欲していた彼女に、最期に寄り添えと。


「………」


 ミシェサーは嫌がるかも知れない。命を奪った相手と共に地獄へ落ちろなどと、自分だったら嫌だと思っただろう。

 でも、そんな地獄さえも神が用意した。

 『月』に所属する副隊長として、神の采配は全て受け入れるつもりだ。どちらにせよ、ここで自分は死んでしまう。

 血溜まりに沈む体の痛みは感じない。感じるとしたら、腹が異様に熱い事と、四肢に異様な冷えを感じる事だ。


 ごめんよ。


 エイラスの口から謝罪と、特定の人物への謝罪が零れた。でもその相手はミシェサーではない。

 彼にとって特別な、大事な人への謝罪を最後に、エイラスの口は動かなくなり呼吸も止まった。


「……オルキデ、様。貴女は、最初から、このつもりで」


 カリオンの声は震えていた。エイラスが死んだ一部始終を視界に収め、彼を殺した相手へと怨嗟に似た声色で疑問を投げる。

 着地の後は平然とした態度のオルキデは、まだ本調子でない瞳を擦りながらカリオンの疑問に答えた。


「あ? ……ああ、すまないな。どうも私も、ディル様にやられた目が本調子でなくて。何やら誰かを殺した気がしたが、どうせエンダを手に掛けるお前が気にする事じゃないんだろ?」


 オルキデの体に咲いた花は、次にカリオンに向いた。

 ……彼女の体が更に細くなっているように見えたエンダが目を瞬かせる。先程までよりもこけた頬を見て、エンダの疑問は深まるばかりだ。

 その疑問は、カリオンの怒声に紛れてしまう。


「っ……!! エイラスは、私達の仲間だった!! 私の心情を理解してくれる、賢明な騎士だったというのに……!!」

「賢明? 笑わせてくれる。賢明な騎士とやらがいるとしたら、それは姉様達の企みを事前に阻止してくれた奴だけだよ。この国には一人も居やしない」


 簡単な陽動に引っかかってくれたエイラスもそうだが、カリオンも寸前になるまで気付かなかった。

 これが国の威信をかけた戦争という名の殺し合いであれば違ったろう。相手が完全に、気心さえ分からない相手だったら良かったのだ。

 慣れ親しんだ城で、友と呼べる仲の者に剣を向けた。精神的過重に疲弊している状態では判断が狂ってしまう。


 同じ国に所属する仲間を殺そうという者が、狂っていない訳が無いのだけれど。


「私もお前も人殺しだ。諦めようじゃないか、カリオン。どうせ、私達は碌な死に方をしない」

「……騎士として剣を握った日から、覚悟は出来ています。ですが」


 やりどころのない感情を剣に乗せて、オルキデへ向ける。


「私は私の信じた事までを否定されたくない。痛みを堪えなければ真の安寧は無い。そう信じたから私は、こうして立っている。……立っていられる」

「妄執と言っても良いな、その感情。お前の価値は、祖国が他種族に侵略されるのを手助けする所で見出されるって訳か……無様だな」


 二人は膠着状態となり、動けなくなる。カリオンが動けば、オルキデはエイラスに向けたような敵意を形に変えて放つ。しかしオルキデも、初撃を避けた騎士団長を相手に苦戦は必至。

 エンダも動けずに、その場に留まっていた。――が。


 エンダの視界に一瞬、布のような何かがはためいて見えた。

 黒色をした布は円状に膨らんで、視線の端に一瞬現れたと思った瞬間、無意識の内にエンダは身を伏せる。


「っは!?」


 それまで頭があった場所に繰り出された一閃を避けてから、エンダの声が漏れた。体が先に反応して、頭は二の次だ。

 風を切ったのは、少女と言っても差し支えない姿をした存在の足。見えた円状の布は、彼女が着ているバルーンワンピースドレスの裾。

 ――スピルリナ。

 暁を主と慕う人形が、害意を以てエンダに一撃を喰らわせようとしていた。



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