251 お前『は』殺さない
――王城、謁見の間。
威光に輝く筈の玉座は血で汚れ、死体が転がる惨状。
その場で切り合う騎士達は、目が潰されている者から地に伏した。
決して起きてはいけない弑逆の先に、騎士の取る行動が分かれた。
即ち、『王妃を弑した者への報いを受けさせるべき』と考える者と、『先に国家を裏切ったのは王妃なのだからその死は当然』と考える者だ。
ディルやヴァリンを殺せば終わる話でも無いが、だからと話し合いで割り切れる者達でもない。
何が正しいのかが一番分かっていないのは、城に仕える騎士達かも知れない。彼等は、自分達が主と定めた人物の為に剣を振るう。
騎士である彼等にとって、裏切り者はディル達の方だ。
対立した騎士達が斬り合って、戦況は王子派であるエンダ達の劣勢だ。
謁見の間に居るのは騎士隊の中でも幹部と言われる者達だ。そして騎士隊『鳥風月』の三隊の中でも、王子派で隊長格が残っているのは『風』隊しかいない。
『月』隊フュンフは体調不良を理由に、自分が受け持っている孤児院に引き籠っていると聞いている。義理固いあの男なら、きっとこの事態に城に来るだろうが。
『鳥』の副隊長、ベルベグは元よりこの場に居ない。もしかしたら、こうなる事を見越しての不在だったのかも知れない。
『風』副隊長、アールヴァリンは先程エンダがディルの後を追うように言った。
今、エンダの前に立っているのは『月』副隊長のエイラス。そして、騎士団最強と謳われた『鳥』隊長にして騎士団団長のカリオン。
他の騎士は、カリオンの号令と共に謁見の間を出て行った。
裏切り者たちの命を狙うために。
「……はは」
エンダの口から乾いた笑いが漏れる。
謁見の間に残っていた『風』隊幹部は全滅だ。『月』隊の者も、残ってくれた者は皆床に伏している。
倒れた味方に、息のありそうな者など居ない。
エイラスもカリオンも、懇切丁寧に敵対する全員の命を刈り取っていた。歯向かう者には容赦しない二人の在り様が、さっきまで同胞だった筈の騎士の命で示される。
「……これがお前らの望んだ騎士団の姿か。敵だったら誰であろうと慈悲無く殺すんだな?」
「敵、だからね。仕方ないよね? 私はつくづく、敵には慈悲を与えてはいけないと思い知っているから。特に君達は、これまで使えた王妃殿下を目の前で殺されても平気みたいだ」
カリオンが手にしている刃は、血に塗れている。
返り血が付いた頬を唇が歪めて、エンダを見る瞳は僅かな愉悦が滲んでいた。
「ああ、主君を失って平気な騎士は怖いねぇ」
「っ……!!」
「騎士の本分は仕える事で、主君の役に立つ事。我欲を持たず、奉仕の精神で生きる事。飼い犬さえ主に刃を突き立てれば殺されてしまうんだよ、エンダ。それなのに、君は騎士の誓いさえ忘れてしまった?」
カリオンの背後にいる、槍を持つエイラスは無表情だ。まるでかつてのディルを思わせる鉄面皮で、カリオンの口上を聞いている。
エンダは何も答えられないでいる。何と答えても、今のカリオンを喜ばせてしまうだけだ。
この騎士団長は、随分前に壊れてしまっていたから。
「……っあ、ぅあ」
エンダの代わりに声を発した人物がいた。
声の主は玉座のある壇上で、王妃であった姉の死体に取り縋って泣いている。
その瞳は光にやられてしまったらしく虚ろなまま空間を見る他は、視界に捉えらえているかどうかも分からない、胴体だけになった王妃に向いていた。
――オルキデ。緑蘭という本名を持つ、プロフェス・ヒュムネの王族の一人。
「ねぇ、さま。姉様、ああ、そんな……こんな、ことって」
『それ』が、自分の姉である事は分かっているらしい。
壇上で泣いている彼女に寄り添おうとしているのは、オルキデの妹であるマゼンタの婚約者のロベリア。
そっと隣に位置付こうとした彼女に、ロベリアは首を振って拒絶される。
「ロベリア。お前は、紫廉の所へ行け」
「……ですが、緑蘭様。今は貴女の方が」
「こうなれば、報告は紫廉にも行くだろう。……紫廉を支えるのはお前の仕事の筈だ」
顔を覆って嗚咽を堪えるオルキデの言葉を、ロベリアは頷いて承諾した。
誰かが阻害出来るような状況でも無く、使用人が使う小さな通用口から婚約者の元へと駆け出していく。
他に残っているのは暁と、その人形スピルリナ。子供のような見た目に反して重量が大人の男二人分はあるので、暁も抱いて運ぶと言った芸当が出来ずにいる。
「立てますか、スピルリナ? 一度工房に戻りましょうか」
「……あ、ぅあ、マスター。申し訳、ありません。申し、訳」
暁の問いに、不審な回答をする人形。
「申し訳あり、申し訳、マスター。申し訳ありません、申し訳ありません。マスター、申し訳」
「……いいんですよ、少し黙って居なさい」
「………」
人形であるスピルリナは、その製法は暁しか知らない。
壊れかけのスピルリナを直せるのも暁しかいない。
暁を主人と慕う人形は、彼の言葉で口を閉じる。そして体の均衡さえままならない足取りで立ち上がった。
四面を敵に囲まれている状況のエンダは、分の悪さに自分の運命を覚悟するしかない。誰に殺されるのが一番マシかと、最期の時を考える状況になっていた。
自分の死んだ後、誰か泣いてくれる女は居ただろうか――自分の素行の悪さに今更後悔しても遅い。
「……待て」
そして後悔する時間さえも終わりを告げる。
オルキデが、赤く腫らした目でカリオンを見ていた。
「下がれ、カリオン。お前が死にたくないのであれば」
「………」
低く響く声が、カリオンに命じる。
大切な人を守り切れず、目の前で死なせた憎しみは血でしか贖えないと言っているようだった。
オルキデに視線を寄越したカリオン。その瞳に温度は無く、気味の悪いものでも見ているかのようだった。
ヒトではない癖に、嫌にヒトに近しい心を持っているプロフェス・ヒュムネは、カリオンに取って奇妙な存在でしかない。オルキデが姉を思う気持ちは、どうせ同族にしか与えられない想いだが、自分以外を慈しむ心をカリオンは置き去りにしてしまった。
「承知しました」
カリオンは快く、エンダを害する役目をオルキデに差し出した。
差し出された側は、表情を青く染めてオルキデが居る方角に身構える。カリオンに背中を向ける形だが、その背を狙われる心配はもう無い。
抗っても、エンダでは勝ち目のない種族だ。力量の差は、先の戦争で嫌と言うほど思い知った。
きっと、彼等が本気を出してエンダに襲い掛かれば、その体は五分と持たない。
何故か本能に近しい部分が感じ取っていた。
それはまるで、『一度経験している』かのように。
「っ……!?」
エンダの肌が粟立った。
身に覚えのない直感が背筋を駆け抜ける。
恐怖というだけなら、確かに力量の違いに慄くエンダは確かに居る。
しかし、それだけではない恐ろしさが確かにあった。ふらりと身を傾げさせながら立ち上がる、同族ではないオルキデの姿を通してエンダは何かを見た。
自分がプロフェス・ヒュムネに殺される姿を。
「エンダぁ……。私は、私はどうすればよかった。姉様もマゼンタも、私の話を聞いてくれないんだ。……かつて故郷が滅ぼされたような、地獄を繰り返すのが私達のやるべき事だったろうか? なぁ、エンダ、姉様を失った私は、今更何をすればいいんだろうなぁ?」
「……それ、俺に言われても困りますね。その道を選んだのは貴女方プロフェス・ヒュムネでしょう? 俺達は、滅ぼしてくれって、地獄を見せてくれって頼んだ訳じゃない」
「私は選んでない。私はアルセンを気に入っていたよ。普通に暮らせば楽しい国だ。……私以外が許さなかった。この国が祖国の仇だと、ずっと繰り返す奴等に教育を受けた妹は特に……」
オルキデが、自らの両腕を抱いた。
身を縮め、体を丸めるように、己の力不足を嘆いている。
姉が死んで、妹は病に伏して、残されたオルキデは自身の立場に苦しんで。
「私がどっちつかずだったのが、悪かったのかな。ずっと今のまま、何も変わらず、って思ってたのが駄目だったのか。皆との関係を壊したくなくて、ずっと黙ったままだったのもいけなかったのだろう。私は、自分で思っていたよりもずっと臆病だったよ。今でさえ、誰が、何が正しいのか分かっているのに何も出来ずにいる」
「……正しい? まさか、この期に及んで王妃殿下が正しかったとでも? 確かに、貴女方プロフェス・ヒュムネにとっては正解以外の何物でも無いんでしょうが――」
「違うんだ」
腕を抱いていた華奢な手は、頭を抱えるように位置を変える。
髪の中に指を差し入れ、ぐしゃりと掴んで離れた。軽く握られた指が、彼女の眼前に寄せられる。
「この国の在り様を無理矢理変えようとした姉様は、間違っていた。でも、マスターだって、……ディル様だって、姉様を殺すなんて間違っていた。もう、誰も間違っていない者なんて居ないんだよ。最初っから、二十年前から、全部間違っているんだよ。間違ってない者なんて、居るとしたら、それは」
オルキデの手には、何かが握られていた。
「もう、死んだ者だけだ」
その『何か』が、オルキデの唇に乗った。小さな種のようなものが、唇から中に転がって入る。こくり、と飲み下す音がした後は無音に戻った。
静まり返った謁見の間で、エンダの冷や汗が流れる音が聞こえるような錯覚。これから何が起こるのか、『風』隊長と言えど予想がつかない。
空っぽになったオルキデの手は、再び自身の腕に沿って這う。
その腕が通り過ぎた腕は服の下で、およそ通常の動きでは不可能な蠢きを見せていた。
「――あ」
彼女の纏っている即位式に臨むための正装は、彼女の出身国であるプロフェス・ヒュムネの国『ファルビィティス』の民族衣装だ。
体の前方で布を重ねる寛衣型のそれは袖も緩く仕立てられているが、その緩さを以てしても中の質量に耐えられない動きをしている。腕の次は肩、そして背中までに広がった蠢きは彼女の服を破る。辛うじて僅かに繋がった服から飛び出しているのは、オルキデの本名と同じ――緑色をした蘭の花。
「みにくい、だろう」
オルキデの囁きは、エンダに届く。
腕、肩、背中とあちこちに花を生やした彼女の姿はヒューマンでは有り得ない。
「私は、私の姿が嫌いだ。どうしても、同族達のように自分を美しいとは思えない。……私がこの姿を取る時には、な。必ず、誰かが死ぬんだ。私が、殺すんだ」
「……死にたい者ばかりではなかったでしょう。貴女の意思で殺された者達は、その言い草を受け入れるでしょうか」
オルキデの足は動かない。
エンダを見据えたまま、瞳も体の向きも揺るがない。
それなのに、その視線に捉えられながらも奇妙な感覚に襲われているのはエンダだけじゃない。
「……私は、私が間違っていると分かってるよ。でも私は、自分の行為を誇りたい相手がいるんだ。……誇った所で、聞いて貰える訳もないのに」
オルキデが浮かべたのは、笑顔。
花に囲まれた彼女の綻んだような笑みは、すぐさま異質なものへと変貌する。
「間違ってしまった私達が。……私が。今更償えるでもない罪を雪ぐには、何をすればいいんだろうか、って。……考えて、考えて、でも答えは出なかった。なぁ、エンダ」
笑顔の消えたオルキデの瞳は、エンダを映していた。
まるで衝撃を耐えるかのように、足を軽く開いて堪えるような姿勢を取ったオルキデ。
「賭けを、しないか? 私に勝てたら、お前は殺さない」
両の掌までもが、まるで空から落ちて来たものを受け取るかのような形でエンダに示された。
腕にある蘭の花すべてが、彼を狙うが如く花弁を向けている。