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247 連鎖は当たり前の顔をして




 ディルが上空へと投げた魔宝石は、足元に落ちて来ても暫くの間は光を失う事は無かった。

 暴力的な光が落ち着く前に、ディルはテラスから離れる。魔宝石がテラスに落ちて音を立てると同時、開いたままの廊下の入口を目指して走った。

 硝子張りでテラスが良く見える廊下から、陰になる部分を探して辿り着くとやっと目を開けられる。

 背中側から感じる光はまだ強いが、そのお陰で追手も無い。

 敵に回る実数をディルは計算できていないが、馬鹿正直に全員を相手にする気も無かった。

 自分に課せられた、最初の行動は終わった。次の目標に何を選ぶかで、ディルの行動が変わる。

 王妃は弑した。しかしそれで終わるなら、地震さえも無かったろう。この先何が起こるかが分からなくて、次の目標を選びきれないでいた。


 妻の奪還に回るには早すぎる。

 城内の敵性勢力がどれだけ居るか分からない。妻の身を案じるなら、城を完全に制圧してしまった方が良い。彼女が先んじて害される事はないと踏んでの話だ。

 誰が敵に回って、誰が味方なのか。全員斬り捨てても良いが、それではいかなディルとはいえ体力が持たないし新たな禍根を生むだろう。

 ち、と音を鳴らした唇。気持ちだけが逸って、選択を誤らないようにするので精一杯。


 誤った選択。それは即ち、皆殺し。

 全て殺してしまえば、もうそれ以上の思考は不要。

 誰も彼も血溜まりに沈めた所で、やっと妻を迎えに行ける。


 何より、暁を殺さない事には妻を奪還出来ない。


 そう考えていた所で、ディルを呼ぶ誰かの声に気付いた。


「ディル! ディル、おい!!」


 聞き馴染んだ、ディルを呼ぶ声。

 声の主は側まで来ていたのに気付かなかった。それだけ深く考え事をしていたのだが、彼が側に来ても違和感を覚えない自分に驚いた。

 濃紺の髪を持つ、王子騎士。走って来た彼は荒い息のままディルの肩を掴んだ。


「ディル、大丈夫か! 連絡用の魔宝石使ったんだろ、ここまで何も問題ないか!?」

「……」


 他の者であれば鬱陶しいと、手を振り払っていただろう。

 もしかすると相手がヴァリンでも、半年前はそうしていたかも知れない。

 心境の変化に一番驚いているのは、紛れもなくディルだ。

 妻以外はどうでもいいと、確かに昔は思っていたのに。


「問題は無い。此処まで、我等の計画通りだ」


 そしてディルはヴァリンを振り解かないまま、簡潔に答えた。

 ヴァリンは安堵したように息を吐く。


「汝こそ、謁見の間を出る時に無理をしたのではないかえ」

「……隊長が、残ってくれたからな」

「エンダが?」

「隊長が稼いでくれた時間、俺には無駄に出来ない。次行くぞ」


 ヴァリンが来たなら、その判断を任せられる。

 ディルは頷いて、指揮を委ねることにした。今はディルの思考が野放しにされている方が危険だ。

 行くぞ、と言っても次の目的地を話さない王子騎士の背中に付いて歩く。もう、魔宝石の光は消えていた。

 テラスが見える廊下の天井に向かって、ヴァリンの瞳は向いている。


「あれ通る」

「……」


 二度と通らないだろうと思っていた、ヴァリンの部屋へと続く隠し通路。

 暁の部屋までの道筋を覚えるために、ミシェサーと共に進んだ道だ。

 今は普通の天井のように封じられて隠されている出入り口を、ディルは黙ったまま見上げた。


「どうした、お前も初めてじゃないだろ」

「二度目ではある、が……。以前は中から細工を外していたように思うが?」

「俺の部屋から入った時はそれしか方法が無いからな。王家の隠し通路が、王家の人間に使えなかったら意味が無いだろう?」


 何を当然な事を、と言いたげなヴァリンは己の胸元に手を差し入れた。

 服の間から出てきたのは、掌に包まれた灰色の小石だ。庭先で拾ってきたような、何の変哲もないその辺に転がっていそうなもの。

 王子であるヴァリンが持つには不自然なそれは、彼の手によって投げられる。ディルが記憶している、隠し通路がある場所に当たった。跳ね返される石はヴァリンの足許に戻って来た。


「今投げた奴はあれでいて魔宝石だ。近付くなよ」


 それまでディルは必要最低限しかヴァリンの側に近寄っていなかったが、忠告の言葉をそのまま取って動かずにいた。

 石が当たった部分の天井が、隠し通路の入口の形に四角く浮いて来る。天井なので、この場合は沈む、なのかも知れない。

 ガゴッ、と石が動く硬質な音がしたと思ったら、次の瞬間にはその四角い部分が音を立てて床に落ちた。大きな破片が飛び散るが、ヴァリンに向けて飛んだ破片は一つたりとも無い。

 ぽかりと口を開いた天井は、いつかにディルが通った道そのものだった。


「ま、隠し通路って言ったって、そこそこ動ける奴じゃないとここのは通れないんだけどな」


 言いながらヴァリンはその場に後退った。視線は隠し通路に向いたまま、二歩、三歩、四歩。

 五歩目を数えるヴァリンは、開いた距離を全て助走に使う。短い距離だったが、上に隠し通路がある場所故に他の場所よりも天井自体が低かったお陰もあり、ヴァリンの身体能力ではそれで天井に手が付いた。

 ヴァリンの手が届いたのは、隠し通路の入口。両掌が入口の端を掴むと、腕の筋肉で体を持ち上げてそのまま中に滑り込む。


「っ……、ぐ、……っうう! はー、……久し振りに飛ぶと高いな。もういいよ、お前も来い」


 多少苦戦したような言い方をしながらも、一切の難無く隠し通路に入れている。

 次はディルの番だと、下を覗きながらヴァリンが呼ぶ。ディルは、入り口を見上げたまま動かない。


「……どうした?」

「其処に居られては如何にも出来ぬ。下がれ」

「うん? ……うん、分かった」


 飛び上がれないのなら手でも貸してやろうかと思っていただけに、ディルの冷たい言葉には少し不満を覚えながらも下がる。

 狭い隠し通路の中を一歩躙りながら下がると、その瞬間に縁を掴む白い手が急に現れた。


「ふへっ?」


 驚きで漏れたヴァリンの声は、それはそれは情けないものだった。

 助走の音も聞こえず、余りに静かな跳躍。

 それなりに整えたらしい角ばった爪の形を、入り口からの光だけで見ているうちに、鮮やかな体捌きで軽々と中に入って来るディル。長い髪すら邪魔にならないとばかりに、柔らかい銀糸は動きに合わせてディルの都合よく動いた。


「……お前、本当化け物だよな」

「ふん」


 それは蔑むための言葉でなく、寧ろ逆の意味を持っている事はディルにも分かる。

 素直になれない年下の王子騎士は、苦笑しながらまた別のものを服の中から出した。

 今度は乳白色の宝石だ。小粒なそれはヴァリンの小指の爪ほども無い。

 魔力解放の単語を呟くと、それは淡い光で周囲を照らした。ディルが使った合図用の宝石よりもずっと穏やかな光だ。

 光が漏れて存在を気付かれた所で、気付いてくるような者達は全員が敵だった。だから光の使用は問題ない。


「今からの方針を言うぞ。最初に、ミシェサーの生死を確認しに行く。多分もう手遅れだろうが、万が一間に合った時は助けてやりたい」

「そうか」

「次に、外から来るアイツらとの合流。セズミオにはアイツらが来次第集合場所を伝えろって言ってある」

「集合場所? ……我は初耳だが」

「仕方ないだろ、俺達は色々後手に回ってるんだからな。先手取れたのなんて、お前が王妃殺した事くらいだよ」


 二人は進み始める。何処へ、とヴァリンは言わなかったが、ディルの記憶が正しければヴァリンの部屋に行かない道筋だ。

 何処に繋がっているかも分からない通路を、心許ない灯りに沿って歩いていくと、一回通っただけでは分からなかった道のあちこちに走り書きがされているのが見える。


 『2.4.31』


 『5.1.64』


 『6.26.24』


 『12.22.17』


 幾つかの数字の羅列であるそれは、ディルが見ても意味が分からない。

 歩きながらもヴァリンは、後ろに付いているディルがその数字に気を取られたのに気付いたらしく苦笑を浮かべた。


「この隠し通路な。子供の時は、よくここで遊んでたんだよ。他の奴等が気付かない場所とか、子供には恰好の遊び場だったから」

「……一人で遊ぶには、些か広すぎる気もするが」

「こういう陰気な所で遊ぶのは俺くらいなものだったからな。でも、リトはよく付き合ってくれたよ。……リトは、このアルセン王家の一員になるべきじゃなかった。でも、あいつが妹として城にいてくれたお陰で、俺は王子でも寂しくなかったんだろうな」


 進む道の先に、床から僅かな光が零れているのが見えた。

 階段のような段差や勾配を通った覚えは無いから、階数としては二階。何処に出るのか、ディルが不思議そうな顔をする。

 城内はどうなっているのか、ディルには今すぐ確かめる術が無い。この光の元へと降りた先が何処かも分からなくて、情報の足りぬ現状ではヴァリンの行動を頼るしかない。

 先程のように、石を当てて通り道を作るのではなく、今度は床板を外す。下の部屋にとっては天井なのだが、ヴァリンの手によって難無く外れるそれは横に置かれてもう見向きされない。先に下へ降りたヴァリンを追うように、続いてディルも身を滑らせた。




 ――その頃。城内にある、客室。


「………っ、は、ぁ。あ、あぁぁうううううううっ……」


 病を理由に隔離状態にある、一人の女の姿が寝台の上にあった。

 側に仕えている長い黒髪の男は罹患していない事から、伝染病の類では無いと理解されている。

 しかし、彼女――マゼンタの姿は、異様だった。


「っあ、ぅぁああああ、………ろべ、」


 嫌な顔一つせず、変わり果ててしまった彼女の側に居ることが出来るのは名を呼ばれたロベリアだけだった。でも、彼は今側に居ない。

 生き物としての姿はなんとか保てているものの、元々の種族がプロフェス・ヒュムネである事が災いしているかもしれない。

 城の中に広がった、正体不明の病の一番の被害者はマゼンタだった。直接薬品に触れた手から始まった緑色の汚染は、半身の肌を染め上げた。そして次は、足が制御できなくなった。

 プロフェス・ヒュムネは能力の発動で、その形を植物へと変える。体に植物を宿らせる者、体内体外問わず花を咲かせる者、植物を操る者、植物に縛られない能力を保有する者。

 マゼンタの能力は、他の者に比べて異質だった。そのせいか、薬の影響を強く受けてしまった。

 マゼンタの足は、発病したその日から幹のような太さと質感を得たまま戻らなくなっている。

 広い寝台を埋め尽くす、巨木の幹。それは今、城を空へ押し上げている大樹のひとつのような。


「ろべ、ぅあ。……あ、うあああああ」


 ――大丈夫ですよ、紫廉。僕は側に居ますから。


 いつもだったらそう言って寄り添ってくれる彼が、今に限って居ない。

 謁見の間で、次期女王の即位式に出席しているのだ。

 本当だったらマゼンタも参列するはずだったのに、体が言う事を聞かない。


 マゼンタは、プロフェス・ヒュムネが住まう国――ファルビィティス――での次期女王だった。

 それは彼女が、己の命と引き換えにして次なる『母樹』へと成る可能性を持っていたからだ。

 ファルビィティスに存在していた母樹は、およそ十年に一度だけ王族と呼べるプロフェス・ヒュムネを生む。他種族と血が混じる事で発現する葉緑斑を持たない存在だ。

 確実性が薄いために、可能性を実行する事は後回しにされてきたが――その身に危機が及ぶとなれば、話は変わって来る。

 婚約者であるロベリアとの子を産む前に、マゼンタが母樹となれるかどうかの検証が始まろうとしていた。

 ロベリアも、マゼンタも、納得していない。だが同族の未来の為に必要な犠牲だと言われてしまえば、滅びた国の復讐の為と教えられて育って来た二人には抗うなんて難しい。

 最愛の人との離別が、己が身に降りかかる。

 二人で過ごす少ない時間は、他者の来訪で阻害された。


「マゼンタ様!!」


 それは同胞であるプロフェス・ヒュムネの男だった。

 マゼンタが喧しさを厭って睨みつけるように彼に視線を向けると、一瞬怯んだ彼は間をおいて報告を始める。


「謀反です! 謁見の間にて、反逆行為が確認されました! 騎士の大多数が反旗を翻しましたが、首謀者はディル様とアールヴァリン殿下の模様!」

「……え?」


 報告を受けたマゼンタは、それまで唸っていた声さえ止めて短く聞き返す。

 ロベリアは、あの二人からは反逆の意思なしと報告を受けていた。彼が持つ能力での『占い』にはそう出たと。

 しかしロベリアの能力である『占い』は、未来を完全に見通すものではない。ディルの答えに不確定要素を見ても追求しなかったのは、マゼンタが今の状態になってしまって、全てがどうでも良くなった――という彼の本音もある。

 報告はまだ続く。


「その折、ミリアルテア様が弑逆されたとの事です!!」

「……しぃ、………ぎゃ、……?」


 声は、マゼンタのものだ。しかし本人さえも自分の者かと疑うほどに不安定な声になってしまった。

 報告に来た男が、寝台から起き上がる彼女の姿に息を飲んで後退った。

 腕を立てて起き上がる、その髪が乱れている。まるで夏に生い茂る樹木の葉の様に。


「マ、マゼンタ様……!! 起き上がっても大丈夫なのですか!?」

「……ねぇ、さま。……は……? しい、ぎゃく、って。……どういう、こと」


 状況確認で起き上がっただけなのに、同族である報告役の男の体から震えが止まらない。

 それはまるで、自分達の末路のようで。

 何も語らぬ植物になる為の途中経過。

 意思疎通さえ出来ない植物になったのなら、それは死んでいるのと同じなのではないか、という道の恐怖。


「……マスター、が。ディルが、姉様を、……ころし、たの? あの、恩知らずが……?」

「っあ、は、はいっ!」


 声は震えている。聞き取れる程度に声を張ると、どうしても不安定な声色になってしまうらしい。

 報告役の男は大きく頷きながら、マゼンタの言葉を肯定した。


「……ゆる、さ、……ない」


 病に伏している間に、姉が殺された。


「……ディル、あいつ……、アルギンさん、死なせただけじゃなく……姉様まで、殺した」


 ディルの側に居ると、凶事が起こるばかりだ。誰も幸せにできない男がまたひとつ、マゼンタの大切なものを奪っていく。

 マゼンタだって奪ったものがあるのに、それを棚に上げて憎しみを抱いた。


「……出るわ。私、出る。ディルだけは、殺す。あの男、もう、ゆるさない」


 それまで突っ伏していた寝台から下ろすのは、幹となってしまった足。既に歩くという行為ではなく、幹を引きずって移動する異種族の動きになってしまった。

 ずる、ずる、と音がする度に絨毯の上を木の根が蠢く。緑色が混ざった肌に纏っているのは、夜着のような薄いものだ。もう、こんな体では幾ら布地が薄かろうと誰も興味を持つまい。


「……」


 きっともう、ロベリアさえも触れてくれない。

 触れる為の体ではなくなってしまった。子を成せる体でもなくなった。

 今はもう、復讐さえ叶えば死んでしまってもいいとさえ思っている。


 扉に控えていた報告係さえも怒りに燃えるマゼンタを留められない。

 その足取りは病人らしい遅さだったが、その歩みには復讐を実行しようとする重さがあった。



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