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239 反逆の狼煙は死を以て上がる



 首が飛ぶ瞬間は、それが突然かつ一瞬のことであれば、飛ばされた首にも意識があるという。

 自分の視界も奪われ、声も出せず、意味の分からない衝撃を受けたミリアルテアの脳裏には、自分の腹を痛めて産んだ娘のことが思い出されていた。


 娘の父親は、自分の伴侶である国王ガレイスではない。

 ガレイスと出会った時には既に、アールリトは腹に居た。


 ミリアルテアがまだ『ミリア』だった頃に、アールリトの父親と出逢った。

 始めは何の悪戯かと思っていたら、どうやら本気で求愛されているようだった。

 世界を知るという名目で自分の住んでいた国を出て、やっと国の小煩い年寄り共から離れられた、と思っていた矢先の出来事。自分だけで生活を回していくのも楽しかった。

 だから最初は、また誰かに縛られる生活を送るなど考えられなかった。


 優しい男だった。

 ミリアやミリアの仕事の雇い主以外には適当だというのは後から知った。

 器用な男だった。

 ミリアが働いていた食堂で、報酬も無しに時々手伝うようになった。それもミリアの顔を見たいがためだったようだけど。

 情熱的な男だった。

 その熱量に次第に焦がされていったのはミリアだ。

 ――気付けば、愛していた。

 彼と住まいを同じにしたのは、彼と未来を生きていたいと思ったからだ。


 彼の側から離れたのは、故郷の滅亡を聞いたからだ。

 国は滅ぼされ、姉である女王も殺された。王族である妹達の所在は不明。

 今すぐに、祖国の状況を知りたいと思った。同胞は今、どんな仕打ちを受けているかも分からない。

 けれどミリアには、即決できない理由があった。

 愛した男の存在と、まだ伝えていない腹の子の事だ。


 ――ねえ、聞いた? 帝国の軍が、ファルビィティスを落城させたんだんだそうよ。


 ミリアが話を切り出した時の事。

 彼には自分がプロフェス・ヒュムネである事は伝えていない。

 言わなければ分からない話だった。王族であれば、見た目はヒューマンとさして変わらない。


 ――帝国の攻勢、いつまで続くと思う? アルセンだって友好国が落ちたなら劣勢よ、そしたら次に帝国が目を向けるのは、この国かも……。


 子供が産まれるとなると、話は別だった。

 純血のプロフェス・ヒュムネでない者は、体に葉緑斑と言われる緑色の色素が出る。大半は肌に出現する色素だが、目だったり髪だったりに出現する者もいる。

 そもそも、最初から異種族同士の恋愛だと分かっている。アクエリアの返答で、今話すべきかを決めようとしていた。

 自分はヒューマンではない、と。

 プロフェス・ヒュムネの王族なのだ、と。


 ――どうしたんです、ミリア。確かに、ファルビィティスの話は噂になっていますね。ですが……。


 ですが、の続きをミリアは期待していた。

 今まで二人の間で大きな話題になった事もない国だ。けれど彼にとって何かしら思う所があったなら、自分の正体を明かして、祖国の話をしたいと思っていた。

 自分は王族で、祖国が心配だと、同胞が苦境に立たされているのに何もしない訳にはいかないと。


 貴方と一緒に、祖国の為に出来る事をしたい、と。


 ――もしそうなっても、貴女だけは俺が守りますよ。


 伝えたかった言葉が、ミリアの喉から引っ込んでいったのが分かった。

 アクエリアにとって、一番大切なのはミリアだというのは以前から分かっていた。

 これまで何も話さなかった自分が悪いと強く思うになったのは、彼と離れてから。

 今まで縁の無かった国の話を持ち出されても、アクエリアは困惑するだけだったろう。

 けれどこの時、ミリアは別の言葉を欲しがった。身勝手だと分かっていても、続いた言葉には失望が浮かんでしまったのだ。


 ――俺の傍に居る限り、貴女を危険な目には遭わせませんから。


 アクエリアの傍に居ると、自分だけが安穏とした場所で暮らす事になる。

 優しくて、あたたかい日溜まりの中で、同胞の苦悶の声が聞こえない場所で死ぬまで過ごす。

 小さい頃から王族としての最低限の教育は受けている。その最低限が、芯から一般の世に染まる事を許さない。

 民あっての国だ。

 民は祖国を離れても生きていられるけれど、その国が他国に滅ぼされたとなると話は違うのだ。今この瞬間でも、祖国を奪われて苦痛に苛まれる同胞が居ることだろう。


 ミリアはその時点で、アクエリアとの未来を諦めた。

 祖国とアクエリアを天秤に掛けた時、その質量の重さに祖国の皿が下に付いてしまったのだから。

 自分ひとりだけ幸せになる訳にはいかない。

 民を差し置いて得た幸福はきっと、未来の自分までを苛むだろう。


 『自分だけ』と思う心を、きっと『私』が許さない。


 顔を見て別れを告げられなかった。

 最愛の人はきっと、何をしてでも引き留めて来るだろうから。




 彼の元を離れ、同胞の生き残りと合流し、祖国の滅亡に裏がある事を知った。

 友好国であった筈のアルセンが祖国を裏切って、女王を殺したという。

 怒りに腸が煮えくり返る思いを抱えたまま、闇に紛れてアルセン王城へ忍び込んだのはすぐの話。

 殺そうとした国王は狡猾で、保身と命乞いを巧妙な提案にして持ち掛けてきた。


 『我が妻になれ』


 『其方の守りたいものは、同胞だけではないのだろう?』


 感情の機微には疎い愚鈍な男だったが、人の弱みを見つける観察眼には優れていた。

 指に愛する人から貰ったままの指輪を付けていたのは、死装束として彼の愛を残したかったからだ。

 生きて帰れるとは思っていなかった。復讐に身を窶すのだ、誰かを手に掛けるのだから死ぬ覚悟くらいして当然だった。

 なのに国王は、全てを見透かした顔で提案を持ち掛けて来る。

 同胞の保護と、既に身柄を預かっているという妹達の身の安全の保障を材料に。


 世界は一変した。

 嬉しい事など、たったひとつを除いて何も無かった。


 ただひとつ、嬉しいと心から思えた事は。

 愛する人の血を継いで生まれて来た我が子が、愛する人と同じ外見要素もひとつだけ引き継いでくれたことだ。

 国王の耳とも違う、王妃の耳とも違う、エルフ程ではないが耳介部が伸びている異種族の耳。

 生まれて一年ほどでその耳も、とある人物により意図的に切除されてしまった。

 それでも娘は生きている。生きて、愛した人との想いの結晶として生きていてくれる。

 いつか、娘に話せる日が来るのだろうか。

 自分が誰の子で、どうして生まれたのかをちゃんと伝えられるだろうか。

 その時に娘は、実父の事を知りたがるだろうか。会いたがるだろうか。

 今の立ち位置とそぐわぬ自分の出生を後悔したりしないだろうか。


 母からの愛を、疑ったりしないだろうか。

 母は貴女を愛していると、ちゃんと自分の言葉で伝えられるだろうか。


 アクエリアと過ごした日々を忘れる事など出来なかった。

 忘れようとした。二度と戻れぬ日々だと、未練を断ち切りたかった。

 けれどあの時間も自分を自分たらしめるものだ。同時に、彼と過ごした大切な時間を犠牲にしても、同胞を案じる心を殺す事は出来なかった。

 誰かへ向ける恋情のみで生きようとしなかった女だ。

 自分の未来や希望を捨ててでも叶えたい世界があった。

 その点は――ディルの妻と、似ていた。


 決定的に違うのは、彼女は愛の為に自らの命や未来を捨てた。自分は、同胞の為に命を捧げるつもりだった。

 あの女は、嫌いじゃなかった。きっと立場が今と違えば、友でありたい望んだと思う。

 直向きに誰かを愛し、太陽のような輝きで人を照らす。一途にディルを想い、結ばれ、そして死んだ。

 自分には出来なかった生き様を羨み、実行できたことに嫉妬し、彼女のように、自分に素直になりたいと思った。

 自分と比べて、彼女は綺麗すぎた。汚れた手を持ちながらも、素直に誰かを愛し、その愛に殉じる事が出来るひとだった。

 彼女の様に、綺麗でありたかった。


 彼と――アクエリアと共に在った時間の綺麗な思い出は、自分が汚してしまったけれど。


 ミリアルテアの後悔は、いつまで時間を遡れば消えるだろうか。

 二十年前までとは言わない。そこまで戻れと願うには、ミリアルテアの犠牲にしてきたものが多すぎた。

 もし綺麗な形でアクエリアと離れる、後悔の残らない世界になる奇跡が起きたなら。

 その時は、きっと、今とは違った形で――。




 ミリアルテアの後悔に塗れた走馬灯は、そこで途切れた。

 跳ね飛ばした首と離れた胴体が、腹の短刀を引き抜きながらのディルの蹴りで後方に吹き飛ぶ。

 断面から水飛沫を上げて転がる死体は、玉座をも濡らした。びくびくと痙攣する胴体は、次第に動かなくなる。

 王妃の呆気ない最期を見届けられた者はごく少数だ。見開かれた目が色彩を無くす首さえも、己の胴を見る事は最期まで叶わなかっただろう。


「――親愛なる王妃殿下。我は言葉の通り、忠誠を『アルセン』へと捧げた。嘘偽りのない我が本心は、此の国の怨敵を滅殺するに至る」


 王妃の血は、種族特有の水のような液体だった。無色透明、香りもしない。刺激的な赤色でないそれは、ディルの精神を必要以上に高揚させない。

 王妃の身から噴き出した液体を頬に浴び、滴るそれを袖口で拭う。手にした短刀と剣の二振りが纏う水を乱雑に振って落とす姿は、視界を奪われている者は見ることが出来ない。

 代わりに、光に眩んだ視界の中でディルの怨念籠った声を聞くことになる。


「我は人形としてではなく、ヒューマンとして貴様の敵となる。プロフェス・ヒュムネ、貴様はアルセンに必要ない。弱い種族を軽んじ選別を図る貴様等には、此れ以上アルセンの空気を分け与える事すらも惜しい」


 かつて騎士隊長として神官騎士の頂点に君臨した、銀色の『月』の言葉。

 既に聞くことも出来ない王妃へと、死しても尚繰り返される呪いを紡ぐ。


「――我が名はディル。我が妻が呼んだ此の名をその魂に刻むが良い。成れば我は貴様等を地獄へと送り届けよう。神の救いは望まぬ事だ、此の世界に神は既に居らん。神の見捨てた地にて、侵略者へ国を譲り渡そうとした者共も相応の報いを受けよ」

 

 再び剣を構えるディル。

 その瞳には殺意が滲んでいた。これまで隠し切れずとも耐えていた、全てに向ける憤りも湧き上がる。

 この負の感情を晒すのに、今更誰に遠慮する事もない。


 賽は投げられた。

 この先ディルには二度と平穏は訪れないだろう。

 それでも構わない。この醜い動乱の先に、妻の笑顔があるのなら。


「其れでも何かを求めるというのならば、死して迎えに来るであろう死神に恩赦を陳情するのだな」


 ディルの行動動機は、ただそれだけだ。



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