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 ――王城、応接室。


 割り当てられた部屋で、ディルは寝台を使わずソファで横になっていた。

 広い寝台が落ち着かないのもあるが、時折感じる微細な揺れに逐一反応してしまって眠りが浅いのだ。

 かた、と物が揺れる音に毎回反応して、毎度おかしな夢を見ては起こされる。

 睡眠が足りていないのはいつものことだが、こうも地震が多いと迷惑だ。

 眠る時に胸の上に置いた、妻が残した短剣をその都度擦って眠りに落ちようとするも、その時ばかりは眠る事が出来なかった。寝ようとしても、別の理由が阻害する。


 廊下の外から、入室許可の打音が聞こえた。

 まだ夜も明けきらぬ、早朝の時間だった。


「起きている」


 こんな時間から何の用だ、なんて――聞くだけ馬鹿を見る。

 ディルに幼児のある者といえば王妃の使いか、ヴァリンの伝言か、そのどちらかしか無いのに。

 扉を開いて入ってきた男は、白と深緑を基調にした隊服を纏っている。引いて来た車輪付きの配膳台には朝食らしい皿と茶器が乗っていた。


「おはようございます、ディル様」

「……早すぎるとは思わぬか?」

「ディル様は朝が早いとお聞きしていましたので……」


 隊服を着ているからには、騎士なのだろう。誰から聞いたと聞き返すのも野暮な話で。

 妻の短剣を傍らに置き、ソファから身を起こして足を下ろしたディルは、それだけで座る体制になる。寝間着にしている黒の上下揃いの服を見ても、騎士は表情を変えない。


「既に御起床されていらっしゃるかと思い、『業務連絡』に参りました」

「……」


 給仕の真似事をするその男は、ヴァリンの子飼いの部下の一人だった筈だ。

 合計三人いる腹心のうち一人で、ディルは名前までは覚えていないが小間使いに奔走させられている姿ばかりが思い出される。

 男としては長い、肩辺りで一つに結んだ髪。その毛先は左肩に流されている。


「まずは一つ目。副隊長より預かりものがございます」

「預かりもの?」


 紅茶を注いだ茶器をテーブルに置いた彼は、その隣に小さな布袋を置いた。テーブルに乗せた時に、袋の中から硬質のものがぶつかり合うような音がする。

 ディルが先に手に取ったのは布袋の方だ。中を開くと、透明感のある白色の宝石が幾つも入っていた。大粒で、光の加減で青み掛かった輝きが現れる。

 よく確認すると、中に入っている宝石は白色だけではない。赤、青、黄、黒といった、宝飾品に疎いディルでも名前を知っているような宝石ばかりが入っていた。

 それらはヴァリンが金に物を言わせて買い漁った魔宝石。今は食料品の高騰で価値が下がっているから、方々の伝手を辿って手に入れたものだった。価値が下がっているとはいえ、これだけのものを買い付けるには相当散財した事だろう。彼のディルに賭ける期待と願いが、とても有難くて重い。


「使用法はご存知でしょうか?」

「……見当はつくが、聞いておくか」

「恐らく、御想像の通りだとは思いますが……対象に向けるか、投げるかの後に、魔力解放の文言を口にして貰えば発動します」


 こういった小細工は好まず、自身の剣に付いている魔宝石のみを酷使してきたディル。使用法を改めて聞いて、袋の中のひとつを指先に取ってみた。

 輝きも美しく、装飾品としても一級品の代物だ。もしこれがそのまま妻の髪に飾られても美しく映えるだろう。

 宝石の輝きに、妻を重ねて見た。もうすぐ逢えると思うと、ディルの胸に甘い高揚感が蘇る。遥か昔に妻が教え、時間が解決する以外の解放する手段も教えられず持て余したまま忘れ去ったと思っていたもの。


「ただ、この合図用に使用される白色の宝石には少しだけ……あの方が、趣向を凝らしていらっしゃいまして」

「趣向? ……あの者の趣味は我にとって疑うべきものが多い。あまり聞きたくない話だが」

「それでは困るんです。……『魔力解放の文言は名前を呼べ』と、ヴァリン様は注文を付けていました」

「……名前? 何の」


 目の前の騎士は、少し困ったように笑ってみせた。

 それは、自分が口にしていい名前かを迷っているようで、沈黙も迷いの分だけ長引く。


「……元『花』隊長の御名前です。貴方の奥方様の御名前で、魔力が解放されるようにしてあるそうです」

「……」

「もう、この城では誰も口にしない名前です。カリオン様はその名を恐れ、王妃殿下も呼ぶのを躊躇う。あの方々が城に落とした暗い影は、あまりに辛く、悲しい。それだけ皆から愛されていたのでしょうね、『花』のお二人は」


 その愛には、ディルの抱いている感情とは違うけれど、同じ名前が付いている。

 ディルと同じ意味合いで『花』隊長を愛したのは一人だけではあるまい。けれど彼女はディルを選び、愛し、側に居ようとした。そして守ろうとして、離れて行った。

 彼女の名前を呼ぶことに、ディルだって抵抗はある。

 返事をしてくれる人が、隣に居ないから。


「『忘れるな』との事です」


 ヴァリンの部下である彼は、続けて伝言を語り出す。


「『俺はあいつに文句を言いたいから、絶対に連れて帰って来い』と。……同時に、『俺達も付いている事を忘れるな』と」

「……そうか」

「副隊長は……酒場で貴方様と御一緒する時間を通し、最近少し、明るさを取り戻していらっしゃいます。奥方様が戻って来てくだされば、きっと、元のようにとはいかずとも、もっと……昔のように、戻れると思うのです」


 『花』の隊長と副隊長。

 二人の不在が国に齎した影は取り返しのつかない程にこの城を覆っている。

 その暗がりに乗じて暗躍する者が居ることすら、ディルは思いつかない程に憔悴していた。

 ミュゼが、妻が生きている事を伝えるまでは。


「アールヴァリンの今後に付いて、我が熟考する時間は無い」


 そんな冷たい言葉で返しても、この騎士には既に心の内が知られている。

 完全に見放すような相手を、ディルは側に置かないことくらい少し長い付き合いがあれば分かる。

 ディルはいつだって誤解を生むような言動しかしないけれど、それでも確実に自分を理解しようとしてくれる人はいた。

 最速でディルを理解したのは――自分と妻の間に繋がれた未来に生きる、ミュゼだった。


「我は我の思考に基づいて動く。其の覚悟を持てと伝えろ」

「承知致しました。……さて、ディル様。お食事の用意は済んでおりますよ。召し上がりながら、お聞きいただきたい話がございます」


 ここに来て食事を急かした騎士の言葉のままに、最初に紅茶に手を付ける。

 茶器を持ち上げて、口に運んで、一口だけを飲み下した。

 腹が減っている訳では無い。食欲なんて、妻と共に失せている。

 騎士は別に食事が摂りたい気分ではないディルの事も察して、言葉を続けた。


「即位式の日取りが決定しました」

「……ほう?」


 ディルの視線が騎士に向けられた。

 興味というには毒々しい感情で、好奇心というには粘度の高い視線。

 流石の騎士も一瞬息を飲んだ。そして、この視線をいつも受けているであろうヴァリンの耐性を知る。騎士勲章を剥奪されて六年経つ男の殺気とは思えなかった。

 咳払いで気を取り直した騎士は、再びディルの瞳を見返す。感情の殆ど無い筈の瞳には自分には向けられていない敵意が滲んでいた。


「……未だ騎士団のみに通達された話ですので、他では聞かなかった振りをなさってくださいね」

「何時の話だ」

「今日、正午からの予定です」

「今日? 急な話だな」

「他国から賓客を呼ぶでもなく、今は内々で済ませる話だから、と――そしてその際に、『粛清』が始まると副隊長は考えています」


 粛清。

 二番街を襲ったような事態が、他の街でも起こる。

 再び血の海が土埃に沈むような光景を思い出したディルは、茶器を下ろして眉間を抑えた。

 ディルには救える命に限りがある。別に、妻や自分達以外の他の命がどうなってもいいという思いは確かにあった。けれどあの地獄を再び繰り返すのだけは拒否したい。

 ディルが覚えた絶望が、失われた命の数だけ繰り返される。

 夜が明けても明るくならない自分の視界を、他の者が味わう事になる。

 死に値しない命が失われる地獄は、戦争が無くなっても終わらない。

 ――それを見過ごす自分はきっと、妻に褒めてもらえない。


「……王妃派と、アールヴァリン派の数字の見立ては」

「未だ全ての騎士の動向が判明した訳ではありません。ですが、我等『風』のエンダ様と『月』のフュンフ様は副隊長派で間違いはないかと」

「……」


 眉間に添えた手を外しながら、やはりその名前は出ないかと内心で残念に思った。

 『鳥』隊長、カリオン。

 彼が王妃派ならば、苦戦を強いられることになるだろう。今の騎士団の長は彼だ。彼の号令次第で、戦況は幾らでも不利に傾く。


「……汝は」


 ディルの思考は、来るべき時に備えて渦巻いている。

 確実に人が死ぬ事態になる。その時に、自分はどう動けば被害が一番少ないか、と。

 その思考の合間に、騎士へと声を掛けた。


「汝は、全てが終わった後に何をしたいか決まっているか?」

「え……? 全てが終わった後ですか? そうですね、……自分は、騎士以外に職を知らないので。真っ先に路頭に迷うかも知れないですね。はは」

「………そうか」


 『全てが終わった後』。

 先も見えない景色を、騎士は笑って答えた。返答に悲観は無くて、だからこそ恐ろしいと思う。


 自分達を信じて味方に付いてくれる者を、本当は傷ひとつなく帰さなくてはならない。

 それが叶うかは――ディル次第。


「職の案内は出来ぬが、五番街に自警団詰所がある。元騎士であるなら食うには困らぬであろ」

「ええ……? 自警団って騎士嫌いじゃないですか。職失った先で冷遇とかちょっと嫌ですよ……」

「ふん」


 進まない食事をそのままに、ディルがソファから立ち上がる。

 そして背を向けると、酒場から持ち出した荷物を漁る。


「食事は下げるがいい。我は今から身支度に移る」

「畏まりました。……お衣装は恐らく、後から運ばれてくると思います。即位式に参列するに相応しい、動きにくい服になると思いますが」

「……面倒だな」


 衣装で人の心が変わる訳でもあるまいし――そう思いながらもディルは、結婚式の時の妻の姿を思い出していた。

 世界で一番美しく、愛しい妻。

 また逢えると思えば、こんな苦痛など物の数にも入らない。彼女に再会するために、自分の全てがあったのだ。

 妻に逢うために、少しでも身綺麗な格好はするべきだろう。それを用意するのが王妃であることには不満しかないが。


「それでは、お食事下げさせていただきますね。……お呼びが掛かるまで、どうぞごゆっくり」


 騎士は引き際を弁えていて、無理にディルに食事を進める事はしなかった。

 ディルもディルで、見送りの視線すら寄越さない。

 扉が閉まって再び一人きりになった室内で、目を閉じる。この静寂が最後になるかも知れない。


 『あなたのために』。

 妻へと向ける、折り重なったその想いが漸く叶う。


 機会は一度きり。


 夢にまで見るほど焦がれた、絶望が振り払われる瞬間の為に、ディルは寝間着に指を掛けた。

 朝日が窓から差し込み、ディルの周囲を明るく染めた。



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