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 ――王城、深夜。


 静まり返った王城の中で、深夜に廊下を歩く人影がある。微かな足音が響くその廊下が位置するのは、王城の中でも一日の間で出入りが最も激しい場所である食堂だった。

 王城の食堂は歴史が浅く、今の責任者で二代目だったか。それまでは隊内で炊き出し担当が決まって来て、士気に影響していたという。

 その食堂に向かっていたのは、王妃の妹オルキデ。緑蘭という本名を持つ、プロフェス・ヒュムネの一員だ。

 肌を隠す夜着を纏って後は寝るだけというのに寝付けないまま、食堂で茶でも飲もうかと思っていた。部屋にある鐘を鳴らせば茶くらいは運ばれてくるのだが、今日は自分で歩きたい気分だった。これまでそこそこ長い間酒場での厨房作業をしていたのもあり、茶が運ばれてくるだけの生活ではつまらなくなっている。


「……」


 季節は秋。そう待たずに冬になる。

 何度も繰り返す季節の中で、次の夏が来る頃にはプロフェス・ヒュムネにとって住みやすい国がきっと出来ている。

 ――オルキデにとっては、今までも暮らしにくい国とは思っていなかったが。

 かつかつと床を叩く音に従って、食堂が近くなる。同時に、自分の中に巣食う寝付けない理由を振り払おうとした。

 自分を責めるような視線を投げて来るディルと同じ建物に居ること。

 姉が作り上げようとしている国の現状。

 今も病の床に伏せる妹の話。

 それからそれから――。幾つも思い浮かぶ懸念事項は、食堂に一歩踏み入れた所で一瞬だけ消えてくれた。


「……あ、……?」


 先客がいたのだ。

 広い食堂の一番奥で、側に控える二人の騎士と椅子に座る一人の女性。女性の髪の色は恐らく黒。

 見覚えのある女性が、卓に座って茶器を両手に包むようにして持っていた。

 フェヌグリークだ。マゼンタによって半ば強制的に連れて来られた、同族にして不憫な娘。酒場に所属しているアルカネット――彼が酒場を出たと情報が入った今となってはそれも不明だが――が妹として扱っていた女。

 新たな客が入る足音に気付いた二人は同時にオルキデの方を向いて、誰かと分かると肩を竦ませる。

 オルキデも、近付けば騎士が誰か分かった。片方は青の薄い色素を髪に宿した、『鳥』近衛隊の末席にいる男、フィヴィエル。

 そしてもう一人は。


「……オルキデ様? 何故このような時間に」


 カリオン・コトフォール。

 アルセン王国の騎士団の最高責任者であり、現時点では国内最強の座を保持している。

 毛先の落ち着かない髪質は秋でも健在で、オルキデは彼の問い掛けの間に跳ねている毛先に視線を向けていた。


「そっちこそ。何でこんな時間に食堂に居るんだ?」

「フェヌグリーク様が、城内で構わないから外を歩きたいと。途中食堂に寄ったのは喉が渇いたと仰られたからです」


 オルキデへの回答は、フィヴィエルから齎された。彼女が部屋を離れるとなると、逃走防止にカリオンが付いてくる事になったのだろう。騎士が二人もいる理由はそれで説明がついたから、今度はオルキデが答える番だ。


「……別に。茶が飲みたくなっただけだ。深い理由は無いよ」

「誰か呼べば宜しかったのでは?」

「私が城内を歩き回ってはいけないか? ……昔と比べて、心が狭くなったものだな」


 興が削がれたように、ふん、と鼻先を彼とは違う方向に向ける。その動きで腰まで届きそうなオルキデの長い黒髪が大きく揺れた。

 椅子に座ったままの女性が、オルキデが現れた事による気まずさに茶器を置いて席を立とうとする。


「……あ、あの。私……部屋に、戻ります」

「……」


 フェヌグリークが気まずさにそう申し出るが、オルキデの視線はそれまで彼女が持っていた茶器に注がれる。

 中身はまだ、半分残っていた。


「私と同席するのがそんなに嫌か?」

「っ!? そ、そんな訳じゃ……」

「じゃあ、座れ。……取って食う訳じゃない、そう怯えないでいい」


 城に来てからのフェヌグリークは、マゼンタの暴虐を目の当たりにした事もあり、プロフェス・ヒュムネ達の側に居るのを極端に嫌がる。零番街に案内した時も、同族と交流しようとせず地上に戻りたがった。

 その気持ちが分かる、なんて事はオルキデには口に出来なかった。

 姉であるミリアルテアも、妹であるマゼンタも、同族に傾倒しすぎていたから。


「慣れない環境で気分が滅入るのも分かる。けれど、貴女は客だ。客だったら、私も丁重に扱うよ」

「……」

「酒場で働き始めた時、エイスさんから常々言われていたからな」

「エイス?」


 フェヌグリークが聞き返した名前は、かつては兄と呼んでいた男が昔時折口にしていた故人の名前だ。

 彼に引き取られたアルカネットは、いつか彼がフェヌグリークをも引き取ってくれると信じていた。

 その話は立ち消えた。彼は迎えに来るより先に、死んでしまったからだ。

 今となっては生まれ育った孤児院で恩返しの意味を込めて働けているから、今となっては少し残念としか思わないけれど。


「あの酒場の先々代店主です。ディル様の奥方を引き取って育てた方だと聞いています」


 答えたのはフィヴィエルだった。誰にも分かるような形で説明をしたのは、彼も本人を見たことがないから。

 カリオンもオルキデも、彼の姿を知っている。話に聞くダークエルフ像とは掛け離れた、親しみ易く柔和な男性だった。穏やかな体温で何もかもを包み込むような。

 だから、ディルの妻も彼を慕った。慕って、その死に泣き喚いた。

 目を細めるオルキデの脳裏には、他に知る者が少ない彼の姿が思い出されていた。


「……良い男だったよ。右も左も分からない世間知らずな私達を、客前に出せるまでに教育してくれて、料理の手順も教えてくれて……。少し抜けている所もあったけれど、それさえ計算で、本当は、とても」


 とても、冷徹な男。

 他人に対する感情は、生かすも殺すも自分次第と本気で思っている傲慢さの上にある優しさだった。

 彼が王家から言い渡される命令を受けた先で、何人をも殺し続けていた。

 裏も表も地続きなのに、人が変わったのかと思わせる程の変貌が恐ろしくもあり、なのに惹かれたのはオルキデの方で。

 けれどこの話を続けるつもりは無かった彼女は、言葉を切って頭を振った。自分達のせいでもう居なくなってしまった人の話を続ける勇気は無い。


「今はもう亡い人の話より、もう少し明るい話をしないか。……暗い話を続けると、眠りが浅くなりそうだ」


 自分から出した名前だ。その名前をもう一度、胸に手を当てながら丁寧に箱に仕舞うように自分の中に収めたオルキデは新しい話題を求めて話を振った。

 フィヴィエルとフェヌグリークは視線を合わせる。カリオンは無言のまま、三人より別の場所へと視線を逸らしていた。


「そうだな、カリオン。お前、最近何か面白い話を聞かなかったか?」

「は、……。私ですか?」

「話は年長者からした方が、若い者が話しやすくなるだろう? ……無理にとは言わないよ、今の王城で、楽しい話なんてある訳が無いものな」


 オルキデの口から出る言葉の端々から、フェヌグリークは不思議な感覚を覚える。

 彼女が酒場に居た時だってそうだった。他の姉妹は残虐さと冷徹さを兼ね備えていながら、オルキデの言葉には穏やかさが滲んでいる。無理難題も、単純な意図で相手を侮蔑する言葉も、その口からは殆ど出ない。

 やさしい、のだ。

 オルキデは、個人として穏やかな心を持っている。その優しさを信じて、味方と認定するにはまだ早い。フェヌグリークは、まだ距離を掴み損ねていた。


「……楽しい、話、ですか」


 話を振られたカリオンは、顎に手を置いて考えていた。話題が無い訳では無い。

 今、限られた人数しかいないこの場でさえ『その話題』を振った時の影響力は計り知れないだろう。

 カリオンが話す事でお咎めは一部から来る事になるだろうが、そんなものは話した時の影響に比べれば鼻で笑う程度の微風でしかない。

 オルキデと、フィヴィエルと、それからフェヌグリーク。

 交互に三人を見遣って、開きかけた唇を閉じる。『その話題』は笑みの裏に押し隠した。


「すみません、……私には今、自分の楽しみに耽る時間は許されていませんので」

「だろうな」


 断りを入れると、オルキデがさも予想していたかのように声を漏らす。

 実際、趣味らしい趣味も忘れかけているカリオンは遊興に向ける関心が減っている。遊興のみならず、それまではちゃんと楽しめていた事柄にさえ興味が減りつつある。

 いつから、なんて馬鹿げた問いは自分の中で押し殺す。全てが自分の責任だと、あの日から自分を責め続けていた。


「カリオンは暫く休みを取った方が良いかも知れないな。療養地くらい知っているだろう? 温泉はいいぞ、アルセンに来てからは一度も入った事がないがな」

「温泉ですか……。心当たりはありますよ、少し考えさせて頂きたいものですね」


 その責任を、少しでも和らげることができるなら。

 王妃だって、オルキデだって、マゼンタだってもう少しは思案の種になるだろう。

 『彼女』の存在は、少しだけでもオルキデ達に動揺を与えるに充分な筈だから。


「……私の激務が落ち着く日があれば、ですけれど」


 でも、カリオンは言わなかった。

 『彼女は生きている』『生きて暁の側に居る』なんて、言う気が無かった。

 死人の話をするなと言ったのはオルキデで、彼女は死人としての扱いを受けているから尚の事。

 言わない事がどんな不利益を齎すかなんて、カリオンは考えなくても分かる。けれど、言った所で利益があるとも思えなかった。

 含み笑いに混ぜたカリオンの意図は暗闇に溶け込んで、三人に通じることはない。


 ――本気のディルと、もう一度戦り合える。


 今度こそ着くかも知れない決着に、水を差される事をカリオンは拒んだ。

 どちらの膝が先に地に着くかよりも、その間の過程を渇くほどに望んでいる。

 死んだはずの彼女が齎したディルとの再戦の機会を、カリオンは逃したくなかった。

 欲しいのは勝利ではない。

 喉から内臓まで、焼けつくような高揚感。

 収まらない鼓動が彼のせいで止まるかも知れないという緊張感。

 もし二度目があるのなら、今度は刃を潰した偽物ではなく、首すら一瞬で飛ばせるほどの切れ味を誇る自分の武器で。


 ディルが地獄を見ている中で、自分は希望を見てしまった。

 カリオンの罪悪感は消えることが無いが、それ以上に自分の中に残っている期待が流すままに任せてしまった。


 王城の夜は更けていく。

 それぞれの思惑が、寸での所で噛み合わないままに。




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