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 生まれ育って来た環境は違えど、数奇な繋がりに導かれて集まった酒場の面々。

 何が起こるか分からないけれど、向かおうとする先は同じ。


 たった一人の悲哀に付き合う必要も無かった。

 けれど彼らはそれを選んだ。




 自警団事務所では、城下の不穏な空気への対応が始まっていた。

 乱れ始める治安に応じて団員の見回りは強化される。しかし人手が圧倒的に足りなかった。

 今、一番動揺しているのは観光客も閉じ込められている七番街だった。辛うじて食料はあれど、城下の外にも出られない日が続いて不安は広がっている。

 それ以下の街は食糧事情も付いて回る。大規模地震の日から消失した二番街から逃げるように、三番街や四番街の者が押し寄せている。

 今の状態で何も変わらないのは九番街くらいなものだろう。そちらは騎士が懇切丁寧に治安維持に当たっていて、金持ちばかりが暮らしているから食糧難など遠い世界のようだった。

 王家や城の者の目や手の届かない下々の者から切り捨てられている状態。


 アルカネットは負傷のせいで治安維持に回れなかったが、詰所の一階にある事務室での書類仕事はなんとか出来る。

 どういう問題が起きて、どういう相談が詰所に来ているか、事務員に混じって集計していた。それらをひとつひとつ、城下の地図に場所として印をつけていく。


「……アルカネット、手が止まってるわよ」

「うるさいな」


 事務員であるミモザに急かされながら、書類の山と睨み合っていた。長机の斜め前に座っている彼女は現在自警団員の給料や勤務体制について休むことなく計算を繰り返している。栗を思わせる肩までの髪は時折首の動きに合わせて揺れていた。

 時間は夕方だ。自警団員は夜勤と交代する筈の時間だが、今現在団員は殆どが休みなしで働かされている。それなのに食事も満足に取れない最悪の状況。朝まで見回りをしていた人員が、これから叩き起こされて再び警備に回る状態。


「ミモザ、これ同じ書類が重複してるようだが」

「ああ、それ? 重複も何も、同じ事があったから仕方ないわよねぇ。七番街の蜂蜜屋さんが同じ日に物取りに入られるだなんて。時間違うからそこ確認してよね」

「蜂蜜屋って……本当、口に入るなら何でもいいのな今の城下」

「それは私達だって一緒でしょ。……こうなるって知ってたら、私食料買い集めたでしょうね」


 日が上る時間が短い今、部屋を照らす蝋燭も心細い。

 この二人以外の人員も出払っていて、ミモザも今日で何回目の詰所連泊か曖昧だ。


「幾らお金持ってても、菜っ葉一束すら買えないんじゃ意味が無いわ」


 混乱が混乱を招き、日に日に高騰する食料は庶民に手が出せるものでは無く。

 店頭に並ぶ実物も、五番街からは昨日完全に姿を消した。

 明後日までは自警団員全員に、何らかの形で口に入るものを出す事は出来る。しかし、その先はもう水しか無いだろう。食料の蓄えを必要以上に持っていなかった事が原因だが、そんなものが不要になる程度にはこの城下は今まで平和だったのだ。


「幾ら王様が死んだからって、そろそろ門開放しても良くない? 今の状態が続くなら、アルセンが名乗ってる『自由国家』が泣くわよ」

「……」

「それとも、王様がいないからもう自由国家じゃなくなるのかしら? ……なーんて」


 ミモザは笑い話にしたかったようだが、アルカネットはそうもいかない。

 自由が無くなるなんて、今まで城下で好きなように生きていた話を誰かにするなんて出来はしなかった。

 暴動は、今のままでは確実に起きる。それは今日かも知れないし、明日かも知れない。ディル達が城で何かしたところで、これが無事に収まるのかさえ分からない。


「ちょ、ちょっとアルカネット。そんな深刻に考えないでよ。冗談だから」

「あ? ……あ、ああ。すまん、少し考え事してた」

「………意外」


 普通に受け答えした筈だが、ミモザの口から心外な言葉が出て来た。

 アルカネットとしては考え事をしていたことが意外なのかと、不満に口を引き結ぶ。

 しかしミモザは想像とは違う言葉を向けてきた。


「アルカネットが『すまん』なんて謝ってくれるの、初めてじゃない? 貴方、私の部屋に初めて転がり込んだ時も一回も謝ってくれなかった」

「……そうだったか?」

「不思議ね。それなりに長い付き合いだけど、最近の貴方は前と変わったわ」


 それだけ、昔の自分は変わったのだろうか。でも確かに、ディルと普通に接するようになってからは以前のように誰かの家に転がり込むなんて事も無くなった。

 帰りたい場所が出来た。

 そこに居るのは不愛想で言葉足らずの義兄や癖だらけの変人達しかいないけど、今はその変人達を守りたいとも思う。

 考えがそう行き着いた時、何となく気恥ずかしさにやられたアルカネットは仕事に集中しようと新しい書類を手に取った。黙読しようとしても集中できずに、何度も目が文字の上を滑る。

 ミモザも今日の給与計算が終了して、アルカネットの仕事を手伝おうと身を乗り出した。山と積まれた書類を手にしようとした時。


 二人の耳が、同時に外からの扉の打音を聞いた。


「……誰だ、こんな時に」


 自警団員なら打音無しでも入って来る。だからこれは部外者だと認識した。

 今動けそうな者は他に誰も居ない。ミモザが席を立ち、詰所の扉へと向かった。


「はーい。どういったご用件でしょうか?」


 自警団としては無視など出来ない。だからと、ミモザが向かったのは下策だったかもしれない。

 開けようと手を掛けた扉、それが外からの力によって大きく開かれる。

 ミモザの顔は驚いていた。物々しい気配を察知して、アルカネットが椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。


「ミモザ!!」


 自分が行けば良かったと後悔するのは、いつも物事が始まってからだ。

 ――けれど、その後悔は長く続かない。そして、また別の後悔が始まる。


「居るんだろ。邪魔するぞ、アルカネット」


 扉の向こうから現れたのは濃紺の髪を持つ男――ヴァリンだった。

 その後ろにはジャスミンも付いている。何やらあらゆる荷物入れに詰め込んだ、小分けにされた大荷物を二人で抱えているが、今はそれに触れないでおく。


「……あ、アルカネット、この方お知り合い?」

「おや」


 入って来た時の手荒さとは打って変わって、ヴァリンはミモザに向かって柔らかな微笑を向けた。そしてその場に荷物を放り投げ、床に片膝を下ろす。


「このような場に居るのはむさ苦しい男共ばかりと思っていたが、貴女のような可憐な乙女もいらっしゃったとは。お名前をお伺いしても?」

「み、ミモザ、と、申します」

「ミモザ。貴女に似合いの素敵な花の名前だ。今がその季節で無いのが惜しい、咲き乱れる花の姿はさぞ――」


 始まった。

 ミモザの髪は栗色。この茶髪に執心する男に対面させるのは不味かった。


「おーっとこんな所に良い荷物置き場が」


 しかしヴァリンの背後に居る別の茶髪の女が、その頭に手荷物のひとつを乗せる事でヴァリンの口説きは回避される。のし、と頭頂に乗ったジャスミンの荷物は落ちることなく、絶妙な均衡を保って頭上に乗っていた。


「以前自分が受けた口説き文句と同じものを聞いていると腹が立ちますね!!」

「……おい、ジャスミン、これ、どけてくれ」

「御自分でどうにかなさったら宜しいのでは? こっちに来たのは女性を口説く事が目的じゃないでしょう」


 アルカネットの目から見たジャスミンも、昔と比べて大分変わった。こんな風にヴァリンを適当に扱ったりしたことが無い。

 目を白黒させているアルカネットの姿を目ざとく見つけたジャスミンが、ヴァリンの頭上をそのままに小さな歩幅で寄ってきた。


「お疲れ様です、アルカネットさん。お忙しいかと思いましたが、こっちも動くので報告を」

「動く? 報告って、何かあったのか?」

「ディルさんが、城に行くことになりました。戻らないという話だったので、私もそろそろアルカネットさんと合流しろと言われてて。……それで」


 ジャスミンが、手荷物のひとつを開いて見せる。

 中にあったのは、小麦粉に葉物野菜、根菜に干し肉。あとはジャスミンが育てて来た食用の薬草が少し。

 二人が持って来たそれらは全て、酒場にあった食材だ。


「今、自警団にこちらをお任せした方がいいと思って。酒場で炊き出ししても良かったんですけど、もし沢山人が集まったら私達だけじゃ収拾がつかないなって思って」

「お前、これ……良いのか? これ、ディルが集めろって言ってた奴じゃないか」

「ヴァリンさんはもう酒場で食事摂らないって言ってて、私一人じゃ食べきれないから。ヴァリンさんの頭に乗ってるのも食材です。自警団だったら有効活用できるって信じてます」

「……活用……な」


 持って来られた食材はそれでも微量で、城下全体どころか五番街に住まう者達へ配れるほどの量は無い。

 炊き出ししても百人、味が薄く具の少ないものだったら二百人。

 微妙な量だが、文句など出ない程に有難いものではあった。今は店でどれだけ金を積んでも買えない代物だ。


「ありがとう。……でも、俺だとどう活用するかも迷うな。今は団長も居ないし」

「俺がなんだって?」


 アルカネットが戸惑っていると、ヴァリンの背後から巨躯の男がぬっと姿を現した。「わぁ」と声をあげながらその声の主に足踏みをするジャスミン。ヴァリンは荷物を頭に乗せたまま、その人物を視線だけで追った。


「俺がいなきゃ帰ってくるまで待てばいい。自分で行動しないだけ、少しは無鉄砲も直って来たってもんだ」

「団長……、あんた図体はデカいんだから、突然帰って来られたら他の奴等が驚くぞ」

「緊急事態にそんな事言って良いのかよアルカネット。それもどうやら、特級の案件じゃねぇか」


 団長、と呼ばれた男はログアス・フレイバルド。自警団の団長として生きる恵まれた体躯の持ち主だ。『子泣かせ筋肉』と仇名がついた外見が齎す圧はジャスミンにも有効のようで、初めて見る人相の悪い男に震えあがっている。

 ログアスはヴァリンの頭の上の荷物を拾った。その周辺に打ち捨てられた荷物もだ。そしてアルカネットの側まで近付いて、それら一式を担いだままアルカネットの側に向かう。


「酒場から食料を寄付、という話で良いか。……本当は炊き出しでもした方が自警団の株が上がるが、生憎うちもそういう慈善事業はしていられない状態だ。ありがたく団員達で頂くよ」

「は……、い。はい、それで、いいと、思います」


 逼迫しているのはどこも同じだ。その中でも、自分達にと食料を持って来てくれた珍客にログアスが目を細める。

 茶髪の女――ジャスミンの事をログアスはよく知らないが、濃紺の髪を持つ男の事は一方的に知っていた。その場に立ち上がり、成り行きを見守る彼に視線を向ける。


「……何があったかは深く聞きませんが、俺達の今の所の仕事は、民を扇動する事では無く宥める事だと思っています。……貴方様の考えと相違ありますか」

「………」


 その口調で、ヴァリンの正体が気付かれている事が分かる。次期王位継承者として過ごした日々が、この国に長く住んでいる民に顔を知らせる事になっていた。

 ヴァリンは久し振りに、誰とも知らない相手に正体を知られた上での敬語を使われた気がして目を瞬かせる。少し考えて、その敬意に返すべき言葉を選んでいた。

 ヴァリンが望んでいた世界は、こんなものだったかも知れない。

 大っぴらに名乗らなくても、自分を誰かと理解して、でも必要以上に遜られなくて、民にとっての最善を、叶えられる相手と話し合う。

 民の為を第一に考えるには、もうヴァリンは擦り切れてしまったけれど。


「その通りだろう。今悪戯に民を疲弊させては、これからの民の生活に支障を来す。民の事を第一に考えるなら、この先に何が起きるか分からないから……今、五番街以下に残ってる民をこっちに避難させる」

「手筈は整えています。あらゆる公共の建物で避難の受け入れは開始され――、っ」


 二人が話し合っている時だった。

 突然、建物から音が鳴る。

 事務室では文房具やその他の道具が音を立てていた。

 足元が揺れるような感覚は、先日の大地震よりも小さい。少しだけ平衡感覚が危うくなるだけの揺れはすぐに収まった。


「……また地震か」

「最近、小さい揺れも増えたもんで。……四番街から向こうはもう少し揺れが大きいという話もありまして、自主的避難も続いていますよ」

「揺れが大きい? ……成程な」


 二番街が沈んだ地震は誰の記憶にも新しい。それからまだ揺れているというのなら、プロフェス・ヒュムネ達の沈める土地は二番街で終わらないのだろう。


「地震が多いと、民の心も不安だろう。心どころか身体の怪我もあり得る話だ。……てな訳で」


 ヴァリンの指が、ジャスミンを真っ直ぐ差した。

 差された方は何の話か付いていけずに、ヴァリンとログアスを交互に見ている。


「医者が一人、入り用じゃないか? 今なら妊婦が一人付いてくるが、下働き程度なら出来るだろう。人手は多い方がいいだろ、これから何が起こるか分かったものじゃない」


 間髪入れずに売り込み始めたヴァリンに、売り込まれる側のジャスミンは目を白黒させている。

 ログアスも少し悩む仕草は見せたが、快諾と言っていいほどの早さで頷いた。


「そいつぁこっちも助かるが……、そちらは良いので? 酒場の医者ともなれば、腕は確かなんでしょう」

「確かに、腕利きだ。だが俺達としては――自警団に身柄を預かって貰った方が、何かと安全かと思ってな」

「……ヴァリンさん、それ、私が何か悪いことして拘束されるみたいじゃないですか」


 自分が酒場を離れる事に心細さを感じるジャスミンが、精一杯の冗談のつもりで言った言葉。

 けれどヴァリンは、ジャスミンを見て微笑を浮かべるだけ。


「それは名案だなジャスミン。今は檻の中の方が余程安全かも知れない」

「なっ……! そんな事出来ません!!」


 幾らジャスミンが怒ったところで、いつものヴァリンには痛くも痒くもなかった筈だ。

 いつものように、ジャスミンを見ているような見ていないような分からない視線を向けていた。

 けれど、その時は違う。


「分かってるよ。ジャスミンがそんな事出来るような奴だったら、俺は口説いたりもしなかった」


 微笑は苦笑に変わる。自分に向けた自嘲のような唇の歪みは、ジャスミンに向けたたった数秒で消えた。

 また、だ。

 また、何か重要な話を聞きそびれた気がする。こんな表情をするヴァリンはいつも話をはぐらかして、大事な事は何も言ってくれない。

 自分はまた、除け者にされて終わるのか。

 違う。除け者にするんじゃない、彼なりに守ろうとして遠ざけてくれているだけだ。


「それじゃ、後の事は頼む。俺はまだ用があるからこれで失礼するよ、荷物届けに来ただけだしな」


 自分の側から去ろうとするヴァリンを引き留める術が分からない。

 自分は茶色の髪を持っている。

 けれどそれだけでは、彼の心に留まる事が出来ない。

 これまでは、留まりたいと一度として思った事もないのに。


「ヴァリンさん!!」


 自分の横をすり抜けた王子騎士の背中に、振り向きざまに大きな声で呼び止めた。

 驚いたのはアルカネットもヴァリンも一緒で、そんな大声を出した自分にジャスミンすら驚愕していた。

 掛けるべき言葉が何なのかも分かっていないのに、今呼び止めないと後悔しそうな気がして。

 夜空のような輝きを放つ藍色の瞳が、真っ直ぐジャスミンを見ている。


 一緒に行っても足手纏いになるだけだと理解出来ていても、そうだと納得するまでに大分時間を無駄にした。


「……ご、ご武運を!!」

「……。はは」


 やっとの思いで捻り出した言葉は、軽い笑い声が先んじての返答になった。


「行って来るよ。アルカネットをよろしくな、ジャスミン」


 いつもの調子で。

 まるで、少し外出するだけの様子で。

 自警団詰所を出て行くヴァリンの背中に、ジャスミンもアルカネットもそれ以上の言葉を言えなかった。

 自分達は安全圏に置かれて、彼等は何が起きるかも分からない場所に進んでいく。

 行き着く場所が地獄でも、彼等は自分達を道連れにはしてくれない。


「……行っちゃいましたね」

「ああ……」


 ヴァリンなりの誠意が、辛い。

 これまでも大事な話はしてくれた。けれどこれからの話はまだ聞いていない。

 全て終わった後、彼等は無事に帰って来るかすら分からない。


「帰って、来てくれますよね」


 ジャスミンの呟きに、アルカネットは少し間を置いた。


「当たり前だろ」


 そう返すのが、アルカネットにとっての精一杯だった。



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