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229 あなたのために届けよう



 その頃――パルフェリア。

 エルフの女王が国を治める、エルフの為だけの国。

 この国に身を寄せた二人の女がいた。金の髪の女と、薄水色の髪の女だ。

 森林が大部分を占めるこの国は、独自の文明を築いている。外界のそれよりも遥かに巨大な木々で覆われた国土は、木漏れ日の中で安寧の日々を生きている。代わりに、他種族を受け入れる事は滅多に無い。女二人はその特例となり、日々を宮殿に与えられた部屋で薬を作って過ごしていた。


「……それ、本当ですか?」


 白の一枚衣を纏った金の髪の女――今はユールと名乗っている――は、上下で彩度の違う緑色の服を着た赤髪の男の言葉に聞き返した。

 肩口で髪を切り揃えているのは、男もユールも同じだ。髪に宿す色が違う二人が、首の動きで同時に髪を揺らす。


「ああ。アールヴァリンから連絡が来てな。……驚いた。俺は国を出る時に、あいつには何処に行くかなんて伝えてねぇ筈なのにな」

「それで、ヴァリンさんは何と?」

「これだ。返事も、もう出しちまったが」


 男の指に挟まれた手紙は、ユールに渡される。

 中を開いて見て見れば、彼が使っている香水の匂いがふわりと漂った。中に書きつけられているのは、堅苦しくなくも時候の挨拶から始まる几帳面な文章。そして、手本のように綺麗な字。

 『国が危ないから酒場の連中だけでも匿ってくれないか』。簡単に言うとそんな内容。

 かつてユールを逃がしてくれた男の言葉だ。普通に生きているだけなら命の危険も無かった筈の国だったが、ユールが所属していた組織と立場は簡単に彼女を手放さない。

 逃げた彼女達は、潜伏先にパルフェリアを選んだ。最初は拒否された来訪も、この赤髪の男の取り成しで可能になった。

 恩人の一人。彼は自分の名を名乗らなかったが、彼の配偶者が名前を呼んでいる事でなし崩しに知ってしまった。


「酒場の……って、皆の事ですね。返事、なんて出したんですか?」

「無理、って出した」

「は!?」

「いや俺入り婿だから俺に権限無ぇんだよ。分かるだろ、あいつ怒らせるとマジ怖ぇ。そもそも、ユールとフィリス入れただけで俺の権限殆ど持ってかれてんだ。これ以上俺が何か進言しても聞き入れられない」

「それでも王配ですか!? ヴァリンさんは貴方を頼ったのでしょう!?」


 ユールの剣幕に圧された男が渋い顔をする。年齢にして五十は到達しているだろう男は、エルフの国に居ながらも種族はヒューマンだった。

 ヒューマンが何故宮殿に居ることを許されているのか――それは彼の複雑な事情に依る。

 普段は冷静なユールが大声を出した事に気付いて、もう一人顔を出した人物がいた。


「ユール、どうしたの?」

「フィリスさん!! 聞いてくださいよ、この手紙!!」


 フィリスと呼ばれた、赤髪と同じ程の年齢の女は、服こそユールと同じものを着ているが髪の色は薄水色だった。色素の薄い短い髪を揺らして近寄り、その手紙の中を改める。

 一瞬だけ目を見開いたフィリスは、無言でそれを折りたたむ。


「……そうですか。いよいよ、アルセンも危険だという事ですね」

「フィリスさん……。一度、アルセンに戻りませんか。貴女だって心配でしょう、息子さんの事」

「……息子は、大丈夫です。そう信じるしかありません。心配でないと言えば嘘になりますが……殿下の命令に従っていれば命は守られます。命令に背いた場合は……それが息子の信念であるなら、私は寧ろ誇らしい」


 男の手に手紙を返し、フィリスはそれきり無言になる。彼女だって祖国の現状に憂いが無い訳が無い。

 それでも無理を通してパルフェリアに属した今、女王の不興を買いたくない。保身の為でなく、恩を感じているからだ。


「……リエラ、そんな顔すんな」

「お気になさらず。……サジナイル様だって、ご自身の立場があるのを理解しています」


 二人は、かつてアルセンの王家に仕えていた。

 フィリスが呼ばれたリエラという名前は、かつての本名だ。サジナイルは彼女がリエラという名前で宮廷医師を務めていた頃をよく知っている。

 サジナイルは騎士隊長を務めた時もある。騎士隊『風』の隊長として、現隊長エンダも、王子であるヴァリンさえも部下に持っていた。

 パルフェリアの女王の王配となってからも祖国で騎士として務めた。勲章を返上してからは、外界と隔離されるようにこのエルフばかりの国に住んでいる。


「サジナイルさん、フィリスさんは今フィリスさんなんですからその名前で呼んじゃいけないと思います」

「あーはいはい。……口煩ぇな。流石あの酒場に属せるだけある」

「酒場は関係ないでしょう!」


 ユールは、これまでサジナイルから色々な話を聞いた。彼は歴史に明るくアルセンの歴史から、サジナイルが知っている十年の酒場を巡る話、そしてディルの妻の話も。

 代わりに、ユイルアルトはディルの話をした。ヴァリンの話もした。「は!?」「嘘だろ!?」と時折驚愕に顔を歪めながら、それでも彼は聞いた。サジナイルは、ディルが結婚した話も知らなかったらしい。そして、その妻が死んだ話も。

 又聞きの話ではあったが、それでもサジナイルは満足そうだった。

 サジナイルが望郷の念に駆られている表情を、ユールは知っている。こうして故郷を思わせる言葉を出すのだってそのせいだ。

 憤りと望郷の共感というふたつの感情に揺れるユールの耳に、また別の者の声が届いた。


『ねーイル。そこの赤髪に伝えてよ。『イルだけで良いから国に帰して』って』


 それはユールの耳にしか聞こえない。

 ユールを本名の愛称、イルの名で呼ぶのはこの国では一人だけになってしまった。本名であるユイルアルトと呼ぶ者も限られている。


「……サジナイルさん。その」

「あ?」

「………あの、その。……ソルビットさんが、話したい事があるそうで」


 胸元から首飾りを出すと、その鎖に繋がれている小さな飾りが揺れる。

 首に掛ける飾りの割には大きいが、中に入っているものを考えると仕方ない。


「……うぇ。死んでもまだ話し足りねぇのかソルビット」

『あー、ちょっと! この薄情中年!! あのヴァリンがサジナイル様頼ったってのに無下にしくさってこの恩知らず!! だいたいさぁ、サジナイル様が国を離れてから』

「……で? ソルビットは何て?」

「………サジナイルさんには聞かせられないような罵詈雑言を延々と、今も」


 ユールの所持しているその首飾りの中には、昔に死んだ女の骨の一部が入っている。

 その女はお喋りが好きで口も軽くて、かと思えば理知的な発言さえしてみせる。

 フィリスもサジナイルも幽霊の類が見える体質では無かったが、サジナイルは昔の暴露話をユールの口経由で聞いて信じざるを得なくなった。


「ソルビットさんは、私だけで良いから国に帰せないかと聞いています。……そんな事出来るんですか?」

「出来、……ない事はないだろうが難しいだろうな。女王陛下が頷くか分からん。あの女はいつだって偏屈の天邪鬼だからな」

『天邪鬼が何か言ってるよ。ねぇイル聞いた? サジナイル様が駄目ってんなら直接陛下に謁見しようよ。あたしが何とか言いくるめるからさ』

「また貴女はそんな事言って」


 ユールが何やら一人で何かを喋っているときは、大体ソルと話している時だ。

 フィリスとサジナイルは入る事も出来ない二人の会話を想像するしか出来なくて、その時間をもどかしく感じている。


「――ほう?」


 また新しい声が聞こえたのも、その時だった。


「っげぇ」


 サジナイルが心底嫌そうな声を出す。

 新しく現れた姿は――エルフの女王だ。

 長い耳の根元を隠す豊かな金の髪は緩く波打ち背中まで延びている。新緑を思わせる色のドレスは裾を引いている。切れ長の瞳は深緑色をして、手にしている杖は蔓を巻いた長い木の枝。子供が読む絵本にあるような、美しいエルフの姿だ。

 その枝でサジナイルの頭を軽く小突いた女王はその場にいた面々の顔を見渡して、最後に視線が行きついたのはユールの首飾り。


「ふん、死しても口の減らぬ女よの。どれ、喋りやすくしてやろう」


 軽く枝を振った女王。その枝の先から、球状の光の玉が現れる。時折静電気のようにバチバチと音を立てているそれに、ユールの良く知る声が響いてきた。


『あは、ありがとうございます。いやー、流石女王陛下』

「それで? この私を言いくるめるとはさぞ素晴らしい提案があるのだろうな?」


 その声はフィリスにもサジナイルにも聞こえる。これまで何回か二人の前で披露された女王の魔法だ。女王も、姿は見えずとも声は聞こえるらしい。

 そんなソルビットが祖国アルセンから持ち出して齎した情報は、ユールとフィリスの待遇を高めるのに充分だった。宮殿で暮らす事を許される程に。


『提案などと烏滸がましい事は申し上げませんわ。けれど、陛下とも縁のある者の生まれ育った国、そして何より――彼女、の。……あたし達の大事な人が愛した人を、このまま放置していて貴女は何も思わないのですか?』

「……」

『何もエルフの軍勢を出せと言っている訳じゃないんです。此処に居るユール……ユイルアルトが一人で向かえば済むこと。今の彼女でしたら、その恩知らずが拒否した救いの手までとはいかなくとも、彼の国の王子殿下がユイルアルトと結んだ誓いを叶えられる。誓いを破る行為はエルフとて避けたいでしょう。それとも、陛下はユイルアルトに誓いを破れと仰るのですか?』

「ソルビット、私はヒューマン同士が結んだ誓いに興味は無い。……しかし、『彼』を放置するのは私としても些か胸に棘が残る」


 杖を指先で弄ぶ女王。先程小突かれた頭を擦りながら、浮かない表情の女王に声を掛けるのも王配であるサジナイルだった。


「だからって、ユール一人で行かせるのは俺は反対するぞ。何なら俺が一緒に」

「駄目だ。貴様はいい加減自分が王配である自覚を持たぬか。一回頭蓋骨陥没したくらいではまだ足りんのか」


 同行の提案も、女王から素気無く却下されてサジナイルが黙り込む。このエルフの女王は儚げな見た目に反してやることは荒っぽい。肉体言語を操る類の女と縁が切れないと思っていたら自分の伴侶がそうなった。

 しょぼくれた王配に視線をやって、王妃がふふんと鼻で笑う。これでもうすぐ婚姻歴十八年というから、ユールは夫婦関係の不思議さを考えた。


「ユール……、否。ユイルアルト」


 女王の顔は、名前を捨てた金の魔女へと向く。捨てさせた名前を呼びながら。


「私は外界の争いに興味は無い。アルセン神が残した王国がどうなろうと、アルセンの居ない国が荒れようと私には関係の無い事。私が手を出して国同士の問題に発展する方が、余程困る」

「……はい」

「私はな、ユイルアルト。此の国に居る以上、ユイルアルトやリエラに不便はさせたくないと思っている。この国を出るとなると、恐らくはもう戻って来られぬぞ。それでも出たいか?」

「………」


 国を出たのは、ユールの――ユイルアルトの意思だ。

 僅かな望みを賭けてパルフェリアを頼ったのは、ソルビットの助言だ。

 パルフェリアで暮らせるようになったのは、サジナイルの助力のおかげだ。

 宮殿に外界の薬師として置いて貰えるのは、ソルビットが持っていた情報を女王が欲したから。


 けれどユイルアルトが生きて国を出られたのは、ヴァリンが助けてくれたから。


「はい」


 ヴァリンと交わした契約を、ユイルアルトは忘れた事が無い。

 その胸の中の恨みの炎を首飾りとなったソルビットと共に渡された。彼の熱は未だにユイルアルトの心で燃え続けている。

 契約を違えるな、と。

 殺すはずだった命を俺の為に生きろ、と。

 彼の瞳はユイルアルトを見ながらも、心は別の女に向いている。そんな彼の力になりたいと今でも思っている。


「お願いします。私は、今アルセンから目を背けたら一生後悔してしまう。勿論、女王陛下にはしてもしきれない感謝の念で一杯です。けれど私は」


 ユイルアルトが作り出した彼との契約の成果も、一人では用意できなかった物。

 それを見せずして、彼の望みを叶えずして、彼に報いる手段は無い。


「もう良い」


 女王は尚も言葉を重ねようとするユールの、ユイルアルトとしての言葉を切らせた。そして、続く言葉にまるで興味が無いように振舞った。


「我が国は平坦だ。私が統治し初めてこの千年、何の問題も起こしはしないが、代わりに心を揺らすような楽しみも少ない。若者には少々酷だろう、なぁサジナイル?」

「うっせ。おかげさまで老後は安定だよ馬鹿」

「ああ、ヒューマンは老いると平坦を自ら望むのだったな? 老いて朽ちるだけになった貴様には我が国は骨を埋めるのに相応の土地だなぁ? ……さて、ユイルアルト」


 女王は持っていた枝を、ユイルアルトに向かって一度だけ振った。


「えっ?」


 その振った杖の先から、柔らかく波打つような光が放出される。光はユールの周囲を回り、包み込むように淡く彼女に纏わりつく。

 しかし肌に触れることはしない光に戸惑っていると、女王の問い掛けが耳に届いた。


「光に触れると、アルセン城下へ飛べる」

「……は、っ!?」

「どうする。覚悟があるなら触れられるだろう。たった一人で、この国の、パルフェリアの助力も無く。それでも守りたい誓いがあるのなら、その肌を光に晒せ」

「おいパル! お前いい加減にしろよこんないきなり!!」


 どうする、も、なにも。一部始終を見ているフィリスはあわあわとその場で慌てるだけだ。

 サジナイルも、自分の妻の突然の行動に目を見開いて焦っている。

 ユイルアルトは、その光に躊躇いなく触れかけて。


「……着替えを」


 頭よりも先に、体が望んだ。僅かに残っていた冷静さが、その動きを止めた。

 短い間だったが、このパルフェリアという国に悪い記憶は無い。向かおうとしているアルセンには、良い記憶も悪い記憶も山とある。

 親友の笑顔を。

 恩人との誓いを。

 守りたいと行動するには、あまりに用意が足りなくて。同じくらい冷静さが足りない。

 あんなに離れたいと思った酒場にもう一度戻りたいと思って、以降はそれしか考えられない。


「着替えを。あと、これまでに用意した薬を。何も持たずに帰ったのでは、何をしに来たって言われてしまいます」

「……それもそうだな」


 女王は、彼女の言葉に光の包囲を解いた。

 頭を下げて準備の為に走るユイルアルトの背中を、フィリスは笑みを浮かべて見ていた。


「……ユールは、随分強くなった気がします。最初に出会った時から気丈な人でしたが、今は、私もつい頼りにしてしまう」

「そんだけ強くないと、あの酒場で医者なんて務まらないだろ。……しかし、なぁ」


 サジナイルは天井を仰ぐ。


「『あいつ』がお前の縁者だったなんて聞いた時には、俺も目玉が飛び出るかと思ったぞ? パル」

「そうだな、外界は不思議な話ばかりだ」


 パルフェリアの建国王である、初代女王パルフェリア。

 彼女にはかつて伴侶が居た。四人いた伴侶は全てエルフで、重婚した事は無い。

 寿命での死とは無縁とされているエルフだが、それはただ知られていないだけ。

 エルフは『生きる事に飽いた』者から死んでいく。

 そうして四人の伴侶を失った彼女は、サジナイルを最後の伴侶と決めて今に至る。

 しかし、これまでの伴侶との間に子が居なかった訳では無くて。


「……もう子は作らんと決めていたが、それでも……血が繋がっていくというのは悪くないのだな、サジナイル」

「うん? ……う、うん? そう、だな?」

「……私の娘は一人減った。孫も。……サジナイル、どうだろう? 私の子であるなら、ハーフエルフも悪くないと思わないか?」

「思わない。思わないから腕を絡めて来るな」


 人前だというのにしどけなくサジナイルの腕に身を寄せる女王パルフェリア。

 寄られるサジナイルは口で拒絶しながらも、その口調と同じ強さで妻を振り払いはしなかった。


 女王パルフェリアは、遠い過去に娘を人間の男に奪われている。

 ソルビットが齎した情報にはその娘と、更には娘の子である人物の死があった。

 だから、女王は二人を――正確には三人と言った方が良いかも知れないが――無下には出来なかったのだ。


 どうか、もう少し待っていて。

 声に乗せない願いを吐息として吐き出しながら、ユイルアルトは帰郷の準備を進めた。



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