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228 あなたのための花言葉




 その頃、自警団詰所では。


「ですから、何度も申し上げているでしょう。私はもう関わりたくないと」


 アルカネットは、ディルの言葉を忠実に守った。

 七番街の宿屋に部屋を見つけたダーリャを、半ば無理矢理に自警団詰所へと連れて来ていた。冒険者ギルド経由でダーリャの行方を調査し、まだ本調子でない体で街を歩き回った。自警団の仲間の手も借りて、やっと見つけたダーリャからは笑顔も消えて覇気の無い表情をしていた。

 大きな抵抗も無く同行したダーリャだが、詰所に着いても表情は浮かない。聴取の為じゃない相談用の個室に連れ込まれた彼は、薄い茶だけを差し出されて書類作成の為だけに用意された椅子に座っていた。机に置いた茶は、一口も飲まれていない。

 二人きりになるよう、他の自警団員たちに人払いを頼んでいるから誰かに話を聞かれる心配もない。向かいに座るアルカネットは、緊迫した表情だ。


「……頼む。ディルにじゃなくていい。俺達自警団に力を貸してくれ」


 ディルが危惧していた通り、城下の空気は最悪だった。

 王家の勝手な命令で封鎖された城下外への門は閉まったまま。国王の国葬の折に連行された者の事も噂になっている。

 それでなくとも、七番街以下には滅多に慈悲も目も掛けない騎士と王族だ。抑圧だけはすぐに掛けるのに、それが民を導く高貴な存在なのか、と。

 抑圧されれば不満は溜まる一方だ。国は自由を謳いながら、民に不自由を掛けるのかと。城下外との交流を断てば仕事どころか生活もままならなくなる。明日をしのぐ食料さえも危うい状態で、敬虔な神の信者である教会さえ配給が困難だ。


「自警団、などと。私はとうにこの国の民ではない。自警団というのは、民が民の為に働く場所でしょう? 国の為にという意思が無い私が、力を貸すつもりはありませんよ」

「そうは言っても、そっちだって民を思う心が全然無い訳じゃないだろう? でなきゃ、ディルにあんなに怒ったりはしないもんな」

「……あの男の名前はもう聞きたくないですよ」


 金色を髪と髭に宿した男が、その眉さえも顰めてみせる。

 こんな所は養父子似てるな、と思いながらアルカネットが続けた。


「何で聞きたくないんだよ。自分だけ蚊帳の外にされたから怒ってるのか」

「そういう訳ではありません。私の教育が失敗したと思い知らされるのが嫌なのです」

「自分の責任だろ」


 アルカネットの遠慮のない言葉は、金の眉を吊り上げさせるのに充分だった。


「全部がディルの責任じゃないって言ったら、信じるのか。あいつ、言葉少なすぎて誤解ばっかり招くけど。そっちだって全部知ろうとしなかっただろ。信じようとも」

「信じる? 何を? 彼が微罪の民を手に掛けた事を? 私は確かに、彼に自力で生きて行けるようになって欲しかったですが、誰彼構わず剣を向けるようになるなんて思わなかった!」

「俺だって思ってなかったよ!!」


 ダーリャが声を荒げると、その声量を上塗るような大声を出すアルカネット。

 一瞬気圧されたダーリャが口を噤むが、視線は逸らされる。まっすぐ瞳を見てくる青臭い男が鬱陶しい、とでも言いたげな表情だ。


「俺だってあいつは嫌いだった。それこそ大嫌いだった。必要な事以外最低限しか言わなくて、誰かとまともに関わろうともしなくて、いつか俺だって殺されるかも知れないって思ってた。何考えてるかも分からない、実際何も考えてない。……あいつの考えてることは、今も昔の嫁の事だけだ」

「……。彼に、期待するだけ無駄なのですよ。最低限しか言わないのは昔からです」

「微罪の民を殺したって言ってもな、ディルが殺さなくてもどうせ殺されただろう。それでも、あの妊婦だけでも助けられたのはディルだって必要以上に殺したくなかったからだ」

「……妊婦?」


 聞き返したのは、ダーリャがクプラの話を知らないから。


「殺せって言われた奴等のうち、一人だけは殺さずに済ませられたって。知らないだろうが、あの後妊婦が酒場に来たんだよ。殺さなかった代わりに、子供が産まれるまで酒場で面倒見ろって言われたってさ」

「……。一人だけ、ですか」


 その言葉に失望の音色を感じ取ったアルカネットは、表情に憤怒を浮かべた。

 一人だけ『でも』。

 一人だけ『しか』。

 アルカネットとダーリャの間にはその齟齬があって、怒りさえ湧く。


 あのディルが、誰かを助けようとしたんだ。

 彼の思いにも気付かないで数しか見ないなんて、それでも本当に育ての親かと。

 アルカネットも、切っ掛けさえ無ければダーリャと同じ視点だったであろう事は棚に上げて、怒りをその場で吐き出した。


「そんな言われ方、義兄さん(ディル)が哀れだな!」

「……」

「あんたは、助かった奴の目を見ながら『お前しか助からなかったのか』って言えるのか。助かった奴の視線受けながら他の奴等の墓標に『お前達が助かったら良かったのにな』って言うのか。頑張って助けた奴の目を見ながら、『もっと助けられなかったのか』って言えるか。あんた、そんな騎士だったのかよ!」


 責の無い所で更に詰られるディルが不憫だった。彼に知られれば憐憫など不要だと切り捨てられるだろうが、無用な期待を受けて誤解されたままのディルは見たくない。

 彼のやる事を、それでも妻は一人だけ全肯定するのだろう。善悪全てひっくるめて、それでもディルを愛していると、馬鹿みたいな面を下げて。

 ダーリャが彼を罵るなら、アルカネットだって不満を言っても許される筈。


 どうして今、彼女がいないのだ。

 ディルはきっと、それだけで救われるのに。


「……義姉さんが今のあんたの姿見たら、俺と同じくらいに失望するかもな」

「……そんな有りもしない事を言わないでください。私だって、彼女が生きていたらと思うと」

「生きてるぞ」


 言うな、と言われていたのに。

 アルカネットの捨て鉢での暴露に、弾かれたようにその漆黒を見返すダーリャ。


「ディルからは言うなって言われてたがな。義姉さんは何処かで……多分、王城で生きてんだよ。だから、ディルは何て言われようと耐えてるんだ。良い様に王妃から使われても、文句も言わず、一人で責任負うつもりなんだよ」

「……、そんな、訳。だって、彼女の墓には貴方が連れて行ってくれたではないですか。刻まれた名前も彼女のもので」

「俺だって詳しい話までは知らないよ。でも生きてるって話で、その可能性が日を追うごとに強くなる。俺達は義姉さんが生きているのを信じてるから、ディルがどれだけ自分を追い詰めても、義姉さんともう一度、って……その一心でいるのを知ってるから、ずっと我慢してたけどもう無理だ!!」


 アルカネットの息が荒い。耐えきれない怒りは自分が言われた訳でもないのに、瞳に涙を薄く浮かばせている。

 頭に血が上っている。けれど、その怒りが暴力として解消される事は無い。


「俺が気付けたのに親のあんたが何で気付かないんだよ!!」

「――……」

「親ってそんなもんかよ。必要最低限だけを信じてそれで終わりかよ! 俺に親が居なくて良かったよ、失望もせずに済むんだからな!! なんであいつの気持ちも分かってやらないんだよ、あいつが望んで無害な連中を殺すような奴だったら、ずっと嫁だけ想って苦しむ訳がないだろうが!!」


 ダーリャは、アルカネットが口にするディルを知らない。

 ダーリャの知っているディルは、何にも興味が無くて、いつも気怠げで、口だけの忠誠を国に捧げて、妻となる女の事も特に何も思ってなくて――。

 違う。

 本当に何とも思って無いのなら、彼女を妻にする事さえ無かった筈だ。

 他人との関わりを極力持とうとしなかった男だった。もし彼女がディルに想いを伝えたところで断っていただろう。

 ディルのそういう部分は、ダーリャも良く知っていた。

 知っていた、筈なのに。


「あんたに親の顔されたディルが可哀相だよ。信じないなら、なんで引き取ったんだよ。ディルが人形みたいに、何も考えてないなんて、あんたにそんな風に思われてるって知ったら。……義姉さんだって、俺以上に怒ったろう」

「……」

「誤解も何もかも承知で、それでも、ってディルはあんたに何も言わなかった。結果はディルの考えたままになって、ディルはあんたの事分かってるのに、あんたがディルの事分かってないんだ」

「……もう、止めてください」


 アルカネットも、ダーリャも、悲痛を声に乗せる。

 荒い息のアルカネットは、その静止で息を整える。次に何か馬鹿な事をダーリャが吐いたら、怒りを畳みかけるつもりで。

 けれど、アルカネットはそう出来なかった。ダーリャが目の前で頭を抱え、俯いたまま心境を吐露し始めたから。


「私は、とんだ思い違いをしていたんです。ディルは私が思っていたような考えでない事は分かりました。でも、もうあの子に見せる顔が無い」

「……ディルも似たような事言ってたぞ。いや、言ってないけど。あんたが余生をゆっくり過ごしたいって言ってた筈なのに、なんで今来たんだって。これ、あんたを巻き込みたくないって意味だろ」

「かも、知れませんね。あの子は本当に、言葉が足りなくて……私はいつも、鵜呑みにしてしまうんです。でも同時に、私が見たあの子の姿だけが真実な気もしていて……貴方の言葉をすべて、そうですかと受け入れるには……私は、年を取り過ぎた」

「っ……!!」


 時間の流れは、ダーリャを臆病にさせた。自分の目で、耳で確かめていないディルの姿を認めることが出来ない。もう、守るものなど自分の命しかない癖に。

 この期に及んでまだそんな事を言っているのか。アルカネットの憤慨は終わらない。けれどその声帯を震わせるより先に、部屋への入室を伺う打音が聞こえて来た。


「……誰だ? 今取り込み中で――」

「俺だよ」


 打音の主は遠慮も無しに、許可も得ぬまま扉を開く。

 髪を刈りこんだ頭、筋骨隆々の体躯、左頬に傷のある人相最悪の顔。

 ログアス・フレイバルド。その出で立ちで自警団長を務める男だ。


「……団長、悪いけど出て行って欲しいんだが。俺、今あんたに取り繕えるほど冷静じゃない」

「気にするな、お前が適当なのは昔っから知ってる。俺は、ほら、そっちの冒険者様に御用事があるんだよ」


 視線を交わし合った、二人の男。アルカネットよりも年上の二人は暫しの間見つめ合った。

 気まずそうに視線を逸らしたのはダーリャが先だ。


「昔はあんだけ尊敬集めまくった元『月』隊長さんが、落ちぶれたもんですなぁ」

「……」

「団長、ダーリャの事知ってるのか」

「俺がどんだけこの城下で自警団やってるって思ってるんだ。城下の治安の文句言うのに、騎士隊長の顔くらい覚えるだろうが」


 だからお前は出世も抜かされるんだよ、とログアスからの罵倒が飛ぶ。むっとした顔をするアルカネットも、今だけは黙っておく。


「まぁ、いつまでも上の奴等が現役で居られたんじゃ後進が育たないって言うしな。年寄りは適度に弱ってくれればそれで良いんだろうけど」

「……何が、言いたいのですかな?」


 遠慮のない侮蔑に、ダーリャの眉間に皺が寄る。露骨な言葉にそっくり似たような言葉を返さないのはダーリャの冷静さが幸いしていた。

 不機嫌な金色からの質問に、ログアスは笑みを浮かべて答える。


「年寄りがガキの面倒見るのは世の習いだろ。俺達を手伝ってくれや、ダーリャ『様』?」

「………」

「声、部屋の外まで聞こえてた。ギルドマスターが何考えてるか知らんが、俺達は溜まりに溜まった民の不満を抑えとかなきゃならん。戦い方も碌に知らん一般人がしゃしゃり出て来られても怪我するだけだ、そっちだってそれは避けたいだろう?」

「っ……団長!?」


 団長の口からギルドマスターなんて言葉が出るとは思わずに、アルカネットが目を見開いた。

 するとログアスは当然の事と言いたい顔で、アルカネットに溜息と共に返す。


「俺達の包囲網を掻い潜ってお前らが好き勝手出来たのは何でだと思ってる? ……ナメられちゃ困るぜアルカネット。それに、この事は酒場の近隣住民は皆知ってる」

「は……!?」

「酒場が出来た頃に、エイスさんが教えてくれたらしいぜ。俺は団長って立場だから、引き継がれる話の中に酒場の事が入ってたんだがよ」

「そんな事、俺、一言も聞いてないぞ……!?」

「当たり前だ。お前みたいなお子ちゃまになんぞ、知ってるなんて怖くて言えるか」

「怖い!? 怖いって何だ……って、おい!」


 既に視線はアルカネットには無くて、ログアスにも憤慨を向けても気にもされない。

 アルカネットよりも過去を生きた、立場の違う二人の視線が合った。


「後進に道を譲った後の年寄りは、することがあるだろ」

「……と、言いますと?」

「手伝いだよ。青臭い奴等のやる事の脇を締めてやるんだ。まだあんたの言葉なら、素直に聞く民も居るかも知れんしな。とにかく、この城下から怪我人を出さないようにするんだ。簡単じゃないぞ」

「……」


 考える様子をダーリャが見せるのも、少しの間だけ。


「私で、宜しければ」


 短い言葉で、ダーリャが自警団と共に行動する事が決まった。




 

 

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