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 尖塔階段。

 廊下。

 また階段。

 廊下。


 三人にとって見慣れた風景である城内を歩いている間、ヴァリンの口が閉じられる事は無かった。


「それで、建国神アルセンがこの地を離れる時に五人の信徒にそれぞれの使命を下したって訳だ。神聖歴の始まりは神が去ってからの暦だな。千年続いた神聖歴はそれからとある信徒一族が引き起こした宗教的腐敗が原因で――」


 三人と擦れ違う騎士は、長々とこの国の歴史について講釈を垂れているヴァリンと、話を聞いているようで聞いていない様子のディルと、長い話に飽き飽きして目をしょぼしょぼさせているミシェサーの姿。王子殿下相手に不敬な態度でも許されているのは、彼の子飼いの部下だから。

 あからさまに迷惑そうな顔をしているミシェサーに、ヴァリンは何も言わない。

 騎士隊『鳥』では許されない姿だ。けれど今のミシェサーの姿に、三人を見かけた騎士達は昔の騎士団の姿を見た。


 まだ『花』隊が存在していた、城の中も明るかった時の幻想を。




「……そろそろ、大丈夫か」


 城門を抜けて、城下へ。まだ十番街ではあるが、ヴァリンが周辺の気配を探って桃色髪の女の肩に手を置いた。

 ディルは素知らぬ顔を続けているが、こちらの様子を探る気配が無いのには同意した。そこで漸く、ミシェサーの扮装をした女が瞳を開く。

 髪と相反するような、深い青色を宿した丸い瞳。ぱちり、と瞬くその色はヴァリンの色と似通った色だった。


「……ほ、本当に、私、外に出られたのですか?」

「ああ」


 城を出るまでの王女の奮闘は、ヴァリンが笑いを堪えるのに必死だった。

 彼女の中でのミシェサー像はどうなっていたのだろう。まるで鬱陶しいものにするかのように、ヴァリンをひらひらと手で追い払う仕草までしていた。流石のミシェサーでもそんな真似はしない。

 開いているのか分からないじとりとした薄目で見られた時など、堪え切れずに「ぐっ」と声が漏れてしまった。よく見るとミシェサーではない、ミシェサーの一番の特徴である目に痛い鮮やかな桃色髪を持つ妹の顔でだ。

 そんな妹は外に出られた事を今でも信じ切れていないらしい。これまで散々尖塔に閉じ込められていたから、今でも誰かが見張っているのではないかという疑念が拭いきれない。


「さてディル、少し寄り道しようか」

「何処へ?」

「今の格好だと『ミシェサー』としての制限が付く。その制限を無くしにな」


 誰かの名前を背負った格好では、王女が自由に動けない。

 だからと今鬘を外す事は出来ない。

 その制限を外せる格好の場所があることを、ヴァリンもディルも分かっていた。




 選ばれた『格好の場所』も十番街にある。

 足早にその施設を訪れたのは兄妹の二人だ。ディルは荷造りがあるからと酒場に戻ってしまった。

 ヴァリンから目を付けられた王立孤児院は、姿を見るだけであっさりと中に入らせる。


「で、っ。殿下!? 今日はどのような御用で……!」

「あー、別に構わなくていい。フュンフ居るだろ」


 ずかずかと乗り込んだヴァリンは、鬘を被ったままの妹の手を引いて施設長室まで足を運んだ。

 その頃には騒ぎを聞きつけたミュゼも駆け付ける。


「ヴァリン! 何しに来たの!? 緊急の用事!?」

「ようミュゼ。……は、相変わらずその格好似合ってるぞ」


 ミュゼの格好は孤児院職員の制服として渡されたシスター服だ。初めて出会った時と同じ格好をしていて、埃も土汚れも気にせずのびのびと働いている同僚に向けて最大限の皮肉を放り投げた。

 皮肉を受けた側も、急に来訪した割には切羽詰まっている様子もないから首を傾げるばかり。しかし、ヴァリンに手を引かれているミシェサーのような女の姿に違和を覚えた。


「それ、誰」

「っ……!」

「ばっか。お前、そんな事大声で言うな。続きはフュンフの所で。お前も付いてこい」

「はぁ? 私だけ? アクエリアは?」

「………」


 ヴァリンは妹とアクエリアの関係を知っているから、口を噤んだ。

 歩みと思考を止めないまま、考える時間はおよそ五秒。


「今はお前だけでいい。緊急と言えば緊急だ、聞きたい事あったら施設長室で答えてやる」

「りょーかい」


 アールリトは、気楽な返事を兄に返した金髪の女の顔を見るなり目を瞠った。

 声や姿形こそ少しは違うが、顔もヴァリンに対する態度も六年前死んだ知人に似ていたからだ。

 大きく見開かれた藍色の瞳を見て、ミュゼが何となく彼女の事を察した。だから、それからは無言で施設長室まで同行する。


「おーい、フュンフ。開けるぞ」


 施設の作りを知っているヴァリンは、その部屋を開ける時も合図さえ出さない。

 扉を開いて中に入った時、机に座って執務に励むフュンフが居た。相変わらず茶色の癖毛だが、今日は比較的大人しめな跳ね方をしている。

 望まぬ来訪者が来て眉間に皺を寄せたフュンフだったが、それがヴァリンと分かるなり筆記具を置いて席を立つ。顔色は随分良くなっている。


「ヴァリン、何故此方へ? 何か重要な話でもあるのか」

「重要重要。ミュゼ、鍵閉めてくれ」

「あいよ」


 最後尾に付いていたミュゼは入室と同時に、管理人の許可も取らずに鍵を掛けた。

 こんな所で連携の良さを見せなくてもいいだろうに――と思いながら頭を掻いたフュンフだったが、ヴァリンの隣に居るミシェサーらしき女の様子がおかしくて瞬きを繰り返す。

 フュンフの記憶しているミシェサーは、フュンフが言う所の『大嫌いな女』だ。喧しくて騒々しくて遠慮も無く、果ては特定の相手を作らないまま不特定の男と爛れた私生活を送っている。何もかも奔放な女の筈が、今日この時だけは嫌にしおらしい。伏し目がちな瞳はフュンフを見ようともせず、大人しくヴァリンに手を繋がれたままだ。


「フュンフ、窓閉めてくれるか。無いとは思うが見られたら一大事だからな」

「……構わないが……」


 大人しく指示に従って、窓も窓幕も閉め切って外への情報も遮断する。少し暗くなった室内だが、普通に動く分には問題ない。

 その状況になって、ヴァリンが妹の腕を軽く引く。『外してもいい』という合図を受け取った彼女は、俯いて片手で鬘を外した。


「………っ、は!?」

「声が大きい」


 驚愕の声はフュンフから漏れた。

 鬘の下から出て来た髪は濃紺、それも薬品を塗られて固まった部分がある上に短く無残に切られている。開いてフュンフを見据える瞳は藍色、そしてその顔は多少ミシェサーの顔に近くなるよう化粧が施されているが、城仕え――それも王家に近付けば近付くほど見知っていて当然の顔だったから。

 第二王女アールリト。尖塔で幽閉されていた筈の次期王位継承者がそこにいた。


「あ。っ。アール、リト、様」

「……はい」

「何故こちらへっ……、い、いえ、その髪は一体」

「てな訳で、フュンフ。悪いが色んな支度を頼めるか。風呂に着替えに散髪。急ぎだったからこれ以上どうしようも無くてな」


 フュンフの狼狽も他所へ置き、ミュゼが名乗りを挙げた。


「散髪だったら私がしようか。孤児院の子の髪も切ってたから少しは慣れてるよ。風呂の案内も私がした方がいいだろ」

「じゃあ頼む。だが、変な髪型にしてくれるなよ? こいつのお気に召さなかったら次期女王の権限で首を刎ねられるぞ」

「そんな事しません!!」


 自分の非情さを誇張された事に憤慨したアールリトは、兄にだけ声を荒げる。へらへらと笑うヴァリンの姿は、ミュゼも最近頻繁に見ている気の抜けた姿だった。

 そんなヴァリンが連れて来たアールリトという名前の女の事は記憶にあった。会った事は無くとも、これまでの話に何度か出て来ている。次期女王となる彼女がどうしてここにいるか、なんて聞かない方がいいだろうと判断する。


「んじゃ、……えーと。なんて呼べばいい? 馬鹿正直に呼んでたんじゃ駄目だろ」

「名前? ……あーリト、でいい」


 王女に聞いたのに、返答の言葉はヴァリンからだ。その相手にも内容にも不服しか無くて、ミュゼが聞き返した。


「は? そのままなの? バレたら厄介じゃん」

「良いんだよ。バレるような奴等の前でリトの名前をどうしても呼ばなきゃならん時は、相当俺達も苦境ってことだ。正直、今名前考えるのに裂いてる時間なんて無いんだよ。分かったらさっさと行ってこい」


 手の動きも相俟って、雑にあしらうヴァリンの表情は苦虫を噛んだようだった。

 不満を顔全面に現しながら、王女を伴って風呂場へ向かうミュゼ。扉が閉まってからヴァリンはフュンフに向き直った。


「てな訳で、リトを匿え」

「事後承諾も甚だしい」

「いいだろ別に。俺等はいつだって、大事な事は全て終わってからしか伝えられないんだ」


 二人の関係を義兄弟と呼ぶには肝心の人物がいないやり取りも、簡潔に済ませられた。

 フュンフは既に途方に暮れるしかやる事が残されていなくて、机に並んだ執務も後回しにする。ソファに座り込んだ二人は向かい合う場所に位置付いて、これからの方針もヴァリンから伝えられるだけになった。


「ディルが城に召し抱えられた。ご丁寧に部屋まで用意してあったぞ。これからは別行動になるだろうが、コトが始まるのも多分数日中だ」

「……アールリト様は、どうやって連れ出したのだ。あの出で立ちを見るに、ミシェサーが替え玉にでもなったのか」

「御明察。流石俺の自慢の義兄だな。……あいつの変装も、保って二・三日って所だろう。それまでに決着をつけんと、ミシェサーが殺される」


 子飼いの部下を生死が掛かる舞台に連れ出してまで王女を救ったヴァリンは、もう後戻りできない。ミシェサーの事が露見すればヴァリンの命まで危ないのだ。

 フュンフは肘掛けに肘を付いて、ヴァリンの様子を窺う。命が掛かっているのはフュンフも同じだ。


「……私も、立場はかなり危うい。私が王妃殿下の意思にそぐわない行動をしていると思われているのだろうな、監視の姿を時折見かける。……事実、私の体調はほぼ完調だが今まで城に戻っていない。戻れと言われているのに、だ」

「は。体調の面はジャスミンに感謝するんだな。俺達の自慢の医者だ」

「それに関しては、生き残る事さえ出来たら幾らでも礼をしよう。……ディル様が別行動となると、些か不安しか無いな。ミシェサーも居なければ、情報伝達は誰が担う?」

「お前、俺が『風』所属だってこと忘れてないか」


 ふ、と微笑んだヴァリンの顔には覚悟があった。

 既に腹を決めている。あと数日だけなら、行動を把握している王妃の目を掻い潜るなんて朝飯前だ。


「俺も他の奴も、使える奴は使うよ。その時はフュンフ、お前も一緒に来るだろ」

「……行かぬ訳が無い。ディル様が共に同じ方向を向いているのなら、負ける気もしない」

「そうかそうか。お前ディルさえ居ればいいんだもんな。本当、そういう所分かりやすくて助かるよ」


 決戦は数日中に。

 それだけは分かっているが、決行の日取りはまだ不明だった。


「酒場の奴等も総出で頑張って貰う。お前はミュゼとアクエリアと行動を共にしろ」

「……女史は問題ないが、あのダークエルフと同行するのは正直気が進まない」

「お前、あいつがダークエルフって知ってたのか?」

「分からぬ訳が無いだろう。あの者から呪いの臭いが漂っている。大方、自分の姿形を変える類のものなのだろうが鼻が曲がりそうだ」


 自身の鼻の前で空気を散らすような動きをした隻眼の男は、嫌そうな顔をしながらも一度だけ頷いて見せた。


「……だが、それが酒場の決定なら否とは言わん。せいぜい、私の魔力貯蔵庫として職務を全うして貰おうか」

「良かったな、無料で使える魔力譲渡者が居て。……俺もこんな事態になってから幾らか譲渡して貰ったが、ダークエルフというのは保持量も多いらしいな」

「ほう? それは楽しみだ。私の錫杖にどれだけ籠められるか見物だよ」


 くく、と喉奥で笑ったフュンフは嗜虐の笑みを浮かべていた。元から良い性格とは言えないフュンフだが、あまりいい印象を持っていない相手だとそれが顕著になる。

 怖い怖い、と呟いてヴァリンが肩を竦める。分かり切っていた事だが、体調の戻ったフュンフは酒場側の人員として数えて良さそうだ。


「……俺は、酒場に戻る。最終的な計画をディルと練らなきゃならん。あいつが城に行く前に、話し合っておかないとな」

「忙しないな。……見送りは必要かね?」

「要らんよそんなもの。……ただ、フュンフ」


 ソファから立ち上がるヴァリンは微笑んで、義兄にひとつだけ願いを伝える。


「重ねて言うが、リトを頼むよ。あいつ、昔から寂しがり屋なんだ。王家から離れた後、あいつが外の世界でも生きて行けるような手段を……短い間だけだとしても、考えてやってくれないか」

「……? ああ」


 ヴァリンの言葉に、彼自身は度外視されている事に気付かないままフュンフが頷く。

 離れた後の話をするなら、その役目はヴァリンでも良い筈だった。

 何処までも鈍いフュンフは、裏の意味に気付かないままその場で王子殿下を見送った。

 閉まる扉の向こう側で、彼がどんな顔をしているかも気付かないまま。



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