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 ミシェサー・ミシャミック。

 豪商ミシャミック家の長女に生まれ、アルセン城下八番街に居を構える実家からは十五歳の時に勘当されている。

 母譲りの髪色と父譲りの才気、そしてどちらにも似なかった美貌は母方の親族譲りだと言われていた。

 そして誰にも似なかったのは、趣向と性癖。同時に、言葉選び。

 彼女が勘当されるに至った事件は、彼女が十五歳の誕生日を迎えた秋の日に起きる。


「……結婚って。私まだ十五歳ですよ? え、相手もう決まってるんですか? コ……え、あそこの長男? いやだ、騎士の三男さんだって私と十二歳は違いましたよね?」


 父から言われた突然の結婚命令。

 豪商としての地位を手に入れた父親は、王城により近付こうと娘を使う手段に出た。

 そこに愛情は有って無いようなものだった。最大限に相手を選んだ結果、娘の立場と相手の地位をすり合わせて見つけた者はかなり年の離れた男だったから。

 形だけの溺愛を服の装飾や身に付ける宝石で見える形にして、深窓の令嬢を今まで取り繕っていたミシェサー。

 彼女自身は、家の商売も自分の結婚も、今までは全て他人事だったのに。


「そんな相手に嫁がなきゃいけないんですか? 私が? 何で? どうして? 家の為? 私、家の為にこれ以上何か諦めなきゃいけないんですか?」


 楽しい事があっても家に閉じ込められている事も。

 必要最小限の決められた交友しか許されていない事も。

 興味のある事に傾倒する事も。

 幼馴染と遊びに行く事も。

 これまで散々諦めさせられてきたというのに、この上他所の家に入れと。


「それが長女の役目? 私、長女に産んでくれって頼みました? 私、この家に生まれたいっていつ言いましたか?」


 勿論抵抗した。けれど話を聞かない強引さは、商売人として名を世に轟かせた父も持っていたもの。

 娘としての商品価値を見出した父親は、もうミシェサーを『商品』としか見ていなかった。


「……そうですか。信じらんない。私が嫁いだらそれでいいって、本当にそうお考えですか。王様との繋がりが持てればそれでいいって」


 商品に成り下がった娘。

 だが、その娘もそうなった時点で、父を父と思わない。


「そんなに王様との繋がりが欲しいんだったら、貴方が王様の尻の穴でも舐めてた方がいいんじゃないですか?」


 絆という言葉も、この父子に使われては憤慨しよう。

 その一件で、晴れて勘当を言い渡されたミシェサー。

 実のところ、父親も本当に出て行くなどと思っていなかっただろう。何も出来ない非力な小娘がものの数刻で自らの愚かさを泣きながら謝罪すると。そして渋々でも結婚を承諾するのだと。

 ところが、ミシャミック家自慢の令嬢は待てど暮らせど帰って来ない。

 父親が異変に気付いた時には既に、彼女は幼馴染の協力を得て王城の士官手続きを取っていた。


「……ミシェサー、僕が手伝えるのは此処までだ。君のこれからを、僕は見守らないし手伝わない。どうか息災で」

「ここまでの手続きの間助けてくれただけで充分よ、ありがと。貴方も気を付けて」


 幼馴染は年明けから士官学校へ通う事が決まっていた。

 ミシェサーは勘当された身分で、保証人も入学金も無いからそのまま仕官するしかなかった。少なくとも衣食住には困らないし、自分の持ち合わせる能力でどこまで行けるか試したい。これまで箱入り娘の生活を強要された令嬢が、役に立たないのならそれまで。


「私を助けてくれた貴方の道行きが、これからも明るい事を祈っているわ。エイラス」


 幼馴染に別れを告げた後は、想像を絶する過酷な現実も待っていた。

 けれど馬鹿な父親に「ざまぁみろ」と言えるだけの立場も、確実に手に入れた。




「……」


 尖塔の個室への階段を上るミシェサーの肩が、気付けば小刻みに震えていた。

 次期女王の待つ部屋へ向かう間の、長いようで短い時間は昔の話を思い出させるのに充分で。

 あれきり父親とは顔を合わせていないが、ミシャミックの家が傾いたとも聞かないからどうだっていい。父親以外の家族の事も、最早気になる事も無い。

 でも、こんな状況になると、生まれた家への物懐かしさも浮かんでしまう。

 先を歩くディルもヴァリンも、ミシェサーの方を振り返らない。

 ミシェサーの心境に気付いていないからか、それとも気付いているからこそ見ないのか。

 三人の足は、扉の側まで辿り着いた。ここが、ミシェサーの終着点。


「……じゃあ、ディル様」

「分かっている」


 ディルを置いて、ヴァリンとミシェサーが扉の向こうに足を踏み入れた。


「っ、あ」


 入室の合図も無く、突然現れた二人は部屋の主にとって、不確定の約束だけを交わした相手だった。

 扉の側に控えるヴァリンと、笑顔を浮かべて近寄るミシェサー。

 濃紺と桃の、それぞれ違う色を髪に宿した二人の女が手を伸ばせば触れる距離に位置付く。

 今日も毛布を被ったまま寝台の隅で震えている、次期女王アールリト。

 期限付きで幽閉されている彼女は、血の繋がらない兄に救助を求めた。


「お久し振りです、王女殿下」


 ミシェサーは片膝を付いて騎士の挨拶の姿勢を取った。

 助けを求めたのはヴァリンとディルになのに、何故ミシェサーが来るのかも分かっていない。


「お、にいさま、なぜ」

「……すまんな。俺でも、こいつの手を借りずにお前を助け出す手段が考え付かなかった」

「怯えてらっしゃいます? 大丈夫ですよ、手荒な真似は致しません」


 そう言うが手には小刀が握られている。鋭く光る切っ先は、アールリトに向いていた。


「お伺いしたい事があります。王女殿下、貴女は何を犠牲にしてもこの場から出たいと……そう思っていらっしゃるのですよね?」

「……え、ええ」


 ミシェサーの声が、以前聞いたものとは違っている気がした。それが自分の声に近付けたものだとは気付かない。自分の認識する自分の声と齟齬がある。

 『風』に所属する、彼女の良くない噂はアールリトの耳にも入っていた。その小刀が何に使われるのか不安で、返事をしつつもそれ以上逃げ場が無いというのに王女が後退る。


「でしたらまずは、その御髪を頂いて宜しいでしょうか?」

「……」


 でも、王女に迷っている猶予は無いのだ。

 意を決したように大きく頷くと、目を強く閉じて背を向ける。はらり、体から外した毛布は床に落ちた。

 王女の決意にミシェサーは微笑を浮かべて、持参した荷物入れから様々な道具を出した。


「……ありがとうございます。今だけは、無礼をお許しください」


 髪を手早く小刻みに縛り、粘質の薬品のような何かを結び目の上から塗っていく。

 僅かな時間で固まるそれに狙いを定めて、王女の濃紺の髪を彼女から切り離していった。

 何をしているのか、と問う事も王女には出来ない。


「王女殿下、今から貴女は私に成りすましてください。私は殿下に扮装し、この場所に留まります」


 王女の疑問は、ミシェサーの口から解決された。


「……え?」

「そのためには貴女の髪が必要です。毛布から見える程度の少量で良かったのですが、殿下も髪が短い方が都合がいい」

「都合って……一体、わぷっ」


 ざんばらに切り離される王女の髪は、薬品のせいで床に散らばることなく束になって落ちる。

 耳付近の長さまで髪を刈り取られ軽くなった頭に、ミシェサーが何かを乗せた。


「私の髪は短いですから。殿下の髪も短い方が、収まりが良いんです」


 乗せられたのは、ミシェサーの髪の色と同じ目に痛い桃色の塊。さらりと幾筋も流れる、髪で出来た被り物だ。


「正真正銘、私の髪で作った(かつら)です。これを被って、王城を脱出してください」

「……脱出って」

「目の色は誤魔化しようが無いので、誰かと擦れ違うときは顔を見られないように、そしてなるべく目を閉じるようにしてください。目にゴミが入ったからと、擦る振りをしていてもいい。履物もお持ちしました、こちらを履けば私との身長の違いも誤魔化せます」

「……王城を直接抜けろって……!?」


 他に手段はない。

 アールリトの問い掛けに返すミシェサーの瞳は、冗談を言っているものでは無かった。


「……服は、この場で着替えていただきます」

「むり、よ。私にそ、そんな、こと、出来る訳、ない。私、王女なのよ? 皆が、私の顔を知っているのに、城を、このまま出ろだなんて」

「殿下」

「他の、他の手段は、ないの? 見つからずに出られる手段……『風』なら、幾つかあるんじゃないの? こんな時間に、明るいのに、私が見つからない保障なんて」


 アールリトの言葉は尤もだ。けれど他に出られる手段があるならとっくにそうしている。見つからない道なんて、王妃が全て押さえているというのに。

 これは王女の我儘ではない。危険だとミシェサーだって分かる。

 けれどひとつだけ確実なのは、このまま手をこまねいていてはもう逃げられない。


「……そうですね。バレない可能性を上げるために……まずは、清拭から始めましょうか?」

「っ……!」

「副隊長、着替えなきゃいけませんからこっち見ないでくださいねー」

「分かってる。見ないよ」


 と言ってもヴァリンは背を向けただけだ。手をひらひらさせて、二人の会話にそれ以上口を出さないようにする。

 ミシェサーにどれだけ言っても、計画は変更されないらしい。その場で服を脱ぎ始めたミシェサーの肌の露出から目を離せずにいたら、視線が微動だにしないのに気付いてミシェサーが笑みを浮かべる。

 観念して、アールリトも自分の肩に手を掛けた。するり、と下りる布地が衣擦れの音をさせる。


「お胸は……、殿下でしたら詰め物をしなくても大丈夫そうですね?」

「……み、ミシェサー。やめて。見ないで、恥ずかしいわ」

「やだぁ。男女問わず体には同じものしか付いていないんですよ? 恥ずかしがらなくていいんですよ」

「おいミシェサー、俺の妹に何やってんだ」


 ドレスを脱ぐ王女の指が震えていて、それを見ない振りをして、指に自分の着ていた服を投げるミシェサー。

 冗談ですよ、とヴァリンに返す声は穏やかだ。

 その穏やかさに違わぬ優しい顔で、ミシェサーが微笑む。自分にもこんな優しい兄がいたら良かったのに、と。




「殿下、お食事をお持ちしまし、――?」


 そして三人が帰った後の尖塔で、珍しく床に下りている王女の姿を騎士が見た。

 膝を抱えて丸まっているのはいつもと変わらない。毛布の間から覗く髪も。

 若干荷物が増えた気がするが、それはミシェサーが事前に「女性に必要なものですから」と提示したものだった。気の利かない真面目な騎士は、その用途を聞いた後気まずさに視線を逸らす羽目になっていた。


「……置いて、おいて」


 返事もいつもと変わらない。覇気の無い、絶望の淵を覗いているような声も。

 諦めればいいのに、と、騎士は思えなかった。これから自分達の向ける敬意が最も集まる存在に、何故こんな仕打ちを王妃はするのか――それは王女に流れる血のせいだ。生まれで未来を縛られる命を、騎士は知っていた。


「……兄様ぁ……。兄様……」


 啜り泣く王女の声に、食事を持って来た騎士はバツが悪そうに視線を逸らす。

 所定の場所に食事を置いた後は、来た道をそのまま戻る。

 兄であるヴァリンと顔を合わせたから。だから、尖塔の外の世界が恋しくなって泣いているのだろうと騎士は感じ取ったのだ。


「………」


 啜り泣きは、騎士の姿が消えた事で止む。

 閉まった扉を盗み見る瞳の色は、王女の藍色とは違う。血を瞳の形に押し込めたかのような赤だった。

 その瞳が、喜色に歪む。


「うふふっ」


 先程の騎士は情に厚いのを知っているが、朴訥なので女性に深く関わる方法を知らないのを知っていた。これで良心を痛め付ける事が出来るならしめたもの。

 笑みを漏らした唇は、下品なまでに弧を描いていた。



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