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 王妃の言葉に拒絶の意思を見せたのは、酒場を手放すのが真実嫌だったのとは別に理由がある。


 これまで無気力に、それでいて自堕落に生きていたディルが、王妃の言葉を全面肯定するという状況に不自然さを感じられたくなかったからだ。

 嘘と真実を織り交ぜることで、言葉の信憑性は上がる。

 あの場で、酒場を諦める事に応とも言えた。けれどこれ以上、王妃から言われる言葉に簡単に頷き続ける訳には行かなかった。

 王妃は既にディルを信じている。でなければ、計画とやらの要である零番街を見せる事は無かったろう。


「……」


 零番街から王城へ戻る道の先は一本では無かった。

 来る時は王妃の後ろを付いて歩くだけで良かった道は、複雑に枝分かれをしている。幸いにも、城へ戻るものらしき道のひとつのみは薄明かりが付いていて、それを進めば戻れると理解した。

 他の道を進めば何処に着くか分からない。――けれど、この先妻を奪還する時に剣を振るうであろう城の中に用途不明な通路がある状況はなるべく避けておきたい。適当に選んだ道を、気の向くままに歩き始める。

 王妃に連れられて零番街に向かい、一人で帰ろうとして道に迷った。言い訳はそれでいいと適当に考えて、勘に任せて先を進む。

 連れられて歩いた道と違い、そこは地下に違わぬ荒廃ぶりだった。まだ掘削作業も途中なのかも知れない。何処へ向かうかも分からないが。

 足を進めるごとに、吸い込むような闇が視界に広がるだけだった。




「……遅いな」


 ディルがカリオンと共に部屋を出てから、かなりの時間が経った。

 待たされる側のヴァリンとミシェサーは気を揉むばかり。他にも大事な用事がある以上、ディルにばかり時間を使ってもいられない。ソファに座ったまま、流れる時間の遅さに焦れているヴァリンは靴底で床を叩き続けていた。

 床に座って髪を弄ぶしか時間を潰す手段が無くなったミシェサーは、もう何度目かも分からない枝毛探しに精を出している。とはいえ、『調整』の為に切って間もない髪にはそう枝毛など見つからない。普段から手入れもしている艶のある桃色の髪は、ミシェサーの指から滑り落ちる。


「まさかディル様、王妃殿下の御不興を買って処分されてしまった……とか無いですよね?」

「馬鹿。そんな事態になったら即座に俺達の所に連絡が来るだろう。連絡、どころか拘束かも知れんがな」

「拘束……。縛られるのは好きですけどぉ、その後に拷問とかあったら嫌だなー。体に傷が付くのは勘弁してほしいんですよねー」

「お前本当もう喋るな」


 薬を使って妹の声に変化させているミシェサーの声で、そんな戯言を聞きたくない。

 うんざりした表情のヴァリンは、色事ばかり口にする部下に口を閉じさせた。


「ディルの失敗は俺等の死に即決するから、下手は踏まないと思うがな……。如何せん、昔から義母……王妃殿下はどういう所で気分を害するか良く分からん」

「………」

「何の意図があってディルだけ連れてったのかも分からんしな。俺等がオマケくらいにしか思われてないのか、それとも俺等がいたら都合が悪いのか……」

「………」

「まぁ、お前が喋らなきゃいけない事態にならんで助かった面もあるが。今のお前が喋ったら、王妃殿下は俺達の考えに勘付いてしまうだろう。一長一短というか、この状態でも利点が無かった訳じゃない」

「………」

「……だから、別に、まだ焦る必要はないとは思っていて……」

「………」

「……………」

「……」


 黙っていろと言ったのは自分なのに、独り言の生産性の無さに言葉が詰まっていく。

 何かを言えば何かしらの反応が絶対に返るミシェサーが無言な状況に、先に参るのはヴァリンだということも分かっていた。

 上司と部下として短くない時間を共に過ごして来た二人だ、この時ばかりはミシェサーの粘り勝ち。


「もういい。俺は諦めた。勝手に言ってろ」

「えー。そんな早く諦めちゃうんですかー? 副隊長、堪え性無いですねー? もう少しくらい我慢してないと、そんな早いの女の人嫌がりますよー?」

「………」


 この癖さえ無ければ、ミシェサーだって優秀な騎士なのだ。

 少しばかり股が緩くて尻が軽くて、切れる頭を持っているのに使いどころを故意に間違えてヴァリンをキレさせる。

 でもこんな無駄口にも、ヴァリンは救われる所があった。この女が無駄口を好まないような頭の固い女だったら、きっと損得勘定を理由に王妃側に付いていただろうから。

 それだけ、ヴァリン達の側は不利だった。


「俺に堪え性が無いのは昔からだ。どうしても我慢しなけりゃいけないものが多すぎて、どうこう出来る願いなら直ぐにでも叶え、っ!?」


 ――瞬間、ヴァリンが座っているソファごと揺れた。

 下からドン、と突き上げるような衝撃。ガツン、という音は尻の下から聞こえて来た。

 突然の事に目を丸くするミシェサー。ヴァリンは反射的にソファから飛びのいた。


「な、んだ、ってんだ」


 戸惑うヴァリンだったが、口調に反してこんな事するような輩は一人しかいないと考えてソファに手を掛けた。

 ミシェサーが見ている前で、ソファを押して退かし、その下の絨毯が音に合わせて床ごと激しく殴られているかのような動きをするのを確認する。


「待ってろ、手荒にするな」


 服の中に隠れる程度の小刀を取り出すと、絨毯に動きがある範囲を切り裂いた。

 そうして現れる石造りの床材を外せば、暗い空洞が露わになる。

 ヴァリンが視界に収めているその空洞から、にゅっ、と薄汚れた白銀の頭部が飛び出してきた。


「う、ぉっ……!?」


 驚く声を寸での所で飲み込んで、ヴァリンが後退る。

 現れた白銀は、やはりというべきか――ディルだった。

 床材が外れた部分に手を掛け、身軽な動きで飛び上がって部屋に戻って来る。


「ふん、此の場所に繋がっていたとはな。……どうも王妃殿下は、我を囲う気に偽りは無いようだ」


 白銀が薄汚れた理由は、地下を潜って来た土埃や蜘蛛の巣だ。

 その場で服や髪を払っても、汚れが全て落ちる訳では無い。幸いなのは異臭がする類の汚れではないことか。

 頬にまで土汚れが付いているのを見かねて、ヴァリンが手巾を差し出した。けれど、それはいつまで待っても受け取られない。


「お前、綺麗な顔してんだから身綺麗にしとけよ。何したんだこんな汚れて」

「王妃が、此の部屋を根城にしろと言ってきた。……荷を取りに戻るが、酒場には其れきりになる」

「……」


 行き場のない手巾を、ヴァリンはディルの頬に押し付けた。昔から栄養状態もヴァリンより遥かに悪かった筈のディルだが、僅かな栄養で育った身長はヴァリンを超えている。

 ヴァリンの祖先の筈の神は、ディルを愛した。ヴァリンが望んでも得られなかった武力も才能も美貌も体躯も、何もかもを持っている。

 そして義理の母だった女は、ディルを望んだ。純粋な戦力として。

 頬を拭く手が、震えた。


「……そうか。……お前のことだ、受けたんだろ」

「拒否など出来よう筈も無い」

「……だよな。本当、お前……お前ばっか……」


 ヴァリンには今更、城の何かに執着する気も理由も無い。

 でもそうして安全圏に居る自分の代わりに望まれるディルの状況に、心を痛めない男では無かった。

 非情を装って、何もかもがどうでも良いと振舞っていても、ディルは話が違う。

 愛しい人を失ったという、同じ痛みを背負っていた男だ。例え、ディルの妻は生きているとしても。


「……俺がお前の立場だったら、絶対、お前に悪態吐いてたと思うよ」

「何故? 我が汝の立場であったとて、悪態など吐かれる謂れは無い」

「俺は絶対嫌だ。御免だ。あんな奴等に良い様に使われるなんて冗談じゃない」

「汝があの者らに不服を抱くのは構わぬが、汝の鬱屈晴らしに我を使われるのも冗談ではない」


 ヴァリンの苛立ちが何から来るのかを分かっていて、突き放すような言葉を掛ける。

 自分が選ばれないのに安堵しながら、ディルが巻き込まれるのが嫌だなんて。

 ディルに優しくない世界で、自分が見逃された事に幸運だと思うべきだ。

 立場と生まれに見合わぬほど繊細な性根を持ったヴァリンは、そう思わないと壊れていくだろうに。

 自分が満足するだけ拭いて、手巾を握り締めた手を下ろした元次期国王は俯いたまま。


「……酒場はどうすんだ」

「汝等に任せる。食料はそろそろ保たぬものがあったな。ジャスミンならば全て良きようにしよう」

「いつ、戻って来るんだ」

「さてな。王妃殿下に訊ねればいい」

「お前まで、俺の目の届くところからいなくなるのか」


 ヴァリンの声が、震えていた。

 真っ直ぐにディルを見つめる藍色の瞳は、潤んではいなかったけれど。


「………我の事よりも、汝にとって重大な事柄が残っていた筈だ」


 ヴァリンの問い掛けに返事が出来ない。

 必要とされてもいないものだった。正直に答えても、きっと無駄だ。

 ディルが悪い訳じゃない。ヴァリンは分かっていてそれでも、問い掛けずにいられなかった。


「王女殿下――次期女王陛下が、我々を待っている」

「……ああ」


 王妃からの呼び出しの用事が済めば、後の用事はひとつだけだった。

 のろのろ立ち上がったミシェサーは、持って来た荷物を肩に引っ提げる。中に何が入っているのかディルは知らないし、知る必要もきっと無い。

 ヴァリンは素っ気なく背を向けたディルの背中を睨みながら、震える声を出した情けない唇を噛みしめている。


「……尖塔に着き次第、ディル様は部屋の外でお待ちいただけますか?」


 ミシェサーは、いつもと違う声でディルにそう言った。

 何故、と問いかける程野暮でもない。小さく頷いたディルを見て、微笑む桃色髪。


「ありがとうございます。……私の、一世一代の演技を、御目に掛けられない事が残念でなりません」


 今から何が始まって、どう次期女王が救出されるのか――ディルに知ろうとする気は無い。

 それは興味が無いからでなく、知ってしまってはいけないもののように感じたからだ。

 万が一露見した時、ディルが心からの潔白を主張できなくなるから。全てを知っていて、それでも知らない振りが完全に出来る男ではない。仲間としての時間を過ごして来た相手なら尚更に。


 ディルを先頭にして、次期女王が待つ場所まで歩き出す。

 尖塔までの道程を最後まで名残惜しそうに歩むミシェサーは、最後尾だった。


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