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 鉄の扉は重苦しい音を立てて開く。

 開かれた向こうも、開かれる前の道も薄暗く、ディルの瞳は扉の向こうを簡単に捉える事が出来た。

 扉の開閉自体は、王妃もディルも何もせずとも行われた。近付くだけで開く鉄扉は、王妃の来訪を待っていた様だった。


「……此処は」

「見事だろう? ……我等が計画を立て始めたのは二十年前になるが、この『街』が出来たのはここ数年の話だな。ごく最近だ、それでも皆ここの暮らしに慣れ始めた」


 王妃が一歩を進む、そこは高台のようになっていた。木造の足場の下に階段があり、そこから下へと下りられる。

 広くくり抜かれた地面と岩盤の中に小さな街がある。そこかしこに灯りが焚かれ、足元も見えない程に暗い訳では無い。それでも仄暗く重い空気の中に、静かな人の営みがあった。

 整然と区画された道の脇に家々が立ち並び、店と思わしき建物もある。子供らしき小さな影が走り回り、かと思えば広場もある。

 街を囲む地層には、至る所に蔦が這っていた。太さもそれぞれの、陰にすら見えるような蔦が、崩落しないように支えているようだった。


「城に仕えさせている者もいるが、その縁者も多い。昔から我等プロフェス・ヒュムネの王家に仕えていた小煩い重鎮も住んでいたが、大半が今は土の中だ。娯楽を提供する場は無く日の光も当たらないが、それ以外は外界と変わらん」

「外と比べて息苦しい。空気が重いようだが」

「城の地下だからな。だが、治水は上手く行っているぞ。今年の雨季は浸水した場所も無かった」

「此の場は文字通りの『城下』という訳だ。……城へ行き来する度に、此の鉄扉を通るのかえ? 其れだけで疲労が溜まりそうなものだが」


 振り返って見る扉は、既に重い音をさせて閉じている最中だ。

 王妃は階段に向かいながら、振り返ることなく答える。


「他に外に出る場所はある。その扉は私達専用だ、王城直通だからな。他の者がそう易々使っても困るのだよ。私と私が連れた者しか通すなと、開閉係にも伝えてある」

「……此の場で暮らす限り、仕事に困る事は無さそうだ」

「そうでも無い。外に出て働きに行きたいと望む者はごく少数だ。……オルキデとマゼンタには外界見学の為に外に行かせたが、本来私達は異種の者に使われる事を望まない。そのせいで、いよいよこの零番街も仕事らしい仕事が無くてな」


 階段を下りようとする王妃に、先に行けと顎の動きだけで命じられたディルは先を進むことにする。

 先に進むディルの後ろを取った王妃は、その背に流れる銀の髪を眺めながら独白のような言葉を口にする。


「二十年の間に、我等はやっとここまで増えたよ。アルセンの庇護下に入って最初に生まれた子は、それは大きな祝福を受けた。その子も成人し、プロフェス・ヒュムネの指揮権を委ねられるようになった。子の子も生まれ、世代を重ねる事が出来るようになった。最初は繁栄のための相手を決められるだけの結婚も、やっと少しずつ自由意思を持てるようになった。とはいえ、外界で碌でもない血を引く子を作るより、多少混ざっていても同族との結婚を望む者も多い」

「……先程の、ロベリアと言ったか。あの者も其の繁栄計画のうちの一人という訳かえ?」

「ロベリア自体はそうだな。マゼンタも、ロベリアの事は憎からず思っている。……ああ、でもあの者自体は計画の外の生まれだ。母親は保護した後に、この国の貴族の屋敷に入っていたのだ。女従扱いを受けていた母親は、貴族の戯れで弄ばれ、子を宿した」


 階段はまだ続いている。長い階段は何回も折り返され、その途中の踊り場で王妃はドレスの裾を翻した。

 背中に声を受けるディルは、王妃の憂い顔を見る事は無い。


「私も知っている女だったのだがな、ロベリアの出産と共に命を落とした。陛下に約束させたプロフェス・ヒュムネの保護条項を根拠に、その貴族は追放してやったよ。……我等がどんなに目を光らせていても、その外に漏れる存在はどうしても出て来てしまうのだ。それもこれも、我等が国を滅ぼされた弱い存在として認識され、下に見られているからだ。我々を敵に回すと脅威になると、もう一度世界に思い知らせてやる必要がある」


 二人が階段を下りきる時には、既に下には住民が集まっていた。

 混血のプロフェス・ヒュムネばかりだ。それぞれ葉緑斑を持つ彼らの肌には、衣服に覆われていない肌に様々な模様が見える。片手が全て緑色の者、白目が全て緑に染まった者、髪色が黒と緑と斑の者。

 それぞれが多少差はあれど、外界では生きにくい姿をしている。

 ディルが階段下で立ち止まると、王妃ミリアルテアはそのまま住民達の前に出る。軽く手を挙げるだけで、彼等は両膝をその場に付いた。

 自分達の救世主になり得る存在に、敬意を込めて。


「そう畏まらずとも良い。今日は配下にこの街の様子を見せに来ただけなのだ、直ぐに戻る。邪魔をしたな」

「そんな事を仰らずに! 葵生様、お茶だけでもお召し上がりください!」

「……葵生?」


 住民の一人が引き留めるために言った、聞き慣れない呼称にディルが聞き返す。


「……私の名だ。私のプロフェス・ヒュムネとしての本名は、朱酒(アカサカ) 葵生(アオイ)という」


 端的に返した王妃は、目を細めた。

 王妃を囲むプロフェス・ヒュムネ達は、こんな地下にいても目が輝いているようだった。それほどに王妃は期待を寄せられている。自分達を解放してくれる存在に向けての敬意が瞳に表れていた。

 こちらに、と誘われた王妃は大人しくその後ろを付いていく。厚意を無下にする事は無いと考えての事だが、付き合わされるディルは眉間に皺を寄せる。今更こんな所に来て、プロフェス・ヒュムネが暮らす姿を見ても、ディルのやろうとしている事に変化は無いのだから。


「アクエリアよりも先に、其方に我が名を知られるとはな」


 平坦な感情でそれらを眺めているディルに、王妃の呟きが届いた。


「……アクエリアは知らなかったのかえ?」

「そうだな。思い返せば私は、あの人に何も伝えていなかったよ。祖国を離れて暮らすその時の私は、私の持ち得る全てが枷に思えていた。……何も教えなくても、アクエリアは聞かずに、私が話す時を待ち続けて側に居てくれた。あんなに優しいあの人を裏切ったのは私だ」


 王妃の言葉は後悔を乗せて、まだ続く。


「二十年前には戻れない。過去には帰れない。其方が六年前に戻れないように。私は未練を抱いたまま生きるしかなく、其方もあの者への恋情を抱いたまま私に仕えるしか無いのだろうな」

「……」

「もう後悔はこりごりだよ。私に出来るのは、この先の未来に生きる我等の同胞の後悔が最小限になるように、私が導くのみだ。……まだ、我等は独りでは生きていけない。ロベリアなど、顔を見られただけで『そう』であると分かられてしまう。私達の商品価値を無くす方法は、最早国を興して安住の地を作ることでしか叶わぬのだ」


 ――それは極端すぎる話だ。

 けれど王妃としてこの国を見て来て、同時に迫害を受ける種族として現状を見て来て。

 それで王妃とその同胞が二十年の時を費やして作り上げた計画とこの舞台を、ディルは否定できない。

 ディルも、極端な手段を用いて妻を取り返そうとしている。


「……殿下」


 慰めも、同調も、王妃にくれてやる気は無かった。


「我は、先に戻りたく思う。我のような新参が同席する場では無かろう」

「……そうか。……承知した、先に戻れ。先程と同じ道を辿れば戻れる。扉も、私が連れて来た者には開こう」


 ディルが踵を返すと同時、その背中に王妃からの声が再び投げ掛けられる。


「ディルよ」


 その言葉に肩越しに振り返ったのは、必要以上に傅きたくなかったから。


「これからは計画も大詰めになる。私からの呼び出しも頻度が増そう。その度にあの酒場から城まで来るのは骨だと、其方も言っていたな?」

「……ああ」

「荷を纏めて、この城に身を寄せろ。最初に通した応接室は、其方の部屋として使ってくれて構わない。少し不便だが、全てが終わった後には望む土地に邸宅を用意しよう」

「………」

「もう、あの酒場を経営する理由も無くなる。其方の妻とて、いつまでも其方を酒場に縛りたくなかろう。……想い続けるのに、場所は関係あるまい? 思い出は多ければ多いほど足を引っ張る。私が先に死した時には、あの者に其方を労うよう伝えておく」


 予想は出来ていた。

 二番街が崩落した時、順を追ってこの地が削られていく未来が。

 そして同時に、いつかそれは五番街まで及ぶと。

 その時に酒場が無事では済まないだろうと。


「だから、酒場は諦めろ」


 王妃の慈悲の無い言葉が、ディルの鼓膜を突き刺した。

 自分が何もかもを諦めて来たからと、他人にまでそれを押し付ける。

 今まで押し付けられ続けて来たディルは、またか、と諦めが混じるだけ。


 酒場が無事で済むのなら、王妃はこんな言い草はしない筈だ。

 諦めろ、なんて、瓦礫に変わってしまう未来さえ見えるような言葉を使わない。


「……少し、考える時間を頂きたい」

「猶予は無い」

「即答出来ぬ。酒場は、元は妻の持ち物だ。妻と過ごした地だ」


 古びた木造の三階建て。

 昔は客の喧騒の中に妻がいて、笑い声があって、料理に酒にと楽しむ客がいて。

 妻と過ごした一年は、ディルの記憶に酒場の中に居る妻の姿を刻み付けていて。

 水場。

 カウンター。

 客席と客席の間。

 私室。

 廊下。

 何処に居ても、何を見ても、笑顔の妻の姿を思い出せるようになっていて。

 今でも、私室で寝起きすると無防備な妻の寝顔が隣にあるような気さえしていて。

 全てが掌からこぼれ落ちた幸せで、その残滓に縋らないとディルは生きていけないというのに。


 それを、手放せと。


 ディルが狂おしいほど愛した妻の記憶を、時間を、当たり前のようにあった幸せの象徴を。

 ロベリアから能力を使われてまで忠誠心を穿ち見られた時よりも、平常心を保つことが難しい。


「……妻との記憶はひとつとして失いたくない。城に身を寄せる事は頷けても、妻の面影が欠けることを、我は望まぬ」

「……たいした愛情だの。執着とも言っていい。尤も、そうと知っていて仕えさせているのは私だ」


 ふ、と微笑を浮かべる声が聞こえた。


「酒場の保全は努力してみよう。言質は取ったぞ、城に来るのだな」

「……」

「荷を纏める時間くらいは待っていてやる。今日の日付が変わるまでに、私の許へと戻って来い」


 妻が隣にいない状態で、酒場を手放そうとは思えなかった。

 彼女を伴っていれば、酒場を捨てて国を出る選択肢はある。けれど、改めて王妃から言われると応が言えない。

 ここまで貪欲に求めたのは妻である彼女だけだ。ディルを絶望の谷底に突き落とす事が出来るのも。

 王妃の言葉はどこまでが真実か分からなかった。酒場を諦めろと言ったのも、ディルに城へと身を寄せる為の誘導だったのかも知れない。

 けれど今更問い返す気も無かった。もう、結論は出ている。


「……ならば、我も帰宅を早めぬとならぬな。今日はこのまま一度、御身の前から失礼させていただく」


 了承の返事を返して、ディルはその場を後にするしか出来る行動が無かった。


 言質などという、何時でも背けるようなものを信じる王妃の愚かしさが残念で仕方無い。



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