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 他愛ない昔話を続けているかのような感覚だった。

 昔の出来事を蒸し返されては、意味の無い郷愁に憑りつかれる。

 二度と戻って来ない栄光も、手放したくなかった情愛も、すべては記憶の中にしかない。

 騎士時代に受けたものが何も残らなかった、とは言いたくなかった。

 妻のくれた温もりは消え失せてしまっていても、もう一度その温もりに縋れる日が来ると信じている。


 それを実らぬとは、言われたくも無い。


「……はい。これで、半分終わりです」


 ロベリアの質問は、ある時を境に終わった。

 ディルにとっては何時間も無駄な話を繰り返していた気もするが、室内の時計を見ればまだ三十分も経っていない。

 質問が終わったのはディルが城を追放された後の話になった時で、ロベリアは王妃の方を向いて問い掛けた。


「先程の話に、殿下から見て偽りはなかったでしょうか?」

「……ああ。私が把握している限り、全ては真実だ」


 この長さでやっと半分にしか到達していないという、その長さに疲労感で溜息を吐く。

 聞いていたエンダも、気を揉んだらしくて表情が渋い。オルキデに至っては、まだディルの方を向こうともしない。

 椅子の背凭れに体を預けたディルは、息苦しさから解放されようと首元の布を引っ張る。釦までをはずすつもりは無いが、それだけで少しは気が紛れた。


「……」


 ディルの視線はオルキデに注がれる。冷たく、軽蔑を含んだ針のような視線。


「オルキデ」


 名を呼ぶと同時、彼女の肩が分かりやすく跳ねた。

 ディルとしても今更オルキデと顔を合わせるなどと思っていなくて、これまではいつも居丈高な妹に反し、彼女はディルには対し比較的大人しかった。

 そんな彼女たちが出て行った酒場では、店を開くにも手が回らないし食事の準備をしてくれる人員が減った――そんな認識しか無かったけれど。


「店主が三代変わっても居座り続けた酒場には、もう微塵も未練が無いと見える」

「……っ!!」


 遠慮のないディルの言葉は、オルキデの耳に届いている。

 けれど大きな反応を見せない彼女はまだ視線を向けなかった。


「……お怒りで、ないのですか。私達が、酒場を離れた事。妹が、貴方達と関わりのあった一般人を殺した事」

「異な事を言う。汝等が酒場を離れた件に関して――我が何かを思うとでも考えたか?」


 エイスの死の真相を知っている素振りも見せず、いつものように淡々とした口調。

 最愛以外の存在に、どこまでも淡白な男。

 ディルに対してオルキデの認識は変わらない。悪意も敵意も、自分に向けられていないならどうでもいいと。

 今のディルは最早そんな存在ではない事に、気付かないまま。


「オリビエを殺したのは汝の妹だ。それとも、あの場に汝が居れば汝も同じ事をしたのかえ?」

「……それは、……」

「ところで――そのマゼンタが居らぬようだが?」


 ディルがそう口にした瞬間、筆記具を乱雑に置く音がした。

 ロベリアがそれ以上を口に出させぬよう出した音だ。彼の無表情は僅かな苛立ちを孕む。


「続きを。……ディル様、次からは復唱は必要ありません。ご自身の心に、嘘偽りなくお答えください」

「……ふん。嘘偽りなど殿下の前で我が弄するとでも思うかえ」

「それは、これから分かる事です」


 ロベリアが髪帯の中に指を差し入れた。その中から出てくるのは、インクと同じ真紅の小さな粒。

 プロフェス・ヒュムネの能力の源である種は、そのままロベリアの口の中に放り込まれた。がり、と噛み砕き嚥下する音が聞こえる。音の主が数回瞬きをして、軽く右手を挙げる。


「ディル様。貴方は、何故『月』の隊長となろうと思ったのですか」


 それは先程もされた質問だった。

 僅かに吐息を漏らした後、似たような答えを口にする。


「……同じ問いを繰り返されるのは好かぬ。……我には、他の選択肢が無かった。他の者から膳立てされた立場で、拒否する理由も特に無かっただけの事。自ら出世を望んだ訳では無い」


 その瞬間だった。

 先程まで札に書き連ねられていた、ロベリアが引いたインクの線が空中に浮かび上がる。端から順に何もない虚空に伸び上がり、ディルの目線の上でうねうねと動いた。

 その景色を初めて見るディルが目を見開く。まるで生きているような動きをする真紅の線が、やがて目の前で文字を象る。


 『我には、他の選択肢が無かった。他の者から膳立てされた立場で、拒否する理由も特に無かっただけの事。自ら出世を望んだ訳では無い』


 先程ディルが口にした言葉そのものが文字となって現れた。

 ロベリアはその文章を視線で追い、納得するように数度頷いた頃、その文字はただの線となり解ける。


「……では、次。ディル様、貴方が王妃殿下の剣となろうとしたのは何故ですか」

「………、この文字は一体何なのだ」


 ディルが質問を投げただけでは、線は文字を象らない。

 ロベリアはわざとらしく溜息を吐いて、再び同じ言葉を投げかける。


「貴方が王妃殿下の剣になろうとしたのは何故ですか」


 ディルの質問に回答する気が無いらしい。得体の知れない能力を目の前にして、大人しく質問に答えるしかディルには選択肢が無い。


「……以前捧げた誓いだ。其の時は未だ契っていなかった妻と我へ向けた、望まぬ離別の命令を撤回するならば、我は命ある限り国の為に剣を振るうと」


 真紅の線は、再びディルの言葉を文字にする。浮かんだままのそれらは、ロベリアの視線で確認されて再び解けた。


「それでも貴方は一度は王城を追放された身。誓いはその時に反故にされたようなもの、でしょう? けれど貴方が殿下に追い縋ったのは何故?」

「そんな事――。我を置き去りにした妻にもう一度、死した後に労われる為だ」


 真紅の線が、再び動いた。

 そしてディルの言葉がそのまま文字となる――筈が、途中の部分部分で、それらがテーブルの上に落ちる。

 空中に残った文字は、『我を置き去りにした妻に』だけ。


「……嘘偽りなく、と申し上げた筈ですが」


 文字になりきれなかった線は、まるで死にかけた回虫のようにテーブルで蠢いていた。偽りを文字にしきれなかったインクが、テーブルに真紅を広げる。

 ちらりと文字を見たロベリアが、その文字数の少なさを確認すると同時に文字は解ける。


「……偽りを述べた心算は無い」

「それも嘘ですね。……戦闘能力を持たないプロフェス・ヒュムネである僕の能力が、これなんです。今の僕の前では嘘なんてつけませんよ、マスター・ディル」


 空中に浮いていた文字を見て、カリオンがその意味に気付いた。

 『死した』の文字さえ、落ちた。ディルは彼女が生きている事を知っている。

 他の者は、ディルが偽りを弄した事に対しての猜疑心で、大半の文字が落ちた事だけを重要視していた。もう、文字は解けてしまったから他の者は再度確認する事も出来ない。


「僕の能力は、僕の花から出来たインクで、話す側の言葉を、本人の認識している形の真実のみ象る。それまでに相手の体温を知っておく必要があって、真実を幾つか話させておく必要があって、偽りを口にした時の相手の違和を受け付けない。貴方の嘘は、僕の能力には通じない」


 ディルにとっての嘘は、全てテーブルに落ちた。

 ロベリアの瞳は、ディルだけを見続けている。


「もう一度お伺いします。貴方は何故、もう一度殿下の為に剣を振るうと決めたのです?」

「………」

「再び、直接的な形で殿下に仕えようとしたのは何故ですか?」


 カリオンの言っていた面倒臭い相手、というのはどうやらこういう事らしい。

 確かに面倒で、厄介だ。真実しか言う事を許されないのに、考える時間も与えられない。

 王妃を目の前にして、面倒だからとロベリアを害する事さえ出来ない。


「……」


 それでも。

 空中を漂う不快な真紅にさえ、『妻に』の言葉に偽りがないと認識されたのはディルとしても幸いなことだった。

 思考を纏めるために、手の爪でテーブルを軽く叩く。嘘が通じないのなら、嘘ではない内容で敵意が無い事を表さないといけない。


「そうしなければ、妻に逢えぬと思ったまで」


 再び、真紅の線が宙を舞う。

 こうでもしなければ妻を奪還する手段が無いのは本当だった。今度こそ、線はディルの言葉をそのまま象る。

 誰もが認識できる真実として、ディルの言葉が空に浮く。そしてそれらが解けてから、再び質問が投げられる。


「訊ね方が悪かったかも知れませんね」


 答えはロベリアのお気に召さなかったらしい。質問の趣旨を理解していないのか、それとも理解しているから何とでも取れる言葉に変えたのか。ロベリアはディルとの関わりが皆無と言っていいほど無いから、そのどちらなのか分からなかった。

 最後の質問、と前置きしたロベリアは、今まで以上に圧を掛けた声で問い掛ける。


「貴方は、殿下を裏切りませんね?」


 本当に聞きたかった質問はこれか、とディルが納得した。

 口先だけで何とでも言える男だと思われていたのは不愉快だが、そうしようと思ったディルも確かに居る。

 納得も自嘲もディルの中では、今だけは他人事にする。

 そして、即答と言える早さで回答を送った。


「我は裏切られぬ限り、率先して誰かを裏切ろうとはせぬ。尤も、我を極度に不快にさせる者は其の限りでは無いが」


 その言葉がそっくり、文字となり全員の目に触れた。注釈のような言葉もそのまま。

 王妃はいつも通りのディルの回答に苦笑し、カリオンは目を伏せた。エンダは複雑そうな表情をしたままで、オルキデは一度視線を向けてまた逸らす。

 浮かび上がった言葉自体が、既に手遅れだというのに。


 王妃の行為は国への背信だ。この国に住むディルをも裏切る行為であるのは間違いない。

 それに――王妃を含むプロフェス・ヒュムネの悪行については、ディルの中では『極度に不快』の域にまで達している。


 けれど、それ以上の言葉を求められる事は無かった。王妃を始め、他の誰も追及して来なかった。

 元から婉曲な話し方しかしないディルだ、直接的な言葉で忠誠を示さなくても、それで充分と思われたのかも知れない。


「……。ありがとうございました。質問は、以上です」


 ロベリアがそう述べ、一通りの詰問が終わった。

 彼の指が蓋が開いたままのインク瓶を軽く掲げ、その中に自ら入っていく深紅の線。

 それまで文字を象っていた線は、大半がその中に入っていく。ただ、乾いてしまったのか瓶の中に入る線は最初と比べて量が少ない。

 全て入り切った後に瓶を置くと、先程まで瓶を持っていた掌に真紅の花が咲いていた。手に収まる程の小さなもので、花弁は六枚。花の生殖器官である蕊は無い。

 瓶の上で、ロベリアがそれを握り潰した。それほど水分を保っていたように見えない花弁が、絞られて真紅の液体を流す。ほんの数滴だったが、瓶の中に滴り落ちる。

 これで、ロベリアの能力の一部始終がディルに明らかになった。二度同じ手を使うとは思わないが、何かあれば対策を練られる。


 それまでは真紅としか思わなかった瓶の中のインクが、まるで血のように見えたのはこの時が最初だ。


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