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 城に通された三人は、最初に応接室での待機を命じられる。

 珍しく紅茶と茶菓子まで用意されたが、それらに誰も手を付けない。

 今日通された応接室は、一番使用頻度の少ない場所だ。薄赤の絨毯に真紅の窓幕、ソファは革張りでテーブルは塗料が厚塗りされた白。調度品の類は置いてなく、代わりにその場に不似合いな白一色の寝台があった。

 それを見た瞬間、三人の表情が硬くなる。この寝台に意味がないとはどうしても思えなかった。


「……どうしますか。誰か呼びに来るまで、一緒に寝ますかお兄様?」

「お前リトの声でそれは止めろ」


 ミシェサーがぽんと放った軽口に、ヴァリンが本気で嫌な顔をした。

 声と言葉がちぐはぐな状況に慣れないのはヴァリンだけではない。一応、第二王女はディルも一時期傅いていた相手だ。そんな王女の声で下心満載な言葉を放たれたくない。

 

「ミシェサー、其の声は此の先も其の儘なのかえ?」

「いいえ? 少しずつ元に戻ろうとするみたい。前の声に完全に戻るのは無理なんですけど、この声も……多分、保って三日くらいかしら。その三日の間に私が城を出られなければとても危険なんですけれど、私は皆さんを信じていますから」

「……」


 自身の喉を擦りながらそう口にするミシェサー。危険な賭けと知りつつこんな手段で王女を助けようとするミシェサーの覚悟は無駄に出来ない。

 文字通り顔も体も『武器』『道具』にするという『風』隊の話は聞いていたが、その実物を目の当たりにするとまた違う印象を受ける。ディルは改めてミシェサーの体を上から下まで眺めていたが、その異様に目を引く髪の色以外は少し美人などこにでもいる女のようなのに。

 不躾なディルの視線を受け、ミシェサーが微笑んでみせた。


「なあにディル、一緒に寝てみる? 何もしないって保証はないけど」

「断る。アールヴァリンも言っていたが、其の声で戯けた事を口にするのは止めて貰おうか」

「なんだ。てっきり私は火遊びがしたいのかと思ったわ」


 うふふと笑うミシェサーから呼び捨てにされるのも、聞き馴染みのある王女の声だから許される事で。

 ディルとヴァリンはソファに向かい合って座るが、ミシェサーは寝台の側の床に腰を下ろす。酒場でもそうだったが、椅子が用意されても床にばかり座ってばかりなのがミシェサーだった。


「にしても。茶菓子が用意されてるって事は待たせる気だな。あんまりお加減が宜しくないのか」

「先日からそうだったからな。薬が無ければ、体も思うように動かぬであろ」


 薬は、ジャスミンしか調合法を知らない。黙っていろと言ったのはディルで、それを渋々納得したのはジャスミンだ。

 あの薬が無ければ絶対に死ぬという訳ではないだろう。しかし、どれだけ症状が長引くかも分からない。今は、新女王即位という王妃の愚行の始まりを長引かせるだけの手段でしかない。


「私、食べると声の調子変わるから遠慮しておきます」

「ディルは食べるか?」

「要らん」


 二人に断られた紅茶も菓子も、そのままテーブルに鎮座している。

 城内の毒がもう消えたかもわからないのに、ヴァリンさえそれを口にするのを躊躇った。

 窓の外の様子をヴァリンが視線で窺うが、今までと何も変わらない中庭が見えるだけ。冬に近付くというのに、今でも様々な花が温室も無いのに咲き誇っている。これまでヴァリンはその景色を当たり前の景色として暮らしてきた。――けれど、今年は特に異質だ。

 花は確かに地面に咲くものだ。しかし寒ければ散って種を残す。まるで冬の訪れを拒むかのように咲き続けている花の数々は、ヴァリンの目から見ればそれだけで薄ら寒さを感じてしまう。

 散る運命から解き放たれた花は、他の種族に害を及ぼさない、とは言い切れない。


「……王妃は、本当に……俺達の国の王妃として生きて来ても、自分達の種族にしか興味がなかったんだな」


 義母と呼ぶことを止めた王妃へ、口に上るのは失望。

 一時でも彼女を義母として尊重した時がある事を後悔すらしている。

 複雑に絡み合った様々な思惑の中で、王妃の意思はヴァリンにとって毒だった。国の創立神であるアルセンは、子孫のヴァリンに何の加護も齎してくれなかったらしい。


「案外、我等とて祖国を滅ぼされれば同じ道を歩むやも知れぬぞ」

「……それは、何とも言えないな。草の奴等は、特殊能力があるからこんな手段が取れるんだ。……俺達が滅ぼされた所で、奴等に勝てる事なんて……」

「勝てずとも、繰り返す」


 ディルが静かに口にした言葉に、ヴァリンが押し黙る。


「所詮滅びた国の者共だ。これから先純血の者が新たに生まれる事は無い以上、其の血は薄れるのみ。……汝の体に流れる神の血が薄れたようにな。力薄まった時に、かつての祖国を取り戻そうと考える輩が出ないとも言い切れぬ」

「……」


 プロフェス・ヒュムネは、他の種族とは決定的に違っている部分がある。

 純血の者のみ即位できる彼等は、これまで女王はいても男の王はいなかった。

 それは純血のプロフェス・ヒュムネが生まれるには『母樹』と呼ばれる樹から命を与えられるしかなく、それもこれまで女性しか確認されていない。

 およそ十年周期で新たな女王候補が生まれるが、実際代替わりが行われるのは三・四代を経てだという。

 今までそうやって築かれた彼等の歴史は、その過剰すぎる自尊心を高めるに充分だった。その自尊心は、純血でなくてもプロフェス・ヒュムネとしての教育を受けた者なら胸に抱いている。


「……俺達が生きている間に、この国を……元のアルセンに戻せると思うか? 草の奴等にここまで中枢に入り込まれて……いや、それを言うとあいつらが居ないアルセンを俺は殆ど知らない。けれどちゃんと、あいつらを排除できると思うか?」

「知らん」


 ヴァリンの問いかけは、たった一言で切り捨てられた。


「妻が帰還した時には此の国を出る。後の事になど興味が無い」

「……そうか」

「其れでも、後には指導者が必要になるであろうな。汝にその心算があるのなら、弱音は吐かぬ事だ」


 これから先、もし国を奪還できてもディルの助けは見込めない。

 ヴァリンの表情が暗くなるが、まだ来ても無い『これから』を考えるには気の早い話だった。


「……」

「………」


 二人の間に沈黙が漂った時、ミシェサーとヴァリンが同時に反応した。


「殿下」

「ああ」


 足音が聞こえる。ディルが反応したのは二人よりも遅く、三人は近付く靴音に耳を澄ませた。

 音はこの応接室の前で止まる。それから、扉から聞こえる打音。入室の伺いに声は無く、扉は開かれた。


「――ディル」


 現れたのは、一人の男だった。

 見知った筈の黒髪は今日も落ち着きが無く毛先を四方に跳ねさせ、藍色の瞳は無感情に室内を見ている。ディルに視線を向けた時、彼の口が開かれた。


「……」

「王妃殿下がお呼びだ。私と一緒に来て貰おうか」


 『鳥』騎士隊長、そしてアルセン国騎士団長のカリオン・コトフォール。

 白銀に輝く鎧を纏った彼は、敵もいないのに戦争に赴くような姿だった。


「……待て、カリオン。呼ばれてるのはディルだけか」


 ディルだけを視界に入れて同行を伝えたカリオンに、ヴァリンが剣呑な視線で尋ねた。

 その視線を受けたカリオンは、感情など殆ど無い顔を向けて言い放つ。


「ああ、そうだよ。貴方とミシェサーはこの場で待機してもらう。出歩く事もしない方が良い、私だって君達を縛り付けて転がしたい訳じゃない」


 現時点で王兄となる事が確定しているヴァリンにも、カリオンは敬意を払う言葉遣いをしない。

 醸し出している空気に、ミシェサーが俯いた。真っ直ぐ見ているには強すぎる圧だ。促しているようで反論の余地さえ与えないような、強めの言い切りの口調。


「……ディルに何かしようって考えじゃないだろうな?」

「……。さぁ? 私も殿下のお考えの全てが分かる訳じゃないからね。貴方達も、何かしら思う所があるのなら私達の命令に大人しく従っていた方が賢明だと思うよ?」


 王子殿下に対しての敬意は、そこには無かった。

 もしかしたら最初から、城が今の状況になるより前から無かったのかも知れない。そう邪推するくらいに、ヴァリンも卑屈なのは弟と変わらない。

 ディルは無言でソファから立ち上がる。ここで分断されるのは想定外だが、荒事を起こすのは今でないと理解しているから拒否はしない。


「物分かりが良くて助かる。……じゃあ、ディル。行こうか」

「……」


 いつものように、腰に佩いた剣をわざと位置を整えるようにして、カリオンに促されるまま部屋を後にする。敵意あればすぐに剣を抜くという意思表示だ。

 残されたヴァリンとミシェサーは視線を合わせている。扉が閉まって、感知できる足音が遠ざかってから口を開く。


「……やっぱり私、今のカリオン様は嫌いです。べーっだ」


 第二王女の声で、彼女のものとは違う抑揚でミシェサーが舌を出した。

 その感情すら意図的に作り出したものなのか、ヴァリンには分からない。この女は裏表が有り過ぎる。


「でも、どうします? アールリト様を救出に行くには、今は難しいですね」

「……仕方ない、今は様子見だ。あいつが何させられてるか分からない状態で動く訳にもいかないしな」


 行動が制限されている状態で、わざわざ虎の尾を踏むような下手は打てない。

 ディルだけ呼ばれた理由は分からないが、それさえも良い事ではないのは分かっている。

 このまま軟禁――という訳では無いだろうが、それには部屋にある寝台の存在が否定を許さない。


「この寝台、何の為にあると思う?」

「え。お好きにしっぽりよろしくどうぞって意味じゃないんですか」

「いい加減にしろ」


 相変わらず下の方に話を持って行きたがる部下を冷たく一蹴し、ヴァリンが頭を抱えた。


「……ディルを酒場に帰さず、城に囲おうって訳じゃないといいがな……?」


 まさか、と思いたいがミシェサーが否定しない。その予感には彼女の中にもあって、敢えて口にしなかった。

 口にしなければ良かったと思うヴァリンだが、既に声は空気を揺らした後だ。

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