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 酒場に住まう裏ギルドメンバーが瓦解した、と謁見の間で玉座に座る王妃に諜報員が告げたのは、酒場内でその手筈をディルが説明した二日後だった。

 諜報員が確認したのは、酒場の中の怒号と、荷物を持って時間もばらばらに酒場を後にする者達の姿。


 自警団員のアルカネット、この日を境に五番街自警団詰所へ。

 居候のアクエリアとミョゾティス、半日遅れで十番街のフュンフが院長を務める孤児院へ。

 医者のジャスミンは、処刑予定のクプラの主治医として酒場に留まる。

 ギルド副アールヴァリンとその部下ミシェサー、マスターのディルは酒場で姿を確認。

 酒場の面々の間にどういったやり取りがあって、半数が酒場を離れる事になったのか――それは未確認として王妃の耳に報告が入った時、ミリアルテアは眉に皺を寄せていた。


「……ほう?」


 怒声とは穏やかではない。アルカネットが傷を負っていた事も、その時報告された。

 アクエリアとミュゼが行動を同じにしていると知って王妃は唇を引き結んだが、それだけだ。

 実質、今酒場に残っているのは王妃が何を言っても素直に命令を聞く者だけだ。面倒が減って助かる、という感想も浮かんで消えた。


「フュンフは、……何方派なのであろうな? 私の思惑に気付いていながら、酒場の離反者を受け入れるものか? 進退を考えさせてやってもいいとは思うが……すべて終わった後でも構わんだろう」

「フュンフ様は、以前プロフェス・ヒュムネの奴隷を匿った時に二人と関わったそうです。縁故を理由に二人が押しかけたものと思われます」

「其方は、あのフュンフが縁故で動く男だと思うか? ……まぁ、良い。我等に反旗を翻した所で、あの堅物が勝つ可能性は万にひとつも無い」


 王妃の油断は、計画が進んでいるからに他ならない。

 しかし報告している諜報員は、頭を深く下げて顔を見られるのを拒んだ。王妃の傲岸な物言いを、顔を歪めずに堪えられそうになかったから。


「ふふ、この城下内であれば下々の誰が何処へ行こうと別に構わんよ。その時になれば、アクエリアもその恋人とやらも我等が復興の礎としてやろう。昔の男の血肉を啜るのも、私に箔が付くだろう。……緑と共に生きる、蟷螂のようにな」

「……」

「しかし、酒場で暮らす者が減ったのなら好都合やも知れぬな。ついでだ、今日にでもあの面々を城へと呼び寄せろ」

「承知、致しました」


 そう返事した諜報員も『風』の一員。

 そして彼は、王妃ではなくアールヴァリンに命を預けた者だった。




「聞きつけて早速呼び出しか。はは、あの人は何を焦っているのやら」


 諜報員がミシェサー経由で王妃の呼び出しを伝えた時に、酒場に残っている全員が一階に集合していた。

 残った全員はジャスミン以外ものの見事に料理が出来ないので、処刑が確定しているクプラの手伝いで五人分の食事が用意される。報告を聞いたのは、丁度昼食の時間だった。


「でもぉ、呼び出しでしたら好都合じゃないですかー? 私も『そろそろ』って思ってましたし」

「………」

「ご飯食べたら行きましょうかー? ジャスミンさんは呼ばれてないんですよね。まー、死刑囚の見張りがいなくなるのって問題でしょうし当然ですねー」

「死刑囚……」


 遠慮のないミシェサーの言葉は、当事者のクプラが反芻する。

 生きて来てこれまで呼ばれた事のない言葉だった。尤も、呼ばれたらあとは死ぬだけなのだが。

 いつもと変わらないミシェサーに、どこか悲し気な視線を向けたのはヴァリンだけだ。


「……ミシェサー。行く途中で、何処か店に寄ろうか。食料品は難しいだろうが、他の嗜好品や装飾品は買えるだろう。何でも好きなもの、ひとつかふたつ買ってやる」

「いいんですかぁ!?」


 ヴァリンが珍しく、部下に対して優しさを見せた。好きなものを、と言われてミシェサーの瞳が輝く。

 でも。


「うふふ。ふふふふ。要りません」

「……」

「その気持ちだけで、私は嬉しいです。全部終わったあとにいっぱいいっぱい褒めてくださいね」


 満面の笑みのミシェサーに、何も言えなくなる。

 そして昼食もそのままに席を立つ桃色髪を、ジャスミンが目を丸くして引き留めた。


「え? ミシェサーさん、お昼は……?」

「んー。お城に呼び出しってなるとこっちも用意があるので、すみませんが食べられそうに無いです。帰って来たらおなかいっぱい食べさせて貰いますねー」


 いつもと変わらず、飄々と。それでも声を掛けようとするジャスミンを止めるのはヴァリンで。


「いい。あいつの事は気にするな」

「でも……」

「女の用意は時間が掛かるんだろう。……ソルが昔そう言ってた。お前らだけで食え」

「お前らだけ、って……ヴァリンさんは?」

「俺も、入りそうにない。……折角用意して貰ったのに、悪いな。帰った時に食べられそうなら、食べるから」


 声を背中に受けるミシェサーは、自分の部屋に入って。


「……ふ。……うふふふっ。初めてじゃないのに……ああ、本当に……」


 自分の震える指で、扉を閉めた。そして荷物の中から薬品の小瓶と、先端に綿球を取り付けた細長い棒を取り出すと、寝台に潜り込む。この季節柄厚さのある掛け布を、深く被って。


「痛いのも苦しいのも嫌いじゃないけど、これは本当に慣れなくて……。ああ、殿下に体を抑えつけて貰えば良かったかしら……」


 薬品に綿球を浸し、それから感じる異臭に顔を顰めながら瓶の蓋を閉める。

 震える手を沈めるために、深呼吸。吐き気を催す臭いがするが、これからする事で起きる苦痛は臭いの比ではない。

 息を吸う喉すら震えている。今からそんな事では、この先待ち受けるものに堪えられないと自分に言い聞かせ。


「……二秒、くらいで大丈夫かしら? ……ふふ。何でも買ってくれるだなんて」


 ――私の欲しいものは、貴方からのお褒めの言葉だけで充分なのに。


 性愛以外の愛を知らないミシェサーだったが、自分の中にはヴァリンへの忠義がある。忠義、などという言葉では括り切れない敬愛だが、それに本人は気付かない。

 恋愛感情でなくとも、それは深い愛情。その愛の元に、ミシェサーは自らを苦痛の沼に放り込む。


「………ん、っ、!」


 自分を信じて重用してくれた、ヴァリンの為に。


「ぐ、あ、が、っ、お、あっ………!!」


 涙を浮かべつつ苦悶の声を漏らしながら、常人では耐えられない激痛と嘔吐感を耐え切って、そんなミシェサーを見届ける者は、誰もいなくても。

 自らの声帯を薬と器具で物理的に変えるミシェサーの苦しみは、誰にも知られないまま。




 全員の昼食が済み、ディルもヴァリンも城へ行く為の簡単な準備を済ませる。

 けれどヴァリンは、ミシェサーが下りて来るまでにジャスミンとクプラに階段に近寄るなと言いつけた。それは苦痛に呻くミシェサーの声が聞かれるのを避ける為。

 そうして再び四人が一階の客席に集まった後でミシェサーが下りて来る。着替えたようで、淡い黄色の上衣(ブラウス)と踝まで届く黒の下衣(スカート)には露出が殆ど無い。


「……」


 貼り付けたような笑顔を浮かべたミシェサーは喋らない。ただ、ジャスミンには手を振って愛想よくしている。

 彼女の持つ荷物は肩から下げている小さな鞄だけだ。いつもより控えめな化粧を施した顔は、気のせいかいつもより目尻の角度が上がって見える。熟練者の化粧は顔の作りさえ錯覚して見せるような手法があるというから、ジャスミンはそうだと信じて疑わなかった。


「それじゃ、行って来る」


 ヴァリンはディルとミシェサーを伴って、酒場を出る。

 最後尾に付いたミシェサーは、一度だけジャスミンを振り返り。


「――」


 これまでの感謝を、声に出さずに唇に乗せる。

 『ありがとうございました』。

 そしてその場でくるりと一回転し、下衣を軽く摘まんで淑女の礼をして扉の向こうに姿を消した。その仕草はまるで演劇の舞台女優のように。


「……え?」


 ジャスミンはその姿から目を逸らしていた訳では無い。ちゃんと、最初から最後まで全部見ていた。

 だからこそ、それが今生の挨拶に見えた。


「……んじゃ、お前を送り届けるとしようか」


 扉の外では、ディルとヴァリンがミシェサーを待っている。

 二人に向ける表情も笑顔だ。


「少ししか休んでないんだし、体もキツいんだろ。無理するなよ」

「ありがとうございます、お兄様」


 そこで漸く口を開いたミシェサーの声に、ディルが目を瞠る。

 その声はミシェサーがこれまで発していたものとは違っていたのだ。目の前の女はミシェサーに違いない筈なのに、声と口調で第二王女であるアールリトを思い起こさせる。


「……まだ本番じゃないんだから止めろよ。その声でお前の顔だとちょっと混乱する」

「いいじゃないですか。声はどうあれ、私の口から出た言葉が聴けるのもこれで最後かも知れませんよ?」

「……アールヴァリン。ミシェサーは」


 口調すら王女に近付けている。部屋に戻った時点で、ミシェサーの戦いは始まっていたのだ。

 ヴァリンは気まずそうにディルに一度視線を向け、それからまた逸らす。


「ミシェサーを、一度リトの部屋に入れる。その時にリトをミシェサーに化けさせ、二人を交代させて外に出す」

「……可能なのか」

「リトと交代させた後は城をすぐ出るつもりだから、外に出るまで何とかする。が、ミシェサーは身ぐるみ剥がさんと分からんだろうな。リトは部屋の中で毛布被ってただろ、あの姿で声がこれならまずうちの愚鈍な騎士共は気付かん」


 次期国王である第二王女の身ぐるみを剥がす胆力のある騎士が居ない事を愚鈍と言っていいのかは分からない。が、ヴァリンの考える手段が一番王女を助け出すのに確実な方法なのだろう。ディルには他の手段など講じる事すら出来なかったし、ヴァリンが妹を想う気持ちも本物だ。

 城や王女の事でなら、ヴァリンを超える悪知恵を持つ者はいない。


「……だが。其れならば、ミシェサーの身が」

「心配は要らないわ、ディル。私は、貴方達を危険に晒すような無様な真似は絶対にしない。それよりも、貴方達の方こそ気を付けて。もう私が助けに行ける事は無いんだから」

「……」


 王女の口調で言い切ったミシェサーは、既に役になりきっている。ディルもそれ以上は口を噤んだ。

 覚悟を決めている女の身の安全に言及するなど、騎士に対する侮辱だった。


「……ミシェサー。本当に、何も要らないのか。今なら寄り道くらい出来るぞ」

「まぁ。ふふ、優しいのねヴァリン兄様。……良いのよ。王女の持ち物が急に増えていたら、他の騎士達だって怪しむかも知れないわ」

「………。……」


 確かに、これはミシェサーにしか出来ない任務だ。ほぼ完璧と言っていいほど、第二王女の所作を模倣している。ディルがもし偽られる事になったら、この声をミシェサーだと見破れなかったろう。

 けれどディルは、そんな彼女が負った苦痛までは知らない。その苦痛を受け入れた覚悟さえも。

 今回の呼び出しは何の為か。

 ディルの思考はそれに傾き、城までの距離が縮まっていく。



 

 

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