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ディル二十五歳―5


 不安しかない。


 カリオンの言い分は尤もだ。それはディルだって、サジナイルだって分かっている。

 どういう理由があろうと『花』の隊長格が葬儀を中座するなんてあってはいけないし、それ以前に彼女の背景を考えれば思考は一度立ち止まる。

 懲罰房のみならず、教育部屋にまで入れられた。彼女の体にはその時の焼き印が痕として残っている。

 彼女自身の責ではないが、敵は多い。

 独身の女、それもあれ程の美貌を持っていれば『良くない思惑』に巻き込まれる可能性だってある。黙っていれば所属の符号に違わぬ花なのだ、その美しさを地位ごと掌中に都合よく収めたいと思っている馬鹿は湧いて出て来るだろう。

 女性が隊長職に就いた前例はある。

 けれど、彼女がその前例のようになれるとはカリオンも思っていなかった。


「……俺は、……俺の立場で言える訳じゃないけど。あいつは、ネリッタが大事にしていた副隊長だ。正式な引退とかじゃなくて引継ぎも無くて、こんな流れであいつが隊長になって……今から来るだろう心労とか、そういうのに、あいつが耐えられるとは思えないんだよな……」


 サジナイルが素直な心境を吐露する。

 彼女に対しては年齢差を思わせない喧嘩仲間のような仕草を見せる彼も、内心では彼女を娘のように思っていた。それだけ人好きのする性格をしている彼女に、これ以上の苦しみを味合わせたくないというのが本音の半分。


「……それに。あいつが隊長になるってんなら……騎士団はいきなり若返り過ぎだ。変化についていけない年取った奴等からは反発が来かねない。『月』も『鳥』も、果ては『花』までってなるとな」

「ふん」


 それは自分が『年取った奴等』の一員だから言うのではないか。ディルの思考はその一言に集約される。

 ディルの考えに気付いたサジナイルも苦い顔をするが、意見のひとつとして出していて悪いものでも無い。カリオンはサジナイルの意見も聞いたうえで、一度深く頷いた。


「彼女が隊長になって挙げられる利点は何があるだろう?」

「利点? ……引継ぎが容易な事だな。曲がりなりにも副隊長だったんだ、隊長の執務も見ていたろうさ。引いては部下の扱いも難しくないだろう。副隊長がそのまま隊長になるだけで、傅く部下は変わらないで良い。『花』隊の動揺が一番少なくて済む」

「騎士以前から城に仕えていた、叩き上げである事も利点であろう。此の城が、王家が、どういった行動を好むか良く知っている。王家とも繋がりがあり、長く国に仕えた。あの裏ギルドとも濃い接点が有る故に、無下に出来ぬ」

「……」


 サジナイルに続いてディルまでもが饒舌に語り始めたのを見て、カリオンが目を丸くする。

 ディルが彼女に関心があるようには、カリオンは見えなかったのだ。特段邪魔にもならないから側に来ても邪険にしないだけだと、ディルにとってはその程度の存在なのだとサジナイルもそう思っている。


「その利点は彼女を隊長に置いて、不利益と差し引いて益が残るかな……?」

「……残らない、かもな。騎士のゴタゴタが原因で後に残るはアルセンの焼け野原、なんて俺は御免だぜ」


 腕も足も組んだサジナイルは、片手をぱっと開いて見せた。何も残らないと言いたげな言葉と仕草は、ディルの眉根を顰めさせるに充分で。

 二人とも、彼女を過小評価している訳ではない。その能力と人柄を知っての判断だ。けれど、ネリッタの死亡直後という事もあり、どうしても思考は悪い方へと行ってしまう。


 ――そうなる訳が無い。


 彼女が『月』へと異動すればいいと思っていたディルの胸の中に、二人への憤りが湧き上がる。


「……汝等は、あの者が隊長に就任する事に反対だと?」

「有り体に言ってしまえば、ね。……だって、そうだろう。今、隊長に就任して一番苦しむのは彼女だ。戦争が停戦になって不安定な状況で、それでも耐えて貰わなければならない。でも、あの人はいつものように笑顔で居てこそだと思っている。その笑顔が消えるような事があるなら、私は就任には頷けない。……正直、このまま副隊長の座に就かせるのも危ないとも思っている」

「俺もだ。隊長は意地も張れねぇ奴がなれる立ち位置じゃねぇしよ。……あいつはまだ若いし、これから先挽回の機会は幾らでもあるだろ。今はあいつがそう望むなら、副隊長の職からも少し引いて休んでもいいと思っている」

「……」


 今更、彼女にも向けた失望の天秤が姿を現した。そして、二人の言葉に傾く。

 失望などという言葉で片付けて良いものでもなかった。けれどディルはこの時、自分の中に心と呼ばれるものがあって、何かに動かされるものであるとは思っていなかった。


「汝等は」


 彼女の何を、今まで見て来た。

 彼女が中座したのは何の為だ。

 決してそうやって、隊長職が務まる筈が無いと侮られて良い筈がなかった。

 直向きで、高潔で、自分が汚名を背負っても、隊への侮蔑を不器用に避けようとした。今でさえ苦しんでいるのに誰に泣き付こうともしていない。そんな彼女を、ネリッタ以外の人物の下にまた就かせようというのか。

 ディルの憤りは強くなる。自分が侮辱されても特に実害が無ければ好きに言わせていたディルだが、彼女の話になると違う。


「其れで良いと、本気で思っているのかえ? あれ程の力量を持つ騎士を、奥に仕舞いこんで出さずとも良いと」

「あ? ……だってよ、擦り切れた革靴は使えねぇだろ。あいつは革靴じゃなくて、時間が経てば自分で修復出来るんだ。あいつを使い捨てるなんてしたくねぇよ」

「私もだよ。……惜しいからこそ、引いて貰いたい。今を無理すると、後に響くよ」

「……」


 騎士としての彼女が欲しいのは、本当だ。

 でも、そんな彼女が侮られていると知って――怒りが湧く。

 ネリッタの死で擦り切れる女か。

 ネリッタに寄りかかったままでいると思われているのか。

 擦り切れると思うのならば何故寄り添わない。

 彼女以外にはするであろうそれを、何故彼女にしない。

 女を弱いものとして見ている二人に嫌気がさす。女という括りで見られるだけの存在なら、ディルだって遠い昔にそうしていた。

 女だというだけで遠巻きにされる存在なら、彼女は初めて逢った時に自らの手が震えつつもディルの怪我を治療しようともしなかっただろう。

 


「そうか」


 カリオンも、サジナイルも、ディルの一言に安堵の溜息を漏らす。

 これで三人の意見が一致。そう思った事だろう。


「では、我も隊長の座を退くか」


 その安堵が驚愕に塗り替えられた一瞬は、ディルの瞳から見ても滑稽だった。

 事も無げに言った言葉は面白くも無い冗談のようで、ただその一言で何十人もの騎士が動く羽目になる内容。


「……は? え、っ。ディル……? 冗談、だよ、ね?」

「冗談なものか」

「おいおい本気かよ。お前が言ったんだろ、アイツを隊長だと認める奴は気楽者だって」

「そうだね、私も今のあの人には不安しかない。……確かに私たちの責かも知れないが、それでも」


 『花』副隊長のいない城に、騎士団に、『月』隊長の座に。


「此れまでのあの者の功績を忘れたものはいまいな。ネリッタ亡き今、誰があの者を使える」


 元から押し付けられたようにして座る地位に、何の未練も無い。


「団結させる能力は突出している。『花』副隊長が隊長にならず、他の者がその座に就いた時。新隊長の就任で混乱した配下は誰の言葉を聞く。サジナイルの言ったような内輪揉めに巻き込まれるのは御免被る。其の未来が見えているからこそ、我は其の時には此の席を後任に譲ろう」


 彼女が副隊長になる前から、彼女を慕った者は多い。女騎士の中には、彼女のお陰で尊厳が保たれたと公表する者も居る。

 男の騎士でも彼女を尊敬し側に仕える者も居る。面倒見の良さと屈託ない性格、彼女を形作る全てが人を惹きつけている。

 そんな彼等が『花』副隊長へと向ける視線以上のものを、新しい隊長は受けられるというのか?


「再度言う。新しい隊長はネリッタではない。ネリッタになど成り得ない。我が成れないとサジナイルに言われたように、ネリッタではない隊長を据えた『花』隊の末路は既に見えているのではないか?」


 二人が押し黙る。『花』は確かに、他の隊では扱いに難儀するような問題児が多い。

 それでも隊長と副隊長は彼等を受け入れようとした。隊特有の騒がしさも彼等に居場所を作るひとつの方法だ。

 そんな苦心を知っている者ならまだ良し。そうでないのなら。

 騎士団や城を離れることに、ディルは躊躇わない。離れた後の展望も無いが、ダーリャは冒険者として国を出て行った。それに倣うのも悪くないだろう。

 国を離れてどうするか。自分が生まれた場所を見てみるのもいい。特段面白いものはないだろうから、その足で他国を回るのも悪くないだろう。

 もし。


「さて、どうする。選べ」


 ――もし。自分と同じように、『花』副隊長が騎士団を見限ったとしたら。


 ――彼女を連れて、当ての無い旅をするのも悪くないかも知れない。


 一瞬の夢想に囚われたディルがふと気づけば、二人は顔を見合わせて悩んでいた。

 ディルが冗談を言う性格でないと知っていて、それに『花』副隊長が隊長に就任した時の利益を考えると不利益の方が余程多い。

 混乱に混乱を招く騎士団の未来図を予想して、カリオンが痛む胃を無意識に抑えた。


「……選べって……言っても。それ、半ば強制的だよね。本当に、カザラフ様は……こうなる事を見越して、私に隊長の座を譲ったのかな……?」

「退任した者へ愚痴を述べても仕方ないであろ。我とて気が長い訳ではない、此の場で選んで貰おうか」

「おい、ディル……」


 サジナイルの助けの手も、途中で曖昧に引っ込められる。カリオンは二人を見比べて、大きな溜息を吐いた。


「……私が隊長になったこの短い期間で、隊長職がいきなり四人も変わるなんて……それは流石に私の手に余るよ」

「四人?」


 カリオンが隊長になって、最初に隊長に就任したのは『月』のディルだった。それから『花』が変わるとして、『花』副隊長が隊長にならなかった場合は再び『月』。その計算で行くと三人の筈だ。

 この若い騎士団長が簡単な計算を間違えるとは思えない。ディルの視線は、気まずそうなサジナイルへと向かった。


「……俺、前から打診して『風』の準備も終わってるんだ。……今回の、戦後処理が終わったら……退任する事が決まってる」

「――何故」

「前から嫁にしつこく言われていてな。俺、入り婿みたいなモンだから早く帰って来いって……。嫁は他国の奴だから、退任と同時に国を出る。だから、俺は……」


 『だから』。『花』副隊長を支えてやれない。

 支えてやれないのは彼女に限った話ではない。だからサジナイルは保守的な意見を出すしかなかった。

 事情を知ってしまえば単純な話で、だからといってディルの意見は変わらない。


「国を出る者が未来を憂うな。未来は、国に住まう者が決めるものだ」

「……ああ、そうだな。……そう、だよな」


 ディルの一言で、サジナイルも心が決まったようだ。カリオンも、溜息と苦笑を漏らしながらも頷いた。


「……じゃあ、今回の件は……彼女の『花』隊長就任で決まったかな。上奏は私がするけれど、多分即刻辞令が出ると思う。辞令が出たら、それぞれの隊での報告は任せたよ」

「ああ」

「……おう」


 無理矢理彼女の隊長就任にこぎ着けたディルだったが、今更その胸の中に不安が過る。

 彼女に隊長職が重荷だろうかとか、そういうものではない。ただ、余計な事をしただろうか。彼女にとっては自分が隊長になるべきではないとか考えないだろうか、とか。――それも、彼女が就任に際して隊長格を呼びつけた時の自信に満ちた表情を見て掻き消える事になるのだけど。


 彼女はディルに「満足のいく『隊長』になれたら、その時は認めて」と言った。

 ディルは既に認めている事を伝えないまま、彼女は隊長として存分に手腕を振るうことになる。


 ただ、同時に二人の間に僅かな溝が出来るなど、その時のディルは知らなかった。



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