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ディル二十五歳―4


「……お前が来たなら丁度いい、ちょっとこれ運んでくれや」


 サジナイルは先程の会話に戻ることなく、ディルに軽い調子を取り繕って声を掛けた。けれど、今のディルには彼の提案を受け入れる気は無い。


「運ぶ? 葬儀は滞りなく終わった。我はサジナイル、汝を呼びに来たまで」

「え、俺を?」

「三隊長で会議がある。次期『花』隊長をどうするか、だ」


 『花』副隊長の指が、ぴくりと動く。


「次期隊長って……、それ、会議必要か? だってよ、副隊長は健在で」

「隊長が退任ではなく殉死となると、前代未聞の事だ。後任候補に不安が無ければ構わぬが……」


 今ほどに無気力な彼女を、ディルは知らない。

 閑職に就いていた時さえ、毎日の任に直向きだったのに。その無気力は、ネリッタを失ったからだけなのか。それとも、隊長であるネリッタに他の感情を抱いていたからなのか。

 ディルの邪推は止まらない。


「不安が無いとしたら、それほどまでにこの者に信頼を寄せているのか、それとも途方もない気楽者かのどちらかであろうな」


 ディルは必要以上の信頼を寄せている。その自覚はある。彼女だったら、この先の『花』を引き継いでいけるだろうと思っていた。

 ネリッタが整え、用意した舞台で咲き誇る大輪の花になれる。人を率いて己の中の善悪の線引きがはっきりしている彼女は、武力以外ではディル以上の将になれるかも知れない、と。……昨日までは、思っていた。

 こんなに無気力な姿を見ては、ディルだって彼女の隊長就任に是が言えない。


「会議の結果を、カリオンが上奏する。隊長に欠員が出たのだ、早くしろ」

「……会議室でいいのか?」

「ああ。……して、『花』副隊長」


 カリオンとサジナイルは、彼女の隊長就任にどういった意見を出すのだろう。

 その結果次第では、彼女は次はまた誰かの副隊長として働くことになる。国王の意向でも末路は変わるだろう。しかし、今のディルには彼女を隊長とさせる気は薄らいでいる。

 いっそ、隊長にならないのなら副隊長の座すら剥奪してしまえ、とさえ考えた。

 ネリッタ以外の誰かの為に働くくらいなら、『月』に異動になればいい、と。

 あの男以外が、彼女を有意義に使えるなんて思わない。こんな跳ねっ返り、他の者なら持て余してしまう未来しか見えない。

 それ以上に。


 ネリッタ以外の他の誰かに搾取される彼女を、見たくない。


「何ぞ、申し開きがあるのならここで聞こう」


 『月』隊に来い、と、言うだけなら簡単だった。

 けれど彼女に抱いた疑問を解消せずにはいられない。

 何の思惑で葬儀を中座したのか。その答えがディルの失望を招くものなら、彼女の『花』隊長としての未来を奪う。

 彼女の身柄を貰い受けた後の『花』は、誰でも好きな者が隊長と副隊長になればいい。そこまで関与するつもりは無い。

 ディルが声を掛けた後の彼女が、漸く上体を起こして床に座り込んだ。かいた胡坐は、ディルの視線に覚悟を決めたようで。しかしその灰茶の瞳は、正面からディルを見る事は無い。


「……申し開き? 無いよ、そんなん」

「………」


 ディルの心の天秤が、失望に傾く。


「ほう? では短絡的な己の感情で、葬儀を中座したと」

「……あれが短絡的、って言われてもまぁ構わないけれど」


 ディルは答えを待った。理由があるのなら聞いておきたい。聞いて何が変わるかは分からないが。

 彼女が沈黙を守る度、失望の皿が下に向かって重さを増していく。


「……アタシさ、ネリッタ隊長に言ったことがあんだよ。隊長が奥様亡くされた直後の事だけど」


 ディルが瞬きの回数を増やした。

 何の話か、一瞬分からなかった。

 ネリッタが既婚者である事は本人から聞いている。けれど、その妻が亡くなっていたのは初めて聞いた。


「楽しかった頃の思い出は、笑顔で思い出してあげて、って。……それを、アタシが言ったのに。アタシ、が。そんな事、言っといて、さ。こんな顔で、隊長の前に、出られると、思う?」


 ――彼女の瞳から、涙が溢れた。

 表情を変えることなく、涙だけが頬を伝う。震える声は泣いているのに、本人がそれを気付かない振りをしている。


「………」

「葬儀でぐずぐず泣いてる女を、誰が頼る。女の涙には価値があるかもしれないけど、騎士であるアタシの涙には価値なんて無い。それどころか、これが衆目に晒されたら、『花』の汚名になりかねない。アタシが泣いても、死んだ隊長も、他の騎士も、民衆だって喜ばねぇんだよ。喜ぶのは、アタシを蹴落としたい奴らだけだ」


 彼女は。

 『花』副隊長は。

 これまで城に、王家に仕えてから、敵は数えきれない程多かった。

 それをネリッタがそうと知られずに庇い、人格を見抜き、環境を整えて、自慢の副隊長に仕立て上げた。

 涙による侮蔑を回避し葬儀を中座する汚名を受ける。その選択が正しいのかはディルには分からない。どちらにせよ『花』隊、そして彼女自身を痴れ者が嘲るには格好の材料だろう。


「アタシが薄情だって、任務放棄だって言われてもいい。責任取れって言われたら取れる範囲で取るよ。アタシはこの涙を、公式の場で、公衆の面前で見られたくなかった。それがアタシの『短絡的な己の感情』だ」

「……」


 そこまで覚悟を決めて、今、泣いている。

 この女が合同葬儀で泣かないなんて、土台無理な話なのはディルもサジナイルも分かっていた。

 そうしてまたカリオンは己を責めるのだろう。公衆の面前に晒された『花』副隊長の流す涙で。

 他に手段があっただろうか。泣く女性が『女』として侮られない世界は、彼女が産まれる前から無かったというのに。


「そうか」


 ディルが返せる言葉は、他に無かった。

 彼女の言葉を聞くと、踵を返し、サジナイルへと声を掛ける。


「サジナイル、行くぞ」

「……うるせぇ。命令するな」


 ディルの胸には、今まで感じた事のない敗北感が湧き上がっていた。

 負けた、と思い知らされる。彼女が敬愛するネリッタには勝てそうに無い。

 彼女をその場に置いて行き、サジナイルが付いて来ている事を分かっていて、彼女から離れた場所で隣を歩く彼に問い掛ける。

 

「サジナイル」

「あぁ?」


 不機嫌な彼は、不安定な心の裏返し。ネリッタを失って苦しいのはサジナイルだって同じだ。


「……ネリッタの死亡は、あの者にどれだけの影を落としたのだろうな」

「……さぁな、分からんよ。ネリッタ、結構前からあいつに目を掛けてたんだぜ。エイス様の事が無ければ養子にしたかったって言ってたくらいだ。あいつ子供いなかったからな」

「子供がいない? ……妻は居たのであろ」

「あいつの嫁、体弱くて頻繁に入院してた。子供は最初から……それこそ、出逢った時から望めなかったって話だ」


 サジナイルの口から今更聞くネリッタの姿は、ディルの思っていたものとは違っていた。


「子供も好きで、動物も好き。だが子供は無理で、動物は嫁にどんな病気を運ぶか分からないから近付けもしない。あいつは嫁と出逢ってから、いろんな娯楽を捨てたよ。昔はあんな口調でも無かったしさ」

「………」

「嫁が、何も出来ない自分を嘆くから。だから、自分は嫁の代わりに、嫁がしたい事を色々学んで、それを自分で嫁に教えてたって話だ。家事も裁縫も習い事も庭仕事も。騎士として城に仕える以外の時間のほぼ全部、嫁の為にな」


 そんな深い愛で包まれた妻は、ネリッタよりも先に死んだ。

 サジナイルも小声で「俺の嫁もあんな尽くし甲斐のある奴だったらな……」と溢していたが、それは無視する。


「でも、俺は……ネリッタなら、あいつが死ななくて良かったって……言う気がするんだ。今は落ち込んでいても、あいつだってそれが分かっている筈だ。あいつが立ち直ろうとする時、お前が支えてやれよ」

「……我が? 何故」

「分かってないってんなら本当の本当にお前は馬鹿だ。鈍感も過ぎるといい事無いぞ」


 心底うんざりした顔を見せるサジナイルの横顔は、視線だけでディルを睨みつけていた。

 その視線の棘と、彼の苦々しい表情には心当りはない。


「我に、ネリッタの代わりになれという事かえ?」

「お前にネリッタの代わりが務まる訳無ぇだろ。自惚れんな」

「……………」

「お前にゃ、他に出来ることがあるだろ。……ネリッタみたいな親心じゃなくて、別の立ち位置でさ……」

「……どうだか」


 サジナイルの苦々しさが移って来たかのように、ディルの心も違和感が湧き上がる。

 ネリッタと自分を比べても、確かに彼の方が人物的に出来上がっていた。あれだけの包容力もなければ、彼女から寄せられる信頼も違う。


「……『花』副隊長は。……本当に、ネリッタを隊長として慕っていただけであろうか?」

「は?」

「ネリッタは、あの者を側に置くのは色情からでないとは言っていたが、逆は聞いたことが無いと思ってな」

「お前、それ本気で言ってるならあの馬鹿女の代わりにぶん殴るぞ」


 二人の話は、カリオンの待つ会議室の前になっても止まらない。

 ディルの呟きに呆れかえったサジナイルが、扉に手を掛けた時にも続いている。


「お前はそのままでいい。いや、そのままじゃなけりゃ、駄目だ。誰もネリッタにはなれないし、ネリッタの代わりなんて誰も望んでない。そうした所で誰も喜ばないし、単純にお前がネリッタみたいになったら気持ち悪い」

「………」

「あいつは、確かにネリッタを慕ってるだろうよ。でもお前に抱いてる感情みたいな慕い方じゃない。……この意味、お前が分かるようになるまでどのくらい掛かるんだろうな……」


 サジナイルの手が、扉を開ける。

 隊長格の使用する会議室は、正四角形の机だ。それぞれ四方向に隊長と副隊長が座る席がある。

 上座から『鳥』、それから『風』と『月』、『鳥』と向かい合う下座に『花』が座る。

 四人から三人になってしまった隊長の中で一番任期が少ないのが、既に会議室に入っている黒髪の男だった。


「……ああ、来たか。お疲れ様」


 『鳥』カリオンは、二人の到着にやつれた顔を上げると、力の無い声で二人を迎えた。

 着席している椅子の上で両肘を机に付き、頬のこけた顔を見せる。戦場に居た時よりも生気が無い。


「お疲れ、カリオン。どうだ、調子は」

「……良い、とは言えないね……。休息する間もなく激務激務……、ベルベグも休みなく頑張ってくれているが、私も彼も、もう限界だ……」

「気張れ。これまでカザラフが歩んできた道だ」

「……」


 新しい『鳥』隊長は誰の力を借りられることもなく、サジナイルの冷たい言葉で黙り込む。

 副隊長の座にすら就いていないから、隊長職の激務に体が慣れていないのだろう。ディルも、彼の隊長就任には驚いた側だった。

 それでも彼は自分の地位に恥じる態度は部下の前では見せない。こうして項垂れているのは他の隊長の前でだけだ。


「……これまでの『鳥』隊長が歩んでいた道に、隊長格の死亡は数える程しかない筈なんだけどね」

「正確に言うと歴史上で戦死は一回、任務外では二回だな。戦死って言っても死んだ後の引継ぎを終わらせて準備万端で挑んだ一騎打ちで――」

「その話は良いよ、サジナイルは歴史の話になると長いから今は聞きたくないな」


 軽くあしらったカリオンは、二人に座るよう席に促す。

 腰を落ち着けた二人は、三人しかいないというのに重い空気を感じていた。


「『花』隊長に誰を据えるか。今から、その会議をしたい」

「……」

「………。ああ」

「具体的な名前が出なくてもいいんだ。けれど、陛下は私達の意見を待っておられる。陛下は……王家は、『花』副隊長をそのまま隊長に据えて良いとお考えだけれど」


 一拍を置いてカリオンが息を吸い、次に息と共にカリオンの口から吐き出された言葉は。


「私は。……今の彼女を隊長に就任させる事に、不安しか無いんだ」


 サジナイルも、ディルも、その唇を引き結ばせるのに充分だった。





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