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ディル二十五歳―2




 ディルは、もう既に守られるだけの子供ではなくなっていた。


 騎士隊長の座を継ぎ、従える配下をダーリャからそのままそっくり引き継いだ。

 副隊長となったフュンフはこれまで以上にディルの手足となりよく働き、『月』隊は新しい頭を据えても問題なく組織として稼働している。

 一人では生きていけないと分かっている。だから友人と呼べる人物は居らずとも最低限の交友関係も持ち、自分では出来ない事を補う。昔とは違い、ディルを構おうとする人物も増えた。


 人は成長すれど、国の情勢は変わらなかった。

 けれど何も心配する事は無い。帝国からの賠償金が滞り、再び難癖を付けられてからの停戦解除になることも、誰もが予想していた話だ。

 戦場でディルに出来る事は、戦果を挙げて国防に勤める事だ。血溜まりの中に立ってこそ、自分が出来る唯一を感じる事が出来た。

 誰だって分かっていた。戦争とは殺し合いだ。人の命が失われた数だけ、その国の戦力が削がれていく。

 下っ端から消費される命のやり取り。いつも変わらない、始まれば同じ道を辿る悲劇。


 それでも、『あれ』は――誰ひとりとして考えていなかっただろう。




 帝国との戦争も終盤に差し掛かった頃だ。終わりが見える戦争で、アルセン側の優勢。

 完全なる決着がつくことは無いだろう。これまで何回もそうされて来たように、帝国から再び停戦協定が持ち出される筈だ。

 帝国を滅ぼすには、今のアルセン王国には得は無い。土地も痩せ細り、民の疲弊した帝国を領土としても、国として旨味が無いのだ。

 だから、優勢での掃討戦となった時だって、暫くは立ち直れない程度に追い立てればいいだけの話だった。そうすれば、アルセン側も被害は少なく済むだろう、と。


 その時、ディル率いる『月』隊は『鳥』隊と共に行動していた。『風』と『花』は別の方向から帝国の軍を追い返している。

 前線を張る『鳥』は士気も高く、ディルも一通りの指揮を終わらせた後だ。とはいっても、ディルが何かを指示する前からフュンフが先立って命令を出しているので、最早やる事がない。

 ならば先陣を切って掃討に参加するか――と思っても「隊長の仕事は後方で指揮系統の責任者として天幕の中に居ることです」と言われてしまって動けない。

 これまでも後方部隊の隊長というのに、散々前線で敵陣を引っ掻き回したのだ。フュンフの釘も刺されたのは三度四度の事では無い。


「……?」


 暇を持て余したディルが、天幕の中で愛刀の手入れをしている時だった。刃毀れの状態も、既に見飽きた。

 その見飽きた刃毀れとは対照的に、外が何やら聞き覚えの無い喧騒に包まれている。

 これで敵でも現れたならディルの出番なのだが、様子がどうも違う。早馬を走らせる蹄の音も聞こえ、ディルが天幕から顔を出す。


「っ、隊長!!」


 フュンフも天幕のすぐ側まで来ていた。その顔色は青い。


「どうした」

「……それが」

「要点だけで良い」


 前線で異常が発生したのか。『花』隊の隊長であるネリッタは掃討戦事態に反対し、深追いするなと繰り返していた事を思い出した。それでも掃討戦が始まったのは、急いたカリオンの判断と言える。

 今更何があろうと、ディルは驚かないと思っていた。

 これからまた新手が現れて戦況が五分に戻ろうと、ディルには敵を斬るしか出来ないと。

 だから何を聞いても、焦る事など何ひとつないと思っていた。


「『花』隊が、撤退を。指揮系統に乱れが出ています」

「……『花』が?」

「既に団長のカリオン様が向かわれました。『花』の早馬が齎した情報によると……『花』が、落石の被害に遭ったそうです」

「………」


 それは帝国軍の最後の抵抗に聞こえた。

 『鳥』でなく『花』が落石に、となると敵側も逼迫しているのだろう。崖を始めとした急勾配も多い土地だ、後方がそれで襲われたなら『鳥』は必要以上に敵に肉薄していると見える。

 それで指揮系統が乱れるなどあってはならない話でもあるのだが、フュンフは無言のディルに続けた。


「『花』隊長が、落石の下敷きになったと」

「……ネリッタが?」


 ディルの思考は、その言葉で止まる。

 名前から浮かぶ人物の顔が、同時にもう一人の人物を思い浮かばせた。


「『花』副隊長は総員の退避を命じ、その場に残ったと」

「――馬鹿な」


 『花』副隊長。

 隊長であるネリッタを慕い、腹心として働く女。

 ディルとも長い付き合いになる、直情的で芯のある騎士。

 指揮系統の乱れた戦場に残るには、あまりに危険だ。 

 ディルの思考より体が先に動いた。剣を佩いただけで天幕を出ようとする体に縋るように、フュンフが押し留めようとする。


「なりません、隊長! 貴方はこの場に残っていただかないと、こちらの指揮が、っ……!」


 無言のディルは、フュンフの体を押しのけて走り出す。自分の馬は天幕のすぐ側に繋いでいた。

 その背に飛び乗り、誰の制止も聞かずに走らせる。フュンフが後を上手くやるだろうが、そんな考えは頭の隅に追いやっていた。


 本当は、他がどうなろうとどうだって良かった。


 『花』副隊長の身の安全だけが第一だった。


 ネリッタが落石の下敷きになったとしても、そう簡単に死ぬ男では無いと思っていた。

 けれど傷を負ってしまえば、彼女を守る事だって難しいだろう。

 ネリッタだから信じたのだ。彼女を側に置いても不幸にしないと思って。それが邪な思考から来るものでないと知っていたから、今は副隊長となった彼女を『月』へ異動させようとした件を取り下げた。

 だから。

 二人には、何があっても無事で居て欲しかった。


 なのに、現実は非情なもので。




 アルセンの騎士達が集まる崖の道の端に辿り着くと、その場で馬から飛び降りた。待て、と軽く指示するだけで自分で安全だと思った場所で待機しているから、馬は賢い。

 騎士達の間を掻き分けて進む道は、勾配が多くて気だけが逸る。早く辿り着かなければならない気がするのに、足は思うように動いてくれない。

 ディルの登場程度では、騎士達はどよめきもしない。その先にある口径の方が余程通常の枠からかけ離れているのだと、その時点でディルが悟る。

 予感が外れていれば良かったのに。


 大岩のすぐ隣で、愛しい者に寄り添うように座っている『花』副隊長の姿を見るまでは、そう思っていた。


「……」


 既に、『風』隊長のサジナイルも、『鳥』隊長のカリオンも到着していた。四隊長で遅れてしまったのは自分だけだ。

 あと一人の隊長は――誰に聞かなくても、その居場所が分かった。


「……ねぇ」


 『花』副隊長の灰茶の瞳が、無感情にディルを見ていた。よくくるくると表情が変わる筈の彼女が、虚ろな視線で其処に居る。

 頭からは血を流していた。量は多いが軽傷だろう、頭部からの傷は目にまで入り、流れる涙が薄い赤色になっている。

 細い声は、数多く居る騎士達の中でディルにだけ投げられたようだった。

 そんな彼女の手に握られていたのは――岩の下敷きになった、人の手だ。

 この状況では、岩の下の人物は生きてはいないだろう。『花』副隊長が側から離れないのは、たったひとり、『花』隊長だということも知っている。つまり、この下に居るのは。


「……このいわ、……どかして……?」


 震える声が、懇願する。

 いつもは喧しい声が、耳を澄ませなければ聞こえない程に小さい。

 頼まれれば、ディルの手は自然と剣を握る。彼女の願いを、『花』隊長の遺体を、無視できる程の人形ではない。

 引き抜いた剣の魔力を解放し、その岩を分断する。人の力でも運べるほどの大きさにすれば、岩をそのまま動かすよりも安全だ。

 そうして破壊された欠片を、彼女は小さな礼と共に横へとどかしていく。ディルも彼女の側で、ひたすら欠片を異動させた。後から後から、別の者も加わって撤去作業自体は早く終わる。


「――たい、ちょぉ」


 『花』副隊長の細い声が、ネリッタを呼ぶ。

 岩をどかし、その下の血溜まりが見えて来て。

 ひしゃげた鎧も、彼の愛用していた武器も見えて。

 そして遂には潰れた悲惨な遺体も、眼前に晒される。

 その髪の色だけで誰か判別できるような、大男に見合わぬ小さな遺体だった。


「……帰り、ましょ。……隊長、帰りましょう……?」


 一番信じたくないのは彼女の筈だ。流れる涙が彼女の血を洗い流し、透明な雫になっても、それが尽きる事が無い。

 遺体から返事が戻る事も無かった。ディルは、死を悼む術や祈りを知っていこそすれ、ここまでの知人が死ぬ事も無かった。

 ネリッタの死を目の前にしても、ディルには彼の死で悲しむことすらしない。それを、自分で薄情だとも思った。


「い、医療部隊の担架を」

「……今一番忙しい医療部隊を駆り出すってのか」


 カリオンからの言葉にも冷たく返す彼女は、悲しみの中に居ても『副隊長』だった。

 『花』副隊長は、ネリッタだった残骸に手を添える。持ち上げようとして、でも出来なくて、ぽろり、とネリッタの肉片が崩れたのを見て止まってしまった。

 このままでは動かせない。けれど医療部隊の手は借りられない。そうなると、ディルに出来るのはひとつしかない。


「……担架だけ、持ってくればいいのであろ」


 医療部隊の手が借りられないならば、自分達でネリッタを連れて行けばいい。

 その言葉が届いたのか、『花』副隊長はネリッタを持ち上げようとする手を下ろす。


「カリオン」


 騎士団長の名を呼ぶと、面白いくらいにその肩が跳ねた。自分が押し通した意見の末路で失われた隊長格の命だ、彼の精神の負担も相当だろう。

 無残な程に顔を青くした彼には、『花』副隊長の様子を見ておけと告げる。もう彼女には、今以上の無茶をして欲しくないから。


「サジナイル、撤収を早めろ」

「分かってる、命令するな」


 カリオンもサジナイルも、動揺が隠しきれていない。

 当たり前だ、ネリッタは隊長としての勤続年数も長かった。サジナイルも長い付き合いになると聞いている。

 あれだけ喧しい大男が、こんな所で死ぬなんて誰も思っていなかっただろう。ディルだってそうだ。


「……直ぐに、戻る」


 けれど、ディルは無意識に安堵していた。

 医療部隊の天幕に向かう最中に、ひとつのことしか考えられなくなっている。これから撤収を始めようとする声が背中側から聞こえた。


「――お前ら。隊長がいないからって油断するんじゃねぇぞ」


 それは『花』副隊長の声だった。


「これから城下への帰還まで、隊長に代わって『花』の指揮はアタシが執る。文句なんて言わせねぇ、ブチのめされたくなきゃアタシの指示に従え! 全員、生きて帰るぞ!! こんな所で油断して死んだんじゃ、お前らあの世で隊長に殺されるからな!!」


 その声が虚勢のように大きくて、ディルは歩きながら一度だけ長く目を閉じた。

 『花』は、まだ大丈夫だ。ネリッタの見込んだだけのある、一度くらいの絶望では立ち止まらない優秀な副隊長が居るのだから。


「………」


 その場を離れるディルの心の中で、安堵が更に強くなる。

 今までそれらしい恐怖も感じたことが無いディルだったが、『花』に起きた事故を聞いて覚えたそれが安堵と反比例するかのように消えていくのが分かった。


 死んだのが、『花』副隊長でなくて、本当に良かった。

 それだけ薄情だと詰られようと、ディル自身の中で拭い去れない本音。

 ネリッタの死亡は、この国に悪い影響すら齎さないと知っていたけれど。


 それでも、ネリッタだって、生きていたら同じことを言った筈だった。




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