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ディル二十五歳―1


 帝国からの宣戦布告が来たのはディルが二十四歳だった冬の直前。

 それから季節が一周し、一時しのぎではない停戦協定を結ぶまでに、様々な出来事がアルセンを訪れた。


 『鳥』隊長カザラフの退任。

 その後を継いだのは、副隊長のベルベグではなくカリオンだった。

 突然の、そして鮮烈な交代劇に誰もが驚いた。

 当のカリオンは、御前試合での怪我から後遺症も無く、また隊長としての任務も問題なくこなし、これまで隊長を務めていたカザラフよりも評判が良かった。


 開戦後、迎撃して二か月足らずで、帝国から停戦の打診が来た。

 その時は王国も痛手を負っていなかったので、帝国の出す停戦条件をアルセン側に有利になるように書き変えた上に、宣戦布告された側として三倍の賠償金を求め手打ちにした。支払いが滞ったので、この停戦は長くないものとして騎士達も構えていた。


 その停戦中に、ダーリャが騎士を隊長職ごと辞し国を去る。

 その手筈は、ディルも隣で整えた。次期隊長となる為に。




 ディルには、いつかその日が来ることが分かっていた。

 ダーリャは騎士として務めながらも、その瞳はいつもどこか遠い所を見ている。守るべき民の話をしながら、彼の庇護対象はアルセンの国民とは思えなかった。

 いつか、ダーリャは過去に失った愛する人の話をした事がある。

 愛しながらも相手をその手に掛けたダーリャの愛の末路を聞いていたディルは、胸に抱く感情が齎すのは幸福だけでは無いと刻む。

 相手を傷付ける事も愛だとしたら、そんな感情は不要だと切り捨てた。


 ダーリャが出立する前夜に、幸いにも顔を合わせて食卓を囲む機会があった。

 その時間を設けたのはダーリャだったが、そんな気遣いにディルは気付かない。




「……これが最後になるやも知れませんな」

「ふん」


 ダーリャの屋敷に足を運ぶのは久し振りの話だ。ディルは騎士になってから、隊舎だけを帰る場所としていた。

 久し振りに訪れた屋敷は、騎士隊長として申し訳程度に飾られていた調度品の類が綺麗に無くなっていた。今日が最後の勤めになるであろう使用人達の表情の一様に暗い。

 使用人達は、既に次の勤め先が決まっているらしい。すぐに路頭に迷うことは無いだろうが、慣れ親しんだ職場を離れるのは彼らの負荷になっているのだろう。

 昔はディルも同じ卓についていた、屋敷の食堂に通されてすぐさま料理が運ばれる。食前酒は茶に変更して貰って、前菜やスープといったものが運ばれる。改まった場所でもないので略式のそれらは、食物をあまり入れたがらないディルの胃に少しずつ入っていく。


「隊長交代の儀も終わり、騎士勲章も返上し、この屋敷も人の手に渡る。……本当はですね、ディル。私は、貴方にこの屋敷を引き継いで欲しかった」

「御免被る。隊長職と『月』の騎士隊を引き継いだ我に、此れ以上を望むな。住む場所は手狭で丁度良い」

「……そう言うと思っていましたよ」


 娯楽を楽しむことも、特定の誰かと交友を深めることも、人から向けられた好意を受け取ることもないディルだ。尤も、ここ数年は『花』副隊長からの露骨で歪な愛情が向けられていて、お目付け役のフュンフも目を光らせているので、ディルに想いを伝えられる存在もいないのだが。

 茶を口にするディルは、ダーリャよりも時間が掛かりながらもスープまでは完食していた。


「いつか、また戻って来たいとは思っているんです。その時に、貴方はどんな隊長になっているのでしょうね」

「さてな。既に隊長職を辞して、汝のように何処とも知れぬ場所に旅立っているやも知れぬ。騎士として務めるにも限界があると、ネリッタも言っていた」

「……直ぐに辞めようとしないでくださいね?」


 すぐさま小言に変わるダーリャの言葉を聞き流しながら、ディルの前に運ばれてきた肉料理にテーブルの上のナイフを手に取る。

 こういった食事の作法を教えてくれたのもダーリャだ。引き取られ、安全な衣食住をや教育を施して貰ったことには恩義は感じている。

 けれど、ディルだって『個』なのだ。いつまでもダーリャの言葉の通りに生きてはいけない。親の背中を付いて歩く雛鳥だって、いつか飛び方を覚えて新しい土地へと羽ばたいていくように。


「貴方がこの屋敷も引き継いで、私が帰って来た時、この屋敷に貴方と貴方の結婚相手が暮らしている所を見られるといいな……と思った事もありました。貴方が選ぶ伴侶はどんな人か、私は未来を透視できないのが口惜しい」

「世迷言もその程度にするがいい。食前酒が回ったか? 結婚願望など無いと前から言っている」

「将来の事なんて誰にも分かりませんよ。今は無くても、いつかするかも知れない。ですが、理想像も無いのですか? 『こんな人だったら良いな』とか、『こんな人は嫌だな』とか、そういうものすら無いと?」

「……」


 敢えて聞かれて、ディルが口を噤んだ。

 ディルが士官学校時代同期だった者の中には、既に伴侶を得て子を儲けた者も居ると聞く。それを羨ましいと思ってもいないのは、ディルの周囲が特殊すぎるせいだ。

 ダーリャは最愛の人を自らの手で殺した。

 サジナイルはディルに少しは気を許しているのか「人生やり直せるなら今の嫁とは結婚しねぇ」と毒を吐くようになった。

 それでなくとも仕事で関わる孤児院の子供達は出自だけなら不憫そのもので、子捨てのみならず戦災孤児も多い。

 ディルの幼少期だって、今でこそ虐待と理解出来るが昔はそれが日常だった。『普通』が分からない自分が、誰かの伴侶、更に言えば人の親になれるなどという考えは無い。


「無い」


 理想像も、理想外も、考えること自体が無意味だと思った。

 なのに思考は意識の外で、とある女の顔を朧気に思い出す。


 ディルのものより深い銀の髪。

 よくくるくると動く灰茶の瞳。

 ディルの前では頻繁に色付く頬。


 明るくて世話焼きで、ディルの隊長就任と同時に再び敬語に戻ってしまった『花』副隊長は、良い伴侶、そして良い母親になるだろう。時折『月』隊の手伝いで孤児院の慰問に訪れる時、よく子供達の世話を焼いていると聞く。

 もし彼女を伴侶として娶れる存在が居たとしたら、その人物は彼女の勝気さに手を焼けど幸せになれる。ディルは確信も無く漠然とそう感じた。

 理想像として己の中で挙げるなら彼女だ。しかし、それをダーリャに素直に述べるのは躊躇いが生じる。


「本当に? 居ないのですか? 誰も?」

「しつこい」

「はぁ……。本当に、貴方が誰かと家庭を持ってくれるのなら心配はしないんですけどね……。長期休暇の間に病気でもしたなら、看病してくれる相手さえいなさそうですし……。貴方が早死にしないか城下を離れても不安になってしまいそうです」


 ややお節介な保護者面のこの男に漏らしてしまえば、裏で何かしらの手を回しかねない。彼女に抱いている感情が恋情かどうかも自分では気付いていないのに、無理に彼女との接点を作られては堪ったものでは無かった。


「人に言えない幼少期しか経験しておらぬ我が、私生活に於ける未来を誰かに押し付けるなど笑い話にも成らぬ」

「………、ディル」

「此の様な人形を誰が伴侶に望む? 我が見てくれのみに目が眩んだ者は、遠くない内に我へ離縁を申し渡すであろうな。汝さえ幸福を求められなかった結婚という形態に、我は誰を巻き込めば良い」


 相手にもいい迷惑だ、と言ってのけたディルはそれ以上食が進まない。


「我は誰かに望まれるに値せず、望んだ者を不幸にしかねぬ。……其れでも、もし、我が其のような関係を望むことになるのならば――我に選ばれた者は幸福を取り上げられ、災厄を付き纏わせる羽目になるであろう」

「ディル。……貴方は、決して災厄などでは無いですよ」

「汝が何を言ったとて、同じだ。……もう此れ以上は腹に入らぬ。下げて貰おうか」


 直ぐさまやって来た使用人は、ディルの前から半分残っている食事と空き皿を遠ざける。以降も新しい皿は運ばれて来ず、茶器が空になっていないか確認される程度になった。

 けれど食事が済めばすぐ退室するような性格なのに、今日だけは座ったままだ。

 ダーリャが様子を窺うような視線を向けても、平然とした顔で。


「……何か?」

「い、いえ。今日は、残ってくれるのですな」

「……。此の時間も、今日が最後やも知れぬのであろう?」


 冗談半分で口にした言葉を復唱され、ダーリャが食事の手を止めた。

 ディルはディルなりに、ダーリャとの別れを惜しんでいるのだ。それが本人の意識的な事かは分からないが。 

 それでも、それなりの時間を共に過ごした養い子にも、一欠片でも人の心は宿っていた。


「……ディル。お酒、飲みますか」

「飲まぬ。明日も早くから執務が有る」

「……。本当に、つれない人ですね」


 初めての飲酒の誘いも断られ、消沈しながら手酌で酒を煽るダーリャ。

 一息にグラスの中の茶色い酒を煽った後に、酒気の強い吐息でディルへと視線を向けた。


「……ですが、ディル。貴方が早々に戻ると言わないで、安心しました」

「ふん。下らぬ話を続ければ、早々に暇を貰っても良かったのだがな」

「そう言わないでくださいよ。……まだ私は、貴方に話していない事がある」


 二杯目を注ぎ始めたダーリャの瞳は、もうディルを見なかった。

 その声色は告解室の懺悔側の者のようだった。普段話を聞く側だったダーリャの珍しい声の調子に、ディルが耳を傾ける。


「これから先、必要が無ければ、誰にも話さないでくださいね。聞かれなければ、知っているなどと答えなくて良いでしょう。これは、私と、サジナイルと、ネリッタと……カザラフがまだ、一介の騎士だった頃の話で、それぞれ、自分の後を引き継ぐ相手にだけ話そうと決めた事ですから」

「……随分昔の話なのだな?」

「ふふ。そうですね、貴方達から見れば、遠い過去の話だ。けれどその時の罪は、未だ消えていない」


 『罪』。

 ダーリャの口から出てきたのは、普段の理性的な彼とはかけ離れた言葉で。


「……酔っているのかえ、ダーリャ」

「ええ? どうでしょう。酔っているように見えますか?」


 喉奥でくつくつと笑うダーリャは、顔色が変わらない。元々酒に強いとは知っていたが、普段の姿を知っているディルにとってそれが奇妙なものに見える。


「酔っているように見えたら、丁度いいのです。今から話す内容は、素面では言いたくありませんから」


 丁度良いのは、それが酔っ払いの戯言だと聞き流されたいからか。

 それとも、酔っている事にして全てを話したいからか。

 けれどそれで変わるのは、ダーリャの心持ちだけだ。


「昔、昔。あるところに同盟を結んでいた二国がありました。文化はまるで違う二国でしたが、友好関係は長く続いていました……」


 まるで童話を読み聞かせるような言葉で始まったダーリャの昔話。それを聞き終わるまで、ディルは隊舎へ戻れなくなった。


 アルセンと同盟を組んでいた、今はもう亡い国ファルビィティス。

 その国が滅ぶことになった、アルセンの裏切りの話を。



 

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