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ディル二十四歳―7


 一拍を置いて冷静になったのは、カリオンが先だった。

 ディルとカリオンの中間で、顔を俯かせたサジナイルが微動だにしない。

 胴の左右から、まるで挟み込まれるかのように鉄塊の刃を受けた『風』隊長が立っている。

 それまで、冷静を欠いていたカリオンの顔から更に血の気が引く。ディルは変わらず無表情だったが、今度はダーリャから抑え込まれても大人しくしていた。


「……お、っ……まえ、ら……。ほんと、……まじ……いいかげんに、しろよ……」


 まだ、喋れている。

 けれど次の瞬間、サジナイルは先程のカリオンの非ではない量の吐血でその場に蹲る。

 ごふ、がふ、と咳を繰り返すたび喘鳴と共に彼の髪の色にも似た血が地に吐き出された。隊服も前側が真っ赤に染まり上がり、観客達の中から引き攣った声を上げる者さえ出て来る。それで阿鼻叫喚にならないのは、それなりに訓練されている騎士だからか。


「っ、た、隊長!!」


 一番に駆け寄ってきたのは、『風』副隊長のエンダだった。背中を丸めて咳を続ける隊長に駆け寄るが、彼にその場で出来る事は無い。

 代わりに、担架を持って来たのは『花』副隊長だった。


「エンダ! 乗せろ、連れてくぞ!!」


 地に放り投げたそれを広げるエンダ。サジナイルを運ぶのにはネリッタが手を貸した。

 その間にも、服の前を寛げさせて患部の状態を確認するのは『花』副隊長だ。一瞬で赤黒くなってしまった胴は、医療部隊の手伝いしか出来ない彼女では手の出しようが無い。

 小さな手の動きでエンダを傍らに呼んだサジナイルは、小声で何事かを彼に囁くとそのまま気を失ってしまった。

 決勝戦でここまでの状況になるとは思っていなかった面々は、サジナイルが運ばれていくのをただ見送っている。もう、この場にいる誰も出来る事は無い。


「……ふ。ふふふっ。ふははははっ!!」


 その時に聞こえて来たのは、耳障りとさえ思える哄笑と拍手。

 音の方角を見ると、国王が手を叩きながらテラスの手摺りに近付いていた。


「良い良い。良い物を見せて貰ったぞ。少しばかり周囲に気を払えぬのが難点だろうが、それでこそ我がアルセンの騎士よ。騎士たるもの、本質に闘争を宿してこそだ」


 突如始まった高説に、良い顔をしていないのは一人だけでは無くて。

 四隊長の一人の負傷は、国にとって笑えるような話では無い筈だ。


「閉めの挨拶は省略しよう。サジナイルの負傷と、制止で中断するという規則を守れなかった事実を理由に今回の優勝者は不在とする。――カリオン、ディル」

「はっ」

「……はっ」

「お主らの武力を、今後侮る者は居るまい。しかしその冷静さに於いてはどうであろうな? ……今回の事を胸に刻み、今後ともより良い忠誠の在り方を考えろ。強さだけでは国は疎か、人も守れぬと胸に刻め。サジナイルの負傷も、お主らの戒めになっただろう」


 国王の言葉はそれで終わり、テラスに居る三人を引き連れて城の中に戻って行く。

 後に残された者達は一先ず、御前試合の舞台の撤収に掛かる事にした。

 『花』隊長は決してディルやカリオンの方を見る事はせず、無言で後続の担架に乗せられて運ばれる二人もまた視線を送ることが出来ない。


 地に広がったサジナイルの吐血が、生々しく残っている。




 想定外の負傷者を出した御前試合から一夜明けた後も、ディルとカリオンには処罰の話は下りなかった。

 決勝という舞台で血が上ったという判断で、そこでのサジナイルの負傷も武器が刃の無い鉄塊では避けられなかった大怪我として終わる。次回の御前試合があるとすれば、武器の項目に関して制約が加えられる事だろう。

 サジナイルは死んではいない、というのは城内でエンダを探して直接聞いた。今は自邸で完治までの休養を取っているらしい、とも。


「見舞い? お前がそんな殊勝な事言うなんて珍し……あー、でも多分会えないと思うぞ」


 ディルの目的を聞いたエンダは、昨日の怪我もそう大した事では無いと仕事に戻ったが。


「……お前、寧ろその体で行けるのか。ってか、今日城に来て大丈夫なのかよ……」


 信じられないものを見た、という視線で見返されて、ディルは目を瞬かせる。


 カリオン、主に肋骨骨折、内臓負傷。全治三か月。

 ディル、主に左腕橈骨骨折、尺骨罅。全治同じく三か月。

 

 折れた左腕を首の包帯で吊り下げているディルは、宮廷医師の養生話も碌に聞かず執務に戻っていた。




「………お前馬鹿なんじゃねぇのか?」


 そうして動く方の腕で書類を運んだ『花』執務室では、普段の口調をかなぐり捨てたネリッタから馬鹿呼ばわり始末。

 怒る訳でも無く、ただ淡々と無表情にディルをそう評したネリッタの隣では『花』副隊長が顔を真っ青に染めている。しかし、ディルと視線が合いそうになるとパっと顔を逸らして視線を逃がす。

 怒っているのか判断に困る顔だった。決勝戦前に『ディルを傷付ける者が許せない』と吐いた唇が噛みしめられて震えている。ディル自身には、怒られる理由が思い至らないのだ。

 視線の攻防をしている二人を注意するように、ネリッタが一度咳払いする。そして向いたディルの瞳に、子供に言い聞かせるような口調で話し始める。


「んんん、ねーぇディル。体って傷ついたら休んでないと治りが悪いって知ってるかしらぁ?」

「知識には有る」

「そーぉ。あのねぇ、ディル。アンタ骨折れてるんでしょ? 無理に動かすとくっつかなかったりズレてくっつくかも、ってのも知ってるわよねぇ?」

「固定されている」

「……」


 溜息だけ吐き出したネリッタは、執務どころではない自隊の副隊長も見ない振りして書類を受け取った。色々な事象に鈍いとはいえ、これほどまでとは思っていなかった。

 簡単に文面に視線を運び、それが終わると同時にディルへ向き直る。


「もう……本当……馬鹿しか居ねぇなこの国はよ……」

「馬鹿と括るなら汝も馬鹿になるが良いのかえネリッタ」

「そういう所ばっかり屁理屈捏ねるんじゃないわよ!! ……で、何ですって? 半休取ってサジナイルの見舞い行くんですっけ? アンタ、アイツの家の場所知ってたっけ?」

「九番街の大通りに面した、矢鱈と花に埋もれた屋敷だと聞いたが」


 それだけ知ってれば大丈夫だ、とネリッタは頷く。


「言っとくけど、アイツ会わないかも知れないわよ。その時は何も聞かずに帰りなさいね」

「……、た、隊長。アタシは……」

「『花』が手が回らないから一緒にこのまま執務しましょうねぇ。たのしいたのしい書類仕事よ。……それに、アタシも行けるなら行きたいけどぉ」


 苦虫を噛んだようにその後の言葉を続けるネリッタ。


「アタシ、アイツの嫁苦手なのよねぇ」


 その言葉の意味は、ネリッタ以外にはまだ分からなかったが。




 サジナイルの屋敷は話に聞いていた通り、九番街に存在していた。

 前々から存在は目を引く屋敷だったが、そこが『風』隊長の屋敷とは知らないまま今日まで来ている。

 花に埋もれたような、屋敷どころか周囲を囲っている柵や塀自体が植物の葉に覆われた場所だ。きちんと整えられているそれらは、季節ごとに様々な植物を咲かせている。

 過去に滅びたプロフェス・ヒュムネの屋敷と言われれば信じたかも知れない。それほどに緑豊かな一画だった。

 ディルが足を運び、屋敷から出て来た従者に用向きを伝えると、初老の男は一度下がる。暫く玄関で待たされて、五分ほど待った後に中に通された。前以ての約束が無いとこんなものだろう、とディルがぼんやり納得する。

 中に通されて、見舞いの品として半ば無理矢理ダーリャから持たされた果物籠を従者へと渡し、応接室の前を素通りして屋敷の主人の部屋へ。

 部屋の扉を叩き、中から返事が来て、その扉が開くまで。

 ディルはその時まで、最後に姿を見た時の、負傷したサジナイルの姿ばかりを想像していた。


「おう、ディル。お前もボロボロだってのに良く来れたもんだな」


 部屋の中に居た赤髪の男は間違いなくサジナイルだった。上半身は裸、下半身に簡素な下衣だけを穿いて筋肉質な体を晒している。

 夏の暑い盛りに室内で汗みずくになっているのは、片手ずつに持っている重りのせいだろう。鍛錬用に騎士達も似たような物を使っている。

 昨日血を吐くほどに酷い怪我をした筈なのだが、この男は何をしている――とディルの思考が止まる。

 しかし、その体には包帯の一欠片さえも無くて更に謎は深まるばかり。


「お前が来るとは思ってなかったよ。薄情なモンだよな、ダーリャもネリッタも忙しいから顔出さないって言ってたし、エンダもエンダで俺の屋敷にゃ近寄らない。ま、見ての通り俺はピンピンしてるんだがな」

「……血を、吐いていた」

「あー。お前ら手加減しなかったろ、肋骨が肺に刺さってたって話だ。カリオンも似たような状態だったんだろ、即死じゃなくて良かったな」

「……何故生きている」

「……それ、俺が死んでた方が良かったって風に聞こえるが気のせいだよな?」


 話しながらもサジナイルは手から重りを離さない。

 ディルの記憶違いでなければ、負傷は簡単に完治しない筈だ。吐血し、担架で運ばれるような怪我なら尚更だ。

 深まる謎は、サジナイルの言葉で少しずつ解れていく。


「俺な、怪我や病気じゃ死ねねぇ『呪い』に掛かってんだよ」

「……それは、如何いう意味だ?」

「言葉通りの意味だ。まだ死んだ事は無いから分からんが、話によると俺は寿命以外では死ねない体になったらしい。俺が過去に願ったのは不死だったんだが、まぁ一介の騎士ごときのヒューマンにそんな出過ぎたものが与えられる訳も無いって話だ」

「話が見えぬ」

「つまり、お前らが強かろうがへっぽこだろうが、俺を殺せるのは時の流れ以外無理って話なんだよ。痛覚はあるから文字通り地獄の苦しみは味わうがな。あ、でも即死級の怪我も無理だって言われたなそういや」


 死なない、という言葉の意味はそれで理解出来たつもりだ。その他に纏わる全てが分からないままだが。

 数度重りを左右に振ったサジナイルは、手の中のそれを部屋の隅に置いてディルを部屋の中のソファへ誘導する。誘導された方は、長居するつもりはなかったからソファのに立っているだけ。

 どっかりソファに腰を下ろしたサジナイルは、その様子もいつもの事として気にしていない。


「ま、改めて言うが。お前が来てくれるとは思ってなかったよ。そっちこそ傷だらけなのに大丈夫なのか」

「……此の程度、時間が過ぎれば治ろう。ネリッタは、汝の嫁が苦手だと言って見舞いを辞退していた」

「…………。あー」


 サジナイルもネリッタの言葉には心当りがあるようで、ディルからの告げ口に視線を彷徨わせている。

 付き合いの長い隊長格も、伴侶の趣味はそれぞれ違うようだ。とはいえ、ディルには恋愛経験も無ければ隊長格の伴侶の姿を一度として見たことが無いのだが。


「来たくないもの無理矢理来させても有難みも無いからな。俺の体の事も知ってるし、あいつらにとってそこまで重要視されるものでもないだろうさ」

「汝が怪我を負っても平気な体である事は分かった。そうなったのは生まれ付きか? 汝は純粋なヒューマンだと認識していたが、そうでないのか。今まで我が知らずにいたのは、隠していたのかえ?」

「隠してたさ。俺がこんな体質って知ったら、俺を死なない便利屋扱いしそうな奴等が居たからな。隊長になった俺を便利屋扱いなんて命知らずはもう居ないとは思うが、他の国にも知られたくないし念の為にお前も秘密にしといてくれ。あと、最初から俺は死なない体質だった訳じゃないし、両親ともにアルセン出身のヒューマンだ」

「……後天的なものなのか」


 ディルの頭の中には、その体質が自分のものになったらどれだけいいか、という考えが浮かんだ。

 どれだけ酷い怪我を負っても次の日には立って歩いて鍛錬まで出来る体。戦争に出ても、即死しなければいつまでも戦える肉の器。老いるまで永遠に病気も知らないままで居られるなら、その方法が知りたい。

 けれどサジナイルはそんなディルの考えを見透かした。


「お前は絶対に、この体になるのは無理だけどな」

「……何故?」

「幾つか理由はある。条件、誓約。お前が考えただろう事より、ずっと不自由する。何より俺は、お前がそうなったら絶対に泣く奴の姿が重い浮かんじまうんだよなぁ」

「……泣く? 何故」

「お前、こんな体になったら平気で今まで以上に死ぬような真似するんだろ。思い浮かばねぇのか、お前の為に色々世話を焼いている奴等の顔がよ」

「………」

「今まで以上の無茶したら、死ぬ死なないとかに関係なく心配するだろ。そうなったらアイツは絶対に泣くぞ」


 泣く、という言葉で結びつく『アイツ』がディルの周囲にいるとは思えなくて、記憶を探るように視線を逸らす。

 ダーリャは泣かない。いつものようにディルの無謀に怒りはするが涙は流さないだろう。

 フュンフも泣かない。呆れて、困って、それでもディルの決定に口は出さない。

 『花』副隊長は。

 泣いた顔を見たことが無い。苛烈な環境にあっても前を向いているあの女が泣いているなど考えもつかない。泣きそうな顔は見たことがあるが、その頬に涙が伝った所をディルは知らない。

 そして、ディルの為に泣くなど考えられなかった。それほどまでに、ディルの自己肯定感は低い。


「……可哀相になぁ。アイツ、あれだけバレバレで本当に一方通行かよ……」


 そしてサジナイルは表情の変わらないディルから、『花』副隊長の片恋がディルに通じていないのだと悟る。

 ディルはその言葉の意味が分からずに瞬くばかり。


「……。まぁいいや。茶、飲んでく時間くらいあるだろ。少しばかり昔話に付き合えよ。俺、まだ治ってないテイで行くからこの先二ヶ月くらいは暇なんだよ」


 呆れたサジナイルの提案には、ディルも拒絶する理由が無くて頷いて返す。

 そこから始まる昔話には、サジナイルの体質や『呪い』の正体について語られる事は無かった。


 そして、サジナイルの嫁とやらの姿も見ることが叶わなかった。




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