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ディル二十四歳―6


 剣戟の音色が鳴り響く。

 地を削り抉る靴裏が、土塊を飛ばしている。

 何度も、何度も、御前試合の御法度である殺害さえ想定に入れた剣筋が二人の体に向かう。その度に二人は避け、躱し、受け止めた。

 拮抗状態の決勝戦に、野次は殆ど聞こえなかった。

 対峙する二人の集中を削ぐような真似をしたら、武器を構えたその切っ先が次は野次を飛ばした者へと向かうだろうから。


「っ、!」

「破っ!!」


 二人の吐息の音が、声だけが、緊迫した空気の中で唯一発する事を許されたものだ。

 流れるような動きの中に混ぜられた攻撃に、観客達すら息を飲む。

 これまでで敗退した者達も、決して弱い訳では無かった。けれど二人はその上を行く。実戦で他の追随を許さぬ武勲を上げたディルと、対等に渡り合うカリオン。

 二人の姿に、それまで用意されていた椅子から立ち上がりテラスの手摺りに手を掛けた国王すら、その雄姿から目を逸らせずにいた。

 そんな国王に、テラスへと姿を現した者が声を掛ける。


「身を乗り出したら危のうございますよ、殿下」

「……、ミリアルテアか」


 名を呼びながら振り返った国王の視線の先に居たのは、夏用に仕立てさせた空色のドレスを纏い藍色の日除け用ストールを肩から掛けている王妃ミリアルテア。

 人目が少なければ睦まじさとは少々縁遠い二人の間には距離が開いていた。

 前王妃の嫡子であるアールヴァリンは、父親と義理の母の様子に顔を向けるもすぐに演武場に視線を戻す。義理の関係を上手く結べていない状態では、下手に話しかけるよりそっとしておく方が良いという判断だ。

 王妃は空いている椅子に腰を下ろし、御前試合などに興味は無いといった素振りでテラスの景色を眺めていた。勝者を称えるためにも、試合の最後には会場に居て欲しいという国王の願いを汲んだだけだから、誰が勝とうと王妃にはどうでもよかった。


「……ヒューマンは極端な季節に弱いと聞いていたものだが、よくもまぁこんな日に御前試合など思いつくものだなぁ、カザラフ? 其方の隊の者が言い出したと聞いていたが」


 視線を向けないままの王妃の言葉に、カザラフは頷く。神妙な顔をしたまま言葉を発しないのは、自分も王妃から敵視されていると知っているから。

 手摺りを背に、振り返った国王は気乗りしない様子の王妃に振り返った。


「そんなにこの気温が気になるか? プロフェス・ヒュムネは夏に強いと聞いていたが、其方はそうでも無いのか」

「私は平気ですが、個々に因る、としか。……ですが、この暑さだと些か私も枯れぬか不安もあります」


 それは種固有の冗談のひとつだが、国王はその聞き慣れない冗談に閉口してしまった。再び観戦の姿勢に戻り、それからは何も言わない。

 国王が演武場へと視線を戻した時には、カリオンがディルを圧していた。




「……! っあ、……っ……!!」


 青い顔で、声を出さぬようにしながらも演武場の光景に目を奪われていたのは医療部隊大天幕に居る『花』副隊長。

 必死で口許を抑えているが、力が入り過ぎて自分の頬に爪が立っても気付いていない。灰茶の瞳は、ディルとカリオンの一騎打ちに注がれていた。

 その一歩離れた隣では、フュンフさえ二人の姿に歯を食いしばっている。戦場であれば助力も可能だが、これは御前試合の一騎打ちだ。見ているしか出来ない状況に、刻まれた眉間の皺は深くなるばかり。


「っ……やだ、ディルっ……!」

「……」

「や、避けっ……うう、……あ、っ」


 か細い声で、抑えようとしても漏れ出てしまう声。

 フュンフは横目で見ても注意しない。不安なのは同じだ。

 ディルの勝利を信じているフュンフでも、カリオンの攻撃速度と反射神経には歯噛みせずにはいられない。ディルがこれまで、攻撃を当てられなかった相手などカリオン以外には居なかった。

 口許に笑みさえ浮かべているカリオンには余裕があるように見えて、対するディルはいつもと変わらぬ無表情。今はカリオンが優位に立っていて、一撃を繰り出すたびにディルの足許が一歩ずつ下がっている。


「ディル、様っ! どうしました、動きが鈍ってますよ!!」

「……」

「この程度、でっ! 終わる貴方でも無いでしょう!!」


 カリオンの挑発を受けながら、右に左にと繰り出される攻撃を防ぎながらの後退。

 避けようとしても、不規則な剣先がディルを捉えたままだ。目測を誤れば一撃くらいは喰らいかねない。

 それでなくとも、ゾリューとの試合でわざと喰らった一撃が今更手に違和感を齎し始めていた。鈍く熱い感覚が、腕から指先に掛けて広がっている。


「そう焦るな。無駄に動いて倒せる我では無い」

「そう、ですか。では、これならどうでしょう!?」


 カリオンが両手に剣を握った。その一瞬で避けられたら良かったが、ディルの体は反射的に防御を選んだ。

 その一撃を防いだら、攻勢に出られる。ディルの判断は正解でも間違いでもなかった。


「――っ、!!」


 剣同士がぶつかる、高い音。

 キン、という音と共に弾かれたのはディルの方だった。


「――」


 手から零れ落ちたディルの剣は、両手で握っていたにも関わらず、力が不完全だった左腕がカリオンの一撃を耐え損ねた。切っ先が円を描くように宙を舞う。

 誰もが息を飲んだ。そして。


「っ、え」


 その判断も、また一瞬。

 振り抜いた体制の隙を突いたディルが、その場にしゃがみ込む。

 そして両腕は地に付き、義足の左足は軸。

 右足は、カリオンの腹部を鈍い音をさせて蹴り上げた。


「っぐ、!?」


 踵に全力を込めて、躱す事も出来ないカリオンに見舞わせた一撃。

 それは剣でもない、ディルの反撃。

 大きくよろめいたカリオンを横目に、ディルが駆け出す。手に再び剣を握り、向き直る頃には戦況は五分だ。


「……御前試合では、武器に因らない攻撃は無効――とは、言われていなかったな?」

「っ……く、……ふ、ふふふっ。……成程、……なるほど……。ディル様、本気、ですね?」

「御前試合では、本気を出さぬ方が無礼というものであろ? ……少し本気を出さねば、我とて勝利が危ういと思ったまで」


 ディルの剣が、再びカリオンに向く。


「来い。我相手に休んでいる暇などあるとでも思ったかえ?」

「丁度良い休憩になりましたよ。……やっと本気を出して貰えるんですね!!」


 肉食獣めいたカリオンの瞳がディルへ向く。そして武器を握り直したカリオンは再び走り出し、ディルはそれに真っ向から立ち向かう。

 それから始める二人の猛攻は、防戦などという言葉は置き去られてしまった。


「は、っ!!」

「……っ!」


 武器が、刃を潰していなかったらどうなっていただろう。腕の一本で済んでいただろうか。

 御前試合で木刀など格好がつかないが、この状況をもし予測出来ていたら、きっとそうしただろう。

 当たれば無事で済まない鉄塊を振り回す二人は、次第に場所を選ばなくなった。

 一番近い観客側の側まで近付いては一閃を繰り出し、それに慄いた観客は逃げた。

 控えの天幕の支柱まで引き倒し、状況は散々な有様。

 二人だけの世界が周囲を巻き込んでいる。それでも、医療部隊大天幕だけは無事だった。


「……あーあ、もうこれどうすんのよ……」


 避難の為に審判役だったネリッタは大天幕に入り、二人の姿を間近で見ていた。その後ろには東屋から出て来たダーリャとサジナイルも付いてくる。


「た、隊長。これ、止めないと駄目なんじゃないんですか。このまま続けては危険です」

「んー? ……んー、そぉねぇ。御前試合で参加者以外の死者が出ても駄目って付け加えとかなきゃいけなかったわねぇ」

「隊長!」


 『花』の二人のやり取りは、決勝戦中だというのにどこか呑気なものだった。焦っている副隊長と、どう制止したものか考えているだけの隊長。

 周囲が見えていない二人に対する隊長格の表情は呆れ気味だった。味方であれば心強い武力を持つ二人でも、御前試合の言葉を隠れ蓑にやりたい放題だ。

 サジナイルはテラスから顔を覗かせている国王陛下の顔が見える位置まで移動する。辛うじて大天幕の中、二人の刃は襲ってこない位置。


「陛下! どうします、中止しますか!!」


 国王に言うにはどこか砕けた口調だが、言われた方は気にしていない。それどころか。


「はっは。まだ構わん、もう暫くは好きにさせよ」

「……このクソッタレ」


 呵々と笑う姿に毒づいたサジナイル。小声で呟く言葉は国王を見ずに言って、次に視線を送ったのはネリッタへだ。


「クソザラフの野郎は上だしな。……担架、二つ用意あるか」

「あるわよぉ。アタシ、アンタ、ダーリャ、フュンフですぐに担いで行けるわねぇ。あのままじゃ、二人とも動けなくなるまで続くかもよ」

「やれやれ、ディルも見境が無くなるといつもこうですからな……。いっそ他の腕利きの者を呼びましょうか。動けなくなるまで、ならばいいのですが、もし戦闘が継続不可能な傷を負わせても追撃するようでしたら――」


 三人の隊長が話し込んでいた、その時だった。

 ――演武場から、鈍い音が響く。


「――っあ」


 声が、『花』副隊長の唇から漏れた。

 カリオンの一撃が、ディルの痛めた腕に直撃したのを見てしまったから。


「――っ!!」


 声にならないディルの吐息が、食いしばった歯の間から漏れた。


「でぃ、」


 『花』副隊長の声が、名を呼びきれずに呼吸が詰まる。

 まだ残っていた観客達の口からもどよめきが漏れた。それでも、ディルは剣を手放したりしない。

 再び剣に力を込めたディルは、カリオンの胴を狙って下斜めから振り上げた。

 ――再び響く、鈍い音。


「っ、あ、ああっ!!」


 カリオンの悲鳴は低く零れた。

 激痛を耐える表情のまま数歩下がるが、ディルは追撃しない。彼も彼で痛みを堪えていた。


「……、どう、した? まだ、我は、立てている。下がるなど、貴様らしくない」

「……っ、ふ。ディル様、本当に、貴方は、人を、煽るのが、下手ですね」


 傷を負っても尚、戦闘続行の意思は、二人の唇から。

 それどころではない『花』副隊長は今にも卒倒しそうになっているが、その肩をネリッタが両手で支える。これは彼女が弱いからではなく、片恋の相手が傷ついたからだと知っているから。


「サジナイルぅ。アタシ、これ以上は無理だと思うわ。死ななくとも騎士が続けられなくなるような怪我を負っても困るもの」

「それに関しちゃ俺も同意だが」


 足に見舞わせない限り、二人は駆け寄るのを止めない。

 再び始まった剣戟に、隊長三人が溜息を漏らす。


「……アレ止めなきゃいけねぇのかよ」

「仕方ないわねぇ。……ねーえ、陛下! ちょっともうこれ以上は止めるわよ!! 中止よ中止ぃ!」


 ネリッタの野太い叫びには、国王は手を振って返すだけ。

 これまでの二人の剣舞にも似た戦闘に満足したのか、国王はそれきりテラスの手摺りから下がって行った。

 演武場に駆け出したネリッタは、ありったけの声量でがなり上げる。


「ディル!! カリオン!! そこまで!!」


 近くに居たら鼓膜が破れそうな怒声だ。『花』副隊長とフュンフが咄嗟に耳を庇う。

 しかし、二人は声が届いているのかいないのか、攻撃の手を止めない。


「……ディル!! カリオン!!」


 二度目の怒声にさえ目もくれない二人。

 それまで躱しきれていた刃さえ、もう躱しきれないようになっているのにまだ終わらない。

 ネリッタは苛立ちを抑えきれず、短い爪でガリガリと頭を掻いていたが――カリオンの口から、鮮血が流れ出たのを見て目を瞠る。

 ディルの足もよろめいていた。まだ動けるのが災いして、このままでは本当にどちらかが死ぬまで続ける気だ。

 それが、二人の意思だった。


「ダーリャ!! サジナイル!!」


 ネリッタが次に呼んだのはディルとカリオンの二人ではなく、自分の同僚の他隊の長の名だった。


「止めるわよ! 死ぬわあの二人!!」

「なんという……」

「あーもう、面倒臭ぇなあいつらはよ!」


 二人の様子がおかしいのに気付いたダーリャもサジナイルも表情は焦っていて、急いで演武場に駆け出した。

 その後の三人は、話し合いで決めたでもなくそれぞれが二人を抑えに掛かった。

 ネリッタがカリオンを、ダーリャがディルを、それぞれ背中から羽交い絞めにするようにして飛びついた。

 サジナイルも二人の間の距離を広げようと、割って入るので精一杯だ。止められても、二人は振り払おうと動いている。


「……邪魔を、っ」

「するなぁあ!!」


 その怒声はディルとカリオンの両方の口から飛び出たものだった。

 渾身の力で振りほどいたのはディルが先だった。怪我を負っているのに、そんな余力が残っているのが信じられない程だ。

 え、と息を飲んだネリッタの一瞬の隙を突いたカリオンもまた振り払う。ネリッタの膝関節の一点を狙って蹴り上げた。


「っ、!」


 よろめいたネリッタの腕が離れ、カリオンとディルはそれまで開いていた距離をまた詰め合った。

 サジナイルの制止も間に合わず、二人の間に割って入るので精一杯だ。

 構えられた二人の刃は、同時に横薙ぎに閃く。その間に残るサジナイルの存在さえ見えないもののように。


「サジナイル!!」


 ネリッタとダーリャの声が重なった。


「ああ、もう馬鹿どもが!!」


 観念したような、それでいて全てを諦めたような声。

 何が起こるかは明白で、けれど逃げようともしない『風』隊長。


 そうして鈍い音をさせたのは、サジナイルの胴体だった。



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