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ディル二十四歳―5


「……何でお前さんにそんなの関係あるんだよ。良い趣味してんな、おい」


 『花』副隊長の血の気は引いたままだ。目の前の男が告げた願いの内容に、足が一歩、また一歩と無意識に下がっていく。

 黒髪の騎士の表情は苦笑から徐々に真顔へと変貌した。ディルの知っている彼の人当たりの良い笑顔など、もう消えている。


「……御存知ですか、『花』副隊長? 貴女が私達に愚痴と称していつもの酒盛りで振り回される度、どれだけの実害を被っているか?」

「実害!? 待てよ、アタシそんな無体した覚えが、………あ」

「上の兄は薬を手放せず、下の兄は先日調理手順を間違えて叱責を頂戴してるんですよ。私は……ほら、あんな事になりましたしね?」

「その点に関しては!! ごめんとしか言いようがない!!」


 話を聞いている限り、『花』副隊長にのみ罪状があるようだ。

 目の前で繰り広げられている話に付いていけないながら耳を傾けているディルだったが、哄笑するフュンフの声まで耳に届いてそちらを向いた。


「ふははっ。カリオン、それは私と言えども趣味が悪いとしか言えないな。全騎士の目の前で玉砕する『花』隊長を見たいと言うのか? 砕け散る姿はとても滑稽だろう、いやいや、恐れ入る。――その趣味の悪さに私も付き合いたいところだが、見られないのが残念だな」

「……何故?」

「優勝するのは、ディル副隊長に決まっているからだ」


 強気に出た発言に、カリオンは笑顔で頷いた。


「そうかそうか、君は副隊長が大好きだというのは有名な話だものね。まだ決勝戦も始まってないから決まっている訳じゃないけれど……大丈夫かい、フュンフ? 暑さで頭がおかしくなってないか?」

「皮肉を言えるのも今の内だけだ。ディル様と一度も剣を交えた事がない癖に、その余裕は何処から来るのだろうね?」

「はは、嫌だなぁ。皮肉でも無いよ。ただ、まだ始まって居ないものをさぞ見て来たように言うのはどうかな? ……って話なんだから」


 高圧的なフュンフを、柳のような物腰でやり過ごすカリオン。

 皮肉で指摘されたくらいでは怖気づく事も無く、いつもの調子を守るフュンフはその瞳にカリオンへの苛立ちを宿していた。


「勝利は我が副隊長へ。吠え面をかくなよ」

「ふふふっ。それくらい敵意剥き出しにするのが君って事がちょっと残念だな。ディル様、私としては次の対戦相手の貴方にそうされた方が――」

「………」


 それまで何も言わずにいたディルが、カリオンに話を振られて口を開く。


「『花』副隊長が砕け散るという事はどういうことだ?」

「……は?」

「此の身体が弾け飛ぶのかえ」

「……………」

「………」


 色々なものに鈍いディルとはいえ、その鈍さには三人が呆れるばかりだ。

 特に、渦中の人となっている『花』副隊長は溜息以外出てこない。


「同胞である騎士団の者が四散する様を見て喜ぶとは、汝の趣味を疑うなフュンフ」

「……ディル様、そうではなく、ですね? ……ですから、この女は」

「それ以上言うんじゃねえ!!」

「ごっ!?」


 呆れかえっていた筈の『花』副隊長の左拳が、華麗にフュンフの下顎を捉えた。

 バキっ、と鈍い音をさせて一撃を喰らったフュンフは数歩よろめいて、膝を付いて蹲る。

 二人のやり取りと『花』副隊長の暴挙はいつものことだったので、フュンフの負った傷は無視した。


「……悪趣味だよ、カリオンも。お前、それ本気で陛下に言うんじゃねぇだろうな」

「本気ですが。……何度も言うようですが、貴女に私達がどれだけ被害被っているかもう一度言いましょうか? 私にとってこの問題を解決すること自体、他の何を願うより価値が有る」

「本当に価値が有るのかえ? 其れ程までに自らの腕を誇るならば、更なる地位を願えば叶えられるのではないかえ」

「………。ふふっ」


 その時のカリオンは笑みを浮かべただけ。是も非も言わず、用は済んだとばかりに背を向けた。


「ディル様、くれぐれも――手加減はなさらないでくださいね」

「……」

「私は、貴方と剣を交えたかった。それだけ叶えば、他の願いなんて小さなものです」


 本当は、それだけ伝えたかったのではないかと思う程に簡潔な言葉。

 やっと立ち上がれるまでに回復したフュンフは、痛む顎を抑えながらディルの側に控える。


「……とんでもない目に遭いました。風変わりな宣戦布告でしたな」

「ああ」

「ですが私は副隊長の勝利を信じておりますので」


 フュンフの意思は不変のものとして、ディルが今一番気になっているのは腰を落として頭を抱えている『花』副隊長の方だった。

 「ヤバい」「マジかよ」「アイツ今度殴る」などと譫言のように呟いている姿は夏にあてられた哀れな姿にも思える。


「………」


 名を呼ぶことすら躊躇われる発狂寸前の姿。

 けれどディルの頭には疑問符が浮かんだままだ。例えば――本当に玉砕して四肢が弾け飛んでしまうのか、とか。

 ディルは無言だったが、代わりに彼女が自力で正気に戻ってディルに視線を投げて来た。その瞳は上目遣いで、潤んでいる。


「……お願い、ディル。こんな形でお願いするのよくないけど、お願いだよ。負けないで、勝って」

「………死ぬのが怖いか」

「コワ? ……いや玉砕はするだろうけど、死なないから。砕け散るのは、アタシの心ってか……そりゃ、怖い、よ」

「心か」


 特に大きな感情を持たないディルにとって縁遠い言葉だった。心が無いという陰口を受けるようになってどのくらい経っただろう。

 けれどディルの持ちえないそれを大事にしているのは彼女だ。何事か分からない心を特別なものとしながら、自身は特別とは考えないディルの近くに居てくれる。

 何より、こうして世話を焼いてくれる彼女が第三者の手に因って不快な思いをするのは阻まねばならない。


「……善処する」


 そう最大限の事を口にした時、演武場からディルの声を呼ぶ者の声が聞こえた。


「決勝! 『月』隊ディル!! 『鳥』隊カリオン!!」


 ネリッタの低く野太い声が、最後の対戦者を呼びあげる。

 これで最後だ。やっと、馬鹿げた祭りが終わってくれる。

 長いようで短かった時間に、ディルの武器が終わりを告げる。


「いってらっしゃいませ」

「いってらっしゃい!」

「ああ」


 ディルの勝利を信じてくれる者は、ちゃんといる。

 それだけで、勝たなければならない理由が増えた。

 誰かの期待を背負うことなど、面倒なだけだと思っていたのに。


 二人の視線を受けながら、炎天下の下に歩いていく。

 先に演武場に入ったのはカリオンだった。ディルも遅れて指定の位置に付いた。

 観衆すら誰もが黙ったままの緊迫した場所で、生温い風ばかりが吹いている。

 

「これが終わればついに優勝よぉ。二人とも、互いに言っておきたい事はないかしらぁ?」


 ネリッタが気を利かせて時間を持たせてくれた。二人とも、戦闘の休息にしては足りないくらいの休憩しか挟んでいないからという配慮だ。

 しかし二人ともが黙りこくった空白の時間が流れるだけ。


「……」

「では、私が」


 空白を破ったのはカリオンだった。律義に手を上げて発言の許可を待っている。

 ネリッタが頷いてみせると、国王のいる方角への一礼、それから観客への一礼の後にディルへと向き直る。


「ディル様。決勝戦で私の相手をして頂ける事、光栄に思います」

「……ふん」

「今回の御前試合、本当は、私が言い出した事なのですよ」


 笑顔のカリオンから言い放たれた言葉は、観客の全員を騒然とさせる。

 ろくな役職も持っていない一騎士が提案した御前試合が開催されるなど、これまで有る話ではなかった。

 特に、現『鳥』隊長のカザラフは頑固で冷淡な事で有名だ。そんな男が、カリオンの提案に頷くとは誰も思っていなかった。観客たちがカザラフの控えている筈のテラスに視線を向けるが、彼は何も言葉を発しない。


「少しの不安はありましたが、貴方は騎士隊を代表してこの御前試合に参加してくれた。そして、無事に決勝戦まで勝ち進んでくれた。私は、それが、とても嬉しい」

「……能書きは其の程度で終わらせろ。未だ、決勝戦は始まってもいない」

「ふふふっ。そうですね。……では、ネリッタ様。お願いします」

「……」

「ディル様。私を、失望させないでくれますか?」


 ネリッタが左手を上げる。

 その手は、風を切る速度で振り下ろされた。


「始めっ!!」


 その号令が掛かった途端、二人が武器を手にし大きく腰を屈めた。

 走り出したのは同時。胸の前に武器を構えたのがカリオン、下方に構えたのがディル。

 地を踏み締める音さえ響く二人の戦闘は、金属と金属のぶつかり合う空に響く一撃から始まった。ディルが振り上げた剣を、自分の剣の柄と切っ先を握って受け止めるカリオン。刃を潰してあるのが利点になって、普通であれば握れない場所でも力を入れて握る事が出来るようになっている。


「……ふ、っ」

「………」


 カリオンの唇に浮かんだ微笑。

 一撃で決まるとは思っていなかったディルだが、止められた瞬間に身を翻す。

 振っているのはまるで木の棒か何かかと思わせるような軽快な動きで、ディルの脇腹目掛けてカリオンの剣先が閃いた。

 布一枚の所で躱し、再び一撃を繰り出す、その繰り返しになる二人の攻防。それが時折二撃になり、三撃になり。寸での所で身を躱す二人の勝負には、鬼気迫る熱があった。

 今の二人に近付いたら途端に焼け尽くされそうな、騎士隊副隊長と一騎士の真剣勝負。


「ディル様、三撃目出す時には必ず持ち変えるんですね。癖、読めました」

「……。そうか、教えてくれて何よりだ」

「でも、今まで剣を交えた誰よりも、貴方が一番読めない。思っていた通りです、貴方は、強い」


 その時のカリオンの表情は。


「ああ……これだけ楽しいのは、久し振りですよ……!!」


 それまでの柔和な物腰を全てかなぐり捨てた、闘争本能剥き出しの獣のような顔だった。

 目の前の敵を打ち倒すまで終わらない、闘うために生きていると思わせるような表情に向けるディルの瞳はいつもと変わらない。

 迎え撃つディルは対照的に、いつも通りの月のような美貌と冷たさを湛えている。


「楽しんでばかりはいられまい。……我はさして、此の状況を楽しいとも思わぬが」


 それはわざとか無自覚か、カリオンを挑発するには丁度良かった。


「此れを、接待と言うのだったか? ……精々、足元を掬われぬ事だ」

「……ええ。そうですねっ!」


 再び距離を詰めるカリオンと、待ち受けるディル。

 二人の戦闘は激化する一方だった。



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