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ディル二十四歳―4


「……これ、大丈夫だったの?」


 フュンフが氷を砕き、『花』副隊長が用意した氷嚢は机の上にあるディルの腕に乗せられている。彼女はディルの隣に腰を下ろし、じっと氷の入った革袋を見つめたまま、ディルが動かないよう見張っている。

 ゾリューから受けた一撃は、腕を赤黒く染めて腫れていた。骨折まではしていないだろうが、包帯で強めに巻かれた後の冷却処置は『花』副隊長が行った。

 怪我人と医療部隊の面々が占拠する大天幕で座らされ大人しくさせらているのは不本意だが、演武場の様子がよく見えて悪くない。

 ディル達の次の試合も先程終わった。焚きつけたせいもあり、武器を交える騎士達の顔に鬼気迫るものがあって退屈はしなさそうだ。


「何がだ」

「腫れてる。……わざと受けるなんて無茶だよ、痛くないの」

「痛み、か」


 痛みを全く感じない、と言えば嘘になる。

 けれど経験上では間違いなく戦場で受ける痛みの方が大きかったし、ずっと前から精神ごとへし折られる苦痛を知っている。だから、こんな痛みは比較対象にもならない。


「此の程度、痛みなどとは呼ばん。掠り傷如きで呻く者と同列に見られても不愉快だ」

「……ごめん」


 顔すら見ずに口にした突き放す彼女への言葉をどう取られたかも深く考えることなく、ディルがまた演武場に視線をやる。

 整地も終わったばかりだというのに、既に次の二名が顔を合わせている。

 次は『月』のカンザネスと『鳥』のカリオンだ。カンザネスも決して弱い訳では無いのだが、二戦目まで残れたことは誇るべき事だろう。

 待機の天幕を見れば、エンダも日差しギリギリのところで勝負の様子を窺っていた。まだ開始の合図も出ていないというのに、その表情は到って真剣だ。勝ち残った方と次に戦うことになるのだから、当たり前かもしれないが。


「でもアタシは、幾ら御前試合だからって無理はして欲しくないよ。こんな痣になってるってことは、体は痛がってるんだよ」

「……」

「ディルは確かに強いよ。知ってるもん。知ってるけど、貴方がわざと傷つくような戦い方、アタシは見たくない。アタシは、御前試合であろうとディルを傷付ける奴が許せない」


 それだけ言うなり唇を引き結んだ彼女にディルが視線を向ける頃、その頬はみるみるうちに朱色に染まってしまっていた。

 この暑さに当てられたのか、と思うがそうではない。

 彼女の心を知らないディルだけが、その変化に気付かずに首を捻る。

 視線の外で、試合開始の合図が聞こえた。


「顔が赤いぞ」

「っあ」

「此の暑さにやられたか? 汝の方が休息が必要のようだが」


 途端にしどろもどろになって宙で手を掻く彼女は、絶望的なディルの鈍さに助けられた。

 陛下の御前で色恋に浮つけるような性格をしていないのが幸いする。勢いよく立ち上がって、髪を振り乱して。


「……あ、アタシっ! もう戻るね!! 氷、まだ置いとかないと駄目だからっ!!」


 真っ赤になった彼女は、氷嚢をディルへ押し付けて離れていく。少し離れた場所でフュンフが二人の事をどこか冷めた目で見ていたが、その理由もディルには分からない。

 その時、ディルの耳に試合終了の号令が聞こえた。僅かな間しか目を逸らしていなかった演武場で、立っていたのはカリオンだ。


「……」


 カリオンは、その場で観客に一礼する。優雅な騎士の物腰で、微笑を湛えたまま。

 そしてその藍色の瞳が大天幕に居るディルの姿を捉えると、その笑みが深くなる。

 浮かべたのはゾリューのような軽薄な笑顔ではなく、青年としての清々しい笑顔。

 笑顔が何を意味するのかは知らない。興味も無いが、ディルにはそれが他の者達の言う所の『空恐ろしいもの』のような気がして目を逸らさない。

 先に視線を背けたのはカリオンだ。それはディルから滲む微量の敵意からの行動ではなく、ただ演武場を次の者の為に空けようという行為に過ぎない。


 カリオンが去った後の演武場には、これまでディルが作ったものと比べて大きな抉れた痕があった。




 それからもディルは順調に勝ち進んだ。

 エンダは予期していた通り、カリオンとの対戦で地に伏した。後から「お前があんな焚きつけること言わなきゃこんな傷は負わなかったんだよ!」と文句を言われたが無視を決め込み、肩から右腕を吊り下げている包帯の白色にディルなりの憐れみの視線を投げて寄越した。

 お前が弱い、なんて言う気は無かった。

 ただ、相手になっていたカリオンが強いだけだ。


 御前試合は決勝戦まで進む。

 昼休憩を挟んだら、ディルとカリオンの対決の後に優勝者が決まるまでになっていた。




「お願いだよ、絶対に動かないでね。絶対だよ」

「……」


 ディルが『花』副隊長に念押しされているのは、医療部隊大天幕の中でだった。

 その場にいた者達が僅かな昼休憩の間に食事しようと、思い思いの場所に散らばっているがディルはフュンフに身柄を連行されていた。

 そこに用意されていたのは一欠けの携行糧食と、氷が浮いた一杯の紅茶。それから『花』副隊長の手に握られた糸と針。

 椅子に座るよう促されたディルは、もそもそとした歯触りの携行糧食を咀嚼している間、『花』副隊長が今までに無いほどに距離を詰めて来るのをただ見ていた。


「う、動いたら、さ、刺さるからね? 痛いからね?」

「……早くしろ」


 これまでの戦闘で破れたディルの服を縫おうとして、彼女の手が震えている。

 近くでそのやり取りを見守っているフュンフだが、二分経って漸く針に糸が通される所を見て溜息を吐いた。


「『月』受け持ちの孤児院の子供とて、糸を通すだけならそこまで時間は掛からんぞ」

「う、うるさいな! アタシだって、いつもはこんなんじゃないもん!!」


 そろそろ紅茶なり何なりで口内を潤したいディルだが、喚きあう二人にはディルの事など目に入っていないようだった。

 糸の通った針を持ち、何処から縫おうか――まずは、一番目立つ肩から、と彼女がディルの肩に恐る恐る手を添える。これは頑なに服を脱ごうとしないディルのせいでこうなった。

 破れた箇所の布を持ち上げ、針を通す――簡単な針仕事なら出来る彼女でも、想い人の服を縫うとなると勝手が違うらしい。

 特に、これから決勝へと挑む戦装束となるのだから余計に。


「……全く、新しいものに着替えて頂ければいいだけだろうに。手も掛かる時間も掛かる出来栄えは不安しかない。ディル副隊長、やはり私が新品をお持ちいたします」

「いや」


 ディルの口から出たのは拒否だった。


「……次の決勝でも破れるだけの衣服だ、そう何枚も使い物にならなくする訳にはいくまい。こうして穴を塞がれるだけでも助かる話だ」

「その穴を塞ぐ者に心配しかないのですがな」

「お前さん本当に失礼な奴だなっ、痛!」

「……」


 フュンフの予感が的中し、自分の指を針で刺した『花』副隊長。

 それでもめげずにちくちくと穴を塞ごうとしている、その顔が近くてディルが閉口する。何故か、呼吸も最低限になりつつ彼女の顔と危なっかしい手付きを交互に見ていた。

 髪色と同じ睫毛。その奥に見える灰茶の瞳。時折引き結んでは緩む桃色の唇。赤く色づいたままの頬。肌から香る、彼女の柔らかな汗の匂い。

 細く小さな手と指。持っている針はそれより細い。糸は神父服に合わせた暗色。その縫い先は布と時々彼女の手を刺しながら、穴がどんどん塞がっていく。

 刺した針の傷から、彼女の血が肌に球状に浮かんだ。

 ――自分の為に、戦闘でもないのに血を流す彼女の行為が、その存在ごととてつもなく心地いい。


「…………」

「……よ、し。一ヶ所目、終わり!」

「……もういい」

「え」


 これ以上は戦闘中とは違う理由で湧き上がる何かを感じ取って、ディルが中断を口にした。

 けれどそれは彼女には拒否に感じたようで、針を持ったまま固まってしまう。

 勝ち誇ったように鼻で笑うフュンフは、その出来栄えを見て侮蔑のような言葉を投げる。


「幾ら応急処置とは言え、酷い出来栄えだな。こんな姿で我が隊の副隊長に決勝に挑めと仰るのですか、『花』副隊長?」

「うう……お前さん本当嫌な奴だよな……。でも言い返せない……。ごめん、ディル……」

「充分だ」


 指で触れた縫い口は確かに歪で、ほつれた部分も表に出て来てしまっている。

 でも元から破れたままでもディルは決勝の舞台に立つつもりだったし、文字通り血が滲んでも放り投げなかった彼女の一所懸命な姿に有難みを覚えるばかりで。


「礼を言う」

「……ディル。ううん、これくらいディルの為になるなら幾らでも!」

「フュンフ、茶を」

「畏まりました」


 一言言えば茶を渡して来るフュンフに軽く頷いて受け取った紅茶を口に含み、その器の中を一息に飲み干す。

 暑いせいか、喉が渇いて仕方ない。氷で限界まで冷えた紅茶が喉を通り過ぎていくと同時、彼女に抱いた何かしらの違和感もゆっくり引いていく。


「医療部隊である汝が針傷など作っていては作業が滞るやも知れぬ。肩だけで充分だ」

「……ごめん、ディル。アタシ、次があるならもっと上手になっておくね……」


 男勝りな彼女がいじらしい姿を見せるのも、ディルにだけ。

 フュンフはその理由を知っているので不愉快そうに顔を歪めるが、ディルはそうではない。

 もう暫く穏やかな時間を過ごせるか、と思っていたディルの耳にこの場にはいなかった筈の者の声が聞こえる。


「ディル様」


 その声に、全員が反応した。

 道具を片付けながらも勢いよく振り向いた『花』副隊長と、顔をそちらへ向けたフュンフ。ディルは視線だけ向けた。


「お疲れ様です。次、御一緒ですね。どうかお手柔らかにお願いします」


 はにかんだような笑みを浮かべて近寄って来た男――カリオンだ。

 決勝戦で武器を交える相手にのんびりとした口調で挨拶しに来るなんて思わずに、フュンフが剣呑な視線を向ける。


「カリオン、何の用だ? まさか傷を負ったわけではあるまい。控えの天幕を間違えたか」

「嫌だな、フュンフ。そんなに警戒しないでくれ。……ただ、ディル様にご挨拶しに来ただけだよ」

「信用ならねぇな。十分後に勝つか負けるかの相手にヘラヘラ出来るその神経が怖ぇんだよ」

「……その言い草は酷いですよ」


 立場が違う者に違和感なく言葉を使い分ける黒髪の騎士は『花』副隊長に強く出られないようだった。

 本当に挨拶に来ただけならばもう戻れと言いたかったが、普段以上に気を張っている『花』副隊長の様子が気になる。


「知り合いかえ」

「……まぁ。飲み仲間の一人ってか……随分前から色々あって、時々つるんでるっていうか……アタシが無理矢理酒に付き合わせてるっていうか」

「酒だけの関係でも無いでしょう?」

「ばっ……! おま、何言ってんだ!!」


 ただならぬものを思わせる言葉の途中でも、カリオンの笑みは変わらない。

 真っ赤になっているのは『花』副隊長だけで、カリオンには余裕すら感じられる。


「そうそう、私は今回優勝しても褒賞として賜る願いが何も思いつかなかったんですよ。ディル様は願い、思い付いてますか?」

「……我は別に、何も」

「ああ、同じですね。私も結構悩んでたんです。……悩んでたんですが……今、良い事思いついてしまいました。ですので、少しそちらの『花』副隊長様に宣言しておきたくて」

「な……、何の話だ。アタシに宣言するほどの大層な何かがあるのかよ」


 笑顔のカリオンの表情は苦笑に代わり、言い放った言葉は。


「いい加減、貴女の絡み酒にも付き合い続けるのが辛くなったので……。私が優勝したら『貴女が一番知られたくない話を、一番知られたくない人に貴女自身で伝える』で、どうでしょう?」

「……は!?」


 彼女の表情を、驚愕に塗り替えた。


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