ディル二十四歳―3
それぞれの初戦が終わり、ディルもエンダも二戦こなして無事に次の対戦へと駒を進めた。
一回戦目ではあったが流石に各隊から選りすぐられた騎士。ディルの肩口は刃を潰している筈の武器の突きを受けて服が破れ、エンダは二の腕に一撃喰らって呻いている。
対戦した相手はもっと悲惨なことになっており、特にディルと対峙した二名は意識を失っていた。それを治療するのは医療部隊の仕事で。
「おいフュンフ、綿球なんて言ってる場合じゃ無ぇ! そっちの綿まるごと持って来い!!」
「命令するな! 全く、こうなることくらい予想が付いていただろう!」
医療部隊は怪我人の治療にてんやわんやだ。担架で運ばれた二名の他にも、刃としての価値が無い武器にも関わらず流血の多い事。
頭部の傷は簡単に周囲を血に染める。戦闘術に長けた者同士が争えば、こんな景色は想定済みだ。
長けているだけで、殺気の欠片も無い景色はディルにとっては退屈なだけだったが。
「……」
騒がしい医療部隊の天幕を眺めながら、ディルが戦意の欠片も無い視線で椅子に腰掛け演武場を見ていた。
そこは先程まで血沸き肉躍る、といった様相だったのに今は小休止に入っているので静かだ。見物人の中から立候補者が、抉れた地面を均している。
それぞれ茶を飲んで一息ついたら終わるような休憩時間。ディルの小休止は、ネリッタの怒号で終わった。
「はーい!! 野郎ども、時間になったわよぉ! 初戦を勝ち抜いたくらいで疲れた訳じゃないでしょぉ! 名前呼ぶ奴、出てきなさぁい!!」
今回の審判を務める野太い声が名を叫ぶ。
「『月』隊ディル!! 『風』隊ゾリュー!!」
ディルの表情は変わらないまま、座っていた椅子から立ち上がる。
「……」
対峙するゾリューの名前には覚えがあるが、それだけだ。顔と名前が一致しない者がディルには何人もいて、その中の一人というだけの話。
相手が力量の差に気付いて降参でもしてくれれば手間が省けるのだが――ディルはその時、そう思っていた。
「あ」
ディルとゾリューが演武場へと足を向かわせている最中、何故かその声だけは嫌に耳に鮮明に届いた。
医療部隊の天幕の中でも一番演武場に近い場所に陣取った『花』副隊長とフュンフがディルの雄姿を目に焼き付けようと近付いていたせいもある。
試合開始直前に私語など許さない筈の性格なのだが、その時に限ってフュンフは聞き返していた。
「どうしたのです」
「ゾリュー。アイツ『鳥』と『風』の子で股掛けしててさ。殴ったら『俺に選ばれなかったのが不満なんですか』って言ってきてさ」
ディルの歩みが止まりかける。寸での所で持ち直した。
「アタシも御前試合出てたら表立ってボコボコに出来たな、って思うとちょっと惜しいな」
「……貴女はまだその地位に就いても他者を害する行為を止めないのですかな」
ディルとゾリューが同時に指定位置に付いた。
軽薄そうな薄い笑みを浮かべたゾリューの持ち武器は長棒だった。色素の薄い茶の髪を優男風に耳が隠れるまで伸ばし、薄い唇で弧を描いている。その笑みは前線に立つ部隊所属である余裕からか、それとも虚勢か。
対するディルは、『花』隊長が語る目の前の男の所業を聞いて。
「――被害受けたのアタシじゃなかったからな。良い様にされて、嫌な思いして泣いてる女見たら、泣かせた奴後悔させたくならない?」
――無表情だった。
目の前に立つ男がした所業は、今盗み聞いただけでも卑しい行為だ。
その汚らわしさにディルが不快感を覚えた。――しかし、その感覚自体にディルが疑問を覚える。
別に、ディルに実害が及んだ訳では無い。股掛けされた女の話も知らないし、そもそも恋愛という感情を知らないから何が悲しくて泣いているのかが理解が出来ない。
下衆を選んだ女だって悪い。そんな男だと見破れなかった目も、そんな男が近くに居てしまった運も。
見物人達さえ無言になった中で、ディルは武器に手すら掛けずに立ち尽くしたままだ。視線は、ゾリューを見ているようで見ていない。
「始めっ!!」
それは開始の合図を出された後でも同じで、心ここにあらずなディルの様子を分かっていてネリッタは試合を開始させた。
ゾリューは両手に長棒を握ったまま、拍子抜けした様な表情を浮かべる。
「……ディル様。油断してると、足元掬われます、よっと!!」
向き合う二人が挟んだ距離はさして遠いものでも無い。騎士が走ればすぐに相手の元へと辿り着ける距離だ。
しかしディルはまだ自分の武器を抜かない。腰に下げたまま、まだ考え事をしていた。
「ディル!?」
「ディル様!」
試合が始まると野次は飛ぶ。その中に、ディルの身を案じる二人の声が同時に聞こえた。
聞こえている、と言うのも億劫で、そこまで来てやっとディルは長棒を振り上げるゾリューの姿を捉えた。
「貰ったぁ!」
「……」
ディルの手はまだ自分の武器を持たない。
頭上から斜めに振り下ろされる長棒の先は、ディルの肩を狙っているようだった。
ディルの足は動かない。
「……――」
鈍い音が響いた。
「……え……」
「……ふん」
ディルは一歩も動かないまま、腕でゾリューの一撃を受け止めた。
見物人も、ゾリュー自身さえも、わざと攻撃を受けたディルの姿に驚きを隠せない。
「下らん」
ディルの一言は、ゾリューにしか聞こえなかった。
次の瞬間、悪寒を感じて下がろうとするゾリュー。しかし、引こうとしたのに肩から上が動かない。
「――御前試合と聞いていたが、誰も彼も闘気に欠けている。其れでも隊から選抜された騎士か」
ゾリューが握り締めていた長棒を、ディルも握っている。一撃を受けた腕とは逆の手が離れない。
一瞬だけ引き合った二人だったが、片腕のディルが大きく腕を薙ぐように振るとゾリューが振り払われてしまった。よろめきながら下がるゾリューは丸腰だ。
「っ、ぐぁ!?」
「戦場であれば此の一撃で腕の一本でも折るであろう騎士が、御前試合で手加減など笑い話にも成らん」
情けない姿を晒すゾリューに、ディルが長棒を投げて寄越した。最初は何事か分からず受け取れなくて地に転がったそれを、苦虫を噛み潰したような顔で拾い上げる。
そこまで来て漸く、ディルは武器に手を掛けた。切れない鈍らは鞘も無く、ただ腰から下げられているだけの鉄塊。
「武器を持ち我が前に立つのなら、我を殺す気で来い」
夜の月光から感じる冷たさを湛えたような声が、その場面を目撃していた全員の耳へと届く。
「……二度は言わぬ、下らぬ児戯で我を失望させるな」
「……上等じゃないですかぁ! 御高説ありがとうございます、後悔しても知りませんよ!!」
ゾリューは激昂していた。副隊長といえど後方部隊である『月』の騎士に片腕で攻撃をわざと受け止められ、表情も変えられず、説教まで受ける始末。ここが戦場であればゾリューは間違いなく丸腰のまま殺されていた。
ここまで圧倒的な力の差を見せつけられて、闘争心が湧かない訳が無い。再び武器を構えたゾリューは、それまでの軽薄な笑みを消して怒りに歪んだ顔をしている。
「……」
ああ、――此の男も駄目だ。
ディルは口に出さずにそう思った。
戦場で怒りを露わにして敵に向かう者は、その怒りの炎で自らを焼かれる。どんな時も冷静でいなければならないのに、基本であるそれが出来ていない。
後悔させるならさせて欲しい。手玉に取った女達に思わせたように、ディルに関わらなければ良かったと思わせるが出来るのなら。
こんな男に、『花』副隊長が靡く筈が無いのだ。
「無理であろうな」
「……っ、この……!!」
感情の粒が零れ落ちるように意識の外で口が勝手にゾリューに吐き捨てた言葉。
ゾリューは冷静を欠いた力任せの大股で距離を詰めると、再びディルへと長棒を振り上げた。
二度も同じ向きの攻撃は効かない。一歩足を下がらせて、片手に握った剣へと力を込めた。
「っ、ふ!」
ディルにとってはたった一撃。
狙いすまして剣を振り抜くと、剣先が長棒へと当たり狙いが逸れる。ディルを避けて明後日の方向へ弾かれたそれが持ち直されるの時間は、ディルにとっては充分すぎた。
剣を振り抜く力のままその場で一回転するディルは、次にゾリューの首に狙いを定めた。
「――」
「此れ迄だ」
定めた狙いは寸分違わず、しかしその肉に鉄塊が食い込む寸前で動きを止める。
空気を裂く勢いのそれがもし当たっていたら、立つことは疎か命さえ危うかったかも知れない。
ゾリューが震える手で長棒を地に落とし、手を恐る恐る肩まで上げた。無抵抗を示す仕草を見て、ネリッタが手を大きく二度叩く。
「止め!! 勝者、ディル!!」
歓声は、少し遅れてやって来た。
それまでのどこか遊戯めいた試合から一転、感情をむき出しにしてディルへと迫ったゾリューと、それを難なく制したディルの対決に目を奪われていたものが大多数だ。
「……っあ、お、俺……」
「……」
ゾリューの震えは、みるみるうちに大きくなった。まだ首の側にある鉄塊がそんなに恐ろしいものに見えているらしい。
徐にゾリューへと一歩だけ近寄って、彼にしか聞こえないよう声を潜める。
「貴様が傷付けた女人達へ謝罪するというなら、此の剣を下げよう」
「っえ、な、なんでその事っ……!? あ、謝ります! 謝りますから!!」
「……『花』副隊長へもだ。忘れるな」
でなければ――これだけでは済まさない。
無傷でいられたゾリューなのに、ディルの脅しが効いて膝が震えて暫くの後に地にへたり込んでしまった。それを「邪魔よぉアンタ」と一蹴して引き摺り退けるのはネリッタ。
ディルも剣を下げて、次の対戦の為に場所を開ける事にする。
次の審判役として出て来たのはサジナイルだ。自隊の者に難無く勝利され小憎らしいようで、軽く小突こうとした手だがディルに避けられて宙を掻いた。
「……ったく、お前いいとこ持ってくなよ。お前達もまた呑気な試合してたら俺が説教かますつもりだったのに」
「ふん」
サジナイルはディルを嫌っている訳では無く、口端には笑みが浮かんでいる。だから、ディルも反撃はしない。
擦れ違いざまの言葉を軽く聞き流しながら天幕に戻ろうとしたディルだったが。
「ディル!!」
その横を、『花』隊長が駆け足で近付いてきた。
腕を掴もうとした彼女の手が、一瞬迷ったように宙を彷徨ってから二の腕を改めて掴み直した。
小さな頭の後ろから見える一つ結びが激しく揺れ動くほど急ぎの用事でもあるのか――ディルが思ったのはそれだけで。
彼女が掴んでくる腕なんて、ディルには避けようと思えば避けられたのに。
「……何の用だ」
「ディル、一発受けたでしょ!? 冷やさないと駄目だよ!! フュンフが氷用意してるから、こっち来て!」
「要らん。此の炎天下に氷などといった貴重な物資を我に使うな」
「怪我人の為に使うんだから良いだろ! 次の試合まで時間あるんだから、ちゃんと治療受けて! お願いだから!!」
「……」
細い腕がディルの腕を引く。
ゾリューが長棒を引いた力より格段に弱い筈のそれに、ディルは大人しく医療部隊の大天幕の中まで入って行った。
中では既にフュンフが氷塊を砕いて用意していて、次に演武場に呼ばれるまでディルは大天幕の中でフュンフからの小言を受け過ごす事になる。