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ディル二十三歳―2


「開いている」


 ディルの口から出るのは、扉の外に居る人物へのもの。

 それまで控えめな音で扉を叩いていた音が止む。同時、誰かに呼びかける声も。

 開くまでは時間があった。ディルがそうと知れず焦れる程に。やがて音も少なく開かれた扉の向こうには、前より短くなった髪を結んだ『花』副隊長がいた。


「……お、じゃま、します、ディル様」


 控えめなのは声も一緒で、顔を朱に染めた彼女は手に書類を抱いたまま部屋に入って来る。

 扉を閉めた後は、室内で何かを探しているように視線を忙しなく動かしていた。何を、誰を探しているかなんて分かり切っているのに、ディルは素知らぬ顔をして問い掛ける。


「何を探している?」

「っあ、あの、隊長……ネリッタ隊長が、こちらに来ていませんか? 『月』に用事があるって言って出られたのに、持って行く書類を置いたままにしていて……」

「……」


 彼女は、また髪が伸びた。

 三か月で長さが劇的に変わった訳では無いが、再び髪を結ぶようになった。

 その長さは初めて出会った時と同じようで、そんな所ばかりが鮮明に残っている自分の記憶力に言葉に出来ない違和感を感じる。


「『花』隊長ネリッタなら、先程フュンフを連れて何処かへ行った」

「え……フュンフと?」

「………」


 フュンフなら気安く呼び捨てにするのに、ディルには未だに『様』付けだ。

 立場は同じ副隊長なのに、彼女から感じる壁のような隔たり。粗暴な彼女の姿を、面と向かって見られたことが無い。

 これまではそれでも良かった。自分が立場が上だったから、丁重に扱われる自分に悪い気はしなかったのに。

 今は、対等な立場にも関わらず感じる壁に嫌気がさしている。


「……あ。あー、もしかして隊長、フュンフに苦情言ってるのかな……」

「苦情?」


 何かに思い至ったような彼女の声に、胸の中の霧が消える。困ったような苦い表情を浮かべた『花』副隊長が、手に持っていた書類を執務机に置きながら口を開いた。

 そんな彼女に復唱しながらディルが反応を見せる。


「アタシがフュンフに嫌がらせされてるんじゃないか、って隊長が。そんな訳無いんですけど、……どうも、説明しようにも出来なくて」


 『アタシが』。

 ディルの知らないうちに、ネリッタの言葉選びが移ったような彼女の一人称に変わっていた。

 知っている筈の彼女の、知らない面が増えていく。


「……フュンフは、『花』に渡す書類をわざと遅らせていた。其処に弁解の余地など無いように考えるが」

「……うーん。……それも、本当は違うんですよ。……でも、言えない事情があって」

「事情、とは?」


 口籠る彼女は、様子がいつもと違う。事情を知っていて言えないかのような様子だ、

 フュンフと彼女しか知らない事柄が存在することが、ディルの眉間に皺を寄せる。


「話せ」

「……え? え、でも。言ったら……フュンフに怒られる」

「何故だ。認識の齟齬は有ってはならないものであろ。本当にフュンフが無実と言うのなら、我がネリッタとの間に割って入る事も出来る」

「……フュンフが、言わないように言って来たんです。ネリッタ様から怒られるのが嫌だったら、本人の口から言ってるでしょうし」

「口調」


 尚もフュンフを庇おうとする彼女に僅かな苛立ちを感じたディルは、語気を強めて短く言った。


「我等は隊は違うといえど、副隊長としての立場は同じだ。以前ならいざ知らず、今では我等の間に敬語など必要無いだろう」

「……え!? な、なんでですか……!? だって、アタシ、副隊長になってそんな間が無いのに」

「では、命令にすれば良いのかえ」


 命令でもなんでもいい。

 彼女の知らない面を、これ以上増やしたくない。彼女との距離を、今以上感じたくない。

 こんな職権濫用にもならない暴挙を、これまでディルはした事が無い。けれど彼女が感じているような立場の違いはもう無いのに。


「……あ、あう」


 彼女の立場からしたら、片恋相手から距離を詰められそうになって怖気づいているだけだ。

 これまで自分より立場が上だったディルと肩を並べられるようになっても、色恋とは無縁だったから一歩も進めなかった恋愛模様に突然訪れた千載一遇の機会に身を震わせている。

 距離が縮まる。

 縮めても許される。

 だってそれは、彼からの命令なのだから。


「……やだ。だって、ずっと、アタシはディル様の背中追ってたのに……。今更、敬語無しだなんて、難しい、です……よ」


 けれど、彼女は拒んだ。

 自分の粗暴な面は分かっていた。敬語で接する事でどうにか保たれていた猫被りは今更脱げない。

 向こう見ずで誰彼構わず噛みついていた彼女だが、片恋の相手となると途端にしおらしくなる。それはディルが知り得ない話だが。

 遠くから見ているだけでいいと、深く関わって幻滅されたくないと、自分が今まで他の者にしてきた事は棚に上げてそう願っていた。だからディルに敬語を止めろと言われても、先に立つのは恐れだった。


「フュンフは良くて、我には出来ぬのか」

「………フュンフは、その。……結構前から、喧嘩し合ってたし、別に抵抗ないっていうか……。そ、それにアタシ、アイツにディル様には出来るだけ丁重な言葉選びしろって言われてるし」

「そうか」


 単語で大人しく引き下がったような様子のディルに安堵する『花』副隊長。

 しかし、次に放たれた言葉は。


「では、此の責はフュンフに問おう。円滑なる副隊長同士の関係に水を差すような真似をしたのは奴であろ。孤児院の子供でもあるまいし、汝の振る舞いに口を出すのが間違っている」

「え!?」

「口答えするようであれば懲罰房行きも考えている。汝の懸念事項には成らぬ、決して二度と口を出させはせん」

「え、待って、待って!! どうしてそうなるんです!?」


 彼女はその言葉がディルの下手な冗談に聞こえていた。だから焦った様子を見せようと、本当にディルがそうするなんて考えていない。ディルにとって腹心とも言えるフュンフにそんな事をしたら、一番被害を被るのがディルなのだから。

 でも、この時のディルは本気だった。

 隊の円滑な関係、の言葉に馬鹿正直な『花』副隊長は悩む。それで、素直に白状したのはフュンフにとって不幸中の幸いな話で。


「……フュンフは、違う……ん、だ」


 折れたのは、彼女の方。


「良かれと思ってしてくれて、実際、アタシは大分助かってる……んだよ」

「執務を遅らせることが、か?」

「口止めされてた、けど」


 ふるふると首を振る彼女は、ディルに対して敬語を使わない喋り方が難しいらしい。

 息を整えて、躊躇って、観念したように話し始める。


「書類仕事不慣れなアタシに、全部の書類に別の注釈書いた紙付けてくれる……んだ。編成の優先順位や、隊交代の任務とか、警備順とか、必要になる騎士団共有の物資の場所がそれぞれどこかとか……その注釈、物凄く分かりやすくて……助かってるんだけどね」


 ――仕事もまともに出来ないような者が副隊長では『花』の符号が泣く。ひいては『月』副隊長のディル様の名誉にも関わる。しかしこの事が他者に漏れたら貴様を贔屓していると取られかねない。決して他言はしないように。


 そう言われた事を、律義に守っている。

 無理矢理聞き出したのはディルだから、彼女に非は無い。


「だから、悪いのは、全部アタシで。口止めされてたからネリッタ隊長にも言えないで。フュンフが怒られるって話になるなら、アタシが本当は叱責されなきゃいけませ……いけない、んだ」

「……」

「隊長も、少しアタシに過保護なんだよね……。過保護ってか、もうアタシにこれ以上無謀に暴れて欲しく無いらしいんだけど……」

「汝に過保護と言うのならば、余計に世話を焼いているフュンフもではないのか」


 彼女がフュンフの名を口にする度、胸に再び霧が立ち込める。

 その霧の名も分からぬまま、若干の棘を含ませて腹心の名を挙げた。


「フュンフ? フュンフはディル様、……え、えと」


 なのに彼女はディルの胸にある霧の存在も知らないまま、単純に顔を赤らめて。


「……フュンフは、ディルにだけ世話を焼くんでしょ? アタシなんてオマケみたいなものだよ」


 ディルの名を、敬称無しで初めて呼んだ。

 呼ばれた方は自分でそうしろと言ったにも関わらず、飾り気のない彼女の声で呼ばれた名前を、一瞬自分のものだと理解出来なかった。

 呼んだ方は俯いて落ち着かないように身動(みじろ)ぎしている。


「……い、嫌じゃない? これまでアタシ、貴方の事ずっと様付けで呼んでたけど。こんな風に名前呼んで、嫌な感じしない? 大丈夫?」

「嫌ではない」

「……そっか。……そっかぁ。よかった」


 心底嬉しそうに微笑む顔から、目を逸らす事が出来なかった。

 即答に近い返事をして、それで彼女が微笑むのなら何度だってそうしたい。彼女に纏わる事柄から与えられる不快感は、その笑顔で全て帳消しになる。

 これまで、長い間知人の関係を保っていた。そしてここ最近同僚になって、やっと距離が縮まった気がしていた。

 けれど彼女にとって、この空間は居心地の良いものでは無く。


「……っあ、あの。しっ、仕事、残ってるし……隊長も居ないから、もう、戻りますね! お疲れ様です!!」

「敬語に戻っている」

「今日は見逃してくださいぃ!!」


 逃げるように部屋を勢いよく飛び出そうとする『花』副隊長。扉が閉まっている事も忘れて盛大に激突した。

 鼻を抑えながら扉に手を掛け、開くと同時に走り抜ける彼女は、最後まで顔を真っ赤にしていた。扉での物理的衝撃のせいもあるが、そんな間抜け面も見ていて飽きない。

 開けっ放しの扉が暫くそのままになり、ディルが執務机の上の書類に立ったまま目を通し始めた時、再びその扉から入って来る人影が居た。


「はぁーん、フュンフいびってたら疲れたわぁ。ちょっとディル、お茶くれない? 一杯で良いわよ」

「……他隊の茶をせびる為に来たのかえ」


 『花』隊長ネリッタが、入室の合図も無く入ってきた。

 一緒に連れて行った筈のフュンフの姿は見えない。疲れた、と言ってソファにどかりと腰を下ろす大男はその話に自分から触れようとしなかった。

 ディルは言われるがまま備え付けの茶道具を扱い、ネリッタの前に荒い手付きで紅茶を差し出す。折角の茶器と紅茶なのに、手に取るとそのまま雄々しく一気飲みされる。空になった茶器は、再び同じところへ下ろされた。ディルはまだ立ったままだ。


「……ネリッタ」

「はぁい?」


 フュンフの事を聞いても良かった。けれど、あの男をネリッタが適当に扱う訳がないと信じて別の話題を振る。

 前から気になっていて、けれど二人だけになる時が無くて聞けなかった話だ。


「『花』副隊長の座にあの者を捻じ込んだのも、汝の計画の裡だったのかえ」

「あぁら、やだ。アタシ、そこまで計画的じゃないわよぉ。……本当はルノーツちゃんが隊長になった時に、あの子を副隊長にして貰えれば、って思ってたけれど」


 ルノーツは先代の『花』副隊長だ。一身上の都合で騎士を辞めて、そこからの詳しい話をディルは知らない。

 惚ける素振りでもなく、心底計算外――ネリッタの表情がそう語っていた。


「人って、当たり前にずっと状況が変わらない訳がないって改めて思ったわ。ルノーツちゃん、御実家の都合で騎士の位を返上したのよね。あの子もアタシとそう変わらない年だったし潮時って言ってたわねぇ。……知ってる? 年取ると、昔より体動かなくなるのぉ。若かった頃ならまだしも、今アンタと戦り合っても勝てるか分からないわぁ」

「……ふん。有りもしない話は止めて貰おうか。年を取ると動かなくなるのは体だけでは無いようだ」

「………ねぇ、ディル」


 ネリッタが、ふと違和感を覚えて声を掛ける。


「アンタ、今不機嫌ね?」

「――……? 我が?」

「ダーリャも言ってたわぁ。アンタは殆ど表情変わらないけど、怒ってる時だけは分かりやすいって。……まぁ、アタシはアンタが何で怒ってるのかまでは興味ないけどぉ。もー少しくらい愛想よくしないと、折角顔は良いのに結婚出来ないわよぉ?」

「……」


 ネリッタの言葉が不快に感じた理由は分からないが、確かに気が立っているのは感じられた。

 一挙一動が、というより言葉に見える余裕が不快だ。

 隊長職を与り、美貌の福隊長も備え、彼の生には挫折や絶望という言葉とは無縁のように見えた。

 ディルのように、幼少期から捻じくれた性格になるような生き方はしていないだろうと、この能天気な男からは感じ取れてしまったから。


「我には結婚願望など無い。……我よりも、汝自身の心配をするべきではないか?」

「アタシ? え、なんで?」


 問い返す言葉にも余裕が滲んでいたように聞こえて、ディルが眉間に何度と知れない皺を刻む。

 王城ではネリッタの一番側に居る異性は、『花』副隊長だ。男が女を囲う理由なんて、限られている。

 これまで使っていた一人称が変わる程に、彼女が側に居る男でもある。

 ディルの邪推は自分の思考だというのに不愉快で、湧き出る苛立ちに舌打ちをしかけたその瞬間。


「アタシ、結婚してるわよ。かわいいかわいい奥さんいるもの」

「……は」

「アタシも職場じゃあんまり家の話しないけど、騎士なら既婚だって事全員知ってるわよ。……なに、アタシが独身だって思ってたの? 言っとくけど、アタシも良い年齢よ?」

「……では、何故副隊長をあれ程迄囲うのだ。副隊長にする膳立てまでして」

「囲ってるように見えてる!? ヤダぁ、アタシあの子めっちゃくちゃ気に入ってるけど自由意思は持たせてるつもりよ」


 驚いた様子のネリッタだったが、不意に何かを気付いた様子で半開きの唇に手を当てる。

 あー、ほー、ふーん、などといった気の抜けた声がディルの耳に届くが、黙っているとじきに勝手に喋り出すので放っておいた。


「……これは、結婚願望持たせる方が先ねぇ」

「………何の話だ」

「なんでもなーい。……貴方の御心配だけどねぇ、ディル。アタシはあの子が大好きよ。でも、異性だとか恋愛だとかそんなんじゃないわ。お気に入りの部下だから、大事にして、自分の気持ちを口に出して伝えてるだけ」


 諭し伝えるネリッタの声も、穏やかなものだった。いつぞやの酒場で聞いた素の声ではない。


「あの子に、ルノーツちゃんの居なくなった副隊長の座に就いて欲しい。あの能力をアタシの側で発揮して欲しい。あの子を気に入ってるから、大好きよって伝えもした。……ディル。心ってね、ちゃんと言葉にしないと伝わらないのよ。アンタみたいに『ふん』とか『下らん』とかで片付けて良いものじゃないのよ。言葉にしなくても通じるって信じていいのは犬猫が飼い主に向けての感情くらいなものよ。じゃないと、何かあった時悔やんでも悔やみ足りなくなるわ」

「………」

「うちのあの子見てごらんなさい。先に拳が出たりもするけど、ちゃんと言葉でも伝えるでしょ。その辺りはアンタも見習って良いと思うわよ」


 ネリッタの忠告は、ディルにとって耳の痛い話で。

 自分が言葉に対して不器用なのは分かっている。それ以前に他人は疎か自分の感情についても不明瞭な点が多い。感情について確信が持てないのに、当てずっぽうで言葉を並べるのも嫌だった。

 忠告をその通りには出来ないが、心に留めておくことは出来る。その忠告の通りにする機会は来ないかも知れないけれど。


「考えておく」

「はー……。ダーリャも気の毒ねぇ。アイツだって、アンタに親代わりとして孝行されたいだろうに」

「ダーリャが耄碌してから考える」

「気の長い話だこと」


 呆れたネリッタは溜息を吐きながら立ち上がる。まだ何かぶつぶつ言っていたが、ディルはそれを適当に聞き流す。

 『本当に』『なんでこんな奴』『あの子は』。断片的に聞き取れた言葉の意味を聞くことなく、ネリッタの背中を扉の向こうまで見送った。


「………」


 一人きりになった室内で、ディルは立ったまま自分の胸に手を当ててみた。

 どうやら胸の中の靄が晴れているらしい事に気付いても、その理由が分からないまま立ち尽くす。

 名残で少しだけまだひりつく胸の違和感を堪えながら、一先ずはフュンフかダーリャが戻って来るまで執務に励むことにした。



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