表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
236/325

ディル二十三歳―1




 三か月後を見ていろと、ネリッタは言った。

 選抜騎士による他国への出張、少々強引だった人員整理と異動、見直される指示体制。それらは次代の為に、お膳立てされるような空気感で進んでいく。

 騎士団の四隊長が全員合意で整えられる環境。


 同時に、『花』副隊長が一身上の都合で騎士の位を返上した。

 空いたその座に就いたのは。




「忌々しい」

「……」


 日中の『月』隊長執務室、四隊の隊長副隊長が集まる会議が終わった後の話。外は春の陽気に包まれた、日差しの柔らかい穏やかな気候。

 なのに執務室で腕を組み毒吐くフュンフの双眸は、冬の凍てついた雪原を思わせるかのように冷たい。


「まさかあの蓮っ葉がディル様と同等の地位に並ぶとは思いませんでした。猪よりも直線しか走る事を知らん女が、何故あのような不相応な地位に就けたのか甚だ疑問です。ご覧になりましたか、就任の挨拶の回覧板。誰もが目を通す文章にあのような悪筆で文字を綴られても困るのですよ。能力は悪くないといえど、それは一騎士としての話で真に受けて副隊長になるなど――『花』の、ひいては騎士団の品位を落としかねないというのに」


 フュンフが蓮っ葉と呼んだ件の彼女は、『花』が抱える問題児。

 ついこの前まで閑職に回されていた筈だったが、その閑職に就きながらの短期出張任務――具体的には王族を伴った外交――にて、無視する事が出来ない功績を挙げた為に空白を予定された『花』副隊長の地位に就任。……と、表向きにはなっている。

 未だにぐちぐちと不満を漏らすフュンフは知らないが、彼女の出世は約束されていたようなものだった。『花』隊長であるネリッタが彼女を見出し、気に入り、彼女が動きやすい環境づくりに奔走したくらいなのだから。


「フュンフ、あの者への雑言は『花』そのものへの敵意と見做される。止めておけ」

「お気になさらず。あの方は私の立場の方が下になったのをいい事に言い返して来るようになりました。私とあの方の間でだけの問題ですので」

「……フュンフ、貴方がそこまで彼女に言うのは何かあってのことなのですかな……?」


 机上の書類にも気が向かず、ダーリャが二人の間の確執を尋ねた。

 フュンフは一度だけディルに視線を向けるが、溜息と共にダーリャへ向き直る。


「隊長は理由を御存知の筈ですが」

「……理由とは、やはり」

「……?」


 二人が同時にもう一度ディルへと視線を向けた。

 二人は、というより今現在在籍している騎士の大半は、彼女がディルを想っていると知っているのだ。

 気付いていないのは当人とばかりに、ディルは二人の視線に何ら思う所が無くて目を瞬かせるだけ。


「汝等、言いたい事が有るなら言え」

「ありません」

「……言いたい事はありませんよ。貴方は本当に鈍いな、としか」

「有るのではないか」


 納得していないディルを余所に、ダーリャとフュンフは溜息を吐いた。


 『花』の副隊長となった彼女が、ディルに好意を寄せているのは誰が見ても明らかだ。ずっと前から、彼女はディルを見続けては顔を赤らめている。口にされない彼女の好意はいいとして、肝心のディルの感情はダーリャもフュンフも分からない。

 結婚願望が無いと公言しているディルだから、この恋愛模様は一方通行なのだろうと二人は感じ取っている。


「……もう良い。それよりもダーリャ、この後の執務は城下の視察も有ったな?」

「ええ。今日は数も少ないので私一人で行けると思っています。貴方とフュンフには残って貰って、その他雑務を任せましょうか」

「我にも残れと?」

「今回の視察は私が行った方が良いのですが、他の隊からも書類が届くでしょうしね。特に、今はあちこち忙しいですから貴方が居た方が安心できます」

「ふん」


 隊長の指示で残れと言われたらそうせざるを得ない。

 ゆったりとした動作で執務室を出て行くダーリャを視線だけで見送りながら、ディルは来客用のソファに腰を下ろした。

 律義なフュンフは、扉が閉まるまで頭を下げて見送っていた。それも終わると、紅茶を置いている部屋の隅まで移動する。二人分注いで、ひとつをディルの前まで持って来た。


「視察が無いとなると、今日は少し楽が出来そうですね。副隊長、少し休憩なされては?」

「……休憩など、必要無い。我の仕事とて、汝が横から攫って行くのだからな」

「攫うとは人聞きの悪い。そう遠くないうち、私の仕事になるのですから」

「………」


 フュンフの言う通り、副隊長は既に内定しているようなものだ。隊長と副隊長の執務室に割り入り、完璧と言っても過言ではない手際での書類作成と職務への人員配置、嫌味で口煩い所さえなければ最優の副隊長だ。それこそ、『花』の福隊長となった彼女など比べ物にならないほどに。

 フュンフの持ってきた紅茶を手にして、口内が湿る程度に飲む。冷えても上質な味と香りが、と以前フュンフが説明していた茶葉だがディルに水分補給以外の興味は一切無い。


「……我が手隙と成れば他隊にも示しがつかぬ。書類運びくらいはしよう」

「書類運び、ですか? ……い、いえ、それも、後で私が行きますので大丈夫です」

「……?」

「まだ紅茶は残っていますよ。これから先、副隊長には忙しくして頂かないといけませんので今はゆっくりなさってください」


 普段は執務に多少なりとも積極的な姿勢を見せれば感涙に咽ぶ勢いのフュンフなのに、この時ばかりは態度が違っていた。

 まるで、ディルが何処かへ行くのを嫌がるような。


「何を隠している」


 その時のディルの勘は鋭かった。

 立ち上がり、フュンフ用にと残された書類の束の元へと歩いていく。

 それは、と引き留めようとしたフュンフだが既に遅い。


「……………」


 積まれた書類の中の半分は、既に処理が終わっている。

 その中でも他隊へと回すものは――『花』のものばかりだ。


「……態と滞らせているのかえ?」

「そんな、まさか。……ですが、まだ他に処理が終わっていないものもあり……副隊長に出向いて貰う程のものでもなく、後で私が行こうと思っていて……」

「だからと、既に半日の業務分はあるであろ。此れ以上を後から押し付けるのは些か問題があるように思うがな」


 騎士団として、四隊の連携は重要視して貰わなければならない。自分一人で大抵のことが出来るからと、他を疎かにしても困る。

 これは副隊長就任からダーリャに何度も言われていたことだ。しかしそれはフュンフの耳には届いていないらしい。


「汝が『花』の元へ何度も行く気がないのなら、我が行こう。我は執務時間の面目も保て、汝は執務時間を阻害されぬ。両方に益のある話であろ」

「副隊長が行かれるなら私が行きます!! あの『花』の喧しさに貴方の耳を煩わせる事もありますまい!」

「……」


 嫌に頑ななフュンフの意思は揺るがない。そこまで『花』が嫌いか――と、ディルが考えた時。


 執務室の扉を無遠慮に、拳で何度も殴りつける音が聞こえた。

 丈夫な焦げ茶色をした扉はその程度で壊れはしないが、耳障りな音にディルもフュンフも顔を顰める。


「ちょーーーっとぉ! 誰かいないのぉ!? 急ぎの用事があんだけどぉ!!」


 大声、の割にその口調のせいでどこか間の抜けたように聞こえる怒声。

 二人とも、その声には聞き覚えがある。小走りで扉を開けに行ったフュンフは、その向こうから姿を現した男の姿に顔を顰めた。


「ふんっ。何よ、二人もいるじゃない。いい加減にしてよね、こっちは三日待ってる書類が届いてないんだけどぉ。最近滞り気味よねそっち! こっちは新しいかわいーい副隊長が書類届かなくて困ってるのよぉ?」


 ネリッタ・デルディス。

 『花』隊長がわざわざ出向くほど緊急の用事かと、ディルが書類を手にネリッタへと近寄る。

 それを一瞥してひったくった大男は、中身を一枚一枚その場で検分し始めた。


「……ん、これこれ。マジで困るのよ、書類来ないの。そっちは時間あるんでしょうけど、こっちの福隊長は新任なのよね。時間に余裕持たせてくれないと、何か問題起きた時責任全部そっちに回すわよ」

「失礼した、『花』隊長。以後このような事が無きよう気を払う」

「あぁら、そういう真摯な事も言えるようになったのね、ディル。親戚の子が大きくなったみたいでオネーサン嬉しいわぁ」

「………」


 自称オネーサンのネリッタは、誰がどう見ても世間から浮いている。性別さえ平気で詐称する彼はフュンフが苦手とする部類のイキモノだ。

 今あるだけの書類に目を通し、それで用は済んだのか溜息ひとつ漏らしてディルとフュンフを交互に見遣る。


「……んん。あんまり責任追及ってやりたくないんだけどぉ、すこーしお説教が必要かしらぁ。この字フュンフのよね、すぐ書類回さなかった理由聞かせて貰っていいかしらぁ? ちょっと顔貸しなさいよ」

「な、……は!? 何故そこまで!? ふっ、ふくたいちょ、う! おたすけをっ……」

「知らん」


 そうしてネリッタに引きずられていくフュンフが伸ばした腕に手を伸ばす事も無く、ディルは二人が部屋を出て行くのを見送った。

 面倒見がいいだの、気さくで明るいだのという評価を受けているネリッタだが、詐称した性別宜しく鬼母のような一面を持つ。幸か不幸か、フュンフはその一面を目の前にする事が出来るのだ。


「……」


 ディルが知るネリッタの一面は、そんな仮面を全て外した素の顔だ。

 『花』副隊長となった彼女に向ける感情は、ディルの知らない深い愛情。それは孤児院に関わっているだけでは知る事の出来ない、親が子に注ぐようなものだった。

 けれど、ディルは人が人に向ける好意に種別があるなんて深くは知らない。ネリッタが異性である彼女に向ける感情が異常なものに見えるのだ。

 ――それが気に入らない。

 出所の分からない感情に悩まされるのは、ここ最近の話でもない。気が付けば『花』の彼女に纏わる事柄に関して幾らかは、不愉快なものを感じるようになってしまっている。

 理由を知りたいとは思わない。彼女の事を考える時間は少ない方がいい。それでなくとも、これまで閑職に追いやられていた彼女について考えていた時間は短くないのだから。

 悶々としだした頭の中を振り払うように、ディルも再び執務机へと近付く。置かれている未処理の書類に立ったまま目を通し始めた時。


「……?」


 扉が打音を響かせた。

 フュンフが戻って来たのかとも思ったが、こんなに早くネリッタの『お説教』が終わるとも思えない。

 返事をしなくとも、ディルの性格を知っているフュンフは勝手に入って来る。だから無言を通していたのだが。


「……あれー? おかしいな。隊長ー? ダーリャ様ー?」


 聞こえた声に、ディルの身が竦んだ。

 その声の主を、顔を見なくとも分かってしまうディル。


 声の主は、『花』の福隊長だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ