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ディル二十二歳―4


 季節は変わり、晩秋から冬になる。

 アルセンの冬は長いが、雪が積もる時期は長くない。雪が積もったとしても、城下以外の地では他国から交易で調達した種から実る冬の野菜が育てられるので食料事情は劣悪ではない。

 各国との貿易が盛んで、取り入れて益になるものなら何でも取り入れる。自由を重んじ、合理性を追求する豊かな国がアルセンだ。


 ディルがその道理に乗っ取ろうとしたのは、その夜の提案が最初だった。




 フュンフが既に退勤した後の夜の城内、ダーリャが居る『月』執務室から見送られてディルが来たのは『花』執務室。

 手にしているのは後日使う会議資料。急ぎのものではないが、『月』から他隊に回すものだ。

 何度か訪れた事のある執務室だが、こんな時間に来るのは初めてだった。

 落ち着いた木製の扉の色は、黄の色が濃く出ている。こんな所でも、それぞれの隊の違いが出ていた。

 数度叩くと、中から返事が来た。「はぁい」などという、気の抜けた声だった。


「……あらぁ? ディルじゃない。お疲れぇ」

「……」


 扉を開いて中に入ると、蝋燭の灯りに照らされた『花』隊長であるネリッタ・デルディスの姿が見える。

 赤紫の短髪、ごつく骨ばった顔。筋骨隆々の体と、それを覆う大きさ規格外の隊服。

 顔付近まで挙げて振る手まで、口調とは異なり獣を思わせる体格の男のものだ。低い声が使う甘ったるい語尾は、聞く者によっては嫌悪感さえ覚えるだろう。

 ディルは執務机まで近寄ると、机上に持たされていた書類を置く。普段であればダーリャにもしないような、礼節を弁えた手つきだ。

 

「あー……、これ、今度の会議の? 遠征に行く人員、もう選んだの……? 早くなぁい?」

「立候補者が居れば直ぐに決まろう。『花』は未だなのか」

「んー。……今度行くのってシェーンメイクでしょう? うちの奴等って底抜けに明るい奴も多いけど、他人に対して適当な奴も同じくらい多いのよねぇ。他国の軍属や王族様と顔を合わせて、大人しく出来るかしら……」


 ネリッタは手元にディルが運んできた書類を引き寄せて、連なる名前に目を通す。

 時折「はー、アイツねぇー」と声を漏らしているので、他隊の者も顔と名前が一致しているようだ。


「………アンタは行かないの? 責任者一人くらい居た方がいいんじゃないの」

「シェーンメイクとなると距離が遠い。『鳥』からは団長が向かうであろ、『月』からは責任者を出すつもりはない」

「そんな考えだからあの若ハゲが調子に乗るのよ。ったく」


 ネリッタが毒づいた若ハゲこと、アルセン騎士団長のカザラフ・フレオービー。狡猾と陰険を混ぜ合わせて人型にしたような性格をしている男を、ネリッタは同期だというのに嫌っている。

 ディルにしてみれば誰が誰を嫌おうが、誰がハゲてようが興味のない話だ。

 今、ディルがネリッタの執務室に来ているのはそんな話を聞きたいからじゃない。


「……あ、ごめんなさいねぇディル。用が済んだならもう帰って良いわよ、アンタにまであのクソザラフの話したい訳じゃないから」

「………」

「年取るってやーねぇ。昔のアタシに今のアタシを上司にしたいかって聞いたら絶対嫌って断るわ」

「『花』隊長、ネリッタ」

「……ん?」


 ディルが、その場で片膝を付いて顔を伏せた。

 ネリッタが目を瞠った。これまで件のカザラフに対しても敬意を払わない男が、何故急にネリッタへと向かって忠誠の姿勢を取るのかが理解出来ない。何かを企んでいるような気さえして薄ら寒ささえ感じる行為に、ネリッタが思わず立ち上がる。


「え。……な、なに? 何の前触れ? ディル、アンタがそんな、なんで膝付いて」

「要らぬと言うなら我が隊『月』へと、貴殿の受け持つ『花』所属騎士を異動させたい。我は半年待った、尚もあの者を閑職に据えるのならば『月』へ寄越せ」

「は? え、何の話? 閑職って、半年って」

「……第二王女仕えになっている者の話だ」

「……あ。あー。あー、……? え? あの子? 何で? 『月』に?」


 名を出さずとも、ディルとネリッタの間で思い浮かぶ顔は一人分しかない。

 誰かが判明したのはいいとして、ネリッタには異動を願われる理由が思いつかなかった。


「あの者は、閑職に置くには不相応だ。 使いこなせぬ者ならば、我等が使おう」

「………。へぇ。この事、ダーリャは知ってるの?」

「無論。であるからして、我に交渉を一任した」

「……へぇ」


 ふ、と笑う音がネリッタから聞こえたが、ディルは顔を上げない。

 音は鼻から出た。嘲笑されていると分かっていても、ディルには響かない。嘲られて彼女という人材が手に入るなら安いものだった。


「……ディルぅ。アンタ、今から出られる? 長話に付き合ってくれないかしら?」

「……。答えを聞かぬうちは、此処を動かん」

「それ、普通に迷惑だから止めて。なんならダーリャも呼んでおいでなさい。……少し、城下に出るわよ」


 予想していたが、異動即決は断られた。渋々立ち上がったディルは、ダーリャを呼びに『月』の執務室へと戻る。

 話を聞いたダーリャも目を丸くしていたが、行き先には心当たりがあったようだ。

 三人は示し合わせて馬車に乗り、五番街へと向かうことになる。




「……」


 ディルを連れた隊長二人が到着したのは、五番街にある酒場だった。

 外に出した看板には今日の品書きが書かれているが、食欲をそそられる気はしない。

 特に遠慮もしない隊長二人は、慣れた様子で店内へと歩を進める。


「お、久し振りだね。いらっしゃい」


 夜も遅いからか客の少ない店内から聞こえる、朗らかな声。

 ディルは一瞬足を止めた。声の主は褐色の肌に金の髪、長い耳を持つダークエルフだったからだ。

 他国では邪悪の象徴とまで言われている種族を直に見るのは、これが初めてだった。


「お久し振りです、エイスさん」

「はぁい、エイスさん。ご機嫌いかが?」

「それなりだよ。仕事終わりかい? 城仕えも大変だ」


 エイスと呼ばれた男は、三人が席に付く前に酒器を用意し始めた。同じものを三つ並べ、ネリッタとダーリャには何も聞かずに酒を注ぐ。

 二人に倣いカウンターの椅子に腰かけたディルには、視線を向けて固まってしまった。笑みになりきれない引き攣った唇は数度わななくと、視線がネリッタに移動する。


「……ねぇ、ネリッタ君。私はね、この子と顔を合わせるのは初めてだと思うんだけど……」

「そうなの? あらやだ、ダーリャも連れて来てないのねぇ」

「時期が来れば、とは思っていましたが、先に執務を覚えて欲しかったので……そういえば話もその時でいいかと後回しにしていましたな」

「私、ね。その、この子の名前知ってる気がするんだよ。ねぇ、当てて良い?」

「……好きなように」


 ディルとしてはそう答えるだけで、何の話かついて行けずに思考を放棄した。


「ディル君」

「……」

「ディル君だろ、君。あの子の話してた通りの見た目をしてる。態度だってそうだ。うわ、本物見るの初めてだ。凄いな、本当に居たんだ」

「エイスさん、そんな珍獣のような扱いをしないでくださいませんか」


 困ったように言うのはディルではなくダーリャ。

 けれどディルは、エイスの態度には何も感じない。

 引っかかっているのは、彼が発した『あの子』という言葉だった。けれどディルの疑問を無視して話は進む。


「ディル、貴方に話しておかなければならない事がありました。本来ならば騎士の位を叙勲した時に聞く話なのですが、貴方は……そういう話に詳しい者と縁がありませんでしたから」

「……何の話だ?」

「まぁ待ってよダーリャ君。……まだ今日は閉店時間じゃない」


 エイスは隊長二人に酒を出す。

 ディルには茶だ。


「ディル君、それ飲んで待っててよ。素面でいて欲しいから、お茶でいいかな」

「酒は飲まん。飲んだ事も無い」

「そうなんだ? じゃあ都合がいい。何か食べるかい?」

「別に」


 エイスに対しても素っ気ないディルを、不安そうな顔で見ているのはダーリャだ。

 閉店準備と残っている客への会計を済ませたエイスは、最後の客が帰ると同時に外から看板を引き入れて閂を下ろす。普通の店でもやっている行為を、ディルはぼんやりと眺めていた。

 一人で回すには広い店のように見えるが、エイスは平然と業務をこなす。そうして他に誰もいなくなった店内で、ふぅと溜息を吐いたエイスは再びカウンターに戻って来る。


「さて」


 エイスは笑顔だ。


「改めて。いらっしゃい、三人とも。私からは別に呼び立てた覚えはないけど、こんな時間に何の用だったかな?」


 笑顔の彼に、言外の圧を感じる。

 ダーリャもネリッタも、その時には姿勢を正していた。


「……用事、っていうか……話があるのはアタシですけどぉ。申し訳ありませんね遅い時間になって」

「時間は、まぁ、別に。うーん、でも前以て来るって言ってくれないと迷惑だよね。ここ最近は平和そのものだったのに、今度は何の『仕事』? 私だって店開いてればいつだって暇って訳でも無いんだよねぇ」


 笑顔でも本気で笑っている訳では無いというのは、ディルにだって分かった。

 感じさせる圧は、ダーリャやネリッタよりも立場が上でないと出せないものだ。でなければ、ネリッタが顔を青くしている訳が無い。


「今回のことは、『j'a dore』に関係のない話なので、その、出来れば、ふつーに聞いて貰えるとアタシとしてもありがたいっていうか……」

「あ、そうなんだ? 良かったぁ。また誰か殺してこいって話かと思ったよ。ふふ、そうならそうと言ってくれればいいのに」

「……殺し……?」


 一介の酒場店主に似つかわしくない不穏な単語が聞こえて、ディルがそれを復唱する。

 耳に届いたダーリャもネリッタも、複雑そうな表情を隠さない。出された酒に手をつけないまま、目を逸らしている。


「ディル君は何も知らないんだ? ……あれ、じゃあこの場所の説明を私の口からさせようって? ……それ、説明責任の放棄じゃない? 大丈夫? 陛下に報告する?」

「違いますよぉ、報告止めてください。……話はココに来てからでいいかなって思って。エイスさんに聞かせたい話はそれからですってば」

「そう。じゃ、ちゃっちゃと説明してあげてよ。もー、ネリッタ君ってば相変わらず勿体振るんだから。君の悪い癖だね?」


 笑顔のままの店主は、鼻歌混じりに閉店作業を続けていた。使用済みの食器を片付けて奥へと運び、窓幕の全てを閉じて椅子を並べ直す。

 そんなエイスの姿を横目に、ネリッタが口を開いた。


「……ちょっとダーリャ、説明責任ですって。責任ってんならアンタにあるでしょ」

「もしや、私が呼ばれたのはこのためですかな……。……仕方ありません」


 二人の表情から読み取れる感情は、あまり良いものとは言えないことくらいディルだって分かる。

 渋々ながら口を開いたダーリャは、ディルを見ずに酒器を手にした。


「この場所はずっと前から……私が城に仕えるよりも以前から存在している場所なのですよ、ディル」


 からりと音を立てる、酒器の中の氷。冬になりかけの寒い時期だというのに、冷たい酒しか出さない店主。

 ディルも違和感は覚えていた。それは、店主がダークエルフだという時点から。


「陛下からの勅命を受け、王家や国家に仇成す敵をも排除する組織。勅命の種類は問わず、『出来る事なら何でもする』。自由を謳うこの国が、国に暮らす者達の自由を阻害することなく、しかし存在する秩序を乱す者達へと闇に紛れ鉄槌を下す集団。表の顔は酒場、裏の顔は騎士とは違う形で王家に仕える……悪を喰らう悪」


 初めて聞く話に、ディルは相槌にすら声を出すことが出来ない。


「この場所の名前は酒場『J'A DORE』。別名、国家公認裏ギルド『j'a dore』。貴方が『月』隊にと異動を求めた彼女は、エイスさんに引き取られてこの場所で育った」

「もしあの子を異動させたいなら、本当に話を通さないといけないのはアタシじゃなくてエイスさんなのよねぇ。……だから、アンタをココに連れて来たの」


 笑顔を浮かべるエイスからは、確かに異端の臭いがする。

 ディルの視線に気付いて振り返り、にこやかに手を振る姿は無害なのに。




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