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ディル十七歳―2


 ディルと件の『花』の彼女との縁は、そのまま尽きる事はなかった。

 顔を合わせる回数こそ少なかったが、噂だけは嫌でも耳にする。良い意味でも悪い意味でも有名な彼女の話は、いつしかディルの所属する『月』隊の中でも囁かれるようになった。


「聞いたか、例の『花』の――」

「ああ、あの人ですね」


 城内の廊下を歩くだけで、情報交換する者の口から上る。

 今日も今日とて、廊下の端で情報交換に勤しむ暇人は彼女の事を話していた。


「『また』とは聞いていたが……四回目だったか」

「こんな短期間で送られたなんて、前例もありませんよ」


 既にその頃には、彼女に対しての嘲りは少なくなっていた。

 まだ彼女が城に仕えるようになってから、一年程度しか経っていない晩秋の話だ。

 足を止めるつもりのないディルは、そのまま暇人達の隣を過ぎようとする。


「――懲罰房に送られるような失態……という訳でもないのにな」


 歩みを止めないディルの鼓膜を、暇人達の言葉が揺さぶった。




 王国の教えでは、男も女も国を栄えさせる立場として平等とされている。

 しかし、時折そうでないと考えるものが湧いて出るものまた事実。

 力が弱い女は、男の為に内に籠って男に尽くせ、と。

 力が強い男は、その力を以て弱い女を従えさせろ、と。

 国、ひいては王家はそれを認めてはいない。しかしそのような考えもまた国家が推奨する『自由』だった。

 だから、ある程度の力を持ち、男に対して良い様に動かない件の彼女は、弱い女を従えさせる側の男にとっては邪魔でしかない。

 彼女が所属している隊で、どんな仕打ちを受けているかは直に見たことがある。それが今まで続いているのなら、所属を変更する事だって出来る筈だ。我慢してまで『花』に居続ける理由など無い。


 所詮、彼女も置かれた立場から抜け出せないだけの者だ。


 そう感じたディルは、彼女の置かれている立場をそれ以上気にしないようにした。

 どうせ他隊の者だから、と、接点も少ないのにネリッタに言われたからと義理を通す理由も無い。




「ディル様!」

「……」


 その頃には、ディルにとって頭痛の種が一人出来ていた。

 一人を好み他の者から気味が悪いと遠巻きにされるディルに、好き好んで世話を焼こうとする男。

 王国の五大貴族に生まれながら『月』の神官騎士の一人として国に仕える、癖の強い茶髪を持つ年上の男だった。


「……其の呼び方は止めるように言っている筈だが、フュンフ」


 フュンフ・ツェーン。

 彼の名はそう言った。


「失礼しました。御姿をお見かけしましたので、宜しければ私も御同行をと」

「要らん」


 フュンフは、先の戦争で命を救った一人だ。

 とは言ってもディルが好き勝手に戦場を駆ける遊撃部隊として、壊走する小隊を逆走する形で敵陣に突っ込んで行ったのだが。

 フュンフが隊長を勤めていた隊はそれで命を救われ、責任者としての面目丸つぶれであったろうに、彼はそれからディルを慕っている。立場はフュンフの方が上であるが、それさえお構いなしに様付けまでする始末。

 出自の教育からか桁違いの書類決済能力と指揮能力を買われ、そして貴族を敵に回す事を恐れられ、次期副隊長候補とまで言われている。隊が壊走した事で評価は下がったが、それでも余りある程の才能を持った男だ。城に戻った今、日常業務だけでもまた評価を上げていくことだろう。


「どちらへ行かれるのですか? 今日、ディル様の業務は午前中に終わっているとお聞きしましたが」

「……汝は他人の業務まで詮索するのかえ」

「まさか。ですが、隊長のお側に居れば少しは耳に入ってきますので」

「………ふん」


 隊長、とはディルの後見人であるダーリャの事だ。

 普通であれば、ディルは上長から仕事を割り振られる。他に役職を持たない騎士であるなら所属している小隊長、小隊長であれば中隊長といった具合に。

 けれどディルは戦争の折、厄介払いの憂き目に遭い孤立していた。そして今更、戦闘狂のような人格を知って尚自らの部隊にと望む者がいなかった。

 隊長であるダーリャから直接業務を指示されなければ、何も仕事が無い男に成り下がったのもその時だった。


「わざわざ我に時間を割くなど、それこそ『まさか』であろう。暇ならば、其の辺りで歓談に励む者達の仲間入りをした方が有意義であろ」

「歓談……。そんな時間があるなら、私でしたらディル様の御側に付きますね。それでなくとも、最近は嫌な噂ばかりを耳にする」

「噂?」

「……あまり、ディル様の御耳に入れるような話では無いかと」


 そう言って首を竦めたフュンフだったが、自分から言い出した手前言わないというのも不自然な話だった。

 どう柔らかく表現したものか悩んだフュンフは、少しの思考の後に唇を開く。


「今月『鳥』の隊で女性士官に対する行き過ぎた指導が明るみに出た……、というのはご存知ですかな」

「……知らんな。『鳥』の者になど興味は無い」

「一部騎士により内密に行われていた指導だそうですが、実情は……女性を呼び出しての性的行為だったとか。昇進をちらつかせて、自身にそんな権限が無かったにも関わらず。その痴れ者共は名前も公表され、既に城を追われた後ですが――」


 言い辛そうに咳払いをするフュンフ。話す内容を聞くに、犯人は複数人であったことが分かる。

 あまり聞いていて愉快な話では無いが、その先も問題は続いていた。


「……城を追われる奴等を、……当日休暇を取っていた全女性騎士、並びに女性士官が集まって待ち伏せていたそうです。勿論、遠征や業務に就いていた者達はいましたが、それ以外は待ち伏せに参加したと」

「………」

「それからは……気付いた者が止めるまで、恐ろしい有様だったとか。そもそも、その指導内容を告発したのも、待ち伏せを最初に言い出したのも一人の『花』の士官だという話で。……ええと、名前は何と言いましたか」

「……其の士官は、懲罰房に送られたか?」


 それまで流すように話を聞いていたディルだったが、フュンフの話す人物と記憶にある女性の姿が重なった気がした。

 懲罰房に送られたという、鈍い銀髪を持つ女の姿。ディルに何かしらの恩義を感じて、見かけるたびに話しかけて来る彼女だ。


「ええ、そのようですね。今回の事は、流石に同情の声が広がっています」

「そもそもの始まりは、其の愚劣な男共であろ。何故あの者が懲罰房へ?」

「ディル様は、あの士官を御存知なのですか? ……いえ、確かにそれがただの御礼参りで済んだなら情状酌量の余地はあったのでしょう。ですが、怒りに我を忘れて制止を聞かずにいた者が居たそうです。私的制裁を受けた一人が現在も意識不明だと。そして、二度と半身が動くことは無いとの診断です」


 行き過ぎた逆襲。

 尊厳を奪われた代わりに命を奪いかけた女達。

 命まで奪われてしまっても仕方のない事をしただろうが、それは城に仕える者が犯してはいけない罪だ。


「事態を重く見た陛下と王妃殿下は、制止を聞かなかった者へ罪を問おうとしました。……ですが、その『花』の士官は自らが(けしか)けたのだからと罰を願い出たそうです。同時に、女性に対する待遇の改善を申し出たと。女が女として生まれた意味を誤解する男が女の上に立つなど、有ってはならない。馬鹿げた事を考える男に女が付き合う事は無いのだ、と」

「……」


 女が女として生まれた意味。


 ディルにとって、今まで一度として意識した事のない言葉を耳にして、価値観が置き換わるような不思議な感覚を覚えた。


「フュンフ」

「はい」

「女が女として生まれた意味、とは、何だ?」

「それは……勿論、子を産み育てる事がひとつでしょう。しかしそれには伴侶に選ぶに相応しい条件を最良の形で満たした男の子である必要があります。適当に性欲を発散したいが為に女を慰み者にする痴れ者の子であってはいけない。そうなれば、我々の管理下に入る孤児はもっと増えましょうな」

「では女は、最良の伴侶を選び、其の者の子を成すために生きているという事か?」

「いいえ。女は、産まれた以上『生き物』なのです。連綿と今まで続く種族に生を受けたひとり。生まれ、よりよい形で種を反映させようとする本能に、性別は関係ありません」

「……分からぬな」


 『月』の業務には孤児院の視察や運営も入っている。ディルも運営の業務に携わった事もあるが、子供はいつも表情の変わらないディルを怖がって近付こうとしない。

 子供は、男と女を同じ部屋に入れておけば勝手に増えるもの――これまで半ば本気で思っていた。

 ディルにとっては性別も何もかもどうでも良くて、自分の邪魔にならなければ無関心を貫いた。

 フュンフの名前だって、覚えるきっかけは邪魔だったからだ。背後をうろちょろとされて、名を呼べばやっと応える。それだけで。

 だから男だ女だと差別する気持ちは一切無い。どっちでも興味が無いのだから。


「女が男を喜ばすだけに生まれたと、そう誤解している者が少ないながらに居ますから」

「――……」

「厄介なのは、そういった思考の持ち主の立場が高い時。……ええ、本当に、厄介です。立場の高い者に逆らえる者が、男女問わずどのくらい居ましょう」


 フュンフの呟きは私的なものも含まれているようだったが、今のディルにはそれに構っている気は無い。

 ディルの当たり前と他人の当たり前は違う。それを差別的な思考から改めて気付かされた。ディルにとって馬鹿げた思考でも、それを当たり前として生きている者はいるのだと。


「……フュンフ」

「はい」

「汝から見て、例の『花』の者は如何思う?」

「どう、と言われましても……、そうですね。自分の意見を言う時に必要以上に声が大きいとは思いますが、立場が弱い以上目に留まる為にはそうせざるを得ないところがあるのでしょう。不正を嫌い、必要あれば徒党を組む。悪くない人材だとは思いますが、並みの者であるならば使いこなすのに些か手に余るでしょうな」


 フュンフは冷静に彼女を分析していた。他隊の者であるにも関わらず、その程度にはフュンフの関心を引いているのだ。

 ただの士官の筈。士官学校を卒業しても無い、ディルよりも立場が下の女なのに。


「……しかし、四回目の懲罰房と聞いております。次回があるとしたら、五回目は教育部屋。あの教育部屋に入れられて平気で居られた者は少ない。人材として惜しくはありますな、忍耐を教えたら化けそうなものを」

「………」


 フュンフの瞳には、あの女士官も国に仕える駒のひとつとしてしか映ってない。

 この神官騎士にとって、命を救ったディルを至上として後は紙屑も同然なのだ。地位という付加価値を考慮こそすれ、あの女士官などは吹けば飛ぶ塵程度にしか思ってないだろう。

 けれど半笑いのフュンフは気付いていない。『惜しい』と思った女が、この先も信念を曲げずに立っていたとしたら――彼女はそれこそ、フュンフの言うような『化けた』者になるのではないか。


「ところで、ディル様」

「何だ」

「ディル様は普段、隊長や私以外の他の者と関わりが無いようにお見受けしますが……あの女の事は何処でお知りになったのです? 多隊の者など余計に興味が無いのが貴方でしたよね?」

「……ふん」


 フュンフからの追及は、鼻を鳴らすだけで誤魔化した。

 痛くも無い腹を探られるのも面倒だ。あの女士官は嫌いだという訳では無いが、特段の興味も無い。

 そうだ。

 興味も無い、筈なんだ。

 他の隊に所属しているただの一士官に、思い入れなどどうして出来よう。


「……」


 懲罰房は、上長の判断で入れられる時間が変わる。彼女の期間を聞いた訳では無い。いつ出てくるのか分からない。

 『花』の彼女がそこから出て来て、それまでと変わらぬ調子で再び話しかけてくれるまでが、ディルにはとてつもなく長い時間過ぎたように思うなどと今の彼は知らない。



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