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「ディルさん」


 アクエリアは部屋に戻ったディルの後を追いかけ、扉を叩いた後に名を呼んだ。

 ディルはいつも、誰であろうと部屋に入れたがらない。例外は緊急事態のヴァリンとアクエリアだけだ。

 夏の暑さを忘れ切れない秋には、ディルは体調を崩して寝込む。身の回りの世話をしてやるためにヴァリンは進んで中に入るが、アクエリアは数回程度しか入った事が無い。

 時の止まったディルの私室。正しくは、ディルとその妻の。


「入って良いですか。嫌なら何か音を出してください」


 返事に声も音も無い。

 こんなにすぐに寝入って、誰かからの声に起きない人物でもないと知っていたので、アクエリアは扉を開く。


「失礼します」


 開いた扉の向こう、一番最初に見えるのは衝立だ。外界との関わりを断とうとするディルそのもののような、背の高いそれを避けて漸く寝台が見える。

 寝台にはディルの姿は無い。ならばと、衝立の背面となっているソファへと視線を向けた。

 案の上、彼はそこにいる。腰を掛けて足を組み、無言で本を読んでいるようだった。


「ディルさん、聞こえているのなら返事してくださいって言ってるでしょ」

「……汝には、返事をする手間が必要だとは思えぬ」

「手間って……。ほら、少し前に話したじゃないですか。貴方の義足のことですよ。話が途中だったでしょ」


 そこまで言って漸く、ディルの視線がアクエリアに向いた。

 ぱたん、と音を立てて本も片手で閉じられる。


「……。義足に、我が伝え聞いた魔力とは別の物が付加されているという話だったかえ」

「そう、それですよ。城の方も何かしらの(はかりごと)が佳境のようじゃないですか。今のうちに伝えておかないと、貴方いつ呼び出されるか分かったものじゃない」

「好き好んで呼び出されている訳でも無いのだがな」

「でも、向こうからはそう見えるようにしなきゃいけない。……難儀なものですね」


 ディルの苦痛も苦悩も、出来るだけ理解しようと努めたアクエリア。

 けれど結局完全に理解するなんて、百を超えた年齢のダークエルフでも無理な事だった。ディルは彼の生に於いて長い間、多勢から遠巻きにされる程奇妙な性格をしているのだ。アクエリアも、ディルの妻と縁を結んでいなければこうして積極的に関わろうとしなかっただろう。


「多分、ですけど。その義足、居場所が特定できるような魔法が掛けられていますよ。王城に向かって糸を引いたような、細い魔力の通り道が感じられます」

「……そうか」

「驚かないんですね」

「暁も、似たような事を言っていたのでな」

「あの悪趣味は……。まぁそちらはまだ良いとして、問題はもう一つの方です」


 やや言葉を濁すようなアクエリアだが、ほんの少しだけ悩んだ彼は口を開く。


「……貴方の義足、自壊の魔法が掛けられています」

「自壊――?」

「と言っても、文字通りに崩れたりはしないでしょう。でも、命令ひとつでその義足に付いている魔宝石は全て魔力を消散させて動きを止める。そんなに重い義足だったら、貴方の力になるどころか……文字通り、足を引っ張るだけの物体に成り下がる。まるで呪いですね」


 呪い、と聞いてディルが背凭れに体重を預けた。

 その呪いとやらは先代宮廷人形師である階石の時からあったものか。それとも、暁が無断で仕込んだものか。予想するとしたら後者だ。

 しかし仕掛けたのがどちらにせよ、悪用されてしまっては迷惑この上ない。


「解除する方法は?」

「さぁ。……と、言いたいところですが。何となく分かりますよ、一度でも、消散させるその命令をすればいい。何度も効力があるものでも無いでしょうし、消散した所に俺が魔力をぶち込んでやれば、いつも通りに動くでしょう」

「其の命令とやらは、如何すれば発動する?」

「………。俺が掛けたものでない魔法の発動呪文なんて、分からないですよ」


 アクエリアが口を噤んだ。けれどそれは暫しの時間だけで、また開かれる。


「俺は呪術師じゃないし、他人の魔法に干渉した事も無い。俺が下手に弄くりまわして取り返しのつかない事になる方が危険だと思います」

「そうか」

「……ですから、貴方にお願いします。約束して欲しい」


 約束、という言葉の効力の無さは二人とも分かっている。

 王家に捧げた誓いすら反故にする気でいるディルだ。アクエリアとの約束なんて吹けば飛ぶ枯葉のようなもの。けれどアクエリアはそんな言葉に縋ってでも、ディルの無茶を可能な限り止めてやりたい。

 ディルの幸せそうな顔など、一度として見た覚えが無いから。


「暁さんとは、俺が貴方の側に行くまで対峙しないでください」

「……ふん。確約はしかねる」

「して貰わないと困るんです。幾ら貴方だって、足の不利がありながら剣を振るうなんて無茶ですよ」


 ディルが妻と再会できた時には、きっと笑うだろう。

 アクエリアはそれが見たくて、柄にもないお願いを繰り返す。

 彼の妻だって、ディルの無茶を見たくない筈だ。勝つ確率は高ければ高いほどいい。


「俺が。貴方の側に行くまで。暁さんに剣を向けないでください。……分かりましたか?」

「……そう念押しせずとも聞こえている」

「聞く気あるんですか」

「無い、事も無い」

「貴方ねぇ、……」


 勝手が過ぎるギルドマスターは、その時説教が不意に途切れたのを聞いて数度瞬きを繰り返す。

 アクエリアの長い耳が僅かに動いた。その動きは何かを聞き取ったようだった。


「帰ってきました」

「……あの二人かえ」

「馬車の音がします。すみませんディルさん、俺はこれで」

「我も行こう」


 馬車の音、と聞けば――酒場に入ってくる心当たりが二つある。

 ひとつは孤児院に向かったまま帰還しないミュゼとジャスミン。

 もうひとつは、今は処刑を免れた微罪の妊婦。

 アクエリアは馬車の音が孤児院から戻って来ない二人だと信じて、小走りで扉の方に向かって行った。




「ただいまー」


 馬車の車輪の音が鳴り止まぬうちから、ミュゼが扉を開いて入ってきた。後に続くジャスミンも、暫く留守にした気まずさからか視線を彷徨わせている。

 馬車は酒場の前で止まった。しかし、二人は馬車に目もくれず扉を閉める。

 呆気に取られたのは、急いで出て来たアクエリアだった。帰って来た事は素直に喜ばしいが、馬車は二人に無関係だと知って思考が鈍る。

 後から出て来たディルは、帰還を伝えたミュゼに軽く頷いてみせた。


「……っち」


 そして中に入って来たミュゼは、アクエリアに一瞥だけくれてやった。

 ミュゼの舌打ちの音に、我に返ったアクエリア。

 彼女がアクエリアを見る瞳は、これまで愛しい相手に向けていた熱と労わりの籠るものでなく、敵意を隠そうともしない針のような視線を投げて来て身が竦む。

 けれどジャスミンを連れて、アクエリアを無視してディルの側へと行こうとする彼女の手首を掴んだのもアクエリアで。


「待っ、……て、ください」

「………」

「ミュゼ。お願いです。お願いします。待ってください。話を聞いてください」


 人目も憚らずに手を引いて哀願するアクエリアに遠慮するように、今度はジャスミンが小走りでディルの後ろ距離まで。

 足止めされても顔を向けないミュゼは、荷物を担いだまま不愉快そうに溜息を吐く。


「何でしょう。もう私達の間で必要な話は終わった筈ですが」

「……終わってないんですよ、ミュゼ。俺はこの先もまだ貴女と話したい事が山程ある。あんな形で終わりにはしたくない」

「そうですか。私には話す事は無いですけれど」


 ミュゼが振り払おうとしても、アクエリアは手を離さない。

 暫く続いた悶着を見かねて、ディルが口を開く。


「二人とも。続きは部屋で行え」

「………」

「……」


 二人とも不満そうな顔をしたが、アクエリアは無言でミュゼの荷物を奪って階段を上って行った。

 大人しく後ろを付いていくミュゼも、今は何も言わない。

 二人の姿が消えて漸く、ジャスミンが口を開いた。


「……フュンフ様の所で、ずっとミュゼ荒れてて。……助かりました」

「礼には及ばぬ。あの二人の士気低下は我にも関わる」

「フュンフ様、あの時お目にかかった時より良くなりました。無茶な薬の飲み方してたみたいで、お説教もしてしまって……失礼なことしたなって今更後悔しています」

「構わぬ、あれは元から無理を押す」


 説教という言葉で誤魔化したジャスミン。

 経過観察で『まだもう少し安静に』の結果をフュンフに伝えると処方した薬をその場で過剰摂取したため、喉奥まで指を突っ込むという実力行使に出たのだが――それをディルは知らない。


「葬列が城下に出るって聞きましたし、空気も不穏だということで少し滞在させて貰いました。連絡出来なくてすみません」

「安全が第一だ、気にする事は無い。……無事に戻って来た事実こそが重要だ」

「ありがとうございます。……それで、気になっていることが」


 ジャスミンの言葉よりも早く、扉が再び開く。

 現れたのは騎士だった。ディルも見覚えのある赤錆色の髪の毛と、嫌という程知っている神父服。

 彼は縄を引いていた。酒場に入る表情の複雑そうだ。挨拶の言葉も無かったが、彼は片膝をディルに付いて見せる。


「御命令を受け、お連れしました」

「……ふん」


 何が、と言わなくても分かっているのはディルと騎士だけだ。ジャスミンは何事かも分からずに二人の顔を交互に見ている。


「……外の馬車、気になってたんです。今度は何なんですか?」

「汝の新しい『仕事』だ」

「……私の?」


 突然仕事を振られて困惑するジャスミン。騎士が手にしている縄の向こうから、手首を縛られた女が現れるとその困惑は膨れ上がった。

 青褪めた顔の女は、ディルが謁見の間で見た姿と同じだ。この肌寒い季節に、薄手の服しか着せられていない腹部が丸みを帯びているのも。


「妊婦さんですか?」

「暫く面倒を見ることになった。ジャスミン、看護を頼めるか」

「え……?」


 面倒を見る事になった経緯も知らないのに、急に言われた上で『頼めるか』の言葉。

 これまで上から目線の命令ばかりだった声が労わるようになったのに未だに慣れない。

 まだ困惑抜けきらないながら、ジャスミンは細かく三度頷いた。


「説明をお願いしたいのですが、聞いても大丈夫な話ですか?」

「構わぬ。が、全員揃った時に。全員が気になる話であろう故にな」


 説明を後回しにされるのは別に構わない。ただ、今は顔色の悪い妊婦の方が心配だった。

 騎士は妊婦の拘束を解くと、ジャスミンに身柄を委ねる。そのままジャスミンは妊婦の手を引いて、自室に向かって階段を上って行った。


「……ディル様、ありがとうございます。不満はおありでしょうが、今はどうか……」

「不満は有る。しかし、汝に向けたものではない。早く戻れ、王妃殿下が気を揉む」

「……はっ」


 胸に手を当てて頭を下げた騎士。赤錆色の髪の毛先が揺れた。そのまま踵を返し、扉に手を掛けようとした時だった。


「カンザネス」


 ディルが、騎士の名を呼んだ。

 思わず背筋が伸びる。長い間、ディルの声で呼ばれなかった名だ。


「――はっ」

「『月』は今、如何なっている。汝は何処まで知っている?」

「……何処まで、とは」


 カンザネスは、顔を向けなかった。


「……『月』隊は、今……大半は、王妃殿下に不満を抱いています。ですがフュンフ隊長は、今は従うしか無いと……。エイラス副隊長は、元から殿下に見出された立場ですから……特に異を唱える事も無く」

「ほう。では、汝は何方側だ」

「……私は。フュンフ様に従うのみです。そして出来るならば、貴方様にも」

「そうか。であるならば、フュンフ経由で沙汰を待て」

「……!」


 その言葉に、希望を見出さずにいられない。

 カンザネスはディルにも見えるように大きく頷くと、何も言わずに酒場を出て行った。

 わざわざ希望を持たせるような事を言わないディルだ。カンザネスは、それを良く知っている。

 伝えるのはそれだけでいいだろうと考えていたディルだが、意思は通じたようだ。


「……さて」


 他に誰も居なくなった一階で、ディルがその場を見渡した。

 上階から言い争う声が聞こえるが、痴話喧嘩を盗み聞くつもりもなくて今は自室に戻る事にした。

 後から全員を集めて、また伝えなければいけないことがある。それまでの休憩のつもりだ。



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