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 ヴァリンの手に握られた尖塔の鍵は、形が合う錠の待つ場所に辿り着くまでヴァリンの手から離れなかった。


 尖塔へ続く道を進んでいる間、姿を見るのは『風』所属の者だけだった。その誰もが、ヴァリンとディルの目的を知っているように、頭を垂れて道を開ける。

 ディルは平然とヴァリンの一歩後ろを付いて歩いたが、ヴァリンは道の途中で擦れ違った者の顔を記憶するので精一杯だ。頭の中に幾らか名前が一致する者もいるが、そうでない者も多い。

 尖塔下の階段に辿り着く。そこに控える騎士はヴァリンに対して膝を付いた。


「もし、俺達が降りて来るまでに誰かが上がろうとしたらどんな手を使ってでも止めろ。それがカリオンでもな」


 無言で頭を垂れる騎士の姿に、それを了承と取った二人。

 尖塔は城の二階から専用の階段を部屋一階分上り、その先にある。途中に窓は無いが通風孔は存在し、外壁に吹き付ける風の一部を取り込んでいた。

 尖塔は、存在が知られていても利用される事など殆ど無かった。

 かつては不祥事を起こした王族を幽閉するためにあるという噂もあった。それが、次期女王を国に繋いでおくための場所になるなどと誰が予想しただろう。


「……リトとお前って……、そういや、たまに関わりあったよな」

「そうだな。……殿下が時折、話に来る程度だったが」


 階段の途中にある、一本一本が太い鉄格子。

 規則的に縦に横にと伸びるそれらに扉となっている部分がある。鍵を差し込んで捻ると、開く音がした。


「リトな、昔は立場が悪かったんだ。俺達四人兄妹は俺に次期国王の座を押し付けて、それぞれやりたい事あったから、足引っ張り合う事も無かったし。俺が受けた教育を、自分も受けたくなかったんだろうな、あいつら。そこに現王妃の娘って事で生まれて、一時期は城が俺派とリト派で割れかけた事もあった」

「……」

「俺だって、リトが教育とかって言葉に誤魔化されたあんな目に遭って欲しくなかったし……。でもそれで、余計玉座から遠のいたリトを、馬鹿な奴等は除け者にしてた。……居場所が無かったリトだけど、命令で側仕えになったお前の嫁を……いたく気に入って」


 ディルも覚えている。

 ディルの妻は、一時期閑職と呼ばれていた王女の世話係に任命された事がある。

 腫れ物を扱うように、遠巻きにされていた王女アールリト。気に入らない者には上官であろうと牙を剥く粗暴なディルの妻を快く思っていなかった者は、彼女がその任を解かれた後も騎士としての仕事を満足に与える気は無かった。

 飼い殺される女騎士になる予定だった彼女は、それでも失速しなかった。


「閑職の意味も分からなかったリトは、その意味をある日知った。それ依頼、リトはそれまで以上に勉学に励んだよ。今じゃ、俺も言い負かすくらい口が達者になって。リトに気に入られて、キリアからも目をかけられて。王家からばっちり目をつけられたあの女は、側仕えの任を解かれた後も何かと重用された」

「……ああ」

「あっという間に『花』の平騎士から部隊長。副隊長から隊長へ。功績も確かにあったろうが、あいつは人心掌握術? ……っての、俺より上手かったな」


 鍵の開いた冷たい格子が開く。

 先にヴァリンが通って、ディルが続く。鍵穴に差し込まれた銀色は、そのままに。


「俺のソルもリトも、王妃すらあいつを気に入っていた。……俺は嫌いだったけど」

「……」

「俺が苦労して人の顔色窺ってたのを、あいつは素でやれるんだから羨ましく思ったよ。……でもな、少し思うんだ」


 二人の足は階段を上る。そして、一番上に辿り着く。

 そこにあった扉は、外に閂が付いていた。全てが鉄で出来たそれを外す。


「今でもあいつがお前の傍に居たら、この国はもう少し違う形になってたんじゃないかな、って」


 力を籠めると開く扉。

 金属の擦れる音とともに、部屋が二人の眼前に晒される。




 部屋の中は、とても次期国王が過ごしている場所とは思えない場所だった。


 清潔は保たれているが、必要最低限の家具しか用意されていない。

 寝台と収納と、小さな文机と椅子があるだけだ。

 色も塗られていない木材そのものの色をした家具と、剥き出しの石壁が寒々しい印象を与えている。


「……」


 床も絨毯さえ引かれていずに、歩く度に足音が響く。ヴァリンは最小の足音しか出さないように、その部屋の中に歩を進めた。

 ディルは扉の側で待っている。今は、家族の再会を邪魔したくなかった。


「リト」


 狭苦しいその部屋は、不浄との仕切りすら無い。

 少し質を上げただけの独房のようだ。本人は何も罪を犯していないというのに、投獄と言っていいほどの仕打ち。

 寝台に横たわる事も無く、石の床に座って泣き濡れる姿のなんと痛々しい事か。


「……リト」


 次期国王と言われた次代の女王は、暖さえ取れないような薄手の布を被って、寝台に手を添えて泣いていた。

 名を呼んでも反応すら見せず、風呂にも入れていないだろう服は皺だらけ。いつもは髪飾りによって後頭部で留められている長い濃紺の髪は乱れ、寝台の頭部分にある平台に置かれた食事は手を付けられていなかった。

 うら若い女性が過ごす空間ではない。ヴァリンは名を呼びながら、妹の側へと寄った。


「リト」

「……たす、けて」

「……リト」

「たすけ、て。にいさま、たすけて、ください」


 しゃくり上げる声は小さく、呟くように助けを求めていた。

 振り向かない妹から呼ばれ、ヴァリンは足を止めた。


「わた、しは。王位を継承したくない。女王になんてなりたくない。幸せになれなくても不幸になりたくない。兄様さえ要らないと見限ったものを、私には頭を垂れて有難がれと言うんですか」


 まだ年齢として二十を数えない、若い女だ。なのにその心境の吐露は、年齢を感じさせないような悲哀が混じっている。

 苦しみはすべてアールリトのものだ。悲しみもすべて、アールリトの心から来るものだ。

 けれどそのどれとも、ヴァリンは無関係ではない。


「……俺にはもう、王位継承権は無いからな」

「だからって私に押し付けるんですか!? 血筋も正しくない私が王位に就けと! 兄様は、そんな風に言うんですか!?」

「血筋が正しかろうが正しくなかろうが、王には相応しい者が就かねばならない。幸い、お前の母親は血筋さえも誤魔化す気満々だ。この先お前は恙なく、この国を支配できる立場を手に入れられるだろうよ」

「私が……相応しい? 兄様は、今の私を見てもそう仰いますか……?」


 床に手を付いて、這うようにヴァリンへと近寄るアールリト。

 その手は皮膚が破けて血が滲んで、爪の先まで変色している。

 扉よ開けと、何度も念じて、祈るように、呪うように何度も殴りつけていた手だ。


「にいさま。にいさま、わたし、いいこになります。今まで以上に、良い子になります。お優しい兄様の決定に決して逆らいません。兄様が望むもの、望むこと、口出ししません。私で出来る事ならご助力します。だから」


 アールリトの爪の先が、ヴァリンの靴の先に触れた。


「お願い、します。わたし、を……たすけてぇ……!!」

「……リト」

「嫌です……ここは……冷たくて、悲しい……。お母様は変わってしまわれて、私が好きだった国も人も無くなっちゃう。私が今以上、この国を、アルセンを嫌いになる前に。私を、助けてください。もう、兄様にしかお願いできないんです」


 アールリトは、みっともない格好をしている。

 そうさせているのは王妃で、ヴァリンでもある。

 泣き濡れたぐちゃぐちゃの顔で懇願する妹を、ここまで悲しませたのは過去のヴァリンだ。王妃継承権を放棄した弊害が、妹の指先にここまで痛々しい傷となって現れるなんて考えてもいなかった。


「……触るな。汚い」


 ヴァリンの言葉は、アールリトには絶望を齎すもののように聞こえた。

 これまで、妹として尊重してくれた長兄の冷たい言葉。

 でも、そうじゃない。

 ヴァリンはその場に膝を付くと、懐から真っ新な白い手巾(ハンカチ)を出した。そしてそれを、痛くないようにそっとアールリトの指先に巻き付ける。


「化膿したら大変だ。……俺達が踏んで来たものは、お前の指先に相応しくないほど汚れている」

「……にいさ、ま」

「リト。俺はな、お前が思っているより何も出来ないよ。お前を今すぐ助けるなんて無理だ。……お前にだけは、俺を非難する資格がある。大丈夫だ、良い子になろうとしなくても。お前は元から良い子だ。だから、良いんだよ」 


 兄としての顔で、王女の頭に乗った薄布を掛け直してやるヴァリン。軽く撫でるように顔を薄布で拭いてやって、笑顔というには曖昧な微笑を向ける。


「……にい、さまぁ……」

「リト、お前は逃げる当てはあるのか。この王国内じゃなく、誰も手が出せないような場所に逃げられるか? 名前を変えて髪も切って、自分の出自を永遠に秘密にする覚悟はあるか」

「……そ、んなの。急に、言われても。でも、逃げられるなら、わたし、何でもします」

「お前が逃げたら、お前の本当の父親の事を知る機会も無くなるだろう。この先誰にも頼れなくても、そのせいで死にかけても、それでも、それが今よりマシだって思えるか?」

「………」


 アールリトの返答は無かった。改めて突き付けられる二択に、今直ぐ答えを出せと言うのが無理なのだ。

 乱れて絡まった妹の髪に、手櫛を通すヴァリン。べたついた髪の触り心地は悪いが、それは自分と血が繋がっていないにも関わらず似通った色を宿す。

 ずっと、妹だった。

 妹だと思っていた存在が、ただ可愛かった。


「もし即答できないなら、お前はこの国から出るべきじゃない。少なくともこの国は、お前の尊厳は踏み躙っても命は守る。この国から逃げると、尊厳も命も無くなるかも知れない」

「……もし、兄様が私と同じ立場だったら、どうなさいますか」

「俺か? 俺はな」


 潤む目を向けて来た妹を、胸にそっと抱き寄せる。

 親愛の籠った抱擁はアールリトの涙を完全に止めるものではないけれど、心を落ち着かせるぬくもりを与えるのは充分だった。


「自分の死にたい時に死なせてくれない国に居るなんて絶対嫌、だな。……俺は要領が悪いけど、死に際は自分で見定めたい。そんな時に、この国に居ると絶対死ねないんだ。お前の立場に俺が居たら、国を出る。出て、誰も知らない所で野垂れ死ぬ」

「……兄様は、酷い人です。私に、国を出る躊躇を与えておきながら、兄様は自由で勝手な選択をする。どこまでも、酷い人です」

「当たり前だろ。俺はお前の兄だよ。何があっても、お前は俺の可愛い妹だ。お前が何処とも知れん場所で嘆きながら死ぬなんて嫌だよ。……だから俺にはこれくらいしか言えない。……何があっても。誰を見捨ててでも、生きろ。だから」


 きっと、会うのはこれが最後だ。

 唯一、肉親への愛情を向ける相手と血が繋がっていない。けれどヴァリンは、胸に抱いた、大きくなった小さな妹へ、もう一度力を籠めて抱きしめ直した。


「もしこの国を出られたら、全部忘れろ。お前ひとりだけ、幸せになれ」

「……兄様……っ」


 再び、王女の瞳に涙が浮かぶ。


「そんなの、呪いです……。兄様の事も忘れろって言うんですか。全部忘れるのは私の幸せじゃないのに」

「猶予はやるよ。……だからその間に、覚悟を決めろ」


 体を離したヴァリンは、アールリトの頭を数度撫で、それから立ち上がる。


「お前、『種』は持ってるな?」

「『種』……? え、ええ。持ってますが、あれは……私は……」

「大丈夫だ。使えって言ってるんじゃない。……でも、あれはお前のものだ。絶対に手放すなよ」


 『種』というのは、プロフェス・ヒュムネ固有のものだ。生まれた時から側にある、プロフェス・ヒュムネとしての自分の能力を開花させるもの。

 それを一度も取り込んだ事の無いアールリトは、それによって自分がどんな能力を使えるようになるのかを知らない。

 人を殺す事に長けた能力かも知れない。何かを害する事に特化した能力だった場合、アールリトはその使いどころを恐れて一度も能力を使いたいと思った事さえ無かった。


「あれはお前が望む望まざるに関わらず、きっとお前を守ってくれる。お前が全部忘れても、お前が間違いなく愛されてた事は忘れるな」

「っ……」

「いいか、リト。俺は兄として、お前を愛している。どんなに絶望する事があっても、俺が誰か分からなくなっても。生まれて来たことだけは、絶望してくれるなよ」

「……にい、っ……さ、まぁ………!!」

「……」


 ディルは、二人のやり取りを眺めながら過去に思いを馳せていた。

 ヴァリンがここまで優しい言葉を掛ける相手なんて、今まで居なかった気もする。ソルビットに対しては優しい言葉を掛けても茶化して返されるのが毎度のことだった。

 ヴァリンも、家族として歪な世界で生まれ育ってきた。

 その歪さの犠牲になるのは、いつだってその間に生まれた子供だ。


「……ヴァリン、そろそろ」

「ああ。……リト、悪い。行かなきゃ」

「……はい」


 アールリトの瞳から、雫が零れ落ちる。

 抱きしめられた時の俯いたままの姿勢から、ヴァリンを見送る為に顔を上げた。


「わたしは。……私に許された猶予って、いつまでですか。私は本当に、逃げたいって言ったら逃げられますか」

「………。リト」


 ヴァリンは扉に手を掛ける。ディルはもう行ってしまって、ヴァリンは扉を閉じながら。


「俺の取る手段は、多分手荒になるぞ。それでも良いって言ってくれるなら、そう長くは待たせない」


 別れの言葉も交わさずに、音を立てて扉が閉まった。




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