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 独善に塗れた悪辣な虚像。

 プロフェス・ヒュムネに侵食された王国は、最早昔の影を見る事も出来ない。

 謁見の間から扉を出たディルは、天井を仰ぐように上を向いて溜息を吐いた。

 少し離れた柱の陰で、ヴァリンが腕を組んでディルの到着を待っている。ディルが近くまで寄るとその身にこびりついた返り血に気付いて、苛立ちを隠さないまま手巾を押し付けられる。


「……俺のだ。俺のになる筈だった、国と、民だ。悪趣味な余興で殺される程、俺の民は安くない」

「汝が、とうの昔に捨て去った物だ」

「喜んで捨てた訳じゃない。選ばなかっただけだ。ここまで最悪な為政者なんて、この国の歴史上今まで無かった。記録更新するくらいに人の命を玩具か何かみたいに扱われて、俺が納得すると思ってんのか」


 苛立ちのままに柱を踵で蹴るヴァリン。謁見の間の扉の前に立つ騎士が鎧兜の下から二人を見ているが、特に注意もしてこない所を見ると王妃派ではないらしい。

 城での用事はこれで終わって、後は酒場へと帰るだけ。あの血で汚れた道を行かなければならない。

 来る途中の惨劇を思い出して、素直に嫌だと思った。


「……ディル。今日までで、一体何人城下の民は死んだんだろうな」

「知らぬ。実数が出たとて、汝は気落ちするだけであろうから考えるな」

「お前、本当に……もう……もう……」


 ヴァリンの性根の脆弱ささえ見透かしたようにディルが注意すると、注意を受けた側は顔を手で覆い大きな溜息を吐いた。

 不必要な意地を張らなくて良くなったヴァリンには、酒場の男共の言葉がいちいち心に沁みる。


「用は済んだ。急ぎ、酒場に戻るぞ」

「……」


 ディルが急かすように言って廊下の向こうへ進もうとするが、ヴァリンの足は動かない。

 それを訝しく思ったディルも足を止める。

 一瞬、二人の目が合った。しかしそれはヴァリンが逸らし、言いにくそうに口を動かす。


「ディル。俺、寄りたい場所が出来た」

「寄りたい場所? 私室に忘れ物でもしたのかえ」

「ん……。そりゃ、まだ持って出たかったものは山ほどあるけど。それより……あいつが、……今、どんな思いで居るのか……気になって」

「誰の事だ?」


 変な所で勘の鈍いディルに、ヴァリンが焦れる。

 こんな城の中で、ヴァリンが気にするような人物は数名も居ない。


「……リトの事だよ」

「次期女王か」

「俺の失敗した我儘の、一番の犠牲者だ。俺を憎んでいるだろうか。憎まれた方が楽だ。あいつから謗られたら、俺の罪悪感も軽くなるかもな」

「汝が罪悪感を覚えていたとは初耳だ。……次期女王陛下は今、尖塔に居るのだったか?」

「だろうな。王位を継ぐまでの幽閉だ、行っても会えるかも分からんが……」

「誰に会うって?」


 二人の会話に入って来る声が聞こえて、ヴァリンが勢いよく声の方角を向いた。

 二人にとってその声は顔を見ずとも誰のものか分かるのだが、ヴァリンは一縷の望みに賭けているようだった。出来れば誰にも聞かれたくなくて、ヴァリンには逆らえないような立場の者だけが聞いていたらいいのに、と。

 現実は、そう上手いように出来てはいなかったが。


「あんだけ啖呵切っといて、結構頻繁に戻って来るよな。『どうされましたアールヴァリン殿下。戻って来られても貴方の居場所はありませんが』」


 まるで台本を呼んでいるかのような白々しさだった。無造作に撫でつけた黒の髪と同じ色の瞳が、呆れたような視線をヴァリンに寄越している。

 エンダ・リーフィオット。ヴァリンが所属している『風』隊の隊長だ。

 彼は『風』騎士に許されている白と緑を基調にした隊服を纏っており、騎士を他に二人従えている。その騎士も、ヴァリンにとっては馴染みのある部下だった。


「……居場所が無いって、どういうことだ」

「次の配属変更で、お前は副隊長じゃなくなるよ。後釜は一応内定が出ている。お前は療養の身から六年もの間復帰もまともに出来ていないし、このまま裏ギルド専任になるだろうな」

「はぁ? ……副隊長の任命はお前の役割だろうが。俺を見限ったって訳かよ、エンダ」

「悪く思うな。これも全部、お前が王妃殿下と縁を切ろうとした報いだよ」


 報い、と言われてしまえばヴァリンだって何も言えない。このくらいの覚悟はした筈だった。

 実際、副隊長の任を外されたからといって今までと何が変わる訳でもない。くだらない用事で城に召喚される事を思えば気が楽になる、筈だった。


「……っざけるなよ……」

「………」

「報いって何だ。俺が、あいつら以上の非情をしたか? 報いを受けるべきなのは草の奴等の方だろう! 二十年もの昔の裏切りが何だ、文句があるなら父上をとっとと殺せばよかっただけの話だ!!」

「それでも、殺さなかったのは何か取引があったんじゃないのか。……尤も、二十年前の話なんて先代隊長達なら何か知っていたかも知れんが、もうあの方たちはこの国に居ない」


 エンダは口許にだけ微笑を浮かべていた。瞳は、憐れみか侮蔑か判断のつかない視線をヴァリンに投げている。

 一人の男を飾り立てていた役職の殆どが剥がされていく。そうして丸裸になった今のヴァリンの価値は、王城で望まれるものではない。


「……お前も王妃側に成り下がったか。権力に諂ってる間は安泰だから良いよなぁ?」

「俺は最初から、この国の騎士だよ。隊長職を与えられた時から、俺の忠誠はアルセン王国にある。……お前らだって、そうだろう?」


 エンダが肩越しに振り返り、騎士二人に訊ねた。

 騎士も頷くだけだ。


「っ……貴様ぁ!!」


 苛立ちが頂点に達したヴァリンは、王妃の目も無い今は感情に身を任せた。

 エンダに足早に近寄ると、その胸倉を掴み上げる。


「どうした、アールヴァリン。謁見の間にほいほい入って行ったお前が怒るような事、俺が言ったかな?」

「エンダ、貴様がそこまで頭の悪い男だなんて思ってなかったよ。この国があとどのくらい血を流せばお前は後悔するんだ。民の居ない国でお前は騎士隊長の椅子に座って、いつまでふんぞり返ってるつもりだ、あぁ?」

「ふんぞり返ったりはしないさ、俺には守るべきものがあるんだから。お前も、そんなに頭に血を上らせてどうした? 前みたいに、冷静を気取って聞き分けの良いお坊ちゃまのままでいたら楽だったろうにさ」

「俺は確かにクソ坊主だったかも知れん。でもな、お前らみたいな保身考えてる奴等と一緒にされると吐き気するんだよ!!」


 激昂している王子に、エンダは苦笑を浮かべる。聞き分けの無い子供に仕置きをするかのように腕が伸びて、その額を中指で一発弾いてやった。


「っ!」

「落ち着けよ、馬鹿。もう一回言うぞ」


 エンダは弾いた中指がある方の手で、ヴァリンの胸倉を掴んだ。されたことを同じようにやり返し、小声で囁く。その声はディルにも届いている。


「俺は、『アルセン王国』に忠誠を誓った。今にも信念ごと崩れ去ろうとしている、国王陛下の崩御した王国だ。俺が守りたい(もの)はどんどん数を減らされて、俺の低い矜持でさえもズタボロだ。俺こそ、あんな奴等の下に就くなんて考えるだけで吐き気がするよ。でもな、俺等じゃもう王妃殿下までは止められないんだ」


 エンダの笑みが、今度は自嘲を浮かべている。


「俺等は今、カリオン止めるので精一杯だ。必死で止めてるのに、あいつは自分から血に塗れに行ってる。俺達が弱いんだってさ。あいつみたいに強くないんだってさ。だから殿下が強い奴しかいない国に作り替えようとしてるのを、あいつは望んでる」

「……なんで。カリオンは、あいつは、そんな事考える奴じゃなかった」

「守りたい奴等が率先して死にに行くような国じゃ嫌だって。あいつはだいぶ昔に壊れちまってたよ。それもこれも――お前の嫁や、ソルビット達が死んだあの時からだ」


 エンダの瞳が責めるようにディルへと向いた。

 ディルはその視線を受け止めて、何も言わない。


「あいつらが死んで、何も残らなかった。お前達が壊れたのが先だったが、カリオンはそれからゆっくりおかしくなってった。俺は、あいつの同僚として、最後まで付いていてやりたい。だから――こっちは、お前達に、託す」


 再びヴァリンに顔を向けたエンダは、懐から鍵を取り出した。

 掌に受け取ったヴァリンは、その形と埋め込まれた宝石に見覚えがあるのに気付いた。――尖塔の扉の鍵だ。


「尖塔の姫君に付く見張りは、今週は『風』の当番になっている。……鍵は帰り際に、こいつに託してくれればいい」


 エンダが指で示した騎士が頭を下げた。

 何もかも分かっていて、腹に答えを決めていて、ヴァリンに鍵を託す意味に気付かない程元次期国王だった男は愚鈍ではない。

 鍵を握りこんだヴァリンは、唇を嚙みしめて拳を見た。そしてやり返すように、己もエンダの額を弾く。

 「痛っ」と小さな声が漏れるが、それだけだ。


「エンダ。本当お前、俺達に対しても諜報部隊の悪い癖出すの止めろ。回りくどいんだ。……卑怯だぞ。自分の本音を隠し続けるなんて、どいつもこいつも」

「お前がお子ちゃまなだけなんだよ。ディル見てみろ、さっきから全然表情変えてない」

「我か? 貴様も王妃側に回ったのならどう殺してやろうか考えていただけだ」

「…………」


 ディルの本気とも冗談とも取れない言葉に殺意を感じたエンダは緩やかに目を逸らす。

 ここまで殺気を露わにしながら、殺すなら今が狙い目であったろう王妃を弑することなく忠誠を誓えるディルは、それなりの付き合いがあったエンダから見ても心を持っているように見えない。

 それでも、王妃はディルを信用し始めたように見える。この男は懐に潜り込めたと確信した後も、油断はしないだろう。

 

 悪い冗談に、悪夢に、囚われたまま抜け出せないこの国は、既に崩壊しか未来が無い。

 そしてその崩壊は、ディルが齎すのだろう事も勘付いている。

 否、崩壊を呼び寄せられるとしたら、もうディル達しかいない。権力が一点に集中してしまった現状で、頼れる他の手段は余りに弱い。


「……アールヴァリン。ディル。頼むよ。もうお前らしか動けないんだ。騎士とか副隊長とか、そんな立場に縛られてなくても、お前らには従う奴が幾らでもいる。そいつら使って、どんな手使ってでも、王妃を止めてくれ」


 エンダは縋るように、二人に声を掛ける。

 二人は頷きもせず、その横をすり抜けて先を急いだ。


「戯けた事を言わず、汝等が出来る範囲の事は汝等で行うのだな」

「こっちだって忙しいんだ、弱音吐いてる暇があったら動けよ。……お前だって隊長の一人だろ」


 エンダの言葉に頷けば、例え彼がそういった性格でなくとも、責任を押し付けたようになるから。

 アルセンの騎士は誇り高くなくてはいけない。自分の心に決めた信念が正しかろうが間違っていようが、それを他人に託すだけなどあってはならない。


「ここまで来たら連帯責任だ。もし誰かが脱落して企みが露見し処刑されることになっても、最後の最後まで引っ掻き回して首を落とされてやる。引っ掻き回すのは残った奴等全員だ。エンダ、俺達に付く側の奴等の一覧作れ。王妃の回し者は全員弾け。お前なら出来るだろ」

「………」

「俺が、俺らが。黙ったままでいると思ったら大間違いだ。千年先まで復興なんて考えられないようにしてやる」


 ヴァリンは笑っていた。

 次の一手を考える、清々しい笑顔だった。



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