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 静まり返った謁見の間。

 扉の向こうは、一層死臭が強くなった。

 いつもは敷かれている赤の絨毯が無い。並んでいる上級騎士の姿は半分になっている。大仰な階段の先にある、玉座ふたつは片方が空席だ。

 王妃の席には座っている人影がある。それが王妃であるのは当然として、いつも身に付けている顔を隠す垂れ布が無い。顔色悪く着席している王妃は、ディルとヴァリンの到着を見届けると口許を手で覆い隠して咳き込んだ。


「急な呼び出しにも、関わらず……ここまで、ご苦労、………だった。ん、っ。……すまぬな、どうも、調子が悪いでな」


 喉を鳴らしながら労いの言葉を掛ける王妃に、ヴァリンは視線を向けない。

 ただいつものように、それまでのように、騎士に許されている位置まで進むと片膝をついて頭を垂れる。

 ヴァリンは無言だったが、ディルは違う。


「『j'a dore』マスター・ディル、招集の命を受け只今馳せ参じた。其の様な体調であっても尊顔に拝謁出来る事、恐悦の至り」

「……ふふ、ディル。……貴様はいいな。心にも無い事を、いつもと変わらぬ顔で、平然と言ってのけられる……。その鉄面皮、今日ほど……羨ましいと思った事は無いぞ」

「心にも無いとは。心外とは此の事だ」

「面白くない、冗談……だ。……いい、頭を、上げよ」


 悪辣な王妃と冷徹な剣士の化かし合い。

 青い顔をした王妃は、いつも顔色の悪いディルよりももっと体調が悪そうに見える。

 気丈に笑もうとする唇さえも震えている王妃が、呼び出した理由を改めて説明し始めた。


「……暁から、聞かされていると思うが。……この城の井戸に、毒を入れた者が居る。その者は故意ではない、と、知らなかったと言い続けてはいるが、現場を見た者が何人も居てな。誰かから口を閉ざすよう言い含められている可能性もあるが、どちらにせよ……井戸に、混ぜ物をするような愚か者は……この城は疎か、国にも、不要だ」

「毒を入れた者の失態は、其の一度以外には?」

「殆ど無い。……何だ、ディル。貴様は、私を狭量だと言いたいのか? ……この城に不穏を齎した者に対して、慈悲を掛けろと?」

「そうでは無い」


 失態は数だけが重要ではなく、その内容も考慮に入れるものだ。

 その考慮の結果が処刑であるならば、ディルではなく他の者からの異論も出ただろう。再考したのか却下したのかを聞く気も無かった。聞いても、ディルの中での王妃の評価が今以上に下がるだけだから。

 腹の探り合いもそこそこに、王妃はその場で手を打ち鳴らす。三度鳴る頃には、脇にある使用人用の廊下に繋がる扉が開いた。

 最初に現れた騎士は謁見の間に居る上級騎士と同じ鎧を纏っている。兜で顔は見えない。しかし手甲には鎖のようなものが三つ握られていた。


「……」

「は、……?」


 ディルは眉を顰めただけ。

 ヴァリンは、呆然とその光景を見ている。

 騎士が持つ綱の向こうに、三人の女が首を鎖で繋がれていた。

 よろよろと歩いてくる黒に近い焦げ茶色の髪と、茶髪と、金に近い薄茶の髪の女はそれぞれ猿轡を噛まされていて、泣き濡れた頬に涙の跡が幾筋もある。秋だというのに着せられているのは肩に頼りない紐しか掛かっていない薄手の一枚の長衣だけ。

 その中でも、焦げ茶の髪の女は腹が大きく膨らんでいた。――妊婦だ。

 三人は、騎士の指示で階段の下に並んで腰を下ろす。


「……この中の一人が、城の井戸へ毒を投げ込んだ女だ。……そして二人は触れを出していたにも関わらず、昨晩葬列が街を行く中に外へと出ていた者達だ。罪状は以上」

「承知した」


 そんな説明では、どの女が毒を撒いて、どの二人がただの民間人なのか分からない。

 問い返すこともなく、ディルは表情も変えず、座ったまま剣を引き抜いた。

 銀色の剣士の抜刀した姿に、女達は引き攣った悲鳴を上げて涙を流して猿轡を噛んでいる顔を左右に振る。


「……。なぁ、ディル」


 あまりに顔色が変わらないディルの姿に、王妃が引き留めるように声を掛けた。

 ディルの隣のヴァリンなど、先程から怒りで歯を食いしばり顔を赤く染めているというのに。

 名前を呼ばれたディルは表情を一切変えないまま、平然と。


「如何した、我が君」


 平然と、王妃を讃える敬称で呼び返した。

 その低音に、王妃が病とは違う理由で背筋に寒気が走る。

 甘やかな声ではなく、しかし敵意を示す声でもない。人形と称された美貌を持つ男から、今まで聞いた事の無い呼び方をされて、背中に氷でも入れられたかと思わずにいられないほどの寒気を感じた。

 この男が、こんな呼び方をするなんて思っていなかった。

 気色が悪い。王妃の素直な感情はそれだった。


「……どういうつもりだ? 私に『我が君』などという悪趣味な呼び方をするとは」

「既に陛下が崩御され、我が忠誠が向くのは次期女王であろうが――正式に即位されるまでは王妃殿下が此の国の頂点であろう? 気を害したのなら謝罪でもしよう」

「害してなどおらぬ。……今の私を害しているのは、井戸に投げられた毒だ」


 こほん、と王妃の喉が鳴る。


「今、この場に居る三人を血の海に沈めたら……私は、今度こそ貴様を我等の配下に加えてやろう。尤も、貴様に慈悲などあると思ってはいない。簡単な話だろう?」

「……三人とも、か。我が君は、悪戯に命を消費する愉悦を覚えたらしい」

「消費などと言えるのは、貴様が為政者の立場に居ないから言えることだろう? ……ディル、知っているだろうが私はそこまで気が長くない。早く――」


 少しからかってやるためだけのつもりだった王妃の言葉は途切れた。女達の結末は変わらずとも、少しでも狼狽するディルを見たかったのが本音だ。

 戯れに急かす言葉すら、ディルの速度に及ばない。蹴った石の床が靴先と同じ形に抉れ、粉砕された煙が舞う。

 髪や剣の輝きすら残像にするがの如く、ただ一瞬で近付いて来た白銀の死神の姿を捉えた瞳は見開かれ、猿轡の奥の声帯が何か言葉を発する前に。


 ――血飛沫。


「……ぁ、……」


 漏れた声は、王妃のものだ。

 低く身を屈めた一太刀の元に、女の首が宙に飛んだ。髪も首の位置に切り離す程の切れ味の斬撃が、衰える事の無いディルの剣の腕を示している。

 声を漏らす事も許されず、胴と切り離された首は地に落ちても尚、数度瞬いた。直後、首の断面から鮮血が噴き出して胴が痙攣しながら崩れ落ちる。

 一人生き残った女も、己が見ている光景が信じられずに目を見開いて震えている。と思えば、白目を剥いて痙攣して背中から倒れてしまった。気絶したようで、身動きもしない。


「我が君よ。……御満足、頂けたかえ?」


 ディルは立ち上がると、剣を抜身のままに王妃の居る方角へと歩み寄る。その瞳はとても冷たく、殺意に満ちていた。

 無表情を貫いていた顔が、王妃の目には今、違うように映っている。

 表情が無いのではない。この男は、元から正気でないのだ、と。


「……ディル、それ以上、近寄るな」

「………」

「聞こえて、いるのか。……近寄るなと言っている!!」 


 王妃の体調は万全ではない。

 控えている上級騎士の数もいつもより少ない。

 ヴァリンは、憎しみを込めた瞳を王妃に向けている。

 今、本気でディルが王妃の首を獲ろうとすれば。


 王妃だって、無事では済まない。


 王妃は初めて、ディルに対して恐怖の念を抱いた。

 愛する妻を喪った愚かな男だと思っていたのに、その愚かなまでの執着に首を刎ねられる予感が止まない。

 携えた剣を染める血が、次は自分のものになる直感。

 王国最強の戦闘力と謳われた一対の騎士の片方。

 僅かに持ち上げられた剣、その先が一瞬だけ王妃に向いた。


「っ、や――」


 『止めろ』。

 恐怖に震える王妃の喉が、咳き込みによって静止の言葉を阻害される。

 赤茶に濡れる切っ先は、離れた位置に居る王妃の肉を切り裂く事はなかった。

 何故なら――ディルの剣は、そのまま石の床を割るように、ディルの目の前に突き刺さったから。

 そのまま片膝を付いて頭を垂れる白銀の死神。


「我が君。我が忠誠を疑うのは自由であるが、今後此の様な手段は遠慮願う。……我とて、人の命に何も感慨が無かった昔と違うのでな」

「……あ、……。……ああ、……承知、した」


 言いながら王妃は、気絶しただけの女を見遣る。

 焦げ茶の髪を持つ妊婦だ。


「……あれだけ殺さなかったのは、何故だ。私は、三人とも殺せと言った筈だ」

「あの者は子を腹に宿しているのであろ。……子には罪が無い。例え母が我が君の気を害したとして殺されたとて、子は未来の形そのもの。我が君の作る世界を見届ける幸福を、胎児にすら与える気は無いと?」

「……いや」


 子を持つ母親だからこそ、ディルの言い分も分かる。生まれる無垢な子供には、確かに罪を問うのが間違っている。

 しかし、処刑相当の判断を下した相手がのうのうと生きているのを見ているのも気分が悪い。

 王妃は頭を抱えた。体調が悪いせいもあり、上手く頭が働かない。そうして回らない思考の中で辿り着いた答えを、ディルに示した。


「……その妊婦、貴様の所で身柄を拘束するのなら今はまだ生かしていても良い」

「……酒場でか」

「我が前に二度と触れさせるな。子が生まれ次第、その女の首を刎ねよ。子は適当な孤児院に放り込め、逐次報告を怠るな」

「……承知」


 体よく押し付けられた身柄だが、これ以上血を流したくなかったディルは二つ返事で受け入れた。

 用事が済んだとばかりに、ヴァリンは許可も無いのに立ち上がって扉まで向かう。そのまま振り返らずに廊下に出た背中を、王妃は黙ったまま見送った。


「処で、我が君よ」


 床から剣を引き抜いたディルは、乱雑にそれを振る。飛び散った真新しい血が床を汚すが、上級騎士ですら今の状況に恐れ慄くだけだ。


「子が生まれるまでに、此の国が無事である保証はあるのかえ?」

「………」


 見透かしたような言葉は、城下の騒動を耳に入れていれば出てくるだろう。

 王妃は確実な言葉を残そうとせず、その問いかけに体調の悪さを滲ませた微笑を返す。


「さて、どうであろうな?」


 ディルはもう何も聞く気が無い。ヴァリンがしたのと同じように、謁見の間を出るために扉へと向かう。


「その妊婦」


 最後に、一言だけ残して扉を閉めた。


「手の空いた者に、我が妻の酒場まで運ばせるがいい。生まれた子は我が君の善きように、其の瞳に此の国の行く末を映すであろう」




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