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 確実に近々あるだろう、と覚悟していたディルに対しての呼び出しがついに来た。

 ディルの表情はいつも通りだが、ヴァリンの表情は浮かない。それは街から漂う雰囲気のせいでもあるのだが。

 酒場の外に出て、大通りに入る頃には街の雰囲気も大体掴めた。

 いつもは賑わっている街が、閑散としていた。

 ヴァリンは着ている服の襟巻(クラバット)の形を整えながら苦々しく吐き出す。夜会にも出られるような――とはいかないが、目上の者に目通りするくらいなら無難な白と黒の上下だ。


「……人が少ないな」


 その静けさは異様な程で、昼の日差しだけそのままに夜であるかのようだった。

 ディルはふん、と一度鼻を鳴らすと周囲を見渡す。

 特に面白みのあるものを見つけられなかったディルの服は簡素な白と灰の上下で、視線を戻した後は正面を向いたまま。


「昨夜、あのような事があったのだ。無辜の民を外に居るだけで捕らえると来たものだ、落ち着いて外にも出られまい」

「……そうかな」


 大通りの店は、殆どが扉を閉めている。

 道を行く者もほんの数名だ。


「店も開いていないと聞いている、大半が仕事にならぬのであろ。五番街などはこの通りだが、七番街は如何であろうな」

「……七番街なぁ、観光客とかあそこら辺に集中してるからな。あそこ通らないと城に行けないってのも嫌だな」


 二人の足はどちらが誘導するでもなく、城を目指す。

 少し前までは馬車がわざわざ迎えに来ていたのに、今回は徒歩で行かなければならないのはヴァリンの地位が底まで落ちてしまったせいか。それとも、騎士の手が足りない影響の余波か。

 どちらにせよ、暁が馬車で迎えに来ていても徒歩で向かうと断っただろう。暁と馬車に同乗とか、最終的にはディルかヴァリンのどちらかが耐えきれず暁を殺して馬車を奪って街中を爆走していたかも知れない。

 そんな事になったらどれだけ気が晴れるかな、と思ったところでヴァリンは妄想を止めた。


「……なぁ、ディル」

「何だ」

「俺さ、何度だって言うけど。以前の俺は……ソル以外、俺、どうだって良かったんだよな」


 二人の足は進む。


「俺は」


 五番街から六番街へ。

 途切れ途切れのヴァリンの呟きを、ディルは黙って聞いている。


「ソルだけ見ていれば、他のものは全部見ずに済んでいた」


 六番街も、殆ど誰も外へ出ていない。

 閑散とした道が続く。


「次期国王として、俺は……多分、その時点で……失格だったんだろう」

「……」


 無言になる時間を挟みつつ、二人は七番街に至る橋が見える場所まで辿り着いた。


「俺が欲しかったものは、民の幸せとか……そんなものとかじゃなくて。でも俺じゃなくても、民は誰か他の奴等が出来るなら、そいつが幸せに出来るならしてやればいいって、ずっと……思ってた」

「……そうか」

「思ってた、から。だから」


 橋の向こうは、喧騒に満ちている。


「っ……だから、っ」


 それは普段通りの賑わいから成る騒ぎではない。

 怒声と悲鳴がせめぎ合う、常人であれば耳を覆いたくなる悲痛な声だった。


 『二番街が』


 『門が閉まったままで』


 『仕事からの帰りに息子が』


 『どうして』


 『地震が』


 『いつ門が開くの』


 『何故』


 『何が起きているの』


 人々の混乱と怒りは、七番街で爆発していた。


 『私達の命より陛下の死の方が大事なの』


 『こんな状態じゃ生きられないのに』


 騒動に出動した騎士達が数十人単位で沈めようとしているが、事態の釈明も出来ない騎士ではそれも叶わない。

 もとより、この国の騎士は鎮静よりも制圧の方が得意なのだ。

 今はもう失われた符号を持つ、たったひとつの隊を除いて。


「……どうしたらいい。俺は、今だって正直、俺と何の関わりも無い奴等なんてどうだっていいんだ。どうだっていい、筈だったんだ。でも俺は小さい頃から『次期国王』で、いつかはこの国が俺のものになるんだって漠然と思ってた。……でも」



 集まった中には国外から訪れた者もいるだろう。国外からの観光客に直接手を上げると、外交問題にも発展しかねないのでそちらを拘束する訳にはいかない。

 二人から離れた場所で怒声を挙げ、騎士に歯向かっていく市民。

 城下内での暴力沙汰は避けなければいけないもの。特に、騎士は簡単に傷を負ってはならない。

 ――だから。


 ヴァリンの視界の向こう、離れた場所で、鮮血が宙を舞った。


 騎士の一人が抜剣している。斬られた男は城下でもごくありふれた形の服を着ていて、国内に住む一般人だと分かる。

 見せしめの為に。

 誰も逆らわないようにする為に。

 まだ息のある傷ついた市民を、手荒に連行するのもまた騎士だった。

 狂乱と恐れに囚われ慄いた他の者は我先にと逃げ出す。

 それは同じ城下で起きた話で、視線の先にある景色なのに、遠すぎる異界の出来事のように感じた。

 自分と無関係な異界の話であったらどれだけ良かったか。


「今より昔にこの国が誰かの手に渡ってこんな状態になるって知ってたら、俺、ソルと天秤に掛けただろうか。もっと、ソルを愛しても取り返しのつくギリギリのところでこうなるって知ってたら、俺は多分両方を得るための道をもっと模索したんじゃないか。それで、どちらともが取れないと分かった時、俺はどっちを取っただろうな」

「………」

「……元は俺のものになる国だったんだ。なのに、こんなに好き勝手にされて見てるだけって、そんな馬鹿な話があるか!」


 民は害され。

 地は荒らされ。

 石畳が鮮血に濡れる。

 ヴァリンの足が苛立ちのまま一歩を踏み出した。歩くだけなのに、怒りが強く踵を振り下ろさせる。普段なら隠し切れている足音が、地を割らんとするかのように大きくなる。


「――『立ち止まれ。足元を見ぬ汝は今、靴のある床ではなく地獄への奈落に踏み出そうとしている』」


 今にも走り出しそうになっていたヴァリンの肩を掴めるのは、もうディルしかいない。


「離せ」

「貴様も神の末裔を自称する家系の一員であるならば、その神とやらの遺した言葉を覚えろ。聖書十三項の四十四節だ」

「神なんて居ないってお前が言ったんだろ」

「神は居らずとも、言葉は遺っている。神を信じさせる為に尤もらしい言葉を並べた書物にな。して、其れは頭に血が上った者へ覿面に効果の有る言葉だ」


 ディルは冷静に、ヴァリンを諭す。


「既に刃は振るわれた。時を戻さぬ限り無かった事には出来ぬ。今此処で汝が暴れても、既に王妃を見限った汝は同時に見限られているのだ。王家嫡男としての加護は無い。我は汝を引き留める事が最善と考えた」

「……」

「天へ這い上がるには時間が掛かるが、地獄に堕ちるのは一瞬だ。冷静になれ、……今此処で、問題を起こすのは下策だ。汝の暴力に呼応し、市民が団結せぬまま個々に蜂起しても可笑しくは無い。そうなれば、更なる被害が確実だ」

「っ……。お前からそう言われるのは、なんでこうも腹が立つんだろうな!!」


 一度期は騎士だった男が、あの惨状を見て冷静でいられることも不愉快だった、乱暴に肩の手を払うと、足を進めぬまま、しかし隠れる事もせずに七番街を見遣る。

 川で隔てられた、橋が繋ぐ景色は現実のものだ。

 剣を振るった騎士はまだ残っていた。白銀の全身鎧を纏う、背の高い騎士。血濡れの剣を振り、血を落とすとそれを鞘に仕舞った。

 騎士は、二人に気付いている。気付いていて、踵を返した。


「……俺も、ここまで堕ちたくは無かったよ」


 その騎士の兜に添えられた羽飾りごと、視界が全て夢か幻であればいいと思ったのは何回目だろうか。

 騎士の名すら呼べない。その名を持つ男はとっくの昔に居なくなってしまった気がしたから。

 人の好い笑顔を浮かべていた筈の騎士団長、カリオン。

 彼の心も既に、二人が絶望の淵に居たのと同じ頃に摩耗してしまっていた。


「お前も堕ちて欲しくなかったし、あいつにも昔のままで居て欲しかった。俺が知ってる騎士団がずっと変わらずに、ただ国と民の為に存在する組織だったら俺だってこんなに怒り狂ったりしなかった」


 羽飾りの騎士の背中が遠くなる。

 道の向こうに消えて漸く、ディルが歩き出した。ヴァリンもそれに倣い、気の進まない道を進む。

 七番街へ入って、流れた血の痕すら踏みつけて、二人は王城までの道を辿った。


 カリオンの兜の下の表情は、どんな顔をしていたのだろう。




 王城に辿り着いた二人は正門から中に通される。

 死臭すら漂う城内の気配に、ヴァリンが嘔気を感じて顔を顰めて身を屈めた。

 心労と嫌悪感はこれ以上無いという程高まっている。けれどヴァリンを支える者は居ない。

 ディルさえも、門番から指示された通りに廊下を進むだけだ。


「……待っ、……待って、くれ、ディル」


 弱々しく引き留めて漸く、ディルが足を止める。二人の間の距離は十歩以上離れてしまった。

 ふらつく足取りで追い付いて、ディルを杖代わりに肩を掴んで呼吸を整える。


「……無理を押す程であるなら、酒場で大人しく待っていた方が良かったのでは?」

「出来るか、んな事。……お前、目的の為って言いながら、王妃から言われた事に何でもかんでも無条件に頷きそうだったからな。ちゃんと、今日中に、酒場に帰るぞ」


 擦れっ枯らしの化けの皮が剝がれてしまえば、昔のように真面目で不器用で気配りが上手いヴァリンの姿が現れる。その事にはディルだって少しは安堵のような感情を覚えていた。

 けれどいつまでも妻以外の者に触られているのは不快なので、肩に置かれた手は早々に外して先を進む。

 子供でないのだから自分で歩け、と。

 ヴァリンは不満そうにしながらも、なんとか落ち着いた気分の悪さを堪えながら寒々しい廊下を歩いた。


「……すまんな、ディル」

「謝罪する暇があるなら歩け」

「……うん、そうだな」


 謝罪に込めた意思は、杖の代わりにしたことだけじゃない。

 こんな所まで何回も、足を運ばせる事になったのは自分の弱さだと感じている。

 ディルは知ってか知らずか、謝罪を不要と切り捨てて進んでいく。

 二人が辿り着いたのは、謁見の間だった。ヴァリンの体の震えが一層強くなったが、息を吸って吐いて、何回も繰り返して、それで誤魔化す。

 謁見の間の番をしている騎士も無言だ。ディルだけではなくヴァリンまで居ることに苦い顔をしているようで、視線を決して合わそうとしない。


「……行くか」

「ああ」


 ディルの返答は簡潔に、普段の会話の相槌のように。


 二人が同時に頷いたのを合図に、扉が開いた。




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