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 酒場に残っている面々は、三時間待った。

 それまでにミュゼとジャスミンが戻って来れれば、それでいい。

 しかし孤児院までの往復と診察に三時間以上かかるのは全員が分かっている。そして、棺の出る時間と孤児院を出る時間にそう違いが無ければ、外に出るのを危険と判断したフュンフが二人を引き留めるだろうことも分かる。フュンフの居る孤児院は、出棺する王城から程近い。

 酒場を覆っていたのは重苦しい沈黙だった。ここ暫くは無かった筈の、誰も彼もを呑み込んで気落ちさせるような陰鬱な空気。


 ディルも。

 ヴァリンも。

 アルカネットも。

 ミシェサーも。

 ダーリャも。

 勿論アクエリアも、刻限までミュゼとジャスミンの帰りを待ち続けた。

 彼女らは結局、戻って来られなかった。

 二人の帰還よりも先に、太陽の沈んだ街で葬列を成して進む騎士達の姿が窓の外に現れる。




「……葬列が城に戻るまで、どのくらい時間掛かりますかね?」


 窓の外には葬列の騎士達が、全身防具と武器を伴って進んでいた。

 まだ王の棺は見えない。酒場があるのは大通りから小道に入った先にあるが、こんな所まで来るなんてご苦労な事だ――と、窓の端から覗き見ているだけのアクエリアが内心で毒づいた。まだ酒が残っているのか、目付きが普段よりも眠たげだ。

 自分が泥酔していなかったなら迎えに行けたのに、と思っても、日のあるうちだと目立つ事もヴァリンから止められている。ミュゼの事も今回の事も、どちらにせよ自業自得だった。


「……さてな。朝日が昇るまでには、騎士達も全員戻るだろう。今外に居るのは『鳥』の奴等だな。あの中で羽飾り付いた兜被ってる奴が居たら、それが騎士団長のカリオンだ」

「まだ見てないな。団長ってんだから、棺周辺担当じゃないのか」


 ヴァリンとアルカネットも、近い位置から窓の外を眺めている。

 既にヴァリンは、見慣れた騎士が列を成して進む景色に飽きてきたようで、視線は自分の爪に移動していた。

 勿論、第一王子であるヴァリンの元には騎士の早馬で城に戻るようにとの催促も来ていた。しかし部屋に閉じ籠り布団を頭から被って呻きながら「嫌だ! 俺は絶対戻らんぞ!! 父上との最期の別れは個人で済ませてる!!」と騎士の帰城時間制限いっぱいまでゴネにゴネて叫んで拒んで抗って、無理矢理酒場への残留をもぎ取った。

 子供のようなやり口だ。誰もが気持ちは理解していれど、駄々っ子そのものの態度を取られると皮肉屋で冷静を取り繕った以前の姿を見せてほしくもある。


「………」


 ダーリャは、窓の外の葬列に両手を組み合わせて祈りを捧げていた。

 鐘の音で王家に訃報があったのは知っていただろうが、それを国王とは思わなかったのだろう。表情は悲痛で、細く開かれた瞼が何度も瞬きを繰り返す。

 かつて長く仕えた主が、物言わぬ肉塊となった。もしダーリャが騎士隊長の座に残っていれば、葬儀を執り行うのは彼の役割だったろう。

 忠誠を誓い下される命令を遂行したにも関わらず、最早主の葬儀に参列する事も出来ない。その胸にある感情は、郷愁か無念か。


「あーあ……。本当に陛下が亡くなったのかぁ。これで本当にアールリト姫が女王に即位されるってなったら、私も本当に騎士辞めようかな」


 ミシェサーは葬列が見える窓の下の壁に背を付け、床に腰を下ろしている。

 片足は胡坐、片足は膝を立てて腕を乗せ、世間一般の品の有る女性ならそう座らないだろうという姿で天井を見上げていた。


「ん? お前、勲章返上するつもりなのか。城に居る男共にはもう飽きたか?」

「まだ飽きては無いですけど……私、陛下もだけど副隊長に特にお世話になったんですよ。ソルビット様ももう居ないし、貴方が城に居るから今まで我慢してたけど、副隊長が王位を継承しないこの国に義理はないですもの。貴方のお側でこれからも、適当に男性引っ掛けて遊びたい。……それに」


 俯いて目に痛い桃色の髪を掻き上げたミシェサー。珍しく表情が憂いている。


「姫は……私より年下なのに、これからとってもお辛い立場に立たされる。私が城に居たら、そのお辛い思いをさせる側に回ってしまいます。私は辛い思いをしたくないから逃げて、勘当されて、それでも今がこれまでで一番楽しいのに……あの方は、それさえ出来ない」

「王家に名を連ねる以上、逃げ出す事なんて出来ないさ。俺だって逃げ出せるなら、十五歳の夜に逃げ出していた。俺にはなんとか、外にも生きられる場所があった。けれどリトはもう、何処にも逃げられはしないんだ」

「逃げられぬ?」


 血の繋がらない妹を案じるヴァリンの言葉に、指定席に居たディルが一番先に反応した。他の面々は話を横から聞いているだけだ。


「姫には、婚約者がいなかったか」

「あんなの、お前が城追放された暫く後に解消になったよ。俺がこんなになったし……婚約期間も短かったから傷が浅くて済んだだろうが、それでも随分泣いていた。互いに好き合っての婚約だったから」

「解消になった? ……既にもう無い話なのか」

「だから、リトが王位に就いたら次は結婚相手探しだろうな。年齢近くて、婿に取られてくれて、自国でも他国でも地位が高くて、身元がしっかりしている相手で、この国に縛られてくれる馬鹿。ま、王妃の理想と合致する相手がそう簡単に見つかるとも思えないが」

「……」


 ディルの沈黙をこれ以上の話題無しと感じ取ったヴァリンは、再び窓の外を見遣った。それから時間は掛かったが、葬列の中に棺のようなものを運ぶ騎士達の姿が見える。その棺の周辺に居ながら、棺運びに手を貸さない姿があるのも同時に気付く。

 白銀の全身鎧と兜に豪奢な羽飾りをつけた騎士団長の姿は、ディルも見覚えがあるから分かった。黒と濃緑の儀式服を着込んだエンダの姿も近くにある。しかしそれらと近い位置に、神父服を纏って参列が許されている者が見えて来た。

 頭には服と同じ暗色の頭巾を被っているが、赤茶の髪が僅かに覗いている。他の隊長格と比べれば身長はそこまで高くなく、若い。


「……カリオンとエンダは良いとして、誰か分からぬ者が居るな」

「あー。『月』はフュンフが病に伏しているからだろうが、副隊長が隊長の場所にいるんだな。エイラス、って言ったか。昔のお前ほどじゃないが、愛想無いし娯楽に付き合わんしつまらん奴だ」

「エイラス……? 覚えの無い名前だ」

「お前、自隊の奴でも下っ端は殆ど名前覚えてなかったじゃないか。その記憶力は当てにならないんだよ」


 エイラス、の名前を聞いてミシェサーが窓にひょっこりと顔を出す。ほへぇ、と気の抜けた声を漏らしながらも、現『月』副隊長から視線を逸らさなかった。その視線は普段の好色に染まってはいない。


「今回の葬儀、フュンフが無理なら神殿仕えの神官長が出るだろうな」

「……神殿の者共は我は好かん。武器も持たずのうのうと城下に引っ込んでいた弱者だ」

「お前が強いからって、皆が皆戦える訳じゃないんだぞ。……あっちの神官共ももう見せ場がないんだ、少しくらい分けてやれ」


 二人の間で交わされているのは城仕えなら分かる冗談のひとつのようなものだったが、それが分からないアルカネットとアクエリアは顔を見合わせ首を捻っている。

 ミシェサーもダーリャも苦笑いを浮かべるだけで、二人の話に割って入る気配は無い。


「……さて」


 そんな冗談も程々に、ディルが立ち上がり窓際に寄る。窓から数歩離れた場所で、流れるように道を行く騎士達に視線を向けた。


「貴賤問わず、命尽きた相手に我々の行う事は一つ。……其れが、此の酒場と無関係で無い、此の国の王と成れば尚の事」


 騎士達は、建物の中にまで気を払わないし視線さえ向けない。

 それでいい。

 ディルが踵を揃え、その場で胸に腕を当てる敬礼の姿を取った。続いて、ヴァリンと立ち上がったミシェサー、ダーリャも同じ体勢を取る。

 揃った靴音が、酒場に響いた。


「葬送の言葉は省略させて頂く。後から、相応の立場の者が宣うであろう」


 背筋を伸ばし、葬列に視線を向けたまま。

 騎士が一人窓の向こうから消えて、また別の騎士が逆側から現れて。

 延々続くその葬列の最後の一人が見えなくなるまで、四人は動かず、一言も発しなかった。

 付き合う理由も義理も無いのに、アルカネットとアクエリアは自室に戻らない。

 四人が忠誠を捧げた先が、木製の箱に収まってしまう。

 見知らぬ誰かに使われてばかりだった二人が、その『誰か』が自分より先に死ぬという現象に奇妙な感覚を受けていた。これでこの酒場に掛けられた鎖が解ければいいのに、きっとそうはならない。

 この葬列に参加している騎士の中で、本気で王の死を悼んでいる者は何人居るのだろうか。死後も虚飾で出来ているような権威が、今は酷く寒々しく感じる。


「……アクエリア」

「はい」

「俺が死ぬ時、お前葬儀に参列してくれるか? お前、俺よりも長く生きるんだろ」

「……何を言うかと思えば」


 気怠げな――否、実際怠いであろう――ダークエルフは、アルカネットの言葉を一笑に付した。


「ちゃんと死ぬ前に死ぬって言って貰わないと困りますよ。その時は満足に笑いながら死ぬんですよ。後悔に顔を歪ませた人の葬儀には参列しませんから」


 死ぬ時は笑って死ね。

 それが本当に出来たとしたら、どんなに良いか。

 アルカネットの死がいつになるかは分からない。一年後か、十年後か、それとも天寿を全うできるのか。

 実際昨日死にかけた。明日死ぬとしても不思議ではない、この国で。

 曖昧な輪郭しか見せない未来に約束できる筈も無く、アルカネットも肩を一度だけ揺らすだけの笑いで濁して会話は終わった。


「……」


 話し声は、四人の元にも届いていた。

 ヴァリンの敬礼する腕が下がりかけて、それを必死で持ち上げる。唇を引き締め視線を葬列へ向け続けるヴァリンの瞳には、決して流れ落ちない涙が浮かんでいた。

 それは父を喪った子の涙か。

 それとも、葬列に並ばない選択をした謝罪の涙か。

 静まり返った酒場の中でも、涙が溜まる音は聞こえない。


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