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 巨大な蔦の柱が二つに斬り分けられて崩れ去る轟音轟く中、ディルは華麗に宙返りをして体勢を整えながら身を丸めて着地した。靴底が地を抉り、踏みつける音が鳴る。

 その音が、細身のその男から出るような音にとても思えなくてアルカネットが今を現実かどうか疑っている。

 登場の仕方からして派手だった。その派手さに違わぬ攻撃力で、一瞬のように感じた時間で圧勝した。

 これは自分のが願望が見せた夢か。助かりたいと思っていたことと、ディルなら確実にこの化け物を倒せると信じていた自分が死の間際に見た幻想なのかと疑って、アルカネットは何度も自分の手で開いたり閉じたりを繰り返している。


「……汝が苦戦していたのは、あれだけか」

「………」


 聞こえる声も不遜な態度も、ああ、やっぱりディルだ。

 アルカネットが己の命が助かったのだと理解すると同時、膝から崩れ落ちる。


「アルカネット」

「……んだよ、お前……。なんだよ、さっきの」


 大剣を握ってもいられない。掌が勝手に取り落としたそれは、近付いて来たディルが回収した。

 アルカネットだって両手で振るわないとまともに扱えないのに、ディルは片手で彼の鞘に仕舞い込む。

 注意を引き付けてやってたんだ、だから、俺だって同じ立場なら。

 憎まれ口は即座に湧いてきた。でも、口にしなかった。

 もしアルカネットがディルと同じような登場が出来たとて――まぁそれも土台無理な話だが――あのように風穴を空けつつ剣の一振りで両断するなんて、絶対に出来ない。


「其処な男は、急ぎで医者の元へ担ぎ込まなくて良いのかえ」

「……ああ、いや、急ぎ……たい」


 アルカネットが疲労困憊なのは分かっている。けれど救うと決めたなら、治療できる者の元へと運ばねば終わりにならない。

 しかし急ぎたいと言う口ばかりは動けどディルが靴の爪先でアルカネットの膝を小突いても、彼は暫く動けそうにも無かった。

 肝心の患者は、気を失っているようだ。血塗れの砂塗れで、それでも呼吸があるようで胸元が動いている。


「アクエリア」

「はいはい」


 名を呼べば、見物人を気取っていた男は軽い足音ですぐに地へと下りて来る。ダークエルフの姿のままなので、アルカネットが一瞬誰か判別できずに驚いた。

 アクエリアは何も聞かず、薄っぺらい笑顔のまま、アルカネットの部下を肩に担いだ。アクエリア自体も筋肉質ではないのに、軽々と片側の肩に乗せている。


「あー、ディルさん担いだ後だと軽く感じますね。このまま詰所に送ってもいいですけど、どこに送ります?」

「ジャスミンが治療できるであろ。早く行け」

「了解」


 言うが早いか、アクエリアは一度の跳躍のまま空を飛んで行ってしまった。あっという間に姿が豆粒よりも小さくなって、建物の向こうに消えていく。


「……あいつ……、何……? なんで……髪……肌……?」

「アクエリアはダークエルフだ。エイスの弟だから当然だな」

「……ああ、……そっか、……いや、そうだったな……」


 情報としては知っている。しかし、実物を見るのは初めてだ。

 酒場で、ディル達を相手に「俺の兄の店」と何度か喚いていたのを思い出す。最初は何の話かと思っていたら、アルカネットの育ての親であるエイスと実の兄弟だと後から知った。

 そんな肌の白いダークエルフがいるか、と考えた事もあったが、あれが彼の正体であるとしたなら全てに納得がいく。

 そんなアクエリアが、ディルにもアルカネットにも信用のおけるジャスミンの元へ部下を運んだ。次は、アルカネットの番だ。


「立て」

「……ああ」

「早くせぬか」

「立ちたいのは……山々なんだが。……結構、俺も、限界……来てんだよ」


 命の危険が去って、気が抜けて。でも殺された仲間の姿を目の前で見てしまって。

 アルカネットの膝は、他人の物であるかのように言う事を聞かない。手の指先まで震えが来ていて、ディルから何をされても動けない。

 情けない、と一蹴される未来まで予想出来ていた。


「……仕方ない」


 予想と反してディルは、アルカネットの側で身を屈めた。アルカネットの脇の下に手を入れると、大の男の体重などものともしないかのように立ち上がる。


「汝を幼児が如く抱える気は無い。意識が有るのなら自分の足で歩け」

「……手厳しい、な」

「此の程度。妻であれば、汝の尻を蹴り上げてでも歩かせたであろうな」

「……違いない」


 足を動かすのも苦痛だ。けれどディルは分かっているうえで、それさえ構わずにアルカネットを引きずった。高い靴ではないが、地に汚れて削れる靴の先が惜しくなるアルカネット。

 それでも、アルカネットを伴って帰ろうとするのがディルの優しさなのだ。


「――だが、汝は善くやった」


 言葉に出来る最低限を、彼は不器用に伝えて来る。

 少し前まであれだけ帰りたくないと思っていた酒場までの道程が、この日は遠く思えて焦れてしまっているのにも気付いている。




 怪我と疲労で満身創痍なアルカネットを連れて酒場に戻ったのは、夜明けまでそんなに時間が無い、空が白み始める頃だった。

 夜明け前では街の混乱も小波のように引いている。ただ、街の至る所に避難民のような姿があった。

 三番街では、避難所のように気の利いた場所がない。だから、どこかの軒先で寒さを凌ぐしかない。


「……」


 アルカネットは今も引きずられている。時折舟を漕ぐようにうつらうつらしている時間も多かったが、酒場が見えると安堵の溜息を吐いた。

 表から堂々と、避難民を無視して帰る事も出来ずに店の裏手に回る。出てきた時と同じように、厨房に通じる裏口から中に入った。鍵は開いている。


「……っと、やっと帰って来た……」

「汝が其の調子ならば仕方あるまい。次は捨て置く」

「次なんてあって堪るかよ……ああ、もう、俺無理」


 今度こそ、もう無理だと脱力したアルカネット。手近な休憩用の椅子に這って近づくと、座面に手を置いて縋り付き不動を貫こうとする。

 かといって、これで終わりでもない。部下の男も相当な深手だったが。アルカネットだって傷だらけだ。一度はジャスミンに診せておいた方が良い。

 ジャスミンを呼びに行くか。そう考えている最中に、ばたばたと忙しない足音が耳に届いた。


「マスター!! アルカネット……は、……」


 飛び込むように厨房まで来たミュゼが、二人の姿を視認すると同時に状況に目を丸くする。

 疲弊して帰るだろうと思っていたらディルはぴんぴんしているように見え、アルカネットは薄汚れて血も滲む姿で困憊していた。


「……無事、みたいだね。良かったぁ……」

「ふん、何の為の救援だ。無事でなければ意味が無い」

「うし、マスターは元気だね。軽食作ってあるから食べなよ。……アルカネットは? 食べられそう?」

「いや、俺は……後でいい……。それよりも、あいつは……」

「アイツって……ああ、アクエリアが運んできた奴の事? ちょっと骨の整復に時間がかかったみたいだけど、早くに回収できたからだろうね。命にすぐ関る状況でもなくて、足の切断とかも今は大丈夫だろうってさ。あとは破傷風にならないか気を付けなきゃいけないから、意識が戻ったらこの酒場より病院に送った方がいいって判断だよ」


 アルカネットにとって、一番優先したいのはそちらの話だ。命に別状はないと聞いて、安堵に因る溜息が再び漏れる。


「……じゃあ、詰め所にも……報告、行かないと」

「アクエリアが行ってるよ、大丈夫。休んでていいよ」

「……そ……っか……。そっかぁ……」


 心配が全て解消された。アルカネットは頷きながら、ゆっくりと目を閉じる。感謝はしていても、疲労感はそれを口に出す事を許さない。

 もう今は大丈夫。心配いらない。その安心感は、眠りに引き込むには充分だった。


「ちょ、アルカネット……!?」

「死んではいない。大丈夫だ」

「……寝るなら自分の部屋でさぁ……。はー、でも本当無事で安心したよ」

「其の件だが」


 アルカネットはこのままジャスミンを連れて来るまで放っておく。目下の問題は、三番街の境で見たあの化け物だ。

 ヴァリンが前から言っていた、不吉な予言が現実となって来ている。


「アールヴァリンは何処に居る?」

「え。……今は自分の部屋で、ミシェサーからの連絡待ちだったと思うけど」

「直ぐに、下りて来るよう伝えよ。ジャスミンにもだ」

「う……うん。どうしたの、急ぎ?」

「急ぎだ。ジャスミンは、手が空き次第と言えばいい」


 それだけ伝えると、ミュゼは踵を返す。急ぎだと伝えれば、例えヴァリンが渋っても彼女は無理矢理一階に下ろすだろう。

 ジャスミンの治療が何処まで進んでいるかも分からないが、次に治療を受けさせるべきアルカネットの今の様子では焦る必要は無さそうだ。

 今急いでも間に合わないかもしれない。

 既にもう、二番街は消失してしまっていた。


 アルカネットが言った。

 『次の餌場って訳か』

 ヴァリンが言った。

 『侵食が始まったな』


 プロフェス・ヒュムネの侵食は、ずっと前から行われている。

 二番街が陥落した後は、次は彼らは何処を、何を目指すのか。

 生半可な事では、あの復讐の化身は止まらないだろう。その復讐の矛先が、どうやったら止まるかも考えなければならない。


「………」


 こんな時――妻がもし自分の立場だったら、如何しただろうか。

 けらっと笑って、後先考えず、「そんじゃ、王城乗り込もうか」なんて言ったかも知れない。そして同じ口がきっと言うのだ。「ディルがアタシの傍に居てくれるなら大丈夫だよ」と。

 守るべきものを守るために自らを顧みない女だった。振り返らなくとも、彼女には味方が憎まれ口を叩きながら従った。

 彼女の無謀が齎した結果が、今のディルの姿だ。

 どれだけ考えても、あんな阿呆と同じ行動は取れそうもないし取る気も無い。何度だって妻を阿呆と呼ぶ自分にディルは自嘲を浮かべかけるが、うまく笑えなかった。


 あんな阿呆でも、たった一人の――最愛の妻だ。


 彼女を取り返すために力を貸してくれる者は、一人や二人ではない。

 一人で考えていても、最良の案は浮かばないだろう。

 ディルはまず、自分がこの目で見た悪夢のような情景を説明するための語彙を脳内で探し始めた。

 

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