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 ダーリャが応接室に戻っても、ディルとジャスミンはまだ診察中らしく居なかった。

 ミュゼは紅茶のお代わりを優雅に飲んでいる。ダーリャがソファに座ると、新しい紅茶が運ばれて来た。

 精神的な問題か、紅茶の味があまり分からない。香りは良いのだが、口に含んでも特有の味が感じられなくてダーリャが眉を顰める。それに気付いたミュゼも、何があったのかそれとなく探る。


「……どうしたんです?」

「え……? いや、……別に、ミョゾティスさんに聞かせる程の事では……」

「ミュゼ、で結構ですよ。私をその名で呼ぶのは、何回もミュゼと呼べと言ってるのに聞かないマスターだけですし」

「……彼はいつもそうです」


 ダーリャが纏っている空気が重い。でも、何があったのか深く聞くつもりもない。

 彼の『今』には興味が無かった。興味があるのは、ディルと関わっていた時間の方。

 今これ以上、酒場との接点を作られても邪魔になるだけというのはミュゼだって同じ意見だ。それでも彼を泊める事を肯定したのは、ミュゼにとっての育ての親以外に失われて久しい『家族』というものを感じたかったから。

 身勝手だとは分かっている。『おじいちゃん』と呼ばれて悪い気はしなかったダーリャに付け込んでいる。それでも、血が繋がっていなくとも、自分を形作る遠縁のひとりと接する機会は今しかなかった。


「……年を、感じておりましてな」

「年? まさか、マスター達に色々言われた事を気にして?」

「いやいや、実際彼等から見れば、私は一線を退いた年寄りですから。……ですが、子供に対する勘まで鈍ってしまっては、老いを自覚せずにいられない」


 何やら言い淀むダーリャに、ミュゼは耳を傾けつつ紅茶を飲むだけ。彼は彼なりに考えることがあって、その部位に触れない。

 ディルやアクエリアにも感じていた、生きている時間の違いが、ダーリャにはより顕著に感じてしまう。


「ミュゼさん。……貴女には、この国がどう見えていますか?」

「……国? アルセン王国について、でしょうか」

「そうです。……私がいなかった年月、だいぶ様変わりしてしまったように感じまして」


 俯いたダーリャからは、自信すら失われている気がした。好々爺といった笑みが、今は虚しさで掻き消されている。


「この国は、城下は。どこか不自然になりました。活気は表面上のもので、誰も彼も疲れた顔をしている。そう感じるのは、私が王城を離れたからでしょうか? 老いたからでしょうか? お若い貴女の目には、城下も、私も。どう見えているのでしょうね」

「……私のような若輩に、意見を求めるなんて……。確かに、お疲れのようですね?」


 カップを置いたミュゼは、ダーリャの問いに返せる答えを持っていない。

 ミュゼの知る今のアルセンは、たった二年程度しか知らないのだ。

 生まれて長い時間を過ごしてきた方は、今の姿よりももっと酷い。

 今からミュゼの生きた世界に繋がるこの国の姿は、未来程荒廃していないからマシだろう――。そんな冷たい感想しか出てこない。そして、それをそのまま口にすることも出来ない。


「……正直、よく、分かりませんね。私が孤児となった原因が起きたのは、間違いなくこの国ですし。マスターの奥様があんな事になったのも、この国に生きたからでしょう。全部が全部、国のせいだなんて言えないけれど……それでも、今を必死に生きている人達が、その必死さを不自然と言われるのなら。……その理由がある筈でしょうね」

「……不自然の理由……とは?」

「さあ? そうお考えなら、おじいちゃんしか見つけられないんじゃないでしょうか」


 ミュゼが当たり障りのない言葉と微笑みで誤魔化すと、ダーリャもまた紅茶で口を湿らせた。

 互いに、既に腹の探り合いになっている気がしている。

 ミュゼは笑顔だが、ディルを話題にしたダーリャとの会話には食いつくが、それ以外には薄い笑顔を浮かべたままで底の浅い話しかしない。

 ダーリャも、ミュゼの酒場での立場を量りかねて話題を選んでいる。無理だなんだと言いながら、あれほどまでにディルと距離が近いなど、彼の性格を知っていれば有り得ないと分かるから。


「……ミュゼさん。貴女は、あの酒場に『所属』しているのですよね?」

「………」


 ミュゼは笑顔のまま、言葉で否定も肯定もしない。外でその話をそうだと分かるようにするほど馬鹿じゃない。

 でも、ダーリャはこの場所が今でも自分の領域であるかのように振舞っている。今残っている職員も、ディルを筆頭にした酒場に住む者達の裏の顔は知っている筈で。だから、ダーリャは気にしなかった。


「裏を通してこの国を見ている貴方なら、私の言った事に理解を示して頂けると思いました。この国は今、どうなっているのです。何故アールヴァリン殿下が酒場に身を寄せる事になったのか、それすらも私は――」

「ダーリャ様」


 ダーリャが連ねる言葉は、ミュゼの掌ひとつで押し返されてしまう。

 それまでの呼び方から変わって名前に敬称をつけられたことと、突き出すように出してみせた掌は、拒否の意思だ。既にミュゼは笑っていない。


「それから先の御言葉は、『外』で言うには不都合がありすぎます。そして貴方は最早部外者。私達が何を知っていようと、マスターが何を考えていようと、ヴァリンが何を企んでいようと。それは私達の間でのみ語ることを許されて、貴方の入る余地は無い」

「………」

「確かに貴方は老いたのでしょう。もう、この場所の主は貴方でなくフュンフ様です。フュンフ様が居ない場所では、誰に聞かれても不都合がない話だけをしなければならないのに、それをお忘れですか」


 言葉を、失った。

 孤児院から見て部外者である事実は忘れたつもりはなかった。けれど、酒場の部外者であることを当然とし過ぎた。

 自分と関りが少ない話だからと、慣れ親しんだ場所で不利益を考えずに漏らしてしまった。首を振って周囲を確認すると、酒場の話を知っている者しか居なくて胸を撫で下ろす。

 老いのせいだけとは言えなかった。話し相手になってくれるミュゼが、あまりにも話し易かった。ディルもヴァリンも冷たく扱ってくる状態で、腹の探り合いであろうと若い話し相手という存在に甘えていたのだ。


「……申し訳、ありません。つい、昔の考えのままで」

「ここがフュンフ様の取り纏める孤児院であるから良かったものの……そうでなければ私ではどうしようもありませんでしたよ?」


 ミュゼが可憐な女性に見えても、内面は王家が手綱を握る暗部の一員だ。笑顔が消えると、持ち前の美貌と相俟って酷薄な印象を強く受ける。

 ダーリャに向かってきっぱりと物を言えるくらいには胆が据わっている。荷物を掠め取られてまごついていたジャスミンとは比べ物にならないくらいだ。そんなミュゼに悪印象を抱かれるのは得策でないと、ダーリャは考え直す。


「……すみませんでした」

「まぁ、もうお気になさらず。あの二人が居なくて良かっ――あら」


 その時、扉が開く。

 入ってきたのはディルとジャスミンだ。ジャスミンの荷物をディルが持っていて、ジャスミンの表情は浮かない。

 また荷物をふんだくられでもしたのかな、と思ったミュゼは特に気にしない事にする。隣に座る医者の表情が浮かないままでも。


「……フュンフの様子は、未だ良くない。今日は酒場に戻り、また後日ジャスミンが経過を看に来る手筈になった」

「なんと……。そこまで病状が思わしくないと? 治るのですか」

「あ……、はい。ですが、こんな状況になった今でも仕事をしていらっしゃるようで……。推奨できる環境に無いのですが、責任を盾に押し切られてしまいました。それさえ無ければ、養生していただけたらいいと思うんですけど」


 ダーリャは、目の前の気の弱そうな医者が堅物のフュンフに押し切られるのは仕方ないと感じた。

 しかしディルは知っている。既にいつもの調子に戻っているジャスミンが、養生の話になるとフュンフさえ怖気づくほどの剣幕で体調管理について捲し立てた事を。結局は立場と責任の重さを説かれて、無理のない範囲でと頼み込まれやっとジャスミンも納得したのだが。

 最悪泊まり込んで看病するつもりでした、と苦笑するジャスミンに、フュンフは無言で冷や汗をかいていた。


「それで、処方した薬はお渡ししたのですが……それとは別に痛み止めや解熱剤も一緒に処方したので、今回の病状専用の薬の材料が無くなってしまいました」

「……その割には、荷物の嵩が減っている気がしないのですが?」

「他の病気の場合を想定して、ありったけの材料を入れて来たので……お手数ですが帰りも運んでいただけますか?」


 ディルは問答無用で座っているダーリャの膝の上に荷物を載せた。どっしりとした重みは、ここまで来る時と大差ない。

 ジャスミンも、一回荷物を持った相手に対して抵抗がなくなったようで素直に頼んでいる。人を頼る事を漸く覚えたようで、男性不信であった彼女にとってはいい兆候ではあるのだが。


「荷物持ちとして来ておりますからな。その程度、お安い御用です」


 ディルの態度はさておき、ダーリャは快諾に至る。

 用は済んだ、とばかりにディルは部屋を出る。それに続いて、三人も出て行った。




 酒場への帰り道の途中で、ダーリャがディルに声を掛ける。

 最初は面倒そうに視線を向けていたディルだが、孤児院の事で、と前置きされると耳を傾けずにはいられなかった。


「一人の女の子が、月に祈っていました。フュンフの体調が良くなりますように、と」

「……そうか」

「不思議な子でしてな。貴方の奥方に、似ている気がしました。ミュゼさんといい、こんなに美しい顔はそう無い筈なのに不思議ですね」


 ミュゼは、二人の会話を聞きながら嫌な予感を覚えたのを隠し切れなかった。

 ダーリャがエデンと顔を合わせたという意味の言葉に、秋の夜の気温に反して冷や汗が流れる。


「……ふん。例え我が妻と似ていたとて、妻では無い」

「そうですね。私も分かっているのですが……そうそう、その子供は双子だったようです」

「双子?」


 ディルが聞き返す。

 ミュゼの顔が引き攣った。

 けれどダーリャの言葉を今更制止させる事も出来ないし、ディルの疑問は途中で遮られたら彼は怒るだろう。

 どうしようも出来ず、目の前で話される言葉に耳を傾けるしか出来ない。


「……双子、と言ったか」


 ディルは、ミュゼの口から『ディルの子供は双子の姉妹である』という話を聞いていた。

 何か自分に関連していそうな話の予感がして、問い返す。


「ええ。月に祈っていた子を姉と呼んでいたから姉と弟でしたかな。まだ小さい、四歳くらいの双子でした」

「……姉弟?」


 目に見えて、ディルが落胆する。といっても彼の心情を理解していないと、態度はさして気にならない程度にしか外に出ない。

 姉と弟、と聞いてミュゼが首を捻った。エデンはともかく、オードも女の子だ。確かに、ミュゼの記憶の中でも男の子として見ればそう見えなくもない格好と髪型をしていたが。

 ミュゼの都合の良いように勘違いしてくれたのだろう。ディルと出会った当初ならいざ知らず、ディルに双子の話をしようとして消えかけてしまったミュゼは安堵に息を深く吐いた。


「弟の方は貴方に似ていた気もしましたよ」

「ふん、此の顔など珍しくないのであろ。我に妻に話せぬ後ろ暗い心当たりなど無い」


 ディルのような人形めいた美貌がわんさと湧いていたなら、それはそれで怖い話ではある。

 ジャスミンはディルの発言にそう思いながら、話には加わらず耳を傾けるだけ。


「フュンフも、良き施設長として勤めているようですな。安心しました」

「ふん」

「……」


 ディルは相変わらず素っ気ない。ダーリャも心情は少し落ち着いたようで、柔和な笑顔を浮かべている。

 酒場までの帰路の途中、それ以上の話題は出なかった。




 

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