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夕暮れ時の食料品店は閉まっている場所が多く、辛うじて開いていた店に滑り込んで色々買いこんで来た酒場の面々。
夕食を後回しにしてまで買い漁った戦利品を、酒場一階の台を繋げて広げる。まるで露店のような光景だった。
その頃には、幸い街の被害が少なかったようで早々に帰宅できたアルカネットも帰ってきている。しかしダーリャを連れ帰った罪により、ディルに部屋の隅で詰められていた。身長の然程変わらない二人だが、実力差ははっきりしているので義弟の背はみるみる丸まっていく。
「買えたのはこれだけでした。でも、どうしていきなり買い足せなんて」
売れ残りの野菜や肉や魚といった生鮮食品から保存食、生活用品に床に置いた薪まで様々だ。ジャスミンが几帳面に並べ、ミュゼはそれらを在庫として店の管理帳簿に記入していく。
使いっ走りのように駆り出されたヴァリンも、帰って来てからは椅子に座って足を組み、買い足された一覧を眺めていた。
「まぁ、城門封鎖って話が出ててこれだけ買えたのは僥倖かも知れんな」
「と言うと?」
「暫く外からの入荷が無いってことだ。いつ封鎖解除されるかも分からん、その状態で、酒場の面々を養う程の蓄えは必要だからな。城下内で確保できる食料には限界があるし、もうじき冬が来る。冬の食糧事情については、お前らだって分かるだろ」
アクエリアはまだ理解が及ばない顔をしている。城下に住む者達は少ない訳でなし、いつまでも封鎖している訳でもないだろうと考えていた。
そうでないのを知っているのは、今酒場に居る中でも二人だけ。
「……城門が封鎖された前例は、数える程度しかありません」
ダーリャが口を開く。国に仕えた期間が長く、封鎖された時のことを、騎士としてよく知っていたから。
「先代国王陛下の崩御。現国王陛下の伴侶であらせられた王妃殿下の崩御。当時は、半月ほど閉じられていましたな。陛下のご子息やご息女が生まれた時も数日閉鎖されていましたが、崩御の時の比ではありません」
「崩御って……そんなに、長く?」
「表向きは亡き方々への追悼の時間を持つ為とのことでした。その二度とも、冬を越えた時期でしたので食料に困ることはありませんでしたが、今は少し厳しいかも知れませんな……。ですが、王家の皆々様も食料が無いと困るでしょうし、長く閉ざしたままだということは無いでしょう」
「……そうだな。食料が無ければ奴等も困るだろうな」
楽観視しているダーリャを冷たい視線で見ているのはヴァリンだった。
「何でも食べる悪食の化け物が、俺達ヒューマン様みたいに選り好みしなかったら困らないだろうが」
「……殿下? それは、一体何の話で」
「聞き返すな。お前に講釈垂れてやる時間は無いんだよ」
ディルだけでなくヴァリンまで当たりがきつい。
ダーリャも自分が国に置いたまま出て行った問題が、いつか知られるとは思っていた。それが二人の心象を更に悪くしているのだと思って口を閉じる。
ヴァリンにとってはダーリャはただの邪魔者としか思ってなくて、ディルの態度を模倣しているだけなのだが。
「ディル、どうする? これで足りると思うか」
話を向けられたディルが、アルカネットを詰めるのを中断して振り返る。
その体の向こうに見えるアルカネットの姿は、肉体的な損傷は見えないが精神的にだいぶ参っているようだった。小声で静かにキレているディルの怒りは、大声を出している時とはまた違う恐怖を感じる。
「……我には分からぬ。料理は我の領分外だ、一日にどの程度の食材が必要になるかも分からぬ」
「じゃあ質問を変えよう。封鎖解除まで何日掛かると思う?」
「其れに関しては、汝の予想の方が正しいのでは無いかえ?」
「……だよな」
話はそれで打ち切られ、ディルの矛先はまたアルカネットへと向かう。「もう勘弁してくれよぉ……」と弱々しい悲鳴が聞こえるが、自業自得の結果なので誰も助けない。とばっちりを受けるのも怖い。
ディルとヴァリンの事はダーリャは子供の時から知っているが、知らないうちに大人の男の顔をする事に、時間に置いて行かれたような気がしていた。同時に、自分の身勝手も悟る。置いていったのは自分の方なのに。
「だいたい、一日三食用意するとして……六人で毎日食べるとしたら、半月は無理ですね。今は夜食も用意していたので、それを削っても難しいかもしれません。笠増ししても十日くらいですか……」
深刻な顔をして話していたので、厨房の事を少しは理解しているジャスミンが意見を出した。ミュゼもアクエリアも同意見なようで、二人とも頷いている。
「夜食を無くすにしても、三食を節約したら駄目だと思うしな。ちゃんと食べておかないと体力が持たない」
「そもそも、俺はあんな城壁くらい楽に飛び越えられるので外からの食料調達は簡単ですよ? 最悪の状況は考えなくても大丈夫だと思うのですが」
「いや」
ヴァリンは顎に手を当てて、食料品を見ながら考え事をしていた。調理や調達は門外漢だが、国の事に関しては誰よりも理解がある。
「お前がどんな方法を使ったとしても、城壁を飛び越えたら目立つだろ。目立った場合、この酒場に対する疑いの目が強くなる。今は何としても、俺達に疑惑の目を向けさせる訳にはいかない」
「……面倒臭いですねぇ」
「お前のミュゼの為だろ我慢しろ」
「貴方、ミュゼの名前出したら俺がほいほい言う事聞くって思いません? 我慢しますけど」
伊達に長い時間、国の中枢にいた訳ではない。今はヴァリンの知識と存在自体が、ディルの目的を果たそうとするこの酒場の生命線だ。アクエリアも分かっていて、ヴァリンの気を害する言い方はしない。
自分一人蚊帳の外になっていても、ダーリャは客席に残り続けた。この酒場の面々が何の相談をしているか分からないし、誰も血眼になる程追い払ってきたりしないから。
城門封鎖、必需品調達、『化け物』。途切れ途切れの言葉で、ダーリャがこれだと判断できるものは少ない。今朝方地震があっても、昼には誰も彼も忘れたような顔をしていた。逞しいのか、危機感がないのかの判断は微妙な所だ。
「でも、封鎖って前以て周知とかさせないんですか? 俺達からしたらかなり迷惑な話ですよね」
「させないさせない。……城下に通達して、他国の情報屋が紛れ込んでたら他の国に話を売り出してしまう。国の混乱に乗じて、急ぎの処理が必要な無理難題吹っ掛けて来る奴等もいるからな。封鎖期間はこっちの国の混乱を落ち着かせるためのものだ」
「……今回、その『混乱を落ち着かせる期間』が本当にそれだけって訳じゃない可能性もあるからですか。本当、ヒューマンというのは寿命が短い割に悪知恵が働いて嫌ですねぇ」
ヴァリンは薄く奇妙な笑みを浮かべながら、アクエリアに頷いて見せた。
交渉役を公言しているが、彼が国に対する知識の浅さは諜報部隊を束ねる騎士隊『風』所属だから感じていた。同時に、この男に政治の勉強をさせたら更に化けるのではないかとも思う。素質はあるだろう。
その上、他種族は自分達同族以外との交流を好まない節があるが、アクエリアはそうじゃない。身内に引き入れておけたなら、国に貢献してくれる人物になったかも知れない。……今更、もう遅いけれど。
「なあ、アクエリア」
「……何ですか。その顔、良からぬ事を企んでる顔ですね」
「俺さ、お前のこと結構評価してると思う。その評価が正しいなら、俺の知ってる色々をお前に教えたいと考えてるんだがどうだろう。今なら授業料無料でどうだ?」
「お断りします。今更、俺は面倒臭い『色々』とやらに首を突っ込みたくはない。ミュゼと過ごす時間をこれ以上削らないでください」
「え? 私は良いと思うけど」
帳簿に書きつけ終えたミュゼは卓にそれを置いて、軽く伸びをして答える。勧誘されている恋人の面倒など知らない顔で、その瞳は逆に今の状況を楽しんでいるようだった。
「それに――、アクエリアが色々ヴァリンから教えて貰ったら、私も間接的にその恩恵に与れそうだしね?」
「ミュゼ……。貴女ねぇ、ヴァリンさんから教わるもので貴女に益になるような話があると本気で思ってるんですか」
「あ? 俺は閨教育なんぞしないぞ。男相手も女相手も御免だな、そういうの知りたかったらミシェサーに頼め」
「え? は? そっち? そういうやつ? やだ、そういうのは私も嫌だ」
ディルは横から聞きながら、頃合いを見てアルカネットを解放する。しおしおになったアルカネットは手近な椅子に座って疲労感を露わにしていた。
ミュゼの言わんとしている事を、ディルだけは分かっている。未来に存在する『エクリィ・カドラー』は、これから百年の先へと至るまでにあらゆる知識を吸収したアクエリアの姿だ。その知識を分け与えられて育ったミュゼだから、知識は多い方がいいと考えているのだろう。
それが本当に良い事かは、ディルには分からない。エクリィがどういう意図で知識を身に付けたのかは今の所謎だから。
「……無理強いすることはあるまい」
助け舟を出したのは、ミュゼにも焚きつけられるアクエリアが哀れだったから。
好いた女にも味方して貰えないのは辛いだろう、という自分の記憶に照らし合わせた感情だったが。
意外そうにしているのはヴァリン。それからダーリャだ。育ての親を自称する老紳士の驚きようと言ったら、それこそディルに妻が居ると知った時と同じくらいだった。
「……ディル、貴方、そんな事も言えるようになったのですね……」
「くどい」
「やはり私と少し話しましょう。貴方にその言葉を選ばせるようになったのはやはり貴方の奥方となった――」
「………こんな感じの育ての親御さんがいて、どうしてこう育ったんだろうねマスターは……?」
心底不思議そうに二人を見ているミュゼ。ヴァリンがそれを聞いて鼻で笑った。
「この年代の男ってのは大体皆こんな感じだ。話も聞かないし自己解釈のまま突っ走る。だから俺はダーリャが国を出てくれてほっとしてたんだが、まさか今戻ってくるとはな」
「……年代ってことは、ヴァリンさんもそのうちいずれこんな感じに……?」
「おっと?」
思った事をつい口にしてしまったジャスミンは、ヴァリンが即座に反応したのを聞いて、しまったと口を閉ざした。
以前ヴァリンから嫌がらせにも近しい口説き文句を聞かされていた記憶が蘇り、顔色が青くなる。
「どれくらいで俺がここまでの老害になるか、側で見ていてくれるって言うのか?」
「っへ!? あ、違っ、そうではなくて!!」
「っはは」
少し前までだったら、追撃のように上辺だけの甘い言葉を並べ立てられただろう。
――なのに。
「冗談だよ。そろそろ慣れてくれ」
ヴァリンは、笑顔でからかってくる。
嫌に老成した様な皮肉交じりの微笑じゃなくて、年齢相応の屈託ない笑顔。
ジャスミンの動きが止まった。真正面からそんな顔を見せられては、言葉に出来ないむず痒さを感じてしまう。
「さて、そろそろミシェサーも戻って来る頃だとは思うんだが……。あいつ、まさかフュンフに余計な事言って怒鳴られてるんじゃないだろうな」
「余計な、って?」
「あいつ、最初フュンフにも見境なく盛ってたからな。俺もその時とばっちり食って」
昔の話を言って聞かせようとした、その場に鐘の音が響く。
息を切らしたミシェサーが、酒場の扉の側に立っていた。
「たい、へん、です」
「どうした、ミシェサー」
その焦り様に異変を感じたヴァリンが、席を立ってまで彼女を迎え入れた。
街を駆けた彼女は、肌寒い季節にも関わらず多量の汗をかいていた。豊満な胸元に、服が張り付いて一層強調されている。
「城内で、毒殺騒ぎです。騎士のおよそ三割が倒れたとの事。その中には、フュンフ様も」
切れ切れの息で彼女が伝えた内容は、酒場の面々を戦慄させるに至った。