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あの頃の話 5


 次の日。

 『月』隊長の醜態について、彼の名誉を守るために緘口令が敷かれていた。

 酒の抜けたディルが遅い時間に城へ戻ったのも、所轄の何処かに寄ってから戻ったのだろうとしか思われない。

 『花』隊長が少し時間をずらして城に戻ったのも、彼女が家に泊まったからと言えばそれで話が済んでしまう。

 ディルは、飲み物を飲む寸前から記憶が殆ど無い。酒を飲んで倒れたということだけは、エイスが教えてくれた。


 エイスにそれ以上何があったのか聞いても、教えてもらえなかった。

 殆ど覚えていない。

 けれどそれにも関わらず、背中を撫でてくれていた手はフュンフのものだけではない気がしていた。




「……頼む……忘れてくれ……忘れてくれぇ………」


 朝一の会議が始まる前、会議室の卓に額を擦り付ける勢いで全員に向かって頭を下げていたのは『花』隊長だ。

 揃っている合計八人の幹部たちは、昨日の酒盛りの惨状を思い出していた。

 途中まではいつもと同じ騒々しい飲酒風景だった。それが一風変わった事故現場になったのは、『花』隊長の突拍子もない発言からだ。

 ディルは遠い目をしながら記憶を探る。何か強烈な発言を聞いた気がするが、記憶が彼方に飛んで行っていた。


「……その、……御愁傷様です」

「ひええええん!!」

「たいちょ、大丈夫っす。骨は拾ってやるっすよ」


 あれだけ熱烈な感情を吐露しておいて、他の面々に忘れろと言っても通じる話では無く。

 何故か彼女のみならず自分にも、他の面々から視線を送られているような気がしてディルが目を瞬かせる。どんな粗相をしたかすら忘れているので、不躾な視線は不快になる一方だ。


「……何故、汝が頭を下げる必要がある?」

「っ……!!」

「昨日何か失敗でも犯したかえ。我は其の様な記憶は無いが」


 だから頭を上げろ。ディルの言いたい事はそれだけだったが、成り行きを見ている面々の表情が喜色に色めき立つ。

 『花』隊長もだ。聞きようによってはディルの言葉が、彼女が想いを注ぐことに迷惑がっていないように聞こえるから。

 顔を上げた彼女は、真っ赤に染まった顔を向けた。が、視線はあちらこちらを彷徨っている。


「……記憶ない、って。それ、本気で言ってるの?」

「本気だと言ったら、如何する?」

「……どーする、って……アタシ、……アタシは」


 彼女の中では、二つの可能性で心が揺らいでいた。

 ひとつめは、ディルがあの夜の全てを聞いていて想いを受け入れてくれる可能性。想う相手と気持ちが通じる未来だ。

 ふたつめは、ディルがそう言いながら想いを伝えても断られる可能性。それとこれとは違う、と言われてしまった時の悲しみを考えて唇が引き結ばれる。


「……だって。……だって、ディル、……アタシがっ、……あんな事、言ったのに」

「あんな事?」

「っ……も、もう言いたくない……。……でも、その……だから、アタシ、っ」


 言いたくないのは昨夜口走った内容だけで、想い叶うなら彼女だって愛を伝える覚悟は出来ている。

 ただ、試すような口振りに本当に言っていいものか迷っているだけだ。

 迷って、躊躇って、無言の時間が続いた。


「……ところで」


 ディルが口を開いたのはそんな時。


「昨晩、我が酒場で休む事態になる前の事情を詳細に知っている者は居るか。エイスに聞いたが酒を飲んだ事以外何も答えなかった」

「――え」

「は?」

「な……」

「……ん?」

「……あー」

「………」

「はぁあああ!?」


 その場にいた全員が、一様に驚愕の表情を浮かべた。


「……、………。…………はぁ」


 頭を抱えて疲労が滲む声を漏らしたのは、自隊の隊長が何処までも鈍い事を悲しんでいるフュンフだった。


「たいちょ! もう止めましょ!! 脈無いっす!! 無理っすよ!!」

「……………」

「……『月』も『花』も……何だい、これは……? お遊戯かい……? 君達何歳だい……? 此処は何処だい……? 私は何を見ているんだい……?」


 喚き散らすソルビットと同時に、声に苦悶を滲ませて顔に両手を添えて俯いたのは『鳥』隊長のカリオン。

 『風』の二人は、視線を合わせて頷きあうと『花』隊長に憐れみの視線を向けている。

 ベルベグは手元の資料を再確認し始めた。もう付き合いきれないらしい。


「……何があったのだ?」


 何も覚えていないのは便利なのか不便なのか。

 『花』隊長は拷問中の敵兵でも見ているかのような無表情で、自分に配布された資料を手に取った。


「始めよう、団長。時間が惜しい」

「……えっと……大丈夫かい?」

「聞こえてねぇのか鳥頭。始めろって言ってんだよ」


 言葉で八つ当たりされたカリオンは、その虚無振りに半笑いのまま他の面々に資料を手に取るよう勧める。

 一人取り残されたような感覚のディルも、遅まきながら資料を手にした。


「じゃあ、始めようか。まずは先月の各隊に出した計画の達成状況と――」


 その時の会議室の空気は、戦時中と変わらぬほどの重さだったという。




「……って事があったな」

「………」

「……」


 今は時はそれから数年過ぎ、既に『花』隊長はこの場に居ない。

 酒場『J'A DORE』で、夜の酒の余興のように語られるディルの過去はヴァリンが話している。

 かつて自分が新米の年若い騎士隊副隊長だった頃の、酒が絡んだほんの一幕。

 話を聞いていたのはアクエリアとミュゼだ。二人とも、知った名前を持つ輩がそんな笑えない笑い話に参加していたことに視線を合わせる。


「マスター……なんとなく気付いてたがクソほど鈍いな……?」

「あの人、飲めないのは聞いていましたがそれ程までに飲めなかったんですか」

「飲めない飲めない。絶対飲ませるなよ、地獄絵図だ」


 既に自室へ引いてしまった元『月』隊長に、話を聞いていた二人が廊下向こうへと視線を向ける。

 今の二人は、酒の合間の水分補給と言われてかつてディルが盛大に大変な事になった濁り酒を何の疑いも持たずに飲んでいる。


「因みにな、ディルが飲んで地獄になったのがお前らが今飲んでるそれ」

「は!?」

「こんなんジュースじゃん!?」

「俺だってこれ二杯飲んでも酔わんぞ。……ジュースとか珍しい言い方するんだな。それ連合の言い方だったろ」

「あ」


 指摘されてミュゼが口を手で抑える。

 まさか今より百年後の未来じゃ今以上に言葉が各国のものが入り乱れているなんて言えない。

 言葉自体は存在しているから、アクエリアもヴァリンもそれ以上は追及しないのだけど。


「ま、俺達はそんな間を置かず二人がくっつくって思ってたんだがな。それが待てど暮らせどくっつかない訳だ。そうこうしてるうちに俺とキリアの婚約者候補にあいつらが選ばれて……ってなった後でくっつくから、世の中何があるか分からんよなぁ」

「……寧ろ良くくっつきましたね。激鈍と奥手がよくもまぁ……。それなのに結婚したらあそこまで惚気を垂れ流したものですから、あの子に必要なのはほんの少しの勇気――思い切りでしたね」

「………」


 ミュゼは、酒の水面に映る自分の顔を見ていた。

 恋愛模様に優劣をつける気はないが、二人の歩み寄りは亀の歩みのようだった。やっと結ばれたというのに、離れ離れになるのは早くて。でも、まだ彼女が生きているのなら再びディルに再会させてやりたいと思う気持ちは本当で。

 違う。本当だからこそ、それでいいのかと思っている。


「なぁ、ヴァリン」

「ん?」

「話に聞く限りで思う事だけどさ。……その頃、楽しかったんだろ」

「……ああ、まぁ、な」

「敵対出来るの? ……もし、王妃達側に付く騎士がいて。それで、お前そいつらに剣向けられるの?」

「………」


 返答は無かった。

 代わりに、二人と同じ濁り酒を飲む。白い酒が彼の口から喉を通って胃に収まる頃、平然とした様子のヴァリンが数回瞬いて。


「俺は、数えきれないくらい、この世界を……ソルビットの居ない現実を恨んだよ。滅べって何回も思ったし、今だって思ってる。滅ぶには生きてる奴等全員死ななきゃいけないんだが……、正直、今すぐお前らが俺の目の前で死んでも多分何とも思わないだろう」

「……」

「でもな。……そんな俺でも、今のところは……ユイルアルトには死んでほしくないとは思ってるんだ。不思議だな、ソルの時みたいに、異性として好きだとか愛してるとか、そういう感情は一切無い。でも、一人だけ生きていてもあいつは嫌がるだろうから、あいつが望むだけ、身の回りの奴らは生きててもいいかなって思うし……本当に、それだけだ」


 ヴァリンが浮かべた笑みは、日常の笑い話をする時と同じもの。


「分かるか、この意味? 騎士なんて全員死んでいいって思ってるよ。特にフュンフが死んだら、ソルは寂しくなくなるだろう。皆死んでしまえば、もっと寂しくない。皆仲良く死んだなら、こんな世界に未練なんて誰も彼も無くなるだろうしな」

「……お前、思ってたけど、結構な下衆なのな」

「お褒めに与り光栄だ。さ、まだ酒は残ってるぞ。飲め飲め、死んだら酒ともお別れだからな」


 本気で言っているのか、それとも強がりなのかはミュゼには分からない。

 それでも言葉に滲む寂寥感だけは感じられた。これまで歩む道を選べなかった幼少期からの悲しみがそうさせているのかも知れないが。


「……私、つくづくヴァリンが次期国王じゃなくて良かったと思ってる。すぐ滅びそう」

「お前もそう思うか? その辺りは正解かも知れん。俺もそう思うから」


 随分な物言いにも笑顔を浮かべるヴァリン。

 その笑顔さえどこか空虚に見えるのはミュゼだけでは無かったらしい。


「俺は、ソルさえ傍に居てくれたらどんな未来でも受け入れただろうけどな」


 アクエリアの瞳が同情の色を湛えていた。アクエリアだって、愛した人がいなくなる世界の辛さを知っていた。

 ミュゼの胸に過るのは罪悪感だ。それを言葉に出来なくて、無言で酒を煽る。


 いつか必ずこの恋人を置いていく世界が、ミュゼを見つめながら待っている。

 その別れが何に起因するものかは今は分からないが、その時にこの男に齎されるのは『二回目』の絶望だと理解しているから。




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