あの頃の話 3
「……ふん。疲れている訳では無い。騎士隊長とも成れば必要な労働だ」
「そうかそうか。いや、君が来てくれて私は嬉しいけどね。いっつも忙しそうだって、あの子も君の事を心配していたんだよ」
空いているフュンフの席に腰掛けた店主の視線は一瞬だけ『花』隊長に向いた。
エイスの口から出る心配の言葉が、どうしても信用できない。心配だと言うのなら、直接言いに来ればいいのだ。以前のように、ぎこちない笑顔を浮かべた顔で。
「其の様な事を言う為に、此処まで油を売りに来たのかえ?」
「まさか。君が手持ち無沙汰みたいだったから、飲み物を持ってきたんだよ。フュンフ君が演奏してくれただろう? 凄いね、彼。見事だったから彼にも一杯あげて、彼の上司の君にも是非一杯って思って持ってきたんだ。君が焚きつけてくれたからあの演奏聴けたんだし」
「……我は、別に普段通りにしているだけだ。我が此の一杯を頂く資格はない」
「資格だなんて。いいんだよ、この店はどうせ私の道楽だ。折角あの子の――仲間、が、来てくれたんだし、君も一緒に楽しんでくれる方が嬉しいよ」
「………」
エイスの屈託の無さは、ディルから拒否の言葉を失わせるのに充分だった。
ダークエルフでありながら二心無く接しているように聞こえる。上辺だけの美辞麗句より、小ざっぱりした言葉で気持ちを伝えられるのは、彼の美徳だ。そして彼に育てられた『花』隊長も、以前はディルの前ではそうだった気がする。
「……楽しい、の基準が分からぬ」
「基準?」
「他人と交流を持つ事を、楽しいとは思わぬ。他人との飲食も、楽しいとは思わぬ。座っているだけで構わぬと、そう連れられた我に、気遣いなど無用だ」
「それは、……私が嫌かなぁ。しかめっ面で退店されたら、私の店主としての矜持が傷つくよ」
「此の顔は元からだ」
「うん、知ってる」
笑顔の店主は悪びれもしていない。
ディルを避ける『花』隊長の態度と、今のエイスの振る舞いを足して二で割りたいくらいだ。
そうしたら、彼女だってもっと――ディルに、笑顔を見せてくれる。以前のように。
「まぁ、私も忙しいのは本当だ。今は丁度注文がはけてるからいいんだけど、もう少ししたら片付けの山もあるし注文だって」
「エイスさーん!! 注文いいっすかー!!」
「はーい。……噂をすれば、だ。それじゃ、時間の許す限りゆっくりしていってくれ」
呼びつけたソルビットの元へ歩いていく店主。
気が付けば、酒場に残っている人数もだいぶ減っていた。今にも倒れそうな程の千鳥足で出て行こうとしている者も居る。
無礼講だというのにわざわざディルに挨拶をしに来る騎士も居た。「ああ」で済ませられるのは楽だが、『月』の者はあと自分達含めて四人程度しか残っていない。他の隊はまだ数名多い程度だが、どこも隊長と副隊長はまだ残っている。
ここまで人数が減ると、ディルも気が楽になる。人が多いのは、例え気遣いしなくていい相手ばかりだとしても苦手だ。
「……」
エイスは忙しい。
フュンフは演奏を続けている。
他にディルが話してもいいと思う者は――居ても、まともに話をしてくれそうにない。
また一人になってしまった。味覚が狂ってしまっているせいで、フュンフが注文してきた料理に手をつけても味を感じる事も無く、ただ腹に溜まる感覚を覚えるだけ。
卓の上に残っているのは、エイスが持ってきた白濁の飲み物だけ。
人数が少なくなったこともあり、残っている中で手隙な者は自然とひとつの席に集まっていた。卓を寄せ合い座って、騒がしさが遠ざかり和やかな空気が辺りを包む。飲酒量も落ち着いてきているようだ。
「それじゃ、改めて。かんぱーい」
「たいちょ、何度目っすか」
エイスがそちらの卓に新しく持ってきた酒が全員に行き渡ると、既に何度目かも分からない乾杯の音頭を『花』隊長が取る。それに突っ込みを入れるのもソルビットの役目だった。
「おっちゃん、今日遅くていいんすか? 奥様心配してない?」
「おっちゃん……。今日は遅くなると伝えてありますので大丈夫ですよ、隊長もご一緒ですし、心配はされていない筈です」
早速ソルビットに絡まれたのは『鳥』隊長ベルベグ・コンディ。がっしりした体型に包容力のある性格をしているので、この面々には『おっちゃん』と呼ばれて親しまれている。
年若い者が隊長副隊長に多い中で年齢が高く唯一の既婚者であり、副隊長経験年数も長く頼りにされる存在だ。
「こういう仕事してるんだし、あんまり奥さん心配させない方が良いと思うよー。何なら皆と帰って良かったんだぞ、それでなくとも『鳥』は忙しいだろうに」
「騎士団は何処も忙しいでしょう。私の所は、妻が支えてくれるから遅くまで仕事をしてもこうして健康でいられるのですから」
「ひゅー!!」
ベルベグの、妻を語る時の眼差しは優しい。『花』の二人が囃し立てるように声を上げ、普段彼が見せる副隊長としての雄々しい姿との格差にはしゃいでいる。
「……んん。私の話よりも、ここはエンダ様の方がそういう事に明るいのでは? 先日、お付き合いされていると仰る方が城にまで来ていましたよ」
咳払いをしたベルベグは、逃れようとエンダに話を振る。
「っはは!! それ聞いた聞いた!! 何だったの彼女、何でわざわざ来たの」
「あ? ……いや……まぁ、あれは付き合ってる訳じゃなくて……」
「は!?」
エンダの爛れた男女関係の暴露は、『花』隊長の愕然とした声で静まり返った。
「……信じらんねぇ……。お前さんともあろうものが、そういうドロドロしたのやっちゃうの……? やだ……。そういう不誠実なのアタシ嫌い……」
「いや、違うんだよ。遠征先でちょっと遊んでただけだし、向こうもそれ知ってた筈なんだよ。城に戻る時におしまいな、って言ってたのに、何を思ってか城下まで……」
「ちゃんと清算してないのかよ。最低だなお前」
「そもそも向こう旦那いるんだぜ」
「どっちも最悪。死ね」
ディルの耳にそのやり取りは入ってきている。エンダもエンダだが、『花』隊長も彼が性に奔放な事は知っている筈で、潔癖気味の精神が浮き彫りになる。そこまで言わなくてもいいだろう、というのがディルの感想だ。元々、他の誰が誰と男女の関係になっていようとディルには興味が無い。……とある一人以外には、という注釈が付くが。
「っていうか、そういう話なら俺よりカリオンの方が」
「ん? 何の話かな、エンダ?」
「………。……いや……何でも……ない」
エンダは話題からの脱出に失敗した。カリオンは笑顔だが目が笑っていなかった。
『花』隊長は手の中の酒器を一息に煽り、それを卓上に叩きつける。
「エンダ、お前いつか背中から刺されるぞ。お前の死因が痴情の縺れとか嫌だよアタシは。恥ずかしくて葬儀にも出れやしない」
「まぁ、もう同じ失敗はしないさ」
「失敗じゃなくてそういうの止めろっての!! 本当、お前さんとっとと身を固めた方が良いんじゃないのか。あんだけ大きい屋敷持ってて、いるのが従者だけとかどうなの」
「身を固めるっつっても、難しいだろ? それ言ったらお前こそどうなんだよ」
「ひぇ?」
それまで威勢よくエンダを責めていた声が、切り返しを受けた事で言葉に詰まる。
しどろもどろの声が詰まって途切れて、耳まで真っ赤だ。盗み見るようにディルが『花』隊長を見ていたら、不意に彼女と目が合った。
「っ、ぁ、う」
何故今、目が合うのか。その時のディルは一切気付かない。
ぱっと目を逸らした彼女は身振り手振りを付けて弁解を始める。
「あ、あた、アタシは。今の所仕事の方が大事だし、そう、色恋に現を抜かす時間は無いっていうか」
「へー?」
「アタシがやってる仕事を全肯定してくれる人じゃないと嫌ってのも、あるしっ。そこらの男は嫌だし、せめてアタシより強くないと」
「ほー?」
「エンダみたいにちらちら余所見する男も嫌だし、でもアタシのことちゃんと見てくれる人が良いな、って……。んで無駄遣いしなくて身持ちしっかりしててアタシが殴らなくて済むような性格の良い優しい男」
「注文が多いな」
「……そんで、……いつも冷静で、アタシがどれだけ混乱してても、いつも落ち着いてる人がいいな。そんな人が側で支えてくれたら……アタシ、死ぬまで頑張れそう」
好奇な視線を向けられる立場になって、『花』隊長が聞かれてもいない事を話し始める。酒の力も借りて、独壇場はまだ続く。
面白がったソルビットがエイスに合図すると、満面の笑顔を浮かべた彼は手に酒瓶を四本持って卓に来た。そしてまた下がっていく。
「やっぱりアタシと結婚するなら、どんなアタシでも受け入れてくれる度量の深い人が良いよね! ソルビットだってそう思わない? ちっちゃい事で逃げてく奴なんて絶対やだ」
「はいはい。お酒お代わり来てくれましたよー。赤と白どっち飲みます」
「白」
話題が自分になっていてもお構いなしに、酒を追加して更に煽る『花』隊長。意地の悪い薄ら笑いを浮かべたエンダにも、心配そうに見守るベルベグにも、底の知れない笑みを浮かべているカリオンにも気付いていない。
ソルビットが気を回して全員の酒器に追加を注いでいく。別の銘柄が良い者は自分で注いだ。
「度量とかは分かるっすけど、たいちょ。あたしは別に冷静な男とかどーでもいいっす。いざ大事な時に一人だけスカした顔されてても嫌っすからね。男はそういうのよりももっと重要な基準があるっすよ、まーたいちょーは男知らないからそこまで考えないんでしょけど」
「基準? 性格とか以外に何が大事なんだよソルビット。顔?」
鼻で笑って酒をまた口にする『花』隊長。
「顔なんて見慣れて馴染んだら美形もブ形もどっちでも良くなるっす。やっぱり結婚して添い遂げるってなったらカラダの相性が一番重要っしょ。コッチコッチ」
「ぶー!!」
自隊の隊長が思春期の小娘のような事を言っているのを、歴戦の『宝石』は打ち砕く。
ソルビットの手が円筒形の何かを持つかのような仕草と共に上下に動くさまを見て、その場にいる男の殆どが僅かに目を逸らす。
綺麗な放物線を描いて『花』隊長の口から噴き出された酒は殆どが床に散らばった。咳き込む彼女に、これまた笑顔の店主が雑巾を持って近付いた。