あの頃の話 2
「っ、で、それでさっ、フュンフって趣味とかあるの?」
多少ぎこちなさはあるものの、話題を元に戻した『花』隊長。今回話に付き合わされる犠牲者にフュンフが加わった。
その頃には周囲も話を再開しており、騒々しさがまた復活する。
「……私の趣味など話しても仕方ありますまい。『花』隊長のお耳に入れる程の事では無いかと」
「アタシ、フュンフの趣味一つだけ知ってる。ディルの世話」
「失敬な。我が敬愛する隊長の身辺の雑務を引き受ける事こそ私の役目だ」
「そういうところなんだよなぁ」
二人が他愛ない話をしている間に、ソルビットは年若い騎士の方へとふらふら歩いて行った。
騎士と言ってもこの国の第一王子であり、歴代最年少で『風』副隊長になった男だ。まだ酒を飲むに相応しい年齢ではないが、他の隊長副隊長も集まる場に身を置いて交流するのが目的だそうで、ソルビットが悪戯目的で近付いたのに困惑している。
「いーじゃーん。アタシも少しは趣味って奴を見つけた方がいいかなーってちょっと思ってんだから協力しろよー。お前さんとアタシも長い付き合いになるだろー」
「望んでもいない付き合いですが。全く、人に迷惑を掛ける無趣味は迷惑千万ですな。黙って夜の空の星でも数えていればいい」
「数えきれる訳無いよなそれ!?」
「だから良いのだ。簡単に終わりが見えるようなものを趣味とは呼ばん」
フュンフは普段彼女を疎ましそうに扱うが、話は聞いてやるから心から嫌いという訳では無いのだろう。
普通に目を見て話をする彼女も、恐らくはそう。
ディルだけが、彼女の中で何かが違う。
だから目を逸らす。平時ではまともに話も出来ない。笑顔も向けられない。
不快感ばかりが募っていく。
「……んじゃあ、……その、じゃあさぁ」
『花』隊長は、口許を隠してフュンフに向けて身を乗り出した。照れから来る仕草のそれが、ディルには周囲による盗み聞きの阻害にしか見えない。
フュンフもその意図を組んで、立ったままの姿勢から少し屈む。
何かを囁いているようだが、口許を隠されては唇の動きさえ読めなかった。フュンフは最初の内は頷いていたが、次第に表情を曇らせる。
「無い」
「えー」
「あるように見えるのか。知りたければ自分で聞けばいいだろうに、それだから酒の肴にされるのだよ。失礼、……貴女もいい年なのですから、いい加減他人頼りの情報収集は止めては如何ですか」
呆れた様子のフュンフは、その後に二・三言交わしてもう一度カウンターまで進んだ。軽く摘まめる物を用意し終えていたらしい店主から皿を二つ受け取ると、ディルが待つ席まで戻って来る。
「お待たせいたしました、隊長」
「………」
命令を果たして戻った筈が何故か、ディルからのいつにも増して冷たい視線を受けたフュンフが目を瞬かせる。
卓に皿を並べても、ディルはそれに見向きもしない。
「……如何なさいました?」
「別に」
フュンフはあれだけ近くに寄れるのに。
真正面で話が出来るのに。
右腕として副隊長に置いている男と自分とで、何が決定的に違うのか考え始めた。
『花』隊長がフュンフに訊ねた内容が『ディルの趣味を知っていたら教えて』であることを知らないまま。彼女の関心が自分に向いているのにも気付かずに。
「趣味か」
「………」
「隊長と成って暫く経つが、己の為に割く時間について考えた事も無い」
「趣味とは、無理に見つけるものではありません。自分の興味関心を引くものと出会えた時にのみ、それを趣味と呼ぶ資格が出てくるのですよ」
ディルの不機嫌を、趣味について考えていたからだと無理矢理理解したフュンフ。でないと自分が粗相をしたせいだと思い悩んでしまうから。
卓の上の皿に乗った料理を勧めても、ディルは一瞥するだけで手を伸ばそうとしない。元々食に殆ど興味のない男なので分かっていた事ではあるが。
「……汝も、趣味はあるのだろう?」
「一応は。隊長に披露出来るようなものではありません」
「初耳だ」
恐れ入ります、と頭を下げる。聞かれなければそれ以上言わない、そのつもりで。なのに。
「我は構わん。披露して見せぬか」
「……はっ!?」
「飲みの席には余興が必要であろう。資格の有る者が率先してやるのが上に立つ者の責務では無いのか」
「で、っ、ですが、隊長! 私の趣味は道具が必要でして、今回は持って来ていません!!」
「道具が必要か? 今から近くの店に駆け込んで調達できるか。幾らだ?」
「御勘弁ください!!」
ディルのそれは、『花』隊長が自分には素っ気ないのにフュンフには普通に話すやっかみから来ている。やっかみ自体は完全に無自覚だが、出所の分からない苛立ちから仕向けた自覚はある。
周囲の者も、突然二人が言い争い寸前まで発展している状況に面白半分で聞き耳を立てていた。
フュンフが隊長からの理不尽に耐えていられるのはとある理由からである。そもそも、こんな扱いを受けても理不尽とも思っていない。
過去に、ディルがフュンフの命を戦場で救ったから。
自分の死の影を断ち切ってくれた男を、神と同じように崇めている。
「お、何だ何だフュンフ。お前なんか披露してくれるって?」
「は!? 何故そうなる!!」
「エンダ。フュンフも困っているじゃないか、詰め寄ったら駄目だよ」
酒器を手にへらへらと近寄って来るのはエンダ。それを窘めるのはカリオン。
その場にいた全員が興味津々なのは間違いない。口では諫めたカリオンさえ、フュンフを見る瞳は期待で輝いているように見える。
「えー? アタシには面と向かって言えなかった趣味を披露してくれるってぇー? さーて腕前は如何なものかなぁー!?」
更に酒の回った『花』隊長が野次を飛ばす。
その野次に釣られるようにフュンフの側に来たのは――脇に王子騎士を抱いたままのソルビットだった。
まだ十代だというのに、大人の乱痴気騒ぎに付き合わされて不憫な程に顔が赤くなっている。
「あっは。兄貴の趣味かぁ。大丈夫? 今アレ持ってないでしょ」
「……こうも厄介な時に来るのは止めないか、ソル……!!」
「ちょっ、ソル、放してくれ……!! 幾ら宴席でも、騒がしくすると近隣に迷惑がかかるだろう!?」
「殿下まで巻き込んで……! お前はもう少し慎みを」
「はぁーいエイスさん! ちょっとお伺いしたいんっすけどこの酒場って弦楽器置いてたりしませんかねぇ!」
ソルビットはフュンフの怒りもまるきり無視して、酔っ払いの振りをして店主に話しかける。
店主は貼り付けたような笑みを浮かべたまま、カウンターの奥からヴァイオリンを二挺持ってきた。
「何故ある!?」
「いやぁ、先日旅の音楽家とか言う人がね。路銀無いのにうちで飲み食いしてて、お代の代わりに置いて行かせたんだよ。あと数日して戻って来なかったら質に流そうと思っててね」
「『置いて行かせた』、……」
この酒場の裏の顔を知っている者は皆表情を凍らせた。
柔和な笑顔を浮かべるダークエルフの彼は、今の顔とは比べ物にならない程冷酷な一面を隠している。そのヴァイオリンを巡るやり取りの中で、彼の冷酷さは幾らほど出てきたのだろうか。
ごとり、カウンターにヴァイオリンを置くエイス。弓も松脂も置いて、準備は完璧。
「ソルビット、お前フュンフの趣味知ってたの? 音楽とは意外だなぁ」
「そりゃー、まぁ兄妹っすからねぇ。兄貴、昔はあたしがいた孤児院に演奏しに来てくれて、上手だったなぁ……今はもう聴く機会無いっすけどね」
フュンフの趣味、弦楽器演奏が皆にバレてしまった。
金持ちの道楽と揶揄される事もあり、あまり話さずにいた事だ。家が裕福でなければ演奏は疎か触ることも、聞くことも殆ど無いというのに。
他人の楽器ということもあり触れる事を躊躇っていると、それまで周囲を眺めていたディルが口を開く。
「――どうした? 早く演奏してみせよ」
無言の圧も辛いが、言葉にされるとフュンフに焦りばかりが生じてしまう。
観念したフュンフがヴァイオリンを手にし、肩に乗せて顎で挟む。弓を手にして弦に乗せる、その姿が様になっていた。
「……音の具合から確かめる。最初は耳を汚すやも知れんぞ」
そして最初に鳴らした音は、軋むような雑音が混じっていた。
うへぇ、と聞いた誰もが不快な音に顔を顰めるが、フュンフは感覚を頼りにその場で簡単な調弦を始める。
その口が「このくらいか」と呟いて、改めて肩に乗せるのは数分後の事。
「今日は酒の席だ。集中して聞くことは無い。話の邪魔にならぬ曲を選ぶ故、私の事は気にせずそれぞれ自分達の話に戻れ」
弓を振って周囲に言い聞かせ、自分は酒場の中でも舞台のように段差がある隅の方へと移動した。
フュンフの腕前を知らない者達は拍手で迎えるが、それさえも不愉快なようにフュンフの眉間に皺が寄る。
「――」
弓が、弦の上で滑る度に、先程とは比べ物にならない美麗な音色が酒場に流れ始めた。
弦を押さえる指も、楽器を見つめる瞳も、フュンフのそれは普段騎士副隊長として務める顔と少し違っている。自分にも他人にも厳しい彼が、真剣に楽器とだけ向き合っている顔だ。
音量は抑えられてて、確かに話すのに邪魔にならない穏やかな曲だ。声を出す者はちらほらいたが、それらは皆フュンフの腕前を称える旨の発言をしている。
それまで侮り一辺倒だった『花』隊長も、彼の紡ぐ音色に聞き惚れていた。
短い旋律のそれは、皆にまだ聞き足りなさを残したまま終わった。胸に手を当てて礼をするフュンフに、全員が惜しみない拍手を送る。
「流石兄貴! かっこよかったよー!!」
歓声を送ったのもソルビットが最初だった。その隣で、王子騎士も何故か誇らしげに胸を張っている。
「何を当然な事を。ツェーン家に生まれた者として、この程度は出来て当たり前なのだ」
気位の高さを改めて感じさせられる、その言葉には皆が苦笑したが。
そうしてやっと元の会話に戻れた面々には、音楽に触れた余韻を残しつつ和やかな空気が漂っていた。
「いやー、凄かったなぁ。フュンフ……いいなぁ、あれだけ弾けたら気持ちいいだろうなぁ」
『花』隊長も、ソルビットが王子騎士を連れて側に戻って来た時に感想を漏らした。
ソルビットは卓の上にある料理を小分けにして、王子の前に出す。
「兄貴はヴァ……アールヴァリンの音楽の先生でもあったっすよ。本格的にやる訳でもないので、一通り色んな事を知ってる兄貴は適任だって事で、昔は扱いていたそうっす」
「マジで!? じゃあアールヴァリンも弾けるの? 凄ぇなぁ。……なんか、アタシだけ何も出来ないみたいでちょっと悔しい」
「酒に関してだけ言えば、たいちょーが一番頼れるっすけどね。お兄さんが酒場店主だし」
和やかに話す三人の姿を、ディルはまた見ているだけだ。
そのうち興が乗ったらしく、フュンフは違う曲を隅で弾いていた。これもまた、話を阻害しない旋律と音量だ。聞き入る者は聞き入って、話に集中する者はそちらに専念している。
一人になったディルの卓に、わざわざ近寄る者はもう居なかった。騎士の中では。
「今日も仕事帰りだそうだね、お疲れ様」
「……」
ディルの目の前にグラスが置かれた。中身は、半透明な白い液体だ。
顔を上げたディルの視界に居たのは、この酒場の店主であるエイス・エステルだった。