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「……あぁら、やっだぁ。暁様、そんな幻覚見るなんてひどくお疲れのようですねー? 私がディル様と? そんな名誉にして大それたこと、私に出来たら良かったんですけどぉ。元『月』隊長様のお味、とっても美味しそうだったし」

「貴方達が不埒な行為に耽ろうが耽るまいが、話の主軸はそっちじゃないんですよねぇ。……ウチの部屋の近くに不審者が来ているってだけで、貴女には問える罪が有りそうですねぇ?」

「いやぁん、罪だなんてー。また懲罰房ですか? それとも教育部屋ですか? 教育部屋は焼き印入れられるって話だから、そっちは嫌かなぁー?」


 ミシェサーの振る舞いは落ち着いていて、視線がふらふらと動くことも無く笑顔も崩れていない。

 声の抑揚も変わらず、真実が筒抜けにも関わらず焦っている様子もなかった。

 『風』に所属すれば、誰でも嘘の吐き方を習得するというが、その中でもミシェサーの嘘は別格だった。今の間延びした口調は、嘘を気取られぬための話し方なのだろう。


「折角だったらぁ、暁様が直接罰を下してくださいな。私の分からず屋なカラダに、お仕置きしてぇ……?」


 下品なまでに誇張された、ミシェサーの色仕掛け。一歩一歩近寄る足は、暁をこの先に進ませまいとする意思で動いている。

 ディルの居る位置からミシェサーの姿が見えなくなって、音は一瞬止んだ。けれど。


「ぅ、っ、あ!」

「そういうの、ウチ好きじゃないですねぇ。男と見れば誰にでも股開く尻軽なんかじゃなくて、たった一人に身も心も捧げる清純な人でなきゃ気分が乗りません。罰を下して欲しいならそのように。ただ、傷痕は残っちゃうでしょうけどね?」

「っは、あ、ぐっ!!」


 足が縺れる音がして、絨毯の上に人が倒れる音がする。直後、呻くミシェサーの声も聞こえて、今まさに仕置きが実行されているようだった。


「さぁて、どうしますディル様。貴方はまた、貴方を庇おうとした為に傷つく人を助けられないまま終わりますか? ウチはどっちでも構いませんけど、出てこないなら本当にミシェサーさんのお顔に大きな傷作っちゃいましょうかねぇ。……ああ。はしたない穴を、二度と使い物にならないようにするってのもいいですねぇ?」

「っ……! わた、しの……顔に、何かしたら、ただじゃおきませんよっ……!!」

「ただじゃ置かない? ふふっ、そんな事言われても怖くないですよ。この国でウチと貴女とどちらがより強い権力持ってるか、分からせてあげましょうか?」


 粘っこく嫌らしく囁く声は、ミシェサーへの意趣返し。

 強がるミシェサーの声が聞こえなくなり、痛みを堪える呻き声だけになった頃に、ディルは陰から姿を現した。

 伏しているミシェサーと、身を屈めている暁の姿が見えたのはすぐの事だ。


「あは」


 ディルの髪より尚も白く、雪を思わせる色をした短い猫っ毛の髪。

 さらりと揺れる髪を持つその男の腹の中は外見と対照的にどす黒い。

 弧を描く唇が笑みを象っても、開かれた瞼の奥にある濁った緑色の瞳はディルを見据えたまま笑っていない。 

 暁の足は、ミシェサーの腰を踏み躙っていた。指は、桃色の髪を掴んでいる。

 指からするりと抜けていく髪束はそのままに、屈めていた身を上げ腰に手を当てて立つ姿。


 ――階石 暁。


「やっと出て来てくれましたねぇ? 臆病風に吹かれたのかと思いましたが、遅れて登場って所が嫌ですねぇ。ご機嫌如何ですか?」

「……不快である。貴様のその面を見なければならぬとも考えていなかった。此の不愉快を、如何解消したものか考えている」

「へぇえ? ウチの居住区画側まで来といて、挨拶も無しに帰るつもりだったんですかぁ? 酷いですよディル様ぁ、薄情じゃないですかぁ」

「我が妻へと手向けた花束」


 今、武器が無いのが悔やまれる。

 その首をこの瞬間に掻き切れないから。


「何故窃盗したのか理由を話す機会を、貴様は『また今度』と言った。――今日此の時こそ話して貰うぞ、暁」

「あー、やっぱりその話持って来ますぅ? 長くなるから嫌なんですよぉ。貴方、ゆっくりウチの話聞いてくれる人でも……無いです、しっ?」

「っは、うっ!!」


 暁は笑いながら、もう一度ミシェサーを踏み付けた。今度は背中だ。体と床で押し潰された胸が、歪んで今にも破裂してしまうのではないか、といった具合に変形している。


「女を甚振って楽しむ趣味でも出来たのか。貴様こそ、我が妻が聞いたら更に軽蔑しような」

「あー嫌だ。口を開けば我が妻我が妻。それで優位に立ってるつもりですか? 貴方だってここの色情狂とイイコトしてたんじゃないですかね」

「我が腕に抱くのは妻のみ。――見くびるな」


 一歩を詰めた。しかし、暁も同じ歩幅で後退する。ミシェサーの拘束はそれで解け、身を屈めたまま苦痛を堪える顔をしていた。

 笑みは剥がれない。それまで開いていた瞳も瞼に隠されて、濁った色は見えなくなった。


「純愛自慢は聞き飽きましたよ。守りきれなかった奥方へ未練が強すぎますね。そろそろ忘れて、新しい人を見つけた方が良いんじゃないでしょうか。ほら、そこに丁度いい倫理観欠如の尻軽がいるでしょ」

「話を逸らす気かえ? 無駄な話に時間を費やして、我が妻の花束を卑しい心持ちで窃盗した言い訳を考えているのか」

「………」

「其れとも、話せぬ理由でもあるのか?」

「……本っ当、貴方って」


 暁の瞳が開く。吊り上がった目は怒りを示して、眉間に寄った皺が鮮明に現れた。

 薄い唇から、ぎり、と食いしばった音が聞こえるが、声が荒げられることはない。


「……何で、貴方なんです? 俺じゃ、どうして駄目だったんですか。こんな男の何処が良かったんですか。俺を選んでおけば、あんな無残な事になることもなかったろうに。俺が、今でも、どんな思いで……」


 呟く言葉には、ミシェサーのそれとは違う怨嗟が籠っていた。

 ディルの耳に届く苦痛の中に、諦めのようなものが混じっている気がした。

 恋い慕う相手が同じでも、その相手から想いを捧げられたのは一人だけ。その格差に、暁は今でも苦しんでいる。


「話せない理由? 山ほどありますよ。貴方の事嫌いですし、正直顔も見たくないです。部外者に話す必要も感じないし、ただ単に邪魔なんですよね。貴方が、『あなたたち』が生きている間は、俺は一番には絶対になれない。そっちも、俺のことが嫌いならもう放っておいてください」

「真っ向から我と対立する心算で無い、と? 未練がましいのは何方だ。此れ迄盗んだ花束、理由を正当化する用意すら出来ないのか。……成れば、我が理由を邪推しても良いのかえ?」


 邪推なんて、そんな言葉で真意を測るのもまどろっこしい。答えはひとつしかないのだ。


「貴様の私室に、居るのだろう。――我が妻が」

「……」

「あの人形は、我が捧げる花束を妻にと持って帰る。其の行為は一見すると窃盗にしか見えぬ。しかし、貴様は窃盗では無いと言っていた。成れば、窃盗と成り得ない状況は其れしか無い」

「ああ、そんな事も言いましたかねぇ……?」


 暁は余裕の笑みを浮かべている。ディルだって、この表情が真実を言い当てたくらいで変わるとも思っていない。

 暁は首筋を数度爪で掻いて、んー、と間延びする声を出しながら返答を考えていた。その表情には、既に怒りは無い。


「……潔白を証明するために、ウチの私室を見て頂いても良いんですけどぉ。ちょっと今は止めて頂きたいですかね。王妃殿下の来訪もこないだ断ったし、ちょっと危ない実験の真っ只中なので下手に入ったらディル様ですら死んでたかも知れないですよ?」

「……其れが貴様の入室拒否の定例句でないという証拠は?」

「あ、信じてないです? 良いですよ、私室にそっちの尻軽放り込みましょうか。身体が四つに裂かれるか八つに分けられるか、どっちに賭けますか?」


 まるで夕食の献立を予想するかのような軽い口調で不穏な事を言い出す暁に、ミシェサーは身を強張らせ息を呑んで短い悲鳴を出し、ディルは眉を顰めた。

 今は、辛うじて味方であると判断したミシェサーを危険な目に遭わせるのは本意ではない。だから、その場は無言を貫いた。


「……結局、貴方もその程度なんですよね。ウチだったら、あの人以上に優先するものなんて無いってのに。愛する人に愛されてるのに後回しにするって、その神経を疑います」

「ふん」

「それも余裕ですか。粗略に扱った所で、あの人が離れて行かないと思っています?」

「離れぬ? 本気で言っているのならば、今此処で貴様の首をへし折って構わぬぞ」


 ディルは身を屈め、蹲るミシェサーに手を貸す。貸すだけで、抱き留めたりは勿論しない。

 立ち上がったミシェサーの瞳は憎々し気に暁を見ている。ディルの手を掴んでいる指は、僅かに震えたままだ。


「妻が我を選んだのだ。その決定を、他者が侮るなど許されぬ。そも、あの者が我を選んだ時点で末路は決まっている。――『二度と離さぬ』と。心身共に未来永劫我の妻だ。例え心変わりして拒まれようと、我が妻として生きる世界以外を存在させぬ」

「……身勝手な」

「其れは自分に向けた言葉かえ。人の妻を己が欲の為に側に置いている貴様が、他者にその言葉を投げる資格があるとでも?」

「欲だけなんて誰が決めたんです? ……でも、詳細を話すのは癪ですね。やっぱり話さないことに決めましたぁ」


 暁は自分の顔半分を抑えて、嘲笑を深めた。ディルを見ている筈の瞳なのに視線が絡むことは無い。

 ミシェサーは自分の立ち位置に悩んで、悩んで、ディルを背に庇う。そちらの方が得は無くとも損が少ないとの算段だ。ディルの立場の背後には、ヴァリンがいる。


「……これまでも、私暁様の事苦手でしたけどぉ。今回の事で嫌いになりました。べーっだ!!」

「それは有難い。娼婦崩れに好かれても困ってしまいますからね。ウチは一途ですしぃ?」


 童女のように舌を出して嫌悪感を露わにするミシェサーと、それを軽く流す暁。

 このまま睨み合いの膠着状態が続くかと思われたが、暁は笑顔で二人の隣を擦れ違っていく。


「部屋まで来たいなら、歓迎はしませんが止めもしません。死ぬ覚悟が御有りでしたらね?」

「……」

「ま、その前にディル様は遺産相続の相談をしておいた方が良いかもしれませんが。もう二度と、『戻れなくなっていい』のでしたら」


 そうして部屋へと向かっていく暁を、二人は止めなかった。



 



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