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「待って!! 待ってくださいっ!!」


 今にもディルがソーサーで作った凶刃を振るうか、といった時にミシェサーが自分の不利に顔を青くする。両手を顔の前に出して横に振り、自分はもうこれ以上何もしないという意思を示したが、ディルは刃から手を離さない。

 縦に恵まれた体躯の男だ。現役騎士時代の栄光と悪名を聞いていれば、ディルを敵に回すのがどれほど危険か分かる。ミシェサーにものっぴきならない事情があった訳だが。

 暁の命令を聞いて、ディルの怒りを買って問題を起こさせ牢にぶち込むか。その場合、死なない程度の苦痛を受けるだろう。

 ディルの怒りを解いて、暁からの命令を未達に終わらせるか。その場合は暁から何かしらの罰が下るかも知れない。

 秒、或いはそれ以下の刻みで選択すべき時間は近付いていた。逃げられないと、ミシェサーの勘が告げていた。気が付けば、ディルに向かって制止の意思を全力で叫ぶに至る。


「……待って、我に得があるかえ?」


 ディルは手元のソーサーをひらひらと左右に振る。手付きは優雅だが持っているものが物騒すぎる。


「とっ、得ならあります。副隊長から申し付けられている、もうひとつのお話があるんです」

「其れは我の腹に据えかねる不快感を帳消しにするものか? 頬傷程度なら我の怒りを消し汝の日常を阻害しないと思うが、如何か?」

「顔は止めてっ!!」


 叫んだ内容は普通であれば失笑を買うものだが、ミシェサーの顔は文字通り『仕事道具』だ。顔への傷は何よりも避けなければならなくて、思わず両手で頬を覆う。

 情けない中隊長の姿を見て、毒気を抜かれたディルは手にソーサーを持ったままだがソファまで戻った。零れた紅茶のカップを起こし、足を組んでミシェサーの話とやらに耳を傾ける。


「……副隊長が、夜が更けたら、貴方を城内へ案内しろと。貴方が城から追放されてから改修が入った場所は、貴方も分からないだろう、と」

「案内など不要。もとより、我は単独で動く気でいた」

「そうされるだろうと見越しての副隊長の命令です」


 ヴァリンからまた別の命令を受けていながら、本当にディルが投獄されていたらどう言い訳をしたつもりなのか。ミシェサーはそれまでの事を悪びれることも無く、今度こそ諦めたように白状しだす。


「副隊長のお部屋には、王家の方々や我々『風』の一部の者しか知らない抜け道があります。そちらを通る方が人目につきません。……ですが念の為、そちらを利用するのはもう少し遅い時間の方が良いでしょう」

「ふん。汝を何処まで信用して良いものか疑問だ」

「これでも私は副隊長の子飼いの部下ですよー? 散々美味しい思いさせて貰っているので、そこは信じて頂いていいですよ」

「美味しい思い?」

「団長の目の届かない所で、『遊んでくれる人』を斡旋して貰ったりぃ? 人脈が広がったのも副隊長のお陰ですもん。一切手ぇ出させてくれないのは不満ですけどー」


 そう言って両腕で己の胸を寄せてあげる仕草に、流石のディルでもその意味に気付いた。何をやっているんだ、と溜息のひとつも出るのが当たり前だが、ミシェサーは同じ仕草を止めないままにディルを上目遣いで見遣った。


「……だから、ディル様の給仕のお話を頂いた時、次はディル様と遊べるのかと思ったのにぃ……。こんなに可愛くて胸の大きい私が誘惑しても駄目なんて、そんなのおカタくて嫌です。男性がカタくていいのは貞操観念じゃなくて別の」

「乳袋程度で何が揺らぐかえ? 子の母ならまだしも、戦となれば邪魔になるそれを有難がる女騎士が何処に居る」

「…………。……なるほどー」


 世間一般であれば女性の魅力のひとつとなる胸をばっさりと切り捨てるのを聞いて、それまでミシェサーが聞いていた『一筋縄ではいかない男』という認識を理解する事が出来た。自分の価値を外見に高く感じているミシェサーからすると、これほど相性の悪い存在は数える程しかいない。


「承知しました、ディル様はそういうお話が通じない人なんですね。……あーあ、夜更けるまで暇だなぁ。ねー、本当にそういうの興味ないんですかぁー? 今からでも私と遊びません?」

「興味無い。遊ばん」

「でも奥様いらっしゃったんでしょー? まさか奥様とも寝所共にしてないとかぁ? 勃たない人なんですかディル様」

「……………。聞きたいかえ?」


 自分を見ても食指が動かない様子のディルを煽る気持ち半分、純粋な興味半分での問い掛け。……その筈だった。

 口を滑らせて、ディルの妻の話になるまでは。

 自分を向いた瞳に、それまでの活力低めではない気配を感じ取る。敵意こそ見えないものの、踏み入れてはいけない場所に踏み込んでしまったような。


「……え、え? そりゃ、聞いてみたくもありますけど。暇ですし時間あるし」

「そうか」

「え? 聞けるんですか? 副隊長さえディル様のそういう話ってあんまり話してくれなかったのに」

「で、あろうな」


 ヴァリンやアクエリアには、妻の話をしたこともある。

 けれど話したあと、二人には似たようなことを言われた。

 『もう二度と聞きたくない』と。


「我には、世俗の夫婦の致す事など分からぬ。精神面でも肉体面でも、我には手本など存在しなかったからな」


 ディルが話し始める前に、辛うじてまだティーポットに残っていた冷えた紅茶を注ぎ直すミシェサー。

 最初興味津々だった顔は、ディルが始めた話が続くごとに引き攣った笑みになり、しまいには顔を顰めて相槌すら打てなくなっていた。




「もう、いいです」


 ミシェサーからの降参が耳に届くと、ディルはそれまで話していた内容を切って一度目を閉じた。

 それまでも充分、自分達の関係が世間一般の夫婦とはかけ離れているものだと薄々感じてはいたが、これで聞く側に降参されるのは三回目か。

 ヴァリンから以前言われた「お前の口からそういうの聞きたくないよ」が今でもディルの心に無意識の瑕疵となり残っている。またか、とディルの脳裏には諦めの文字が流れた。


「やだ、私そういうの無理ー。私と遊ぶ人達小賢しいことばっかりしてくるけどそう言うの駄目ぇー。意味わかんなーい」

「……其処まで言われる程の事かえ? 夫婦なら当然の事では無いのか」

「ナイわぁ」


 ディルとしては初対面で『遊び』に誘うミシェサーの方がよっぽど『ナイ』なのだが、自分を棚に上げるミシェサーは床で膝と頭を抱えて首を振る。

 他と違うこと自体にはもう慣れたと思っていても、面と向かって否定された上に妻が関わってくると流石に考える所がある。

 先程とは表情は同じでも様子が変わって、どこか物悲しい雰囲気さえ漂わせているディルに流石に言いすぎたかと思ったミシェサーが不味いと感じて注釈を入れ出す。


「……私、恋とか愛とか信じてないんですよ。結局のところ、子孫残すだとか言っても肉欲の延長じゃないですかー。ヤりたいからって言い訳にしか思ってません」

「……ふん」

「結婚なんて、自分専用の棒や穴を所有するだけ。そんな面倒な関係を持たなくても気持ち良ければそれでいいじゃない、って……だから、ディル様のそういう話本当聞きたくない。純粋に結婚に憧れてる小さな女の子が抱く夢をちょっと色濃くしたような話を、現実にしないでください」


 侮辱されている――訳では無いらしい。

 快楽を味わうには、ミシェサーの肢体は役に立つだろう。本人だってそれを自覚している。

 ミシェサーが自分の中で確立している肉欲という仕組みが、ディルの前では一切通じないことに動揺しているようだった。所詮男はケダモノだと切り捨てたくても、実際靡かなかったディルが居てはそれも出来ない。


「でも私は、ディル様の話を聞いていて奥様の方に苛立ちますねー」

「……何故?」

「それだけディル様が献身を捧げて、あの方が言い残した言葉は『どう思われていたか分からない』でしたっけ? 『好かれてると思ってない』でしたでしょうか」

「……『どう思っているか聞いた事が無い』。だったか」

「そうだ、それだぁ。人並みの勘があれば気付けますよね。言葉が全部じゃないんですよ、私だったらそんな察しの悪い隊長の下に所属するの絶対やだぁ」


 妻への侮辱は聞き逃さなかった。あ、やべ、とミシェサーが目を逸らす。逸らした先に壁掛けの時計があって、それで時間を知ったミシェサーがまた表情を変える。今度は、それまでの下品で好色な表情でもなく、軽口を叩きながら笑っていた顔でもない。す、と音もなく表情が引き締まったような、印象が一変する顔だった。

 ディルも時計を見る。音こそ鳴っていないが、話を始めて二時間は経ったか。日付は変わらないが、大多数の騎士は退勤した時間だ。


「……随分、長くお話聞いてた気がしますが……二時間ですか……。よく話途切れませんでしたねー……」

「………そうか?」

「私には、誰かにそれだけ話をして聞かせたい人なんていませんもの。関わってみたい人はいたけれど、死んでしまった」


 その言葉はソルビットへ向けたものだけれど、もうディルへの敵意はない。一度吐き出して痛い目を見そうになったから止めただけの話で、それが分かっているからディルも追求しない。


「そろそろ、時間ですかね」


 言うなりミシェサーは自分の服の下、胸元に手を突っ込んだ。そこから取り出したのは黒い薄手の頭巾。

 それを取り出した所で、ミシェサーの胸元の膨らみが萎れる事は無い。頭に被って、目立つ髪色は成りを顰めた。


「ディル様、寝台を半分ほど本棚側に移動させられますか?」


 問われれば無言で動く。寝台に手を掛けて押すと、その足元の部分だけ絨毯が切り取られて動かしやすくなっていることに気付いた。

 そうして動いた部分にミシェサーが近付き、寝台真下だった部分の絨毯を剥がす。一目でそれと分かるような扉が現れて、開くと下に続く梯子が現れた。


「副隊長は、ご自分が信頼するに値する部下にだけ話をなさっているようでした。私と他二人。直々に、『花』隊長がご存命の可能性があると」

「……成らば、我の目的の場所も知っているのだな?」

「いきなりの急襲はお薦め致しません。場所を記す事も出来ませんので、記憶に刻み付けてください。私が出来るのは案内だけです、問題を起こされたら貴方様の立場が悪くなることをお忘れなく」

「無論」


 短い返答を聞いて、ミシェサーが喉奥だけで笑った。

 この道を進んで城内に向かうことがどれだけ危険か分かっているだろう。王妃殿下の許可なく、王子の独断で城に入っておきながら闇に紛れて歩き回るなんて。

 同時に自分の立場の危険さえも味わっている。剥奪されるのは騎士の位か、それ以上のものか。


「ほんと、私なにやってんだか。副隊長じゃなく王妃殿下に迎合していれば、この先の未来も安泰だっていうのに」


 ディルはそれを聞こえなかった振りをして、ミシェサーを先に行かせ梯子を下りていく。



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