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 ソファに腰掛ける末姫アールリトの表情は、暗く沈んでいた。扉を閉めてから、ヴァリンは部屋にある窓幕を全て開いて蝋燭に残らず魔宝石で灯りを付けた。先程とは違い、外からの明るい光で陰気な空気はだいぶ解消される。

 座れ、と言葉でなく顎でソファを指し示されるままにディルは姫向かいに腰を下ろす。ヴァリンは、妹姫の隣に座った。


「此の部屋に用が有るのでは無かったか。悠長に座っている時間は許されているのかえ」

「………ディルは」


 ヴァリンが、何を国王から聞いたのかディルは知らない。

 隣に座っている小さく体を縮こませている妹姫は、肉親を失う恐怖に肩を震わせている。――と、ディルには見えた。

 足を組んで横柄な態度で座るヴァリンが、僅かに瞳を細めた。国王が囁いていた話の内容を、伝えるために。


「ディルは、現王妃が輿入れした時の事を知っているか」

「……? さて。二十年前だったか。あまり記憶に無い」

「俺もだよ。でも少しは記憶にある。母上の姿が城から消えて暫くして、新しい女を母と呼べって言われた時の俺の不理解は、今思い出しても責められたくないものだな。その時、俺は五歳くらいだったから」


 ヴァリンが組んで上になっている足先が細かく揺れている。口の煩い者からは行儀が悪い、とでも言われそうな様子だが、この場では注意する輩は居ない。

 揺れている足先は、ヴァリンの躊躇いそのままだ。


「俺とリトの、歳の差を知っているか」

「年の差? ……末姫の成人の儀は去年終わっておろう。今年で十九だったか。六歳違いか?」

「だな。現王妃の輿入れから半年程度で生まれた、俺の腹違いの妹。昔は『順序を間違えた婚姻』って裏で囁かれていたものだ。昔の俺は、その意味が分からなかった。いつ頃、分かるようになったのかも覚えてないけど」


 二人が話している間、アールリトは何も言わなかった。


「順序を間違えた婚姻?」

「父上が先に、現王妃に手を出して孕ませたって事だ。現王妃を迎える為に先代王妃をわざと死なせたって噂もあった程だ。……現王妃は色々と秘匿の人だったからな、好き勝手噂をしている輩も結構居た」

「其の噂の真偽は?」

「知りたいか?」

「其れまで話して於いて煙に巻くか」

「噂は噂だ。現実は、もっとえげつない」


 ヴァリンの唇が、歪に弧に歪んだ。


「リトと俺達四兄妹は、腹違いどころか血の繋がりが一切無い」

「………」

「リトは他の男の血を引いていて、それを分かって父上は自分の子として育てた。……過去、ファルビィティスにした事への贖罪だろうな。あの国を、もう亡い帝国と共謀して滅ぼした事への」


 ファルビィティス。現女王の祖国の名。プロフェス・ヒュムネが繫栄していた国家、その名を聞いてディルの眉間に皺が寄った。

 王妃から詰問された時の記憶が蘇る。ディルの後見人になってくれた男が、かの国の女王を弑した。そして滅ぼした帝国とアルセンに、並々ならぬ憎しみを抱いている王妃だ。――ならば何故憎しみを抱く国の王妃になろうと思ったのか疑問でもあったのだが。


「……わたし、……私。その事を、先日、聞いて……。……私、お父様の子供じゃなかったなんて、思ってなくて」


 アールリトの震えるか細い声が、弁解のように聞こえる。ヴァリンはそんな妹に首を振った。


「機密事項のひとつだったからな。……お前は知らなくても幸せになれたろう。俺さえ、こんな状態じゃなかったら」

「そんな。……そんな、兄様は悪くないです。でも、私、不義の子ってことですか……? お母様は、お父様以外に躰を許した人がいるのでしょう……?」

「………そうだな」

「本来だったら、私は此処に居て良い立場になくて、それなのに、次期国王になれって、言われて……。私、どうして、こんなことに……? 私が、この国の女王となったら、それは、アルセンなのですか? お父様の血を継がぬ、プロフェス・ヒュムネの血を引く私が率いる国は、アルセンのままでいてくれるのでしょうか?」


 年若いアールリトに告げられた事実と立場の重さが、彼女の肩を震わせている。

 アールリトだって王家の子に相応しい教育は受けている。ヴァリンと違うのは、騎士として民の為に割く時間を自らの研鑽の為に使えたということで、国を率いるための知識だけならヴァリンと同程度習得している。

 機才に長ける王家の末姫。その体に流れる血の全てが、王家に所縁の無い者から継いだというのだから皮肉だ。


「……、………。………ああ」


 そこで、ディルも気付いた。しかし敢えて今口には出さない。

 視線を彷徨わせ始めたディルに気付いたヴァリンも、やっとかと微笑んだ。


「リト。悪いけど、喉が渇いたな。茶を頼めるか? ……お前のが飲みたい」

「え、……。はい」

「ありがとう。茶だけでいい」


 (ベル)さえ鳴らせば茶は従者が持って来ると言うのに、わざわざアールリトに頼んだヴァリンの意図に気付かぬ次期国王ではない。

 少しの間、席を外せという意味だ。茶を淹れる短い時間だけ、ディルと話がある。そう感じ取ったアールリトは大人しく部屋を出て行った。扉が閉まり、気配が消えた所でヴァリンが切り出す。


「……さて。お前も気付いたと思うが、リトの父親は恐らくアクエリアだ」

「………ああ」

「後から気付かれて、本人が居る前でぽろっと溢されても困るからな。この話は内密に頼む。匂わせるのも止めろよな、本人も知らない隠し子なんて聞いたらアクエリアもミュゼも発狂するぞ」


 酒場の複雑な人間関係に、ディルが脳内で整理をつけようとして唇が曲がる。

 ディルの子孫がいて、その子孫の恋人は遠い未来までディルの子孫代々を守ることが確定しているダークエルフで、そのダークエルフには本人さえ知らない子供がいて、その子供は次期国王且つヴァリンの血の繋がらない妹で。

 殆ど城下で完結する話だ。この国に所縁を持たないアクエリアが酒場に身を寄せる事になったのは、神など居ないと言い切ったディルでも『運命』を思わせる出来事で。


「……誰も彼も、我が未だ『月』の所属だと思っているのかえ。告解室向きの秘匿の話をされるのは、此れで何度目か分からぬ」

「お前が簡単に口を割らないからって信頼があるんだろ。良かったな、お前の口の堅さには定評があるらしい」

「ふん」


 認められても嬉しくない。体よく面倒な話を押し付けられている側からしたら、押しかける側の話はひとつでも、それが積もってディルの安寧を押し潰す。


「現王妃が、アクエリアの話を知らなかったのは父上が伏せていたんだろうな。俺、父上には報告入れていたんだが」

「国王はアクエリアの事を知っていたと? 王妃との関係までもを」

「さてな? 自分の子として育てる女の父親の名前くらいは言わせていたんじゃないか。種族も、……ああ」

「どうした」

「リト、生まれたばかりの時は耳が長かったのを思い出した。ある日突然耳に包帯巻いててな、その日から短くなった。未だに歪な形をしている」

「……切り取ったとでも言うのかえ」

「本人には『転んだ時に傷を負った時の治療痕』って話になってたかな。だから、あいつはいつも耳を隠す髪型をしているよ。転んで両耳だけ負傷……なんて、お粗末な理由付けだと思わないか」


 ディルとヴァリンの視線が合う。これ以上、アクエリアとアールリトとの共通点を探していてもキリが無い。探せば出て来るのは当たり前なのだ。

 ヴァリンが肘掛けに凭れて頭を抱えた。

 

「父上さ。俺に、『リトを頼む』って言ったんだ。んで、『ソルビットの事を申し訳ないと思う』って。……リトの事はいいよ。俺だって、リトの事は血縁関係なく妹だと思ってる。でも、ソルの事は……申し訳なく思われて、それで、俺はどうしたらいい? もうすぐ死ぬ父上に、そう思われた所で、ソルはもう戻って来ないのに」

「……安易な、贖罪であろう。言葉にして、伝えて、其れで陛下の気が済んだという訳だ」

「俺は気晴らしの道具じゃない。……いつも、いつだって、そうだった」


 その言葉を皮切りに、ヴァリンの苦悩が口から流れ出る。


「俺さ。無駄に広いこの城が嫌いだったんだよな。いつもどこかで誰かが俺の悪口言ってやがった。次期国王としての威厳が無いだの、計算をまた間違えただの、楽器の使い方がなってないだの、また本ばかり読んでるから止めさせろだの。計算はブロウの方が得意で、楽器はウィンが滅茶苦茶上手くて、社交的なのはキリアだった。リトは現王妃の娘だからって皆から愛されて、俺ばっかり何でこんな目にってずっと思ってた。……俺がもっと、ソルくらいに優秀だったら、って……思っても、仕方のない事で」


 苦悩は、生まれた立場に付いてくる悪魔のようなものだった。ヴァリンが『アールヴァリン』である以上、回避する術はない。

 何年も。生まれてから、今まで。

 悪意に晒され続けたヴァリンが、それでもある一定まで己の芯を保っていられたのは。最愛の人が心に居たから。


「俺を気晴らしに使うなよ。陰口叩いてる奴等、俺に直接言えないからって安全圏で好き放題言いやがって。貴族も王妃も大嫌いだ、プロフェス・ヒュムネのクソ共なんて皆死んでしまえ。俺のソルを返せ、無理なら滅べ」


 ヴァリンにとってその言葉は、愚痴の延長線上にあるものだった。

 なのにディルは神妙な顔をして聞き入った後に目を閉じる。男といえど美麗なその顔の瞼が閉じられて、長い睫毛が影を作った時にヴァリンですら不思議な感覚を受けた。それは純粋な好意とは違っていたけど。


「――望むのならば、其の様に」


 寒気が背中を駆け上がった。

 ヴァリンの目の前に居る男は、ただのヒューマンの筈だ。かつては国で最強の片翼と持て囃され、ここ最近まで無気力に過ごしていた男。

 普通であれば寝言のようだと切って捨てるだけの呟きを、彼は拾い上げて掌で転がしている。その言葉の真意を探るように。


「……ディル……?」

「あの種族が憎いと言うのなら、我が目の届く範囲のあの者共を斬り捨てよう。愛する者の居なくなった世界への怨嗟を轟かせたいと望むなら、我が其れに至る障害を排除しよう。汝が世界の不公平を嘆くなら、()()()()()()()()()()()()()()()()


 冗談を、などと、ヴァリンは笑って返せなかった。

 ディルが、冗談が上手い訳が無いのだ。こんな、ヴァリンに言って聞かせるような甘い誘惑が出来る訳が無い。

 生唾を飲む音が大きく聞こえる。自分の喉からしか出ていない音が、ヴァリン自身の鼓膜を揺さぶった気がする。


「如何する」


 ヴァリンの躊躇いも、戸惑いも、全て見透かしているようなディルの灰色の瞳。

 彼の唇が紡いだ問いを、全て肯定すればその通りに進みそうな予感さえ感じて、ヴァリンが返答に窮する。

 自分の中で予感していたプロフェス・ヒュムネとの全面戦争が、返答次第で即時始まってしまう気がしたから。



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