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 城への馬車の旅路は、少し話をしているうちに終わった。

 城門を潜って敷地内へ。それから前回と同じ通用口まで向かい、エンダ以外の三人が先に馬車から下りる。


「……こんなに早く戻ってくる羽目になるなんて思わなかったな」


 馬車移動は疲労が溜まる。近付くにつれ気分も重くなる。ヴァリンの表情は、自分が死ぬ訳でも無いのに青くなっていた。

 出来るならもう戻りたくないと思っていた。惜しいものは殆ど残ってない。なのに、城はヴァリンの意思とは関係なく彼を連れ戻す。


「今回の事が嘘だったとしたら、もしくは、父上が峠を越えたら。……俺はまたこの方法で連れ戻されたりするのかな。俺が嫡男だからって、王位継承権がある訳でもないのに」


 通用口の前に来た時、自嘲全開でヴァリンが口にした言葉。

 状況の複雑さにフュンフは口を噤んだものの、ディルは呆れるように視線を細めて口を曲げた。


「何度だって連れ戻しに来るであろうな。であれば、我は毎回共に来よう。次はミョゾティスでも同席させるか。その次があればアクエリアを」

「……お前、アクエリアの元恋人と今の恋人での修羅場を見たいのか。そういうのが好みだったっけか?」

「別に」


 それはディルの渾身の冗談だったかも知れない。王妃とアクエリアの関係性が明らかになった以上、その二人を名指しするのは悪趣味でしか無いが。

 本気でも冗談でも、ヴァリンの心は少しだけ軽くなった。あの二人はきっと嫌な顔をして断るだろう。でも、ディルは一緒に来てくれると言った。

 味方が居ると思う事で、和らぐ苦痛は確かにある。


「では、行きましょうか。先に私が」


 ヴァリンの表情の強張りが取れたのを見て、フュンフが二人の前に立つ。そこから先は、フュンフが先導した。

 相変わらず人の気配が少ない城内だ。騎士は普段は持ち場に居る、と聞いているのでそれが城内ではないのは分かる。それにしたって、城内は手薄にしか思えない。

 装飾も相変わらず寒々しい。廊下に点々とある調度品だって、埃落としなどの最低限の手入れはされているが輝きが足りないような気がしている。壺も花瓶も絵画も、この国で一番尊き存在が住まう場所としての贅を凝らした筈だった。


「……」


 調度品はただ、置かれているだけだ。

 その質を愛でる者も居らず、最低限の手入れしかされていない程度で愛着を持たれない物品は輝きを失っていく。愛も思いやりも無い、空虚な城。

 それにディルが気付いた時、胸に湧き上がるのは一方的な同情。

 愛を失い、時間の経つままに身を任せて、いつか壊れるその時を待つだけの存在に成り下がった感覚を、ディルは確かに覚えている。


「戦争で――あの者達の喪失で、此処まで落ちぶれるとは思わなかった」


 それは城に言ったのか、自分に言ったのか。ディルだって分からなくなった。

 けれど時間は個々の感覚で過ぎ去るし、世界は急に終わったりしない。

 置き去りにされて朽ちていくだけの世界を感じた気がして、ディルが僅かに目を伏せた。


「……。こちらです。途中、武器の所有の有無の身体検査は受けるかも知れませんが、ご容赦ください」


 フュンフは道案内を続ける。実際のところ二人には案内など必要ないのだが、先導する事でほんの数人騎士と擦れ違っても事情を聞かれずに道を空けられるので助かった。

 道順は変わらない。しかし、初めて感じるような嫌な緊迫感は三人の肩に圧し掛かっている。騎士達が移動できる範囲を過ぎた所で、道に塞がる騎士の姿が二人分見えた。鎧から見て、『鳥』隊の上級騎士だ。


「国王陛下に謁見だ。アールヴァリン様には許可が出ている。ディル様に関しても、アールヴァリン様からの許可が有る故に問題は無い」


 フュンフがそう言っても、ディルを見る訝しむ視線は確かに感じられる。両手を肩付近まで上げて、敵意無しと表すディルに身体検査が始まった。

 肩、腰、足と服の上から調べられるうち、騎士がディルの腰に違和を感じて取り出すように言って来る。

 大人しくディルも応じてその物体を腰から離れさせる。騎士がそれに触れようとすると視線が鋭くなった。


「触れるな」


 その言葉には、騎士も一瞬怯んだ。最強の座を欲しいままにしていた男の視線は、時が流れても騎士達に畏怖を抱かせるには充分で。

 同時にその騎士もが理解したのは、ディルが手にしたそれは短剣だと言う事。そしてそれに刻まれた名前の意味を。


「妻の、短剣だ」


 遺品と口にするのは抵抗があったから、わざと暈した言い方をして騎士にそれだけを告げる。刻まれた妻の名前に指を滑らせ、これをどうするかを悩む。ディルが持ったままでは先に行けないというのなら、ここで待つのも苦にはならない。

 けれどそれを拒んだのは、ヴァリンとフュンフの方で。


「……私が預かろう。『月』隊長の名誉にかけて、決してこの刃を抜かせる事は無い」


 騎士団三隊長のひとりの誓いに、渋々ながら承諾した上級騎士はそれをフュンフの手に渡らせる事で道を空ける。

 廊下の続く先には階段があった。一段、二段と上る足が重く感じる。

 重いのは足か、気分か。答えは知っているのに、ディルは気付かない振りをする。


 階段を上がると、踊り場向こうに更に別の階段。

 それを上り終えると、また階段が現れる。

 それらは普通の階段よりも段数は少ない。万が一敵が侵入してきた時に、今自分達が何階にいるのか、また方角などを錯覚させるため、わざと細かく設置したものだ。

 なんとか上り終えた後は、小部屋のような場所に辿り着く。階段の為だけに用意された殺風景な部屋だ。暗い森に茂る葉を思わせる深緑色の絨毯が敷かれたその部屋の四方にある扉の向こうは、王家それぞれの部屋がある。この階まで上って来た時、入念な下調べや慣れが無い場合国王の部屋に簡単には辿り着けない。

 この部屋から先はヴァリンが先導した。フュンフは、この部屋で頭を下げたまま二人を見送る。自分にはこの先に行く資格がないとでも言いたそうに、足は動かない。


「行くぞ、ディル。こっちだ」


 急かされて、ディルもヴァリンの背中を追う。

 躊躇わずに扉のひとつを選んだヴァリンは、振り返らずに進んでいった。

 扉の先も、先程の部屋と同じ色をした絨毯が敷かれている。これは誰の趣味だとディルが一瞬思い浮かべた瞬間。


「ディル」


 先を行くヴァリンが、声を掛けて来た。


「この辺りってな。現王妃が輿入れしてから随分雰囲気が変わったんだ」


 廊下はまだ続いている。少し離れた場所に扉が見える、それまでヴァリンの話は続きそうだった。


「それまで、明るい色をしていたのを覚えているよ。緑なのは同じでも、先代王妃が生きていた頃は若草色をしていたんだ。春になると、ここの窓から見える城下の草っ原が、絨毯と同じ色をしていたのが好きだったな。走ると怒られたのは変わらないが、あの頃は先代王妃が生きていて、俺への風当たりもそこまで強くなかった。……まだ自分の立場さえ本当の意味では分かってないようなガキだったから当たり前なんだが」


 足音は、絨毯に吸収されて静かに。

 ヴァリンの声はさして大きくない筈なのに、他に音の少ない廊下に響いている。


「俺が死を感じた『最初』は先代王妃――母上だった。次は、戦場で死んだ仲間。一番絶望したのは、ソル。俺の地獄は今でも続いているのに、この上、血の繋がったもう一人の親まで……」


 口を噤んだのは、国王の私室の扉の側まで来たから。

 緩く握りこんだ手で、扉を三度叩くヴァリン。返事は無いが、数拍待ってから扉を開く。

 静かで、暗い室内。

 窓幕がすべて閉じられて、壁掛け蝋燭の僅かな灯りだけが中を照らしている。最初に入った部屋には誰も居ない。その部屋の絨毯は、若草色だった。

 家具も何もかもを全て無視して、ヴァリンは中へ入る。そしてまた別の部屋に続くであろう扉まで歩み寄り、そこでもまた入室の合図を出す。


「………、はい」


 今度の合図には返事が返ってきた。

 誰か居る、とディルが思うのも束の間、ヴァリンは扉を開く。


 もうひとつの部屋も、暗かった。

 蝋燭の数は前の部屋と変わりない。燃える蝋燭の香りが充満していて、少し息苦しささえ感じる。

 中は部屋の中央に天蓋付きの寝台があって、横付けの小さい荷物置きに水差しが置かれている。その隣にある椅子に座っているのが、室内の暗さで黒のように見える髪色を持つ女だった。

 彼女は視線を新しい入室者に送ると、寝台に影響がないように、しかし待ちかねたような速度で立ち上がった。


「――にい、さま」

「……待たせた」

「にい、さま。おとうさま、お父様。兄様がやっといらっしゃいましたよ。お判りになりますか?」


 ヴァリンを兄と呼んだその女は、寝台の上の国王の手を握った。国王からの返事は無い。

 顔が見える位置まで移動したヴァリンは、国王の姿に言葉を詰まらせた。


 危篤、と聞いて今までヴァリンが見て来たのは、怪我が主で死にかけた者の顔ばかりだ。

 傷を受けた苦痛と、自分が死んでいく感覚に焦燥する表情。安らかな顔なんて、殆ど見た事が無い。

 けれど国王の今の顔は、老いと病気に害された、出来の悪い蝋人形のような表情で。虚ろな表情に、光が無く瞬きの少ない瞳。乾いた唇は半開きで、苦しそうに口で息を繰り返している。


「父上」


 ヴァリンが国王を呼んだ。

 瞳が僅かに動く。声は聞こえているのだろう。


「……ァ、リ、ン」

「はい、此処に。今日は、あのディルも来ています。父上の事を案じ、俺と一緒に来てくれたんですよ」

「……ディル? ディルって」


 顔は暗くてよく見えない女が、そこでやっとディルを見た。

 今は黒にしか見えない、ヴァリンと似た色を宿した長い髪を一部後頭部の髪飾りで留めている。

 大きく開かれた瞳は、光少ない室内でも涙で潤んでいるように見えた。


「……ディル。お久し、ぶり、です」

「………」

「久し振りで、その。……また、顔を見られるなんて、思わなくて……」


 彼女の名前は、アールリト。

 ヴァリンの異母妹にして、現王妃の産んだ娘。ヴァリンの話が本当だとしたら、次期国王はこの女だ。


「わたし、……私は。……隣の部屋に行っていますね」


 アールリトは何かを言いたそうにしていたが、椅子から立ち上がる。やや足早に退室した彼女の座っていた椅子に腰掛けたのはヴァリンだ。


「……父上。お加減は、如何ですか。早く元気になって貰わないと、城が辛気臭くていけません。病魔如きに破れる父上では無いでしょう、復帰を心待ちにしていますよ」


 ヴァリンの言葉に嘘と真実が半分くらい見えている。

 治る見込みがあるのなら、危篤とは言われない。それだけ王は危険な状態だ。

 そして子供として、父親が治癒する事を同時に願っている。

 ディルにはそう見えている。感情が無いとまで言われたディルでも、それだけは分かった。


「……父上。まだ、死なないでくださいよ」


 ヴァリンの声が、僅かに震えている。

 擦れ枯らしを気取った、気の優しい男だ。その声の震えが何なのか、昔『月』隊に所属する者として葬儀の場に居たディルも、意味くらいは分かる。


「……父上?」


 震える声に反応したのか、ヴァリンに何かを囁きかける国王の唇。

 ディルは聞き取れないが、ヴァリンは言葉を聞き洩らさないよう顔を近付けた。


「……。はい。……ええ、知っています。はい」


 相槌は、聞き取りやすいように短く、そして親愛を込めた優しい声で。

 国王の囁きが終わるとともに、ヴァリンはディルの側まで近づいた。


「父上からの御用命だ。少し、出るぞ」

「出る? 離れていていいのか」

「大丈夫だよ。まだ少しでも話せるくらいなら、今直ぐに……って訳でもないだろう。ほんの少しだ、お前も付いて来い」

「何処へ」


 ディルの問いの後で、ヴァリンは扉に手を掛ける。


「隣だよ」


 短く返した扉の向こうで、不安そうな顔をしたままソファに腰掛けている末姫の姿が見えた。




 

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