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「待て」


 エンダの催促が繰り返されないうちに、ディルが横槍を入れた。

 事情は分かるとしても、連れて行かれる先が異種族の根城だ。居心地が悪い、とヴァリン自身が吐き捨てた場所にむざむざ連れて行かれる様を見送る訳にはいかない。

 あの女達が、ヴァリンの父の危篤という不謹慎な話を捏造してでも、元後継者を取り戻そうという考えを持ち出さない者共だとも思っていない。

 時間は限られている。悠長に作戦など練っていられない。


「……ディル。悪いけど、陛下の遺された時間は待ってくれないんだよ。もう、お前の相手もしてられない」

「我も行こう」

「……はぁ?」


 エンダの驚きも無理がなかった。つい先日、自らの足で馬車も要らぬと城を出て行ったディルに、国王の身を案じる心があるなんて思わない。もとより騎士時代ですら捧げた忠誠が心の底から思っているものではないと隊長格であれば誰もが知っていた。

 この男には、妻以上に大切なものは無いのだから。


「勘違いするな」


 表情からも疑念に満ちていたエンダに注釈を入れるべく口を開いたディルは、不快そうに鼻を鳴らす。

 勘違いも何も、エンダからすれば危篤の国王が居る王城に、血縁でない者を連れていける訳が無い。なのに、その思考を予期していたようなディルは更に言葉を続ける。


「我は、『j'a dore』のマスターだ。先代マスターより其の地位を継いだが、元より此の地位は先々代が当時の国王陛下から命じられたものだと聞いている。此れ迄、我等は国家の善き手足として動いていた。最期の時というのならば、ただ一目だけでも拝謁したいと願うのは許されぬ事かえ?」

「……ディル。悪いけど、俺にはそれがお前の本心とは思えないな。お前が仮に本心で言ってたとして、限られた者しか入れない陛下の居室に足を踏み入れる事は――」

「俺が許す」


 エンダの牽制を封じたのはヴァリンだった。


「俺は陛下の嫡男だ、その権限も充分にある。エンダ、お前がディルの二心を疑うなら勝手に疑ってろ。俺はディルと共に行く。……この件については、王妃殿下にも、次期女王陛下にも文句は言わせない」

「……アールヴァリン。そうは言うがお前に城の中での権限は、アールリト様よりも……」

「リトの名前は出すな。……それとも、何か? 次の最高権力者に媚び売っときたいのか。残念だが、陛下が死にかけていたとしても、生きている以上は俺に誰も強く言えないさ。言った所で聞く気もない。俺に強く言える奴が居て、それを俺が大人しく聞き届けるとしたら『もういないひとりきり』だからな」


 わざとエンダを嘲るような事を言うのは、自分の隊の隊長を格下に見ているから、――ではない。

 エンダの瞳は、怒りよりも悲しみが滲んでいる。『もういないひとりきり』が、誰か分かるから。そして同時に、そこまで口を汚してでもディルを同行させようというヴァリンの足掻く気持ちを感じ取ったから。


「……。後からお叱りが来ても俺は庇わないぞ、アールヴァリン」

「それはどうも。お忙しい隊長様々の手を煩わせずに済むなら、こちらとしても有難い限り」


 エンダは、ヴァリンの幼い頃を知っている。

 騎士として『風』隊に所属する前も、その先も、彼は素直で飲み込みが早く聡明で、次期国王として申し分無い性格の少年だった。

 ヴァリンの次期国王としての苦悩も、ひとりの異性に焦がれる煩悶も、全ての希望が打ち砕かれた絶望も、近くで見て来た。

 あの頃と変わらず見ているしか出来ないエンダは、今だって助けるために伸ばせる手を引っ込めたままだ。


「フュンフ、帰りは俺が御者するからお前は中で二人の相手してろ」

「……ああ、分かっている」


 再び城に潜り込むための大義名分を手に入れたディルは、騎士隊長二人が話している後ろでヴァリンに目配せをした。

 これは下準備に過ぎない。

 本当に動き出すのは、まだ先だ。と。

 酒場の面々は、それぞれがそれぞれなりに不安そうな顔をしていたが、何も言わずにディルとヴァリンの出発を見送った。

 ディルは一度だけ、全員の顔を見渡して、そして。


「行って来る」


 と言い残した。




 今回用意された馬車は、先日の物よりも小振りだった。向かい合って二人ずつ腰掛ければ、それで席は埋まる。ヴァリンが座ることを考慮され、乗り心地は振動も少なく前回よりも良くなっている。

 ディルとヴァリンが並んで腰かけ、御者側の向かいにはフュンフが無言で座っていた。俯いた鳶色の隻眼は床と、膝の上で組んだ己の指だけを見続けていて顔色は青い。


「……酒場への再来が、まさかこんな用件になるなんてなぁ。フュンフ」

「………」

「お前とはまた込み入った話もしなきゃならんとは思っていたが、次に顔を突き合わせるのがこの件でとは思わなかった。国王危篤ってんなら、各地に任務で散らばった騎士達も集まるのか。貴族共も弔問の顔して城下に戻ってくるんだろう」


 ――それが心底面倒臭い。

 ヴァリンの本音は口にされることもないが、ディルとフュンフには伝わる語気だった。昔から比較的大人しい性格のせいで侮られる事が多かったから、次期国王の座から外れている事である事ない事を陰で言われているのが分かっている。そして、場合に因ってはそれを正面から伝えに来る愚か者も居るだろう。もう嫌味を静かに聞いているだけのヴァリンではないけれど。

 フュンフの気も重い。目の前に居る王子騎士の凋落を、直接の上司ではないにしろ近くで見ていた。絶望の嘆きに関しては、一番側で聞いていた。


「……それにしても、ディル様が同行すると仰るとは思いませんでした。その、謁見の間で起きた事件について……『鳥』の騎士達からも聞きましたので」

「ふん。とはいえ城に上がることを止められるのなら、我は逆らわぬ。表立って問題を起こそうとは、未だ考えて居らぬ故にな」

「でしたら、何故同行する事にしたのです?」


 フュンフの問いかけに、ディルは無言を貫いた。けれど視線はフュンフから少し目を逸らし、御者席にいるであろうエンダの方を向いている。聞かれたくない内容だと、それだけで伝わった。

 エンダはまだ敵になるか味方になるか分からない。聞き耳を立てられていては面倒だ。


「……そんな事より。絶対にクソ女共とは顔を合わせずに済むようにしてくれよ。マゼンタにあの声で話しかけられたら剣を抜かない自信は無い」

「それは、大丈夫だ。どうやらオルキデ様とマゼンタ様は出払っているようでな。そういえば、新しい仲間と言われていたフェヌグリークの姿も無かったか」

「へぇ?」


 ヴァリンの目が細められる。アルカネットの妹にして弱点である彼女は、プロフェス・ヒュムネ姉妹と行動を共にしている。改め、連れ回されているらしい。

 気に食わない存在にわざわざ様を付けるフュンフの律義さもそうだが、姉妹が一応は仲間だと認めて扱っているフェヌグリークへの様子も気になる所ではあった。事情を知っているフュンフがそれ以上の報告をしない所から察するに、特別非道な扱いも受けていないようだ。


「この先、フェヌグリークが俺達の敵に回るような事が無いといいけどな。……アルカネットはもう俺達側だとしても、家族同然の女が奴等側に付くとしたらあいつの心も動きかねない」

「……例えそうなろうと、アルカネットが敵に回ることはあるまい」

「大した自信だな」


 僅かに揺れる馬車の中で、ディルの頭が小さく縦に振れた。


「我の義弟であるならば、家族愛であろうと愛する者の為に死ぬ覚悟程度は持ち合わせているであろう」

「………。お前の他人への認識って、やっぱり滅茶苦茶おかしいな?」


 他人との距離の詰め方に難があるディルは、基準が『最愛に対して』になっているのがズレている。

 その点、ヴァリンは及第点なのだろう。もう果たせない覚悟になってしまったが。

 フュンフは二人のやり取りを心配そうに見つめながらも、終いにはやれやれと言った感じで首を振った。


「ディル様には、頼りになるお仲間がいらっしゃるようで何よりです。アールヴァリン様もその中に入っているようで、少し妬けてしまいますね」

「……ふん。何を自分は埒外に置いて話をしている」

「………ディル様」

「汝も、我が手足となるのだろう? ……以前のように」


 フュンフにとって、その言葉は想定外の言葉だった。今までの事を許された気になると同時、喉が圧し潰されたような感覚を覚えて肯定の返事が出てこない。震える唇を引き結び、下を向いて何度も頷いた。残された隻眼から涙が溢れるのを止められはしないが、その雫が溢れるたびに、自分の罪が浄化されていくような感覚さえ覚える。罪は罪として、永劫消えはしないのだが。


「……お前、他人行儀になったよな。前も言ったろ、俺の事は愛称で呼べって」


 次いで声を掛けたのはヴァリンだった。涙で潤む瞳のまま、フュンフが顔を上げる。


「……ですが」

「いいんだよ。ソルがもういなくても、お前は俺の義兄になった筈の男だ。俺がこうして父上の元へ向かってるのと同じように、家族の縁ってのは簡単には切れないものだろう?」

「………」

「お前の後悔は分かってるし、こうしてディルとまた話せるようになったんだ。俺はお前を恨んでないし、俺が恨むのはお門違いってものだ。また、前みたいに呼んでくれよ」

「ソルは……許すでしょうかね」

「許すも何も、俺はあいつと結婚したかった。あいつじゃなきゃ今でも嫌だ。あいつが生きてたら、何が何でも結婚してた。……だったら、お前は義兄だ」


 ヴァリンの愛した女、ソルビット。

 その異母兄がフュンフだった。

 『宝石』の二つ名を戴きながら、仄暗い影ばかりを背負っていた女。彼女が繋いだ縁は、未だ途切れることなくここにあった。


「お前との義理の縁は、切りたくないんだよ」


 ヴァリンが浮かべた微笑は、親愛を込めた優しいもの。嫌味を全く含ませていない、捩じくれてしまっていた筈のヴァリンの心からの言葉。

 フュンフは再び言葉を詰まらせながらも、再び深く、何度も頷いた。



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